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「とても綺麗で清潔なお教室で、一緒に学ぶ生徒さんも優しいですし、有意義な時間でした」
夕食もパスタだった。自分の作ったものとは比べ物にならないくらい美味しいカルボナーラを食べながら、父に報告した。
「あなたが先生の名前くらい、教えて下さったら紀子のために色々教えてあげられたのに。生徒の八神さんって珍しい苗字よね。あっちの地域に明るい人は誰かいたかしら。それに高齢の渋沢さんって方も、どういったご婦人なのかしら……」
帰宅すると、母は目に涙を溜めて、大袈裟に私に抱き着いて、安心の声を漏らしたのだった。けれど、そのあとはどんな人がいたのか、名前は何と言うのか、ということばかりで、何を作ったかということには触れなかった。夕食を食べている今でさえ、佐久間さん、八神さん、渋沢さんがどんな家庭を持っているのか、どんな噂のある人なのか、どんな人間性なのかということばかり気にしている。
「それで、どうだったんだ」
父がナポリタンを頬張りながら、私に聞いてくる。
「どう、っていうのは?」
「お前はどんな料理を作ったんだ? 他の生徒とはどんな話をしたんだ? 先生とは?」
優しい口調で父は言った。そんな父の様子を見るのは初めてだった。学生の時も卒業してからも、私はいつも母に聞かれたことを答えるだけだった。それを夕食時には母が父に伝える。私は楽しい話題の時はニコニコしていたり、悲しい話題の時は悲しそうな顔をして見せたりするだけでよかった。
「えっと、あの。料理教室で、カルボナーラを作りました。今日はプレだったので、他にも生徒さんがいることを教えてくれたり、好きな食べ物を聞かれたりしました。先生は……」
そこで少し考えた。「ちょっとキツい人だった」なんて言おうものなら、母が騒ぎ出すのが目に見えていたからだ。佐久間さんのことをあれこれ思い出してみる。綺麗な黒髪、ショートカット、低くてよく通る声、てきぱきとした動作。
「先生は、綺麗な黒髪を短くしていて、かっこいい大人の女性という感じの方でした。はじめて一人で全ての調理をしましたが、大きな失敗もなくできたと思います」
「そうかそうか。楽しかったか?」
楽しかった、のだろうか。
刺繍とちょっと似ていると思った。書かれている手順通りに進めていけば完成に至るところや、一つ一つの工程を丁寧にすることでより美しくなるところなんかが特に。
刺繍は苦じゃないけれど、料理もそうだとはまだわからない。けれど、父の期待を裏切ってはいけない気がした。
「楽しかった、です」
「そうか」
父はそれだけ言うと満足したのか、食事に集中することにしたようだった。母はぶすっとして、フォークを何度も回していた。もう一口大のパスタなんて巻き取れているのに。
父は、何が聞きたかったのだろう。私は父の期待に応えることができただろうか。
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