3-2
「今日は親子大根を作ります。ではペアに分かれて調理に入ってください」
親子大根という料理を初めて聞いて、わくわくした。一体どんな料理だろうか。
「に、二条さん、一緒につ、作っていいですか?」
おどおどと彩花ちゃんが話しかけてきた。
「もちろん。一緒に作りましょう。親子大根ってどんな料理なのかな」
「ゆ、ゆでたまごと鶏肉が入った大根のに、煮物です。わた、私、大好きなんです」
彩花ちゃんがニコニコとしながら答えた。今日は彩花ちゃんの好きな料理だったんだ。
「さ、寒い時期にはほっこりしたもの、た、食べたくなりますよね」
心なしかウキウキとした様子で身支度を整える様子がとても愛らしい。
レシピを確認し、私は大根を切り始める。彩花ちゃんはゆでたまごを作るみたいだ。言葉はどもっているけれど、テキパキとした動きを見ていると料理が好きなことが伝わってくる。
「卵が好きなんです。まま、まあるい形もかわいくて」
リラックスした様子で話す彩花ちゃん。
「は、初めて作った料理が目玉焼きで、お、お母さんに卵の割り方を教えてもらって。最初はう、上手くできなかったんですけど、練習したらできるようになって」
「小さい頃からお手伝いしてたんだね。お母さんと仲良いんだ?」
おしゃべりを楽しみながら、鶏肉も切っていく。彩花ちゃんは沸騰したお湯に卵をそっと入れるところだった。
「は、はい。今でも仲は良いですよ。と、時々ケンカもしますけど、一緒に買い物とかも行きますし、お、お料理も一緒にしたりして楽しいです」
混じりけのない笑顔が眩しかった。私は胸がズキンと痛んだ。母とケンカをしたこともなければ、買い物に行ったことも、料理をしたこともない。普通の親子関係ってどういうものなんだろう。我が家が特殊なのか、彩花ちゃんの家が特別なのか。
「今時の女子高生たちはお母さんと仲が良いの?」
「そ、そうですね。親とはしゃべらないって、子もいますけど、だいたいは仲が良いですよ」
どうやら私の家が特殊みたいだ。自分が学生の頃のことを思い出してみるけれど、同級生と親の話をした記憶なんてなかった。
ゆでたまごの殻を剥きながら、母と一緒に料理をしている姿をイメージしてみる。母のことだから、きっとヒラヒラとしたエプロンをつけるに違いない。私が包丁を持てば危ないと言い、コンロに火を点ければ火傷すると言い、道具の持ち方や使い方にいちいちとやかく言われるんだろう。にこやかに、穏やかに、調理をしている光景は、私じゃない誰かと母じゃない誰かでしかない。
「いいね、お母さんと仲が良いの」
「に、二条さんはお母さんと仲がわ、悪いのですか?」
「うーん。そう思ったことはなかったんだけどね」
なんと言ったら通じるだろう。お母さんと一緒に買い物や料理をして時々はケンカさえもできる彩花ちゃんの日常からは、きっと想像のできない関係性だろう。
全ての材料を煮込みながら、考える頭は止まらない。どこかで違う道を選ぶ方法はなかったんだろうか。今の母との関係ではなく、もっと別の形の何か。「何か」がなんなのかわかれば早いけれど、その理想の形さえあやふやだ。
「お母さんのこと、嫌いになったりしないの?」
「えっ。う、うーん。うるさいなぁとか、め、めんどくさいなぁとか思いますけど、お母さんが一生懸命なこと、分かるので」
彩香ちゃんは困ったように答えた。
「お父さん、いないんですよ。わた、私が小さい頃に死んじゃって。私の家族はお母さんだけですし、お、お母さんの家族も私だけなんです」
家庭の事情、というありふれた言葉で片付けられてしまうこと。その渦中にいる子の話を聞くのは初めてかもしれない。私の半分くらいの年齢なのに、私よりうんと多くのことを見て聞いて経験して、考えている。それなのに偏屈なところもなくて、こんなにまっすぐ純粋でいられる彩香ちゃんが眩しすぎる。
