2-3

「あれっ。初めましての人? よろしく、あたし松井亜美」


 二回目の料理教室。ガラリと戸を開けると、前回見なかった顔が二人いた。栗色の髪の毛をふんわりと巻いた、派手な印象の女性がそう名乗った。年は私と同じくらいだろうか。佐久間さんとは違うけれど、ハキハキとした話し方をする女性だ。

 そしてもう一人。渋沢さんの手前に座っているのは、小学生くらいの男の子。


「はじめまして。二条紀子です」


 松井と名乗った女性と、その男の子に向けてあいさつをした。男の子は切れ長の目で私をじっと見ている。博識そうなその目つきは、子供らしくない雰囲気だった。


「有川優斗です」


 男の子はそう言ってぺこりと頭を下げた。


「二条さんは前回の振り替え授業から一緒になったんですよ」


 渋沢さんが楽しそうに説明をしている。


「そうなんだ。平日昼間に来れるなんて、もしかして専業主婦とか?」


 松井さんが興味津々と言った感じで私に質問してくる。ふわふわとした髪の毛から覗く、ぎょろりと大きな目が私を捉えて離さない。


「いえ、結婚はしていません。自宅で刺繍教室を開いているので、時間は融通が利くんです」


「イマドキ自宅で刺繍教室? いいとこのお嬢さんなの? それとも単純に世間知らずなの?」


 無邪気な声とは裏腹に、目は意地悪く光っている。学生時代にもこんなふうに見られることがあったな、と思い出した。あの頃は友人たちが盾になってくれたけど、今はそんな人たちがいない。波風は立てたくないから、なるべく関わらないようにしよう。


「いいよね、趣味の延長で面白おかしく人に教えて、それで適当にお金貰って快適な暮らしが手に入るなんて。あたしみたいなのは、一生懸命汗水たらして働かないと生きていけないもの」


 曖昧に微笑んでいたら、松井さんはどんどん追撃してくる。他の話題にしないと。


「優斗くんは、何歳ですか? 女性ばかりだと思っていたので、ちょっとびっくりしました」


「小学五年生です。料理が好きなので」


 簡潔に答えて、ほうじ茶が入った紙コップを両手でつかんで飲んでいる。大人びている見た目とは裏腹に、子供っぽい動作に自然と笑みがこぼれた。


「小学生でもできるくらい簡単な料理ってことでしょ。それすらもできない子もいるけど」


 松井さんはそう言うと、今入ってきた女の子へ視線を送った。


「あ、こ、こんにちは」


 小さな声で、精一杯声を発した女の子は高校生くらいだろうか。私服ではあるけれど、まだまだ子供といった雰囲気のぽっちゃりした子だった。


「はじめまして。二条紀子です。よろしくね」


「あ、あ、清水彩花です。よ、よろしくお願いします」


「彩花ちゃんは、ここに通い始めてどのくらい?」


「な、夏くらいからです。今年の」


「華の女子高生だっていうのに、こんな料理教室通ってて勿体なーい。もっと青春を謳歌したり、恋に忙しかったりするもんだと思うけどな~」


 松井さんの言葉を聞いて、彩花ちゃんは恥ずかしそうに俯いてしまった。


「学校以外にも目を向けていていいね。私にとっては彩花ちゃんは先輩だから、色々教えてね」


 なるだけ優しい声になるようにして言ってみる。彩花ちゃんはパッと顔を上げて、はにかんだように笑顔を見せてくれた。女子高生ってこんなに幼かったかな。でもその様子がとても可愛らしい。


「はい、みなさん揃いましたね。今日はエビグラタンを作ります。二人一組で、作業は分担して調理を進めるように。では、よろしくお願いします」


「あたし、二条さんと組む」


 ウキウキと楽しそうでいて、底意地の悪い笑顔を見せる松井さん。渋沢さんに助けを求めようと思ったが、既に優斗くんと一緒に調理台へ向かうところだった。彩花ちゃんを見ると申し訳なさそうな、それでいて不憫そうな目をして私のことを見つめ、八神さんの後ろへついて行った。八神さんはいつ入ってきていたのだろう。陰気な雰囲気の、ある意味存在感があるとも言える人なのに、全く気がつかなかった。


