2-4
「お疲れさまでした」
教室を出ると冷たい風が髪の毛をかすめていった。出る時に母に言われた通り、マフラーをして来ればよかった。
各々家路へ急ぐ……のかと思いきや、渋沢さんと彩花ちゃん、それに優斗くんが残っている。料理教室での癒しメンバーだ。
「あ、あの、に、二条さん」
恥ずかしそうに彩花ちゃんが声をかけてくる。ぽっちゃりとした体型が着込んだコートのせいで、もっと丸く見える。白い色も相まって、雪だるまを思い浮かべてしまった。
「も、もしよかったら、い、一緒にお茶に行きませんか?」
「新しい人が入ったから、私たちだけでちょっとした歓迎会を開こうと思って。一応、松井さんと八神さんも誘ったんだけどね」
あたふたとどもりながら焦っている彩花ちゃんの言葉を引き取って、渋沢さんが説明をしてくれた。
今日はまっすぐ帰るつもりで母にそう言ってしまったけど、私のために企画してくれているのに断ることなんてできない。
「ぜひに」
連れ立って近くのファミレスに向かう途中、母にメールを入れて電源を落とした。きっと心配になって電話の嵐がやってくるに違いない。でも、ほんの少しの寄り道だし、メールで説明したし、何より三人との会話を楽しみたかった。
時間は十五時五分前。ちょうどおやつの時間で、子連れのママさんたちがぽつんぽつんと座っている。
「二条さん、今日びっくりしたでしょう」
席について注文を終えると、渋沢さんが申し訳なさそうにそう言った。
「松井さんね、ちょっと強引なのよ。今までも新しく入ってきた人にああやって話しかけて、それで辞めてった人も何人かいるのに」
ため息をついて、残念そうに言う。やっぱり、あれは新人いびりみたいなものだったのかな。それにしては、とてもいびり慣れた態度だったけれど。職場でもあんな感じなのかな。
「食事の時間もね、八神さんとケンカしてたでしょう。びっくりしちゃうわよね、あんなふうな会話を見ちゃうと。大丈夫だったかしら」
「大丈夫ですよ。最初はびっくりしましたけど、松井さんはそういう人なんだって思うことにしました。八神さんは前回もお会いしてますけど、あんなふうに話すなんて意外でした」
「ま、松井さんにだけ、なんですよ。わ、私とかには、必要さ、最低限しか、話さない、ですから」
それは八神さんが松井さんのことを嫌っているということなんだろうか。他の人は好きでも嫌いでもないのかな。
「困ったことや、分からないこと、不安に思うことがあったらなんでも聞いてちょうだいね。一緒にお料理するお友達が増えたんだもの、長く続けて欲しいから」
渋沢さんはそう言って、店員が持って来た抹茶パフェを食べ始めた。彩花ちゃんはいちごサンデー。優斗くんはコーヒーゼリーを食べている。私の前にはミルクレープ。さっきのグラタンがお腹に残って主張しているけど、甘い物は別腹だ。
「あの、皆さんはどうしてこのお料理教室に通っているんですか? 松井さんと八神さんもそうなんですけど、年齢も結婚してるとか仕事してるとかってことも、バラバラじゃないですか。なんとなく、似たような人たちが集まるものなのかなって思ってたので、意外に思ったんです」
ミルクレープを一口食べると、安っぽい生クリームの味がした。
「そうね、私は新しいお料理を覚えたくなったからかしら。佐久間さんとは昔からの知り合いで、そのご縁で通っているのよ」
渋沢さんがそう答えた。
「わ、私は、か、彼氏に、お、美味しいご飯を食べて欲しくって……」
「えっ? 彩花ちゃん、彼氏、いるの?」
頭を殴られたような衝撃が走った。殴られたことなんてないから、憶測でしかないのだけど。
ぽっちゃりしていて、引っ込み思案で、どもりもあるこの子に彼氏がいるなんて。私は学生時代にも、学生を卒業してからも、彼氏なんて存在ができたことないのに。彩花ちゃんは確か高校一年生と言っていたっけ。今時の十代はみんなこんな感じなのだろうか。
「い、います」
