三章 4

 そして、約束となる三日後。今日は新の提案で、町の外れにある小さな丘の麓に来ていた。

「それで、今日はどこ行くの?」

「えっと、この上に喫茶店があるみたいで、そこに行こうかなって」

「うん。分かった! それで、この階段を上っていけばいいのかな?」

 新が、前もって竜司から情報を集めておいた喫茶店を二人で訪れた。周囲を木々で囲まれたお店の風景はまさに隠れ家と呼ぶべきもので、丸太で組まれた建築、所謂ログハウス風な外観がより秘密基地のように思えた。

「――ちょっと、わたしたちにはオシャレすぎない……?」

 愛想のいい店員さんに案内され、席に着くなり穂乃果が呟いた。確かにお店の内装も、木の自然な暖かみある材質感を生かしながらも、照明や家具の配置にこだわっているおかげで、どこか現代風な雰囲気を持っていた。だが、前回の穂乃果の言葉を借りるならば、

「……ま、まぁこんな時でもないと、行く機会がないからさ」

 という事になるだろう。そして、注文をしたコーヒーが二人の席に運ばれてきた。


「穂乃果さん、コーヒー飲むんだね」

「え? 変かな?」

「いや、てっきり日本茶とかしか飲まないのかなって」

「……キミ、時々すごく遠慮がないよね」

 新は、単純に疑問を口に出しただけのつもりであったが、これからはもう少し思慮深く発言をしようと反省した。

「でも、落ち着いてみたらさ、やっぱり綺麗な場所だよね、ここ」

 一息ついていたところで、穂乃果が言った。初めはソワソワしていた彼女も、どうやら雰囲気に慣れてきたようだった。こうして静かにコーヒーを飲んでいる姿を見て、新は凄く絵になると感じていた。


「そういえば、絵本の方はどう? 順調?」

「……え? あ、もちろん。描きかけだけど、見る?」

 その光景に見とれていると、穂乃果に絵本の進捗を聞かれたので、この三日間で描いていた画用紙をカバンから取り出して手渡した。

「すごい……何か、ほんものの絵本みたい!」

「みたいじゃなくて、絵本のつもりなんだけどね……一応」

 穂乃果のキラキラした瞳を見れば、たとえ言葉など無かったとしても、新には彼女の言いたい事が十分に伝わっていた。ただ正直なところ、こんなにも喜んでくれるとは思っていなかったので、思わずにやけてしまいそうになるのをコーヒーカップで隠していた。

「じゃあ、あとはわたしが貝殻とかをつけるから、これは少し借りておくね」

「うん。よろしくお願いします」

「あい分かりました、お任せください」 

 新は深々と頭を下げ、それに応えた穂乃果も頭を下げた。その後の絶妙な間が面白く、二人は同時に笑い出した。それを微笑ましそうな顔で見つめる店員さんの事には気づく事もないまま、談笑を続けた。


「あ、すみません! このブドウのケーキ、貰ってもいいですか?」

(へぇ。穂乃果さん、ケーキとかも食べるんだ。てっきり、餡子しか食べないのかと……)

 途中、穂乃果の注文を横で聞いていた新は、不埒にもそんな事を考えていたが、今度こそ口には出さなかった。

「キミ、何か失礼な事考えてるでしょ」

 新は平常心を保っていたつもりだったが、それが逆に怪しいと言われてしまっては、もうお手上げであった。

「……ごめんなさい」

「素直でよろしい」

 そんなやり取りをしていると、注文していたケーキが運ばれてきた。それを美味しそうに頬張る穂乃果から一口貰って食べてみると、確かに美味しかった。葡萄は今が完璧な旬というわけではなかったが、それでも鮮やかな色合いに恥じぬ爽やかな味わいを噛み締める事が出来た。おまけに、後味が残るままコーヒーを口に入れた時に気が付いたが、苦みよりも酸味の方が強かったのだろう、非常に相性が良かった。つまり、外観や内装だけで無く味にもかなりこだわっている店という事なのだろう。などと、どうでもいい事を考えていると、

