3-4

「二条さん、慣れましたか?」


 帰り支度をしていると佐久間さんから声をかけられた。


「あ、はい。料理をするのが最近は楽しいです」


「そう。それは嬉しいわ」


 たいして嬉しくもなさそうな様子で言うので、ちぐはぐに見えた。


「ちょっと話したいことがあるから、このまま残ってもらえる?」


「え、あ、はい」


「お先に失礼します」


「お疲れさまでした」


 佐久間さんと二人きりで、何を言われるのか不安を覚える。なのに、他の生徒たちはそんな私の気持ちなんてお構いなしにどんどん帰って行った。


「優斗、今日は二条さんとお話があるからお母さんに迎えに来てもらいなさい」


「わかった」


 二人の会話を不思議に思いながら眺めていた。生徒と先生という関係にしては親密すぎるけれど、それ以上にどんな関係があるのか考えてみても繋がらない。

 パタパタと部屋を出て行った優斗くんを見送る私に佐久間さんは言った。


「孫、なのよ」


 びっくりしてリアクションが全く取れなかった。とても間抜けな顔をしていたことだろう。全然似ていない。いや、言われて見れば目元が似ているような気もするけれど、でも全然だ。てっきり、佐久間さんは独身だと思い込んでいた。指輪もしていないし、家庭の話やプライベートな話なんて聞いたことがなかった。

 渋沢さんは佐久間さんの知り合いだと言っていたけれど、このことを知っていて黙っていたんだろうか。教えてくれればよかったのに。と、そこまで考えて止まる。教えてもらっていたところで、何かが変わったとは思えない。やっぱり知らなくてもいい情報だったのかもしれない。


「そう、なんですね」


 ようやくのことでそれだけ答える。


「見えないでしょ。私もそう思うわ」


 返ってきた言葉と裏腹に笑顔は柔らかく、孫を慈しむ祖母の顔だった。佐久間さんにこんな一面があるなんて知らなかった。


「それで、お話ってなんですか」


 気まずくなって話題をそらした。佐久間さんの口から何が飛び出しても、私の対処できる範疇を超えているような気がしたから。


「そうね。二条さん、最初の授業で渋沢さんが聞いたこと、覚えているかしら」


 最初の授業。カルボナーラを作った回だ。あの時は佐久間さんのことが怖くて、勝手に意地悪な人だと思っていた。こんな人のところで料理を習うなんて嫌だなぁ、とも。

 渋沢さんになんて質問されたっけ。緊張と、初めて料理をした興奮であまり覚えていない。


「すみません、覚えてないです」


「二条さんの好きな食べ物や、食材を教えて欲しいの。次回の授業は、二条さんの好きなものを使った料理になるのよ。みんな一周したから」


 ここに通って、もうそんなに時間が経つなんて。あっという間に思えたけれど、思い返してみればそれなりにみんなとの思い出もある。毎回の授業は、生徒の好きなものからレシピを決めると渋沢さんも言っていた。


「好きな、もの」


 また霞んでいる母のエプロン姿が脳内に広がっていく。母が作ってくれた料理を私も作って、母に食べさせてあげたい。それで、何があったのか、どうして料理をしなくなってしまったのかを聞いてみたい。でも肝心の料理がなんだったかが、どうしても思い出せなかった。


「あの、好きなものっていうか、母に、母が、昔作ってくれた料理を私も作って食べさせてあげたいんですけど。それがなんだったか、まだ思い出せなくて。私の好きなものの回は、子供が好きそうな料理を佐久間さんに決めていただきたいんですけど、それでもいいですか?」


 恐る恐る聞いてみる。また自分がないのかとか言われるかもしれない。だけど、これが私の本当の気持ちだった。


「どうして、お母さんに料理を作ってあげたいんですか?」


「私はもう大人で、自分でなんでもできるって、もう子供じゃないって、母にわかってもらいたくて」


 するりと自分の口から出た言葉に驚いた。私、こんなこと思っていたんだ。


「ずっと両親の、ほとんど母の言う通りにしてきたんですけど、ここに通うようになってそれってなんか違うなって思って。まだ、上手く言えないんですけど、ここに通っているみんなは年齢バラバラだけどちゃんと自分の意見を持ってるし、それでいいんだって思えて。逆に自分がない自分が恥ずかしくて。変えるためには、母にもわかってもらいたいんです」


 続けて出た言葉に引っ張られて、泣きそうになってしまう。初めて自分の思っていることを、ぐちゃぐちゃのまま、他人に伝えようとした。それがどうして佐久間さんだったのかはわからない。ここじゃない誰か、他でもない母に言うべきことなのに。


「そうですか。二条さん、変わってきましたね」


 佐久間さんが普段の授業よりも格段に優しい声で答える。


「二条さんは自分がどうしたいのかわからない、わからないという振りをしていれば誰かが助けてくれると思っているお姫さまでしたから。今は多少は自分のことを話そう、伝えようという気持ちが感じられます」


 佐久間さんの言葉が染み込んできて、私の目から溢れそうになる。でも、きっと泣くのは今じゃない。ぐっと下唇を噛んで耐える。


「ありがとう、ございます」


 頭をさげると零れ落ちてしまう気がして、精一杯の感謝の気持ちを込めて佐久間さんに言った。


「様々な人との出会いや交流が、あなたを変えてくれると思いますよ。それでは、来週の授業は子供らしいメニューで何か考えておきます。お疲れさまでした」


「あっ、佐久間さん、一ついいですか」


「どうぞ」


 不思議そうな顔をする佐久間さんは貴重だった。いつも全てがお見通しのような目が、私の思惑を掴もうとこちらを射抜く。

 今日の私は、私じゃないみたいだ。まっさらな地面へ足跡をつけていくのはまだ怖い。だけど同じだけ大きなワクワクに気がついてしまった今、相談するだけでも話してみよう。

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