「そっか。じゃあ、ご飯とかも彩香ちゃんが作ってあげたりするのかな」
「そ、そうです。ここに通い始めて、い、いろいろ作れるようになったので喜んでくれるんです」
心から嬉しそうな笑顔が私の心にチクリと刺さる。私が刺繍をすることは、母が喜ぶからだった。好きでも嫌いでもないことだったけれど、それをしていると母が満足げな顔をして機嫌がいいから、私は好きなふりをした。同じように料理をすることも喜んでもらえると思ったのに、母は喜ばなかった。だけど私は料理を楽しいと思うし、母にもわかってもらいたいと思っているんだ。
「そ、そろそろ出来上がりですね。すごく、美味しそう」
鍋から立ち上る食欲を誘う甘じょっぱい香り。うっすらと茶色に染まった大根と卵、油を纏った鶏肉をそれぞれのお皿に盛り付ける。
「上手にできたね」
「み、見た目はバッチリですね」
今までで一番上手にできたような気がする。彩香ちゃんとペアになったことも理由の一つなのかもしれない。一人で作るのも楽しいけれど、気の合う人と一緒に作るのも楽しい。
「おっそーい。いつまで待たされるのかと思っちゃった」
他のグループからそんなに後れを取っていないのに、大袈裟なまでに言う松井さん。
「す、すみません」
しょんぼりとした顔で彩花ちゃんが言う。わざわざ謝る必要なんてないのに。
「あ、社会に出たことない者同士だから、逆にモタついてても分からなかったのかな?」
「そんなに待たせてしまってすみませんでした。だけど私たちを待っていたんなら、それだけ味が染みて美味しくなったんじゃないですか?」
えっ、という顔で松井さんがこちらを見た。松井さんだけではなく、渋沢さんも彩花ちゃんも八神さんも、佐久間さんまでこちらを見た。どうしてそんなに驚いた顔で見ているのだろう。
「そう、ね。味が染みた大根はとっても美味しいわよね~」
ちょっとズレた回答をしながら、席に座るように促す渋沢さんがなんだか面白かった。
「いい気にならないでよね」
松井さんは絞り出すようにそれだけ言うと、私から一番遠い席へと座った。今まで言われっぱなしだったけど、言い返してみれば大したことないじゃない。松井さんの悔しそうな表情になんだか胸がスッとした。
「みなさん、今日もよくできたようですね。煮物の基本の味付けになっていますから、練り物や他の食材など、色々なアレンジを加えてぜひご家庭でも作ってみてください。それではいただきましょう」
大根を口の中に放り込んでみれば、出汁がじゅわっと染み出てくる。ゆでたまごも味が染みて優しい味だ。鶏肉のしっかりとした弾力が心地いい。もう少し味を濃い目にすれば、ご飯のおかずにピッタリだ。できたてもいいけれど、出汁が染み込んだものも絶対に美味しい。出前やお惣菜ではいつも同じ味で、変化を楽しむことができないけど、自分で作ればそれすらも楽しみになる。
「さ、さっきはありがとうございました」
こそこそと彩花ちゃんが話しかけてきた。
「に、二条さん、かっこよかったです」
「そんなことないよ。彩花ちゃんも負けちゃだめだよ」
二人でヒソヒソとやっていると、まるで学生に戻ったみたいだった。友人たちとよくこうして他愛のない話をしていたっけ。妹がいたらこんな感じかな。兄弟姉妹が欲しいと思ったことはないけれど、こうして彩花ちゃんと話していると妹がいる生活もよかったかもしれないと思える。
「美味しいね」
クスクスと額を寄せ合いながら話す時間がくすぐったくて嬉しい。
松井さんのじっとりした視線も、八神さんの冷たい視線も気にならない。渋沢さんの柔らかな視線と優斗くんの美味しそうな顔に、彩花ちゃんの楽しそうな顔。自宅以外に、自分の場所ができたような気がした。
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