3-3

「今日はクリスマスも近いので、ローストチキンです。ではペアに分かれて、調理を行ってください」


 ローストチキン。子供の頃はクリスマスに出てくる大きなチキンにワクワクした覚えがある。ケーキの白くてキラキラした輝きと、プレゼントの色鮮やかな包装紙、ツリーのイルミネーションが特別感を演出していて、毎年楽しみにしていた。

 今でも毎年ツリーを出して飾り付けをして、クリスマス当日にはチキンとケーキが並ぶけれど、あの頃のようなキラメキはなくなってしまった。それでも、なんとなく余韻のようなものが残っていて、何もなくともクリスマスが近づくとウキウキするのに変わりはない。

 メインを飾るチキンを作るのはとても楽しみだ。今年は無理でも、来年には私が作ったチキンを食卓に並べて、両親に食べてもらえたらいいな。


「二条さん、一緒に料理してもいいですか?」


 考え事をしていたら、優斗くんに話しかけられた。私はまだまだ初心者だし、本当は渋沢さんとペアを組みたかったけれど、仕方がない。


「私も分からないことばっかりだけど、よろしくね」


「大丈夫ですよ。僕も初めて作りますし、そのための料理教室ですから」


 小学生とは思えない落ち着きに面食らってしまう。子供らしい言動をすることはあるんだろうか。


「優斗くんは調理実習とかで人気者になれそうだよね」


 身支度を整えて、鶏もも肉の下処理に入りながら話しかけた。


「そんなことないですよ」


 テキパキと工程をこなしながら優斗くんが答えた。


「最初に料理をしようと思ったのはどのくらいの時?」


「うーん、覚えてないですね。お母さんに聞いたら、小さい頃から女の子がするみたいなおままごと遊びが好きだったらしいです」


「ええ~意外」


 大人びた様子から、本を静かに呼んでいたり、絵を描いているような姿を想像していた。


「じゃあ、最初に作った料理は何?」


 タレを作りながら、優斗くんは小首をかしげた。


「うーん、からあげですかね」


「からあげ!?」


 最初に作った料理がからあげ。この料理教室で揚げ物はまだ作ったことがない。だけど、作り方はなんとなく分かる。小さい子には難しいんじゃないだろうか。


「おばあちゃんと一緒に作ったんです。僕が鶏肉が好きだからからあげを作るって言われて、それでお手伝いして」


「そうなんだ」


「おばあちゃんは昔、有名レストランでシェフをしていてとっても料理が上手なんです。作っている姿が格好よくて、僕もそうなりたいなって思って」


 なぜかヒソヒソと言う優斗くん。普段は堂々としているふうなのに、こういうことを言うのはまだ気恥ずかしいのかな。まだまだ子供な姿を見るとホッとする。

 私の子供の頃は、いたずらや子供らしい行動をすると母に怒られた。手のかからない子供だったと思う。それは母が好きだったから、母の言う通りにしてきたけれど、優斗くんみたいに憧れやなりたい理想像があるわけじゃなかった。

 鶏もも肉の皮を下にして、熱したフライパンで焼き色を付ける。パチパチとはねるタレが少し怖いけど、優斗くんは平気そうな顔をしている。私よりずっと大人に見える。料理歴だって私よりずっと長い。


「さすが、慣れてるね」


「家でも作ったりしてますから。妹が二人いるんですけど、妹は全然興味ないみたいで作らないですね」


「そっか、お兄ちゃんなんだね」


 優斗くんの落ち着きっぷりは妹がいるからだと思うと、妙に納得した。やっぱり弟や妹がいると、しっかりした子になるんだ。学生時代の友人たちも、兄弟が多い子は同級生と居ても面倒見がよくて、お姉ちゃんなんてあだ名で呼ばれたりしていた。優斗くんもきっと周りから頼りにされているんだろう。


