五章(終)
現実世界に戻ってきてから、どれくらいの時間が経っただろう。もう、体も十分に動かすことができるようになり、これまでのことが嘘であったかのように、静かで落ち着いた普段と変わらない生活へと復帰していく。
そして、自分の気持ちに整理をつける為に新しい仕事を探し始め、少しずつだが、前に進もうという意思を持ち始めていた。
そんなある日、人の少ない昼間の時間を見計らって、大切な人が眠っているお墓を訪れた。
「…………」
花を添え、静かに手を合わせながら思いを巡らせる。浮かび上がってくるのは、夢の中での記憶。過去の自分と重ね、伝えきれずに消えてしまった感謝の気持ちを再度確かめる。話を直接聞いてもらうことは出来ないと分かっていても、その気持ちを伝えずにはいられなかった。
そして、穏やかに言葉を口にする。
「……来たよ。おばあちゃん」
夢での約束通り、穂乃果は亡き祖母に会いに来ていた。
「おかしいよね。おばあちゃんの知らないおばあちゃんがいてさ、分からないかもしれないけど、わたしね。凄く幸せな時間だったんだよ。だから、こっちでも安心して。わたしは、もう大丈夫だから」
あの世界で起きた出来事を思い出し、くすぐったいような不思議な気分で、微笑みながら話を続ける。穂乃果の心は軽く、あの時に誓った決意を忘れていなかった。
「じゃあ、いってくるね!」
最後にそう言い残して、その場を後にした。
「穂乃果、もういいの?」
「うん。ごめんね、買い物の途中なのに、お墓参りに付き合ってもらっちゃって」
高校時代の友人とも久し振りに再会をした。どうやら、会わなくなってからもずっと心配をしてくれていたらしく、いざ連絡をしてみると、社会人に成りたてだというのにも関わらず、二つ返事で都合をつけてくれた。なので、こうして町に出て、二人で買い物をしに来たのであった。
思っていたよりも現実は単純で、それに気付かなかった自分が情けないと穂乃果は感じていた。
「それにしても穂乃果さぁ、ちょっと変わったよね」
「え?」
「いや、なんか前よりも明るくなったっていうか、可愛くなったっていうのかな?」
「なによ、それ」
こうして笑いながら会話が出来るようになるとは、想像もしていなかった。本当に変わる事が出来たのかもしれないし、そうではないかもしれない。ただ一つ言えるのは、自分を取り巻く世界が変わったわけではない。
結局は、人それぞれの心の持ち方次第という事なのだろう。そのように思えるのも、あの世界で経験した事が強く心に残っているおかげだった。祖母との別れと、不思議な少年との出会い。
「ははーん。さては、男だな!」
「ち、違うから!」
言い得て妙であった。記憶を辿り、ちょうど思い返していた所を言い当てられた。
「まぁ、穂乃果に限って、そんなわけないよね」
「それはそれで、ちょっと……」
追及されなくてよかったと思う反面、納得のいかない哀しさもあった。
「そんなことより、この後はどうしよっか?」
話題を変えようと、穂乃果が切り出す。元々、どこかに行くような目的があったわけではなかったので、意見を尋ねてみた。
どうしようね。と、二人して決めあぐねていた時、男性と思われる人が、明らかに普通ではない様子でその横を走り抜けていった。周囲の人たちは、疎ましく思う者もいれば、見て見ぬふりをする者もおり、反応は様々だった。
「何だろうね、あの人……」
隣にいる友人も、不思議そうな面持ちをしていた。
(今の人……泣いてた?)
顔を見たわけではないのに、穂乃果は何故だかそんな気がしてならなかった。
「ごめん! わたし、行かなきゃ」
「ちょっと、穂乃果!? どこ行くのさ!」
抱えていた荷物を友人に預けて、穂乃果は一心不乱に走り出す。さっきの人は、いつかの自分みたいだった。
(なら、今度はわたしの番だ……!)
誰かの為になりたいという決意は、変わらずここにある。だからこそ、追いつけないかもしれない、言葉に耳を傾けてくれないかもしれない、などという事は考えもしなかった。
時間の感覚もなく、新はすっかり暗くなってしまった道をただひたすらに歩き続けていた。どこにも行く場所はない。いっその事、今度は永遠に消えてしまいたい、とさえ思っていた。
「…………!」
呆然としていた心を現実に引き戻したのは、目の前に映った景色だった。
(嘘、でしょ……?)
それは紛れもなく、夢の世界で最後に見納めたはずの、儚い思い出が残る橋だった。確かに実在していてもおかしくはないと思っていたが、意図せずこの場所に来てしまったようだ。
今更こんなものに縋ってもどうにもならないと分かっていても、そこに微かな希望があるのではないかと、新は思った。そして、欄干の手すりに沿って橋を一歩ずつゆっくりと渡る。
「……あるわけ、ないよね……」
呆れた笑い声が漏れる。探していたモノは当然存在しない。体の力が抜け、崩れ落ちるようにして、手すりを掴んだまま跪坐する。川に映る月に吸い込まれそうになった時、不意に後ろから声を掛けられた。
「あの……大丈夫ですか?」
新と同じくらいの年齢だろうか、少し大人びた女性の声だった。
「あ、あの! 聞こえてますか……?」
新には、はっきりと聞こえていたが、答える気にもなれず、黙ったままであった。しかし、その女性は話し掛ける事をやめようとはしなかった。
「えっと……まさか、自殺とかじゃないですよね? もしよかったら、お話だけでも聞きますから。いえ、無理にとは言わないんですけど、やっぱり一人で抱えこむのは、よくないと思いますから……」
焦っているのか、その女性は思いついた言葉をそのまま喋っているだけだった。それでも、目の前の自分を何とかしたいと思ってくれているのだろう、新にはその必死さが伝わっていた。
(こんな事、前にも……)
その時ふと思い出したのは、夢での光景。立ち位置こそ変わってはいるが、夕暮れ時に同じように川を見つめていて、どこにも居場所がない少女に、必死で声を掛ける少年の姿。
「全部、失くしてしまったんです……いや、最初から持ってなんかいなかったのかもしれないけど」
新は胸の内をさらけ出すように、自然と言葉が溢れてきていた。こんな事を言っても、相手が困るだけだと思っても、感情を抑えられなかった。
「…………」
やはり、女性の方は言葉に悩んでいた。それでも、この場から立ち去ろうとはせず、こんな馬鹿げたことを言う自分の為に、何かを真剣に考えてくれている。そして、
「――壊れてしまったものは元に戻りません。でも、目を凝らし、耳を澄ましてみて。そうすれば、きっと見つかるから。今より素敵な、あなただけのものが」
(……! そっか……)
彼女の口から語られたのは、誰も知らないはずの拙い言葉だった。
「……なんて。どこかで読んだ絵本に書いてあった言葉なんですけどね。でも、わたしも同じように苦しんでた時、助けてくれた人がいて――」
「あっ! そうだ、名前!」
それを聞かなくても、新はもう知っている。忘れなければならないと思っていても、忘れる事の出来なかった、その名前を。
「わたしは――」
夢を見失った新と、慈しみを忘れた穂乃果。誰も知らない時間の隙間で、二人は出会った。そして、捨てきれない思いが混ざり合い、人生は色づき始めていく。
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