「ねぇ、あれってリスかな?」

 窓の外を見ながら穂乃果がそう言った。その視線の先を追ってみると、確かに森の中を駆ける灰色と褐色の毛が混じった、小さな動物がいた。


「うん。多分、リスだと思うよ」

「そっかぁ、あれリスなんだ……」

 穂乃果が若干の戸惑いを見せている理由には、思い当たる節があった。

「ひょっとして、これの事?」

 新は、手元のスケッチブックで縞模様とふわりとした尻尾のリスを描き上げ、穂乃果に見せた。すると、

「そう! それ!」

「やっぱり……」

 穂乃果にとってはこちらの方が、馴染みがあるようだ。というより、ほぼすべての人がリスと言えばこれを思い浮かべるに違いない。新が生息域の異なる別の種類である事を伝えると、穂乃果は少し考えこむ様子を見せた。

「うん! じゃあ、次はリスで決まりだね」

 そして、このように言い放った。当然、新はそれを否定するつもりもないので、店員に許可を取ってから内装などの絵を描き始めた。



「……どんぐりとか胡桃っていうのはちょっと味気ないかな?」

 穂乃果はその横で、どのような流れにするかを考えてくれていたが、いまいちピンときていないようだった。そして、名残惜しそうにケーキの最後の一口を食べた。新はその様子を見て、一つ提案をしてみる。

「……じゃあ、ブドウの葉っぱで耳を作る。とかはどう? それこそ、押し花みたいにするとか?」

「いいね、それ!」

 穂乃果の方も賛同してくれた。そして、善は急げという事で店員さんに葡萄の葉が無いかを尋ねると、飾り用にとっておいたが少しだけ色が落ちてしまったというものを親切にも新に譲ってくれた。それに感謝をしなければと思い、せめてコーヒーのおかわりをいただく事にした。そのコーヒーに口を付けゆっくりしていると、いつの間にか今日の話の分となる絵が完成してしまったので、先ほどのページと同様に穂乃果へと預けた。

「ちょっと、変な事聞いてもいい?」

「うん。いいけど……」

 新が絵を描き上げて一息ついていた時、不意に穂乃果に尋ねられ、少し身構えてしまう。

「……絵本の最後。女の子ってどうなるの?」

 そう聞かれ、新はカバンの中からメモ帳を取り出してその答えを返した。

「えっと、まだ完全に決まってるわけじゃないんだけど、何となく考えてるのは――」



みんなに手伝ってもらい、女の子の新しいぬいぐるみが完成しました。

不格好なそのぬいぐるみを抱えて、女の子はお家に帰りました。

そして、ぬいぐるみをくれたおばあちゃんに、壊してしまったことを謝ろうとしました。

けれども、おばあちゃんは怒りませんでした。

それどころか、そのぬいぐるみを大事そうに抱えて

「前よりも、ずっとすてきなぬいぐるみになったわね」

そう言いながら、笑ってくれたのです!

女の子はそれがうれしくなり、おばあちゃんに抱きついて

「ありがとう、おばあちゃん!」

そう言って、そのぬいぐるみをそれからずっと大事にしました。

壊れてしまったものは元に戻りません。でも、目を凝らし、耳を澄ましてみて。

そうすれば、きっと見つかるから。今より素敵な、あなただけのものが。



「――みたいにしようかなって……」

 新が自信なさげに話をするのを、穂乃果は真剣に聞いてくれていた。

「……うん、ありがと」

「え?」

 そして、一瞬だけ憂いを帯びた顔を見せたかと思えば、

「いやー、良い話だね!」

 次の言葉では、既にいつもの笑顔に戻っていた。

「じゃあ、そんな良い話のお礼に、ここの会計はわたしが持つよ」

「いやいや! それは、ちょっと男としての格が……」

 一向に譲る気配の無い穂乃果に対し、ついに新の方が折れてしまった。そして、一通り次の予定を決め、別れ際に再びお礼を言うと、

「大丈夫だよ! その代わり、次に行く所はキミの奢りってことで! それじゃあね!」

 と言い残して、穂乃果は帰っていった。それを見送る新の脳裏には、期待と不安が入り混じっていた。

(……次は、少し多めに用意をしておこう)