「美味しそうだね」


「食べるのが楽しみです」


 焼き目を付けた鶏もも肉を天板にのせてオーブンへと入れる。こんがり美味しく焼けてくださいと気持ちをこめて扉を閉めた。


「ここにはどのくらい通っているの?」


 黙々と作業している優斗くんに話しかけた。集中しているのを邪魔しちゃ悪いかなと思いつつ、ペアにでもならないと話す機会もないし、ここで少しでも仲良くなっておきたい。


「四年生からです。本当はもっと早く始めたかったんですけど、なかなかお母さんを説得できなかったんです」


「えっ、お母さんが決めるんじゃないの?」


 習い事を自分で選べることに驚いてしまった。優斗くんの様子を見ていればそのくらい予想がつきそうなものなのに。


「自分がやりたいことをするのが、習い事なんじゃないですか? 塾とかは別かもしれないけど、やりたいかやりたくないかは自分で決めるんだと思いますけど」


 不思議そうな顔で私を見る優斗くん。下から注がれる視線に思わず顔を背けてしまう。母に言われるがままに、あれこれ習い事をしていたなんてとてもじゃないけど言えなかった。私に決定権はあったのだろうか。やりたいかやりたくないかで判断してよかったんだろうか。わからない。わからない。


「二条さんは、料理、好きですか?」


 唐突に別の質問をされた。


「もちろん。最初はわからないことばっかりだったし、料理ってしたことなかったから少し怖かったけど、今では大好きだよ」


「よかったです」


 照れ臭そうに、でもどこか誇らしげに答える優斗くん。仲間が増えたことが嬉しいんだろうか。年齢も性別も違うけれど、認められたみたいでなんだか私も嬉しかった。

気を取られていたら、泡だらけの手で握ったボウルがつるんと逃げ出てしまった。

 カタンカタン!

 大きな音を立てて、シンクの中を暴れまわるボウル。音のあまりの大きさに、ビクッと肩が上がってしまった。


「す、すみません」


「本当、静かに料理できないのかしら。子供よりうるさいなんて」


 間髪入れずに松井さんから意地悪な発言が飛んでくる。松井さんが他人をイラ立たせる発言をするのはもうわかっているけど、いちいち気に障る。気にしたら負けだ。それにしてもどうしてそんなに瞬時に嫌なことを言えるのだろう。


「よくありますから、気にしないでください」


 優斗くんにまでフォローされる始末。私の方が大人なのに、これじゃあみっともない。


「大丈夫よ。心配してくれてありがとう」


 何もなかったかのように笑顔を作った。内面では恥ずかしさや、松井さんに対するドロドロした気持ちが渦巻いていたけれど、吐き出してしまうほど子供じゃない。


「二条さん、休憩しましょう」


 洗い物を拭き終わった優斗くんに促され、テーブルについてお菓子をつまむ。ほんのりと紅茶が香る甘さ控えめのクッキーだ。チキンの香りで刺激された空腹にやさしく溶け込んでいく。


「クリスマスって何歳になっても楽しみよね」


 渋沢さんが弾んだ声で話している。私の母より高齢の渋沢さんは、クリスマスなど興味がないものだと勝手に思っていた。少女のように目を輝かせている姿を見ると、老いても心の若さを失わないことの美しさを痛感する。


「やっぱり特別な料理やプレゼントを用意して過ごすんですか?」


 どんなクリスマスを過ごしているのか気になった私は渋沢さんに質問してみた。


「街がクリスマスの雰囲気に変わっていくのを見ると、やっぱりどこか浮かれてしまうわよね。でもほら、私って普段一人暮らしじゃない? チキンとか大きなケーキとかそんなにたくさんはお料理も食べられないし、小さなケーキを買うくらいかしら」


 遠くの方を見つめるように言う渋沢さん。寂しさもあるのだろうか。


「だけど今年は孫たちが遊びに来てくれるみたいだから、プレゼントも用意して、一緒に楽しもうと思って。今日このレシピを教わって本当に良かったわ」


「お孫さん、喜んでくれるといいですね」


「でも最近の子って何が欲しいのか分からないのよね。優斗くん、ちょっと相談に乗ってもらえない?」


 子供相手にも丁寧に話しかけていく渋沢さんはやっぱり素敵な人だと思った。子供だからってバカにしたり、決めつけたりしないで、ちゃんと話を聞こうという気持ちが伝わってくる。