「ねえ、なんでここに来たの?」


 エビの下処理をしながら松井さんが聞いてくる。エビは食べるのは美味しくて好きだけど、この足がいっぱいついている姿は虫みたいで気持ち悪かった。こういう姿をしていることくらい知ってはいたけど、いざ目の前にすると背中がぞわぞわと寒くなる。


「よく、むしれますね」


「おせち料理とか食べたことないの? お造りとか」


 目を真ん丸くして呆れた顔で言われてしまった。


「やっぱあたしたち庶民とは違うのね」


 今度は鼻を鳴らしてバカにしたように言う。よくもこんなに人を見下す表情ができるものだ。何を言われても気にしないことにしよう。


「具材切るのくらいはできるよね?」


 二人一組で調理を行うのはどうなんだろう。やっぱり一人で全部作れた方が覚えられるし、他人に煩わされることもなく料理だけに集中できるんじゃないかな。前回の授業は快適だったのに。


「何モタモタしてるの、ソース作り終わるんだけど。ちゃっちゃと切ってくれない?」


 いちいち飛んでくる小言を何とかやり過ごし、材料を切り終えた。鶏肉、ブロッコリー、玉ねぎ。この前よりも色んな種類の具材を切った。鶏肉はぐにぐにして切りにくかったけど、一口大にちゃんと切れたはず。


「二条さん、洗い物とかできるの? スポンジがあるからそれを使って綺麗にするんですよ? 分かります?」


 松井さんは調理を譲ってくれないようだった。私だって生徒なんだから作ってみたいのに。


「何よ。なにか言いたことでもある?」


 反論できないような鋭い目つきだった。ヘビに出会ってしまったネズミって、きっとこんな気持ちなんだろうな。黙って手元の包丁やまな板やボウルなんかを洗っていく。

 ほかの調理台へと目をやると、渋沢さんと優斗くんの楽しそうな笑顔が飛び込んできた。おばあちゃんと孫といった風情で、仲睦まじい。大人びて冷たい印象の優斗くんだったけど、さっきは緊張していただけだったのかも。

 奥のもう一台には、八神さんと彩花ちゃん。彩花ちゃんがあたふたとしている横で、八神さんがじっと眺めて立っているだけ。その視線を受けて、彩花ちゃんはどんどん焦っていく。やっぱり彩花ちゃんと一緒に組めば良かった。


「ぼけっとしないで、お皿出して」


 あちこちからホワイトソースのいい匂いがする。松井さんも出来上がったんだろうか。あとは焼くだけ。今日の授業はなんだか進むのがあっという間な気がする。松井さんが全部やっているからだろうか。


「自分の分は自分で盛りつけなさいよ」


 鍋を見るととろりとした白色のソースを纏った具材が鮮やかに浮かび上がっている。ブロッコリーの緑ってこんなに食欲をそそるものだったっけ。ちょうど半分の量が残っていて、こういうところは律儀なんだなと知った。


「……あれ?」


 エビグラタンのはずなのに、エビが見当たらない。鶏肉はたくさん残っているみたいだけど。


「松井さん、あの」


「なに」


「あの、これってエビグラタン、ですよね? エビが見当たらないんですけど」


「あら? 全部よそっちゃったのかしら。でもま、どんくさくて調理もしてないんだから、それで充分よね。働かざる者、食うべからずってね。それにもうチーズも乗せちゃったし、今更むり」


 どこか勝ち誇ったように言う松井さん。こんなのってあんまりだ。だけどもう材料もないし、子供じゃないんだから駄々をこねても仕方がない。

 仕方ないと分かっていても、どこか諦められない。だって今日のレシピはエビグラタン。ただのグラタンなら問題ないけど、主役はエビなのだ。


「どうかしましたか」


 鍋の前でもじもじと考えていたら、佐久間さんが声をかけてくれた。


「あの」


 エビがないんです、と続けようと思って踏みとどまった。いちいちそんなこと言うのは、恥ずかしいことじゃないだろうか。私が食い意地が張っているみたいだ。そんなに食べたいわけじゃない。ただ、エビグラタンなのにエビがないことが問題なだけ。


