三章 2

 暗い面持ちで自宅の玄関の扉を開け、無言で二階の自室へと向かおうと階段を昇り始め、ちょうど真ん中の辺りで母に呼び止められた。リビングから声を掛けているためか、少し声を張って怒っているかのように感じられた。後ろめたい気持ちになっている新は、そんな声に少しだけ身を震わせる。階段の中腹で足を止めて静止しているとリビングの扉を開けて、母が顔を出した。


「そんなとこで固まってないで、ちょっとこっち来なさい」

 母の言葉に引っ張られ、ゆっくりと階段を下りてリビングにある椅子に座る。

「どうしたの、母さん?」

「どうしたのはこっちのセリフ。アンタ、帰って来てから暗い雰囲気だだ漏れ。家がしみったれちゃう」

 人に分かってしまうほど暗い雰囲気だったのだろうか。それとも、母の子を察する力が超能力じみているのか。いずれにしても、今日起きた事を母に言ったところでどうにもなりはしないだろう。うだうだと考えて無言になっていると、

「いつまでも黙ってないで、言いたいことは言っちゃいなさい。考えることなんて後からいくらでも出来るんだから」

 母がそう言った。その言葉に促されるまま、相手が女の子である事は隠しながら今日あった出来事を吐き出すように語っていった。途中、他人を泣かせたとしてお叱りを受けたが、母は真剣に聞いてくれた。


「それで……そういえば、なんだけどさ。母さんは、父さんが亡くなった時って、どうだった?」

 そして、今まで聞いたことの無い、聞こうともしなかった事を尋ねた。恐らく、そこに答えがあるわけではないとしても、この世界だからこそ聞いてみたくなったのだ。

「どうって、別に大丈夫なわけじゃなかったわよ。でもね、母さんはね、まだちっちゃいアンタがいたから、頑張らなきゃって思ったの。小さい頃からお父さんみたいに絵が好きだったアンタを見てね。覚えてないかもしんないけど、お葬式の時もお父さんの絵本を大事に抱えてたのよ? そしたら、今も新と一緒に生きているんだって思って、悲しい気持ちなんか自然に抜けてって、いつの間にか辛くなくなってたかな。それから先は、アンタを育てることに必死で夢中だった。だからほら、よく言うじゃない。時間が解決してくれるって。でもね、ただ時間が流れるだけじゃなくて、自分が必死に、夢中になれる時間が必要なんじゃないかな」


 新は、母が少しだけ物憂げな表情で話すのを黙って聞いていた。その中で、夢中になれる時間という言葉が心に残った。

「ありがとう、母さん」

 新は未だに燻る暗い感情を抑え、答えに繋がりそうな話をしてくれた母へ優しい笑みを向けて感謝をした。


 自室へと戻り、一日の事を反芻して考えていると夜の十二時を回ったというのに眠る事すら出来なかった。自分のエゴが生み出してしまった、小さな一言への大きな後悔。そんな自分の浅はかさを気付かせてくれた竜司にも電話で相談をしようとしたが、電源すら入っていないのか全く繋がらず、肝心な時に限って頼る事が出来なかった。

 夜になっても向こうから電話をしてこなかった所から察するに、こっちは上手くいっているとでも思っているのだろう。仕方なく、新は一人で悩み続けた。いっその事すべてを忘れ、この世界での残りの時間は母や竜司との思い出に浸ってもいいのではないのだろうか。と、そんな気持ちにもなってしまいそうだった。


「夢中になれる時間、か……」

 しかし、偽物・作り物の世界であっても、母の言葉は新を変える一因になっていた。これまでの二週間近くの時間を振り返り、周りの人たちはもう十分だと言える程の充実を自分に与えてくれた。だとするならば、今度は同じように彼女を助ける事こそ、この世界で最後に成すべき事なのだ。新は自分自身にそう言い聞かせ、父の絵本『雲のまほうつかい』を手に取る。

(これが正解じゃないかもしれない……それに、また自分勝手な押しつけかもしれない。それでも、結末がどうなっても、やれるだけの事はやりたい)


 例えこの世界が、彼女が現実ではないとしても、自分のようなはぐれ雲はもう必要ない。その決意が新を奮い立たせた。

「自分らしい、やり方で……やるんだ……!」

 拒絶されてしまったらと恐怖に苛まれ、手は震え指に力が入りにくい。けれども、どうにか携帯電話を操作して穂乃果に電話を掛けた。新しかいない静かな部屋に呼び出し音が鳴り響く。深夜というこの時間でも、大学生なら起きているだろうという期待と拒絶されて電話に出ないとしても仕方がないという二つの気持ちを揺さぶっていた呼び出し音が途切れる。そして少しの間があった後、ギリギリ聞き取れるように囁く穂乃果の声が耳に入った。


『もしもし……』


 電話越しでも分かる、別れ際と同じ暗い声が聞こえた。だが、先程より少し落ち着いたのだろうか、泣いてはいないようだった。それは、そうあって欲しいと願う勘違いなのかもしれなかったが、今はとにかく穂乃果に伝えたいという気持ちが先行していた。


「あの……さっきは変なこと聴いてごめん! お詫び、っていうのも変だけど、一緒に絵本を作りませんか!」

 自分らしいやり方。それは、一緒に絵本を作るというものであった。穂乃果が何に夢中になれるかなど、今の段階では考えても分からない。ならば、いっそのこと自分が好きな事、夢中になれる事を共に分かち合う。これが、新の導き出した答えだった。


(あれ……? もしかして、聞こえてない?)

 返答はなく、携帯電話の向こう側は沈黙だった。携帯を耳から話して画面を確認すると、画面には通話中としっかりと表示されていた。新は耳元へと携帯電話を戻し、焦っている自分が知らず知らずの内に早口になってしまい、聞き取れなかったのではないか。と結論付けて、

「いっしょに! えほん! つくりませんか!」

 次は大きな声でハッキリと分かりやすく伝えた。不安な面持ちで返答を待っていると、電話の向こう側からフフッと小さな笑い声が聞こえた。


『なにそれ。でも、面白そう!』

「もしかして、オレ、なんか変な事言ってる……?」

『ううん。あまりにも急だったし、びっくりしちゃって……それに、お詫びって言うのも、ちょっと面白くて、ふふ』

 笑っているのか少し声が震えており、時折小さく笑い声も聞こえた。穂乃果の笑い声は新をしていた恐怖心を彼方へと吹き飛ばしてくれた。どうやら、最初に言った事も聞こえていたらしく、一回目で伝わっていたのに繰り返してはっきりと、それこそお遊戯会の子供のように話していたのが恥ずかしい。


『それで、どんな絵本を作るの?』

 新が羞恥で赤面をしていると、穂乃果が笑いを落ち着けて喋り出す。

「どんな、って。ごめん……まだ、何も決めてなくて。それも一緒に考えてくれると嬉しいです、なんて……」

『そういうところも、キミらしいね……あ、まだあんまり知れてないけど、うん。何となくそんな気がする』

「誉め言葉として受け取っておきます……」

 自分の事を見透かされているようでなおの事恥ずかしかったが、何はともあれ一緒に絵本を作ってはくれるようだ。

『それで、いつにする? わたしの方はいつでも空いてるから、キミの都合に合わせるよ』

 意外にも穂乃果は乗り気なようで、大学生ならではの余裕をみせ、こちらの時間に合わせてくれるとのことだ。新は、はやる気持ちを抑えられず、それに甘えてしまおうと少し無茶な提案をしてみたが、まさかこれもあっさりと了承をもらえるとは思ってもいなかった。


「