今まで見た中で一番恥ずかしそうに肩をすぼめて、顔を真っ赤にする彩花ちゃん。とってもかわいらしいけれど、私はショックから立ち直れずにいた。学生時代だけでなく、今でも彼氏のいない私は、目の前の彩花ちゃんより下だということだから。
「それで、と、友達が進めてくれたのが、こ、この教室だったんです」
友達だっているのが当たり前だけれど、なぜか彩花ちゃんの発する言葉一つ一つに驚いてしまう自分がいる。
「僕は料理がするのが好きで、おばあちゃんみたいに格好いいシェフになりたいから」
上品そうにコーヒーゼリーをすくって食べながら優斗くんは言った。
「みんないろんな理由があるんですね」
まだ彩花ちゃんのカミングアウトから立ち直っていなかったけれど、冷静を装ってそう言った。目の前のミルクレープがひどく醜悪なものに見えて仕方がなかった。
「に、二条さんはどうしてか、通おうと思ったんですか?」
「私は……」
そこで止まってしまった。三人とも、理由は自分がどうしたいかが理由だったからだ。私は自分がどうしたいかではなく、父や母や他の誰かに言われるままだってことに気がついてしまった。
「……お料理を、覚えてみたくて。あんまりしたことがなかったから」
渋沢さんは前回の私の理由を聞いていることに、言ってから気がついた。顔が見れなくなって、下を向くしかなかった。きっと呆れているに違いない。年下の前では格好つける人だと思われたかもしれない。
「いい理由じゃないの。初めてのことに挑戦するのは、それだけで素晴らしいことよ」
「こ、ここのレシピは、か、簡単で美味しいものが多いですから、だ、大丈夫ですよ」
俯いている私を慰めるように渋沢さんと彩花ちゃんが声をかけてくれた。渋沢さんの顔を見れば、にっこりと笑って頷いている。大丈夫よ、と言われている気がした。
「こんな、三十も過ぎたのに恥ずかしくなってしまって」
「年齢なんか関係ないわよ。私だってこんなにおばあちゃんの年齢だし、優斗くんはまだ十一歳、彩花ちゃんだって十五歳よ。何歳でも、その年齢から始めればいいの。周りの目なんて気にしちゃだめよ」
最後の抹茶アイスを口に運ぶ渋沢さんはなんだか幸せそうな顔をしている。
「わ、私は両親以外の大人の人とお、お話しすることができるので楽しいです」
一生懸命まっすぐな目で彩花ちゃんは言った。十五歳の女の子って、こんなに純粋でキラキラした瞳だったかな。自分の記憶を探ってみるけれど、上手く思い出せない。当事者だった頃は、そんなこと気にもしなかったし。今ではそのまっすぐな瞳が少し怖いくらいだ。
習い事の帰りに寄り道するなんて人生で初めての経験だった。今までは母が送り迎えをしてくれていたから、友達とそのままどこかに遊びに行ったことなんてなかった。まだ初対面で緊張している部分はあるけれど、教室で感じるのとは違う一面を見ることがこんなに楽しいなんて。
帰りたくないわけじゃないのに、帰る時間をちょっぴり引き延ばして束の間のおしゃべりを楽しむ時間のなんと充実していることだろう。年齢も立場もバラバラだけれど、誰かのことを知ることが楽しいなんて知らなかった。
「いつもこうやって集まってお茶したりしてるんですか?」
私も最後の一口を食べながら質問した。
「時々、ね。いつもだと優斗くんの親御さんは心配するでしょうし、彩花ちゃんもまだ高校生ですしね。私は時間がたくさんあるから、いくらでも大丈夫なのだけど、それぞれの時間がありますからね」
きっと渋沢さんが声をかけて集まる感じなのだろう。彩花ちゃんも優斗くんも、渋沢さんのことは信頼しているようで、幼い笑顔が時々見えた。
「ぜひ、また誘ってください。今日はとっても楽しかったです」
「ええ、もちろんよ。またおしゃべりしましょうね」
「た、楽しかったです。ま、また次回の授業もが、がんばりましょう」
「ごちそうさまでした」
今日は新しい生徒さんたちにも会って、意地悪な人も、本当は怖い雰囲気な人もいたけれど、やっぱり楽しかった。
別れの挨拶を交わして、私は帰路へとついた。
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