2-6

「今日は私が夕ご飯作るから、出前は取らなくていいよ」


 母にそう言った。サラダは買って来たものを出すとして、今までで一番よくできた気がするオムライスを作ることにしたのだ。

 買って来た材料を冷蔵庫にしまって、調理器具を確認した。台所の戸棚を開けると、ピカピカのフライパンや鍋が揃っていた。自宅の台所はほとんど足を踏み入れたことがなかったから、何もないかもしれないと思っていたのに、大小さまざまな調理器具と包丁があることに驚いた。


「料理なんて、わざわざしなくてもいいのに」


 背後でうろうろしながら、母がブツブツと言っている。無理に止めようともしないけれど、その場を離れるわけでもない。見守っているというよりは、監視しているといった方が近い。

 手頃なフライパンを取り出し、IHの上に置いた。新品同様のまな板、包丁、ボウルなども取り出し、用意した具材を切っていく。家族三人分だから料理教室で作った時よりも量が多い。今日は嫌味を言ってくる人も、冷たい視線を送ってくる人も、応援してくれる人もいない。

 自分の家の一室なのに、はじめましての場所で料理をしている自分がなんだか不思議だった。幼い頃、遊びに行った友人宅の台所で料理をするお母さんたちの映像が脳内に蘇る。どこに何があるか完璧に把握していて、無駄な動きのない動作が流れるようでとても美しかった。そうして出来上がった料理の美味しさも同時に思い出す。

 母も、そうであったらよかったのに。一緒に料理を作って、レシピを教えてもらったり、他愛のない話をしたりしてみたかった。


「今日はオムライスにするね」


 背後にいる母に振り向かずに声をかける。


「この前作った料理なんだけど、今まで作った中で一番上手にできたから。お母さんとお父さんにも食べてもらいたくて」


「怪我したらどうするの。お金のことは心配しなくていいんだし、わざわざ作る必要なんてないのに」


 不機嫌な色が混じった声で母が背後から言う。何をそんなに心配して、不安に思っているのだろう。私だってもう三十を超えたのに、子供みたいなことを言うなんて。それとも私が不器用で料理ができないと思っているのかな。


「大丈夫だよ。よく注意して包丁を使うし、うちはIHだから火傷する心配もないしね」


 しっかり読み込んだレシピが頭の中に蘇る。前回よりもスムーズに身体が動いていく。買い物に行く前に炊いていたお米を炊飯器から取り出し、しゃもじでよく混ぜた。

 フライパンに油をひいて、材料を炒める。ご飯を入れる。調味料を入れる。量が多くて混ぜきれないので、二回に分けて調理をする。ちょっと前までは、こんなふうに無心で料理をする自分なんて想像もできなかった。脳内レシピをめくって、次に何をすればいいのか考えながら、目の前の材料が完成系に近づいていくことが面白い。


「紀子が料理しているのか」


 振り返ると、いつの間にか帰宅していた父が、台所の入口で驚いたように声を上げていた。


「おかえりなさい。せっかくお料理教室に通っているし、レシピももらったから家でも作ってみたくて。今日はオムライスだよ。あとは卵を焼くだけだから、もうちょっと待っててね」


 そう言うと、父は嬉しそうににっこり笑った。なんとなく私もにっこり笑って視線を戻し、最後の卵を焼く作業に集中した。渋沢さんに言われたことを思い出す。手首のスナップを使って、向こう側からちょっとずつ。

 一個目。前回ほどではないにしても、少し破けてしまった。残念。これは私が食べよう。

 二個目。初めて成功した。綺麗に焼き上がって、チキンライスを包み込むオムライスにうっとりとしてしまった。

 最後の三個目。二個目よりも綺麗に包めた。これはもう習得したと言っていいはず。

 父と母の分が上手く成功してホッとした。お皿に乗せたオムライスにケチャップをかけ、食卓まで運ぶ。冷蔵庫に入れてあったサラダを別のお皿に移し替えて、それも食卓へ。

 父はもう座っていて、楽しそうに私のことを眺めていた。


「美味しそうだな。紀子が新しいことに興味が出て嬉しいよ」


 母も席へとつく。私も座って、目の前を見た。

 いつもの夕食に比べると品数も少ないし、貧相に見えるけれど上手に作れた達成感で私は嬉しかった。


「いただきます」


 自分のオムライスにはまだ手をつけずに、両親のリアクションを待つ。ドキドキして、はやる気持ちが私を急かす。


「どう、かな」


 気持ちに勝てずに、思わず私から聞いてしまった。ゆっくりと一口目を噛みしめてから、父が言った。


「とても美味しいよ。佐久間さんのところを紹介して、本当に良かった」


 とても嬉しそうな笑顔で父は言う。


「ありがとう。料理教室に通うことが、今ではとても楽しみなの。お母さんは、どう?」


 母は黙って、オムライスを食べ、スプーンを置いた。


「怪我する危険を冒して料理をするくらいなら、出前を取った方が安全で美味しいと思うわ。紀子は刺繍の先生だし、まだ嫁入り前なんですから自分の身体を大事にしないと」


「えっ……」


 予想外の言葉に、それ以上続かなかった。どうして母はそんなことを言うのだろう。父と、母のために初めて作った料理なのに。褒めてくれるとまではいかなくても、せめて美味しいって言ってくれるものだと思っていたのに。


「公子、なんてこと言うんだ。紀子がせっかく作ってくれたのに。こんなに美味しいじゃないか」


「不味いとはいってないですよ。でも、紀子がわざわざ作らなくてもいいんじゃないかって言っているんです」


「私は料理を作るのが好きよ。だから、もっと上手になりたいし、お父さんとお母さんにもっと食べてもらいたいって思ってるんだけど」


 私が母に言うと、母はびっくりしたように目を真ん丸にして私を見た。


「美味しくなかったのかな。次はもっと頑張るから。美味しいって言ってもらいたいもの。佐久間さんの料理教室は楽しいし、もっと頑張るよ」


「そういうわけじゃないけど……」


 母はそう言ってむくれている。私の心はチクチクとして悲しかったけれど、父が美味しい美味しいと大袈裟なくらい言ってくれて、ちょっぴり救われた。

 母に、美味しいって言ってもらえる料理はなんだろう。もっと一生懸命頑張ったら、美味しいって言ってくれるかな。

 悲しさの後には、やる気がふつふつと沸き起こることを私はその日、初めて知った。

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