「あとはお皿に盛りつけして焼くだけですね。他の皆さんも間もなく出来上がりますから」


 佐久間さんはやっぱり察してはくれなかった。


「……はい」


「早くしてよね。オーブンの温度下がっちゃうじゃない」


 松井さんがジロジロと私を見ている。

 他の人に申し訳ない気持ちが勝って、すごすごと用意した皿をオーブンへと入れた。


「あー終わった終わった。今日も楽しかったな~。お茶でも飲もうっと」


 そりゃあ準備や片付けは私に全部やらせて、自分は楽しい調理だけやったんだから。それに好きなように盛り付けもして、私のことなんて何一つ考えてないんだもの。


「よくできたかしら?」


 渋沢さんと優斗くんのペアも調理を終えたみたいだ。本当の家族のように馴染んだ空気にじわじわと癒される。私もこっちが良かった。松井さんなんかともう二度とペアを組みたくない。


「二条さんってホント料理できないんだね。具材も大きさがまちまちだったし、もたつくし。社会に出たこともないお嬢様じゃ、段取りなんて知らなそうだし、やりにくかったわ」


 和やかな雰囲気を台無しにする言葉を松井さんは笑顔で言う。私が松井さんに何をしたというのだろう。どうしてそんなことを言われなきゃいけないのだろう。社会には出てないけれど、それってそんなに偉いこと?


「最初は誰だって失敗したり、上手くいかないこともあるから」


 優斗くんがそっと慰めの言葉をくれた。小学生なのにしっかりしてる。松井さんもこの子の大人なところを見習った方がいいと思う。

 松井さんは聞こえなかったように、オーブンの方へ様子を見に行った。去っていく姿にホッとしてしまう。


「松井さんね、悪い人じゃないんだけどね。それに今日は松井さんの好きなものの授業なの」


「グラタンが好きなんですか?」


「ううん、エビだよ」


「あ、だから」


 だからエビだけなかったんだ。それにしたってやることが子供じみている。


「わ、わたし、エビが苦手なので松井さんと組もうと思ってたんですけど」


 彩花ちゃんも調理を終えて会話に加わる。申し訳なさそうに肩をすぼめている様子がかわいらしい。彩花ちゃんが悪い訳じゃないのに。


「私が彩花ちゃんのエビ、食べてあげるよ。松井さんにほとんど全部よそられちゃったし」


 にっこり笑って言うと、どこかホッとしたような表情を見せる彩花ちゃん。


「さあ、焼き上がりますよ。皆さん取りに来てください」


 佐久間さんの声で、みんなでオーブンの前に集まる。チーズやホワイトソースが焼ける匂いが食欲をそそる。

 各々のグラタン皿を取り出し、席に着く。


「みなさん、今日もよくできたようですね。冬の寒い時期の定番料理ですから色々なアレンジを加えて、ぜひご家庭でも作ってみてください。それではいただきましょう」


 佐久間さんの挨拶のあと、食事が始まる。

 こんがりきつね色に焼けたチーズが美味しそうだ。フォークの先で焼けたチーズを破れば、中から湯気がもわんと出てくる。チーズの割れ目からとろりと溢れ出るホワイトソースがいかにも熱そうだ。どの食材もホワイトソースが絡んでつやつやとしている。

 すくってみると湯気も一緒にフォークの上に仲良く乗ってくる。ふうふうと息を吹きかけ、おそるおそる口に入れる。想像した通りの熱さが口の中で暴れまわるけれど、手作りのホワイトソースの素朴な味が私の気持ちもじんわりと温めてくれる。

 味付けも松井さんがほとんど調理してしまったから少しだけ怖かったけれど、美味しい。松井さんもそうだけれど、他の生徒さんもいつからこの教室に通っているんだろう。彩花ちゃんは夏くらいからって言っていたっけ。みんなそれより前から通っているんだろうか。


「に、二条さん」


 隣に座る彩花ちゃんがそっと私の袖を引っ張った。そうだ、彩花ちゃんからエビをもらう予定だった。松井さんに全部取られてしまったけど、彩花ちゃんのおかげでちゃんとしたエビグラタンになる。