 散財の覚悟を決めて、新は自宅へと帰っていった。




 押し葉を作るのには少し時間が掛かるという事で、またもや三日が経った頃。待ち合わせ時間よりも早く到着するのがもはや恒例となっていたので、新は今回こそはと意気込み、二十分早く辿り着いたというのに、案の定穂乃果は既に待っていた。

「……やっぱりか」

「あ、おはよう! 今日も早いね」

 新は、待ち合わせ時間というものの意味を聞いてみようかとも思ったが、元気に挨拶をする穂乃果を見てしまうと、すぐに仕方がないと諦めた。

「ところで、キミは人混みとか平気?」

「え? まぁ、全然大丈夫だけど……」

「そっか、じゃあ出発!」


 穂乃果からの説明が無いままで、手を引かれるだけの新は不安に思っていたが、今回は大丈夫だろうと思っていた。そして、約十五分電車に揺られてから目的地で降りた。

「ここ、最近出来たばっかりのショッピングモールなんだって、知ってた?」

「……おかしいな、普通の所だ」

 どうやら今日の目的地はこの複合商業施設らしいのだが、穂乃果の質問を聞き流してしまうほど、新は不思議に思っていたが、どうやら本当に思い過ごしだったらしい。

「ねぇ、早く! 置いてっちゃうよ?」

 痺れを切らした穂乃果が人波に飲み込まれてしまうのは良くなかったので、新は気持ちを切り替えてその後に続いた。しかし、彼女がどこに向かっているのかは分からなかった。

「色々お店あるけど、どこ向かってるの?」

「もう少しだから、楽しみにしてて」


 いかにも自信ありといった表情をして前を歩く穂乃果に対して、新はそれを微笑ましく見守りながら歩いていた。だが、急に立ち止まったかと思うと、

「ここです!」

 そう言いながら、店の看板を指差した。

「映画館?」

「ちょっと、観たい映画があって……一緒にどうかな?」

 新が映画館に来たのは久し振りの事であったが、当然上映されている映画はこの当時のものという事になるので、幾つかは既に観てしまっているものだった。しかし、穂乃果にお願いをされて断れるはずもないので、観た事があるものでも、折角だから初めてのふりをして一緒に楽しもうと考えていた。

「うん、もちろんいいよ。それで、どの映画?」

 穂乃果が指定したのは海外の少し古い映画で、外国人の兄弟が日本にやって来てお寺で修業をするというコメディー風の内容だが、自分は観た事がない、というより存在すら知らなかった映画だったので、そういった部分も含めて何とも穂乃果らしい選択だなと新は安心した。そして、楽しみで仕方がない様子の穂乃果と席に座り、ついに映画が始まった。



「うん……びっくりするくらい、面白かった」

「でしょ! 絶対、これは面白いって思ってたんだよね」

 映画を観終わり、新は期待してなかった分だけ余計に面白く感じられた。それから近くのレストランに入り、心ゆくまで感想を語り合った。

「そういえば、穂乃果さんは買い物とか大丈夫なの?」

 再びショッピングモールの中を歩いていた時に、新は周りを歩く買い物客を見て、穂乃果くらいの歳頃の女の子は皆買い物をしたがっているはずと思い、気になったので聞いてみた。

「うん。わたしは大丈夫。買い物でこういう所にはあんまり来ないから」

 ところが、意外にもその気はないようで、本当にここには映画だけを観に来るつもりだったらしい。なので、これから何をするかも決まっておらず、どこか別の場所へ移動しても構わないとの事だった。


「じゃあ、別に急ぎじゃないんだけど、一か所付き合ってもらってもいい?」

 新はそう聞き、了承が得られるとショッピングモールを後にして、そのすぐ近くにある商店街を訪れた。

 そして、ここに来る際の電車の窓から見えた一軒の店を探して歩き回っていた。豪華で新しいショッピングモールとは対照的に、少し古びて閑散とした商店街の雰囲気が新には何故かしっくりときてしまう。それは穂乃果も同じようで、時々店先の人に声を掛けられては、笑顔でそれに応えていた。そうして懐かしさに包まれながらしばらく歩いていると、ついに目的の店を見つけた。

 その小さな店の入り口のシャッターは片側が閉め切られていて、営業しているかも怪しい様子だったが、中を覗くと灯りが点いており、文具や画材が売られている事が分かった。

「ここって、文具屋?」

「そうだね。でもこういう所の文具屋って、意外と面白いものが売ってたりするんだ」

 新はそう言うと、少し狭い入り口を抜けて店の中に入った。すると、中は思っていたよりも広く、正面から見て左側には様々な商品が丁寧に並べられた棚があり、右側はアトリエのような小さなスペースが設けられていた。店内の光景に驚いていると、奥から店主だと思われる男性が現れ、

「……らっしゃい」

 不愛想な挨拶を告げた。

「あの……ここ、良い場所ですね。ご迷惑でなければ、少しそこの場所をお借りしてもいいですか?」

 新は、少し恐れながらも、折角描ける場所があるならと思い、そう申し出た。


「……お前さんたち、絵描くんか?」

「えっと……大したものじゃないんですけど、実は絵本を作ってまして」

「……そうかい。んじゃあ、好きに使うてくれ。どうせ、他に人なんぞ来やせんからな」

 そして、店主はそれだけ伝えると再び店の奥へと消えていった。

「ありがとうございます!」

 聞こえているかは分からないが、新はお礼の言葉を伝えた。

「優しい人で良かったね。それじゃあ、ご厚意に甘えて、ここ借りちゃおっか! あ、そうそう。キミに見せたいものがあるの」

 穂乃果はそう言い、カバンの中から新に借りていた絵本のページを取り出し、約束通りに刺繍や押し葉をした箇所を見せた。

「ありがと、穂乃果さん! すごい丁寧だし、綺麗に出来てるよ」

「えへへ……どういたしまして」

 新がその出来の良さに感心して褒め称えると、穂乃果は隠す事なく照れた笑顔でそう応えた。すると続けて、

「ほら、元通り以上のもの。っていう話でしょ? だからわたしも、絵は描けないけど、頑張ってみたの。多分、これが最後だから……」

 穂乃果は、少し名残惜しそうにそう話した。


(そうか。絵本が完成したら、わざわざ一緒に出かける必要もなくなるんだよね……)

 穂乃果の言葉は、絵本が完成して嬉しいと思う反面、楽しい時間の終わりでもあると、新にそう実感させた。しかし、これから会わなくなってしまうわけではない。そう、告げようと思った新の声は「みゃあ」と鳴く和やかな声に遮られてしまった。

「え? あっ、ネコだ!」

 穂乃果が足元を見ると、そこには丸くなって寝転ぶ一匹の黒猫がいた。目を覚ましたばかりなのか、体を震わせて一伸びしてから、次は穂乃果の膝の上に飛び乗った。

「よしよーし。見て! 大人しくて可愛いよね」

 穂乃果の方もまんざらではないようで、嬉しそうに黒猫の顎の裏を撫で始めた。その光景を目の前にしてしまい、先ほどまで言おうとしていた事を後回しにして、新はこの光景を絵に描き始めた。



「そういえば、その子を見て思ったんだけど、絵本の最初に登場した野良猫はどうする?」

 野良猫とは、物語のはじまりで女の子のぬいぐるみをボロボロにしてしまう役の事であるが、目の前の黒猫と戯れる穂乃果の姿を眺めて、それだけでは少し可哀そうな気がしたので、新は尋ねてみた。

「それなら、また女の子に会って……今度は、直してあげる側になっててね。ついでに仲直りをしてもらう、っていうのはどうかな? それで、野良猫から女の子にはリボンが渡されて、縫い目を隠してくれるの」

「うん。その方が絵本っぽくて良いと思う」

「じゃあ、決まり! ありがとねー」

 穂乃果は、膝に座る黒猫に閃きをくれた事を感謝をし、はにかみながら体を撫で続けた。一方その正面で、新はこの世界での生活が残り五日間に差し迫っていながらも、いよいよ完成が近づいてきた絵本に対して胸が高鳴っていた。