「僕の意見は、あんまり参考にならないですよ。流行ってるものに興味がないので」


 申し訳なさそうに言う優斗くん。こういう気遣いって、小学生のうちからできるものだろうか。自分の子供の頃を思い出してみるけれど、朧気で何も浮かんでこなかった。


「子供なんて何考えてるか分からないんだから、聞くだけ無駄よ無駄」


 松井さんがいちいち口を出してくるけれど、渋沢さんは気にせずあれやこれや優斗くんに聞いている。八神さんみたいにスマホいじるでもなんでもして、大人しくしていればいいのにな。私はぼうっとしながら、二人のやり取りを聞いていた。

 料理教室なのに料理をしていないこの時間が不思議。今までの私だったらきっと、みんなの顔色を窺いながら会話の一つ一つに耳を傾けていたことだろう。人の顔色を窺って、相手の言葉を肯定して、自分の意見はみんなの意見にすり替えて、好きも嫌いも言わないことが良いことだと思っていた。

 母の知り合いでもなく、自分の友人とも違う、全く新しい関係がこの場所にはあった。何も言わなくても察してくれたり、言わないことで勝手に良い意味で捉えてもらえると思っていたのに、そうではなかった。


「そそ、そろそろ焼き上がりますかね」


 彩花ちゃんがそわそわとオーブンの方へ目を向ける。どこか落ち着かない様子なのは松井さんがうるさいからだろうか。


「さあ、焼き上がりましたよ」


 タイミングよく佐久間さんが促して、各々の焼き具合を確かめるためオーブンへと近寄る。オーブンをがぱっと開けると、タレの甘い香りが部屋に充満した。表面はこんがりと焼け、てらてらと光るきつね色が輝いていて見るからに美味しそう。


「上手にできたっぽいね」


 優斗くんに小声で話しかけると、子供らしい嬉しそうな顔でにっこりと笑ってくれた。


「食べるの楽しみだね」


「ごちそうですね」


 作る楽しさは、その後の食べる楽しみを高めてくれる。誰かが作ってくれた美味しい料理を食べるのも楽しいけど、自分で作ったという事実がそれを何倍にもしてくれる。優斗くんの横顔を眺めていると、そんなことを思わされる。

 純粋に、まっすぐに、好きなことに打ち込む姿。きっと私よりもここに来る最初は怖かったはず。子供向けの料理教室ならいざ知らず、大人向けの女性ばかりがいそうな場所に小学五年生の男の子が来ることはとても勇気のいることだったはずだ。


「みなさん、今日もよくできたようですね。普段の食卓に並ぶ料理ではなく、今日はごちそうになる料理でしたね。クリスマスや特別な日の食事の時に、ぜひご家庭でも作ってみてください。それではいただきましょう」


 鶏肉にナイフを入れていく。皮の表面はパリッとして、その下のやわらかい肉の部分から肉汁が出て来た。一口大にカットして食べると、アツアツのしっかりとした味付けのお肉が口の中を幸せで満たしていく。


「美味しいね」


 隣に座る優斗くんを見れば、豪快にかぶりついて口いっぱいに頬張っている。

 コクコクと何度も頷く優斗くんはしっかりと小学五年生に見えた。私もナイフを置き、手でつかんで食べてみる。行儀とか見た目とか気になるところは色々あったけど、こっちの方が合っている気もした。

 小学校に上がる前だったと思う。いや、もっと前の物心がつくかどうかのあたり。母はキッチンへ立っていたんだ。唐突に思い出される記憶。不格好だけど愛情のこもった料理が並んでいて、母の一生懸命さを今ならわかってあげられる。どうして、母は料理をやめてしまったんだっけ。


「箱入り娘の二条さんが手づかみでチキンを食べるなんて、一体どういう風の吹き回し?」


 松井さんの嫌味が私を現実に戻してしまった。松井さんのことなんてどうだってよかった。何か大切なことを思い出しそうになったのに、つかめそうでつかめない。記憶の糸を手繰り寄せるようにガツガツとチキンを頬張っていくけれど、考えれば考えるほどすり抜けていく。

 母が、料理をしていた姿。ストロボをたいたように明るく見えるのに、陰影がなさ過ぎて実体のない、まるで幻想のような光景。私が作り出してしまった幻の記憶だろうか。そのくらい朧気で儚い記憶。

 どうして思い出したのかもわからず、私はただモヤモヤとした気持ちを抱えるしかなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る