 彩花ちゃんが寄せてくれたグラタン皿からエビだけをぽんぽんと自分の皿に移した。当たり前だけど、用意された材料のちゃんと半分の量が入っている。これがふつうだよね、と考えながらエビを一口で食べる。ぷりぷりとして美味しい。が、しょっぱい。


「あ、ありがとうございます」


「こちらこそ、ありがとう」


 お礼を言って、もう一口エビを食べてみる。やっぱり、しょっぱい。味付けを間違ってしまったんだろうか。他の具材と食べれば問題なく食べられるけど、全体的にしょっぱいのだとしたら、一皿食べるの大変じゃないかな。

 八神さんを見れば、相変わらずマヨネーズをもりもりにして食べている。なんにでも、マヨネーズ。前回のカルボナーラでも、そうだった。こんなにしょっぱいのにマヨネーズまでかけて、一体どんな味覚をしているのだろう。


「ねえ二条さん、二条さんはどうしてここに通おうと思ったの? こんな庶民的な料理教室じゃなくて、もっと高級食材とかバンバン使ってるような料理教室だってあったんじゃないの?」


 食事を楽しんでいると、松井さんが声をかけて来た。どう答えたって、馬鹿にされたり鼻で笑われたりするに決まってる。なんて答えたら正解だろうか。


「そんなにお金持ちなわけじゃないですし、ここには父の紹介で来たんです」


「パパに言われて来てるのね。そんな感じしたわ~」


 美味しそうにエビグラタンを口に運ぶ松井さん。おしゃべりの内容がこんなものじゃなければ、この食事の時間ももっと楽しいのに。松井さん自身は楽しそうだけど、私には楽しくない。いつもこんな感じなんだろうか。


「今日は松井さんの好きなエビ料理ですね。お仕事の方はどうですか?」


 渋沢さんがやんわりと話題を変えた。やっぱり渋沢さんは優しい人だ。


「仕事は順調よ。飯田は相変わらず使えない男だけど、私の顔色を窺うことを覚えたから少しだけやりやすくなったわ。昨日も、仕事で使えない人ばかり寄越されて本当に腹が立ったけど、全部処理したわ。これでできないっていうのは私のプライドが許さないから」


 自慢げに会社の様子を語る。使えるとか使えないとか、松井さんは優秀な人なんだろうか。明るい巻き髪も、ひらひらとした服装も、派手な化粧も、バリバリ仕事をする女性像とはちょっと違う印象の外見だけど、人は見かけによらないってことかな。


「だから婚期逃すのよ」


 ぼそりと聞こえた声は、八神さんだった。


「結婚することがそんなに偉いってわけ?」


「あなたが二条さんにそう言ったんでしょ」


「旦那の稼ぎがある人間は、片手間で仕事できるからこの苦労なんてわからないわよ」


 見えない火花がバチバチと飛び散っている。飛んで来た火花で火傷しそうな勢いだ。


「松井さんは独身で仕事がバリバリできる人なの。八神さんは、若いのにご結婚されていて小さなお子さんもいるのよ」


 渋沢さんがそっと教えてくれた。渋沢さんは生徒さんたちのことをなんでも知っている。佐久間さんが先生なのに、先生よりもきっとずっと詳しい。佐久間さんが生徒のことを教えてくれたことなんて一度もないもの。


「松井さん、八神さん、食事中ですよ」


 ぎゃんぎゃんとヒートアップしてきた二人に、佐久間さんがビシッと言った。二人とも不服そうな顔をして、むっつりと黙り込んだ。こんなに仲が悪いのに、ちゃんと通っているところが不思議だ。

 松井さんは結婚はしていないけれど、男性の部下を持って働いている人で、八神さんは結婚していて子供も居る人。正反対の二人が同じ料理教室に通っていることが、不思議に思える。それだけの魅力や理由があるのだろうか。

 聞いてみたいけれど、この雰囲気では聞くに聞けない。今何かしゃべったら標的にされそうだし、せっかくのグラタンの味が分からなくなりそうだからやめておこう。

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