「……順調か?」

 それからしばらく、夢中で絵を描いていた時、店主がふと現れ、新たちにそう聞いてきた。

「はい! お陰様で、捗りました」

「わたしからも、お礼を言わせてください。本当にありがとうございました! ところで、この子はお爺さんのネコですか?」

 二人でお礼を言った後に、穂乃果はふと尋ねてみた。

「……ソイツは、別にウチのってわけじゃあねぇんだがな。餌、やっとったら勝手に住み着きよった」

 店主はぶっきらぼうに言ったが、穂乃果の元を離れ、足元にすり寄る黒猫を見ていると、言葉とは裏腹に、大事にしているのだろうという事が分かる。二人は、アイコンタクトでその事を伝え合うと、自然に笑みがこぼれた。


「それじゃあ、オレたちそろそろ帰ります」

「……おう。また、いつでも来い」

「え?」

「……場所くらいなら、いくらでも貸したるわ。ネコだって、住み着きよる。今更、一人や二人増えたって構いゃせんよ」

「……分かりました。また、お邪魔させてもらいます!」

 そして、店主と黒猫にもう一度お礼を言い、店を後にした。

「……また、か……」

「ん? 何か、言った穂乃果さん?」

 いざ帰ろうとしていた時、穂乃果が呟いていたが、新には聞こえておらず、何を言ったのかを尋ねてみたが、

「今日はさ、歩いて帰らない?」

「え……? いいけど。穂乃果さん、疲れてない?」

「……うん。大丈夫だよ」



 その質問には答えずに、穂乃果は徒歩で帰りたいと言い出した。電車で十五分ほど走った道を歩いて帰る。それが大変な事であるのは、彼女自身も分かっているはずだ。不審に思う新だったが、結局無理に止める事はせず、二人は並んで自分達の町へと歩き出した。しかし、その道中に一切の会話は無かった。

(……何かがおかしい、でも何が?)

 明らかな違和感があるのに、その正体がつかめない。先程まで考えていた、楽しい時間の終わり、という簡単な理由だけではないのだろう。新がもどかしい気持ちを抱えながら歩いていると、ちょうど二人の家の方向が分かれる場所で、穂乃果が立ち止まった。

 すると、顔はこちらに向けずに川を見つめたまま、新へと語り掛けた。

「覚えてる? ここで、キミと会った事」

「……うん」


 この場所は、新と穂乃果が初めて会った日、公園から去っていった穂乃果を追い掛けて辿り着いた、あの小さな橋だった。だが、その時と同じように、今の穂乃果の表情には憂いが残っていた。


「その絵本、絶対完成させてね! 元通り以上のものに、きっとなるから!」


 しかし、一瞬でその憂いを消し去り、またいつも通りの笑顔をこちらに見せた。哀しんでいる表情、怒った表情、笑った表情。この十日間で、新にはそれなりに判別がつくようになってきていたが、今は何も感じられない。そして『元通り以上のもの』という絵本のテーマを指し示す言葉の意味も、彼女なりの意図がきっとあるはずなのに、一切の見当も付かなかった。


「穂乃果さん、それって――」

「じゃあ、またね!」

 新が確かめたかったその言葉は、穂乃果の声にかき消された。「また」という言葉。あの文房具屋で言われたものと同じ言葉のはずなのに、今度は笑って返す言葉が見つからない。一時の別れと再会の意を表すその言葉を信じる事しか、今の新には出来なかった。そして、夕焼け空の下で小さくなっていく背中を唯々見送った。


「分からないよ。でも……絵本、完成したら届けるから」

 秋の空を映す川の煌めき、鮮やかさを見せる木々の色、少し冷たい風の流れ、それらの彩りのすべてを目に焼き付けながら、新は考えた。絵本を完成させる。今の自分に出来るのは、それだけかもしれない。だが、きっと完成したその時に、少女が答えを教えてくれるだろう。


――だが、穂乃果はこの時を最後に、新の前に姿を見せる事は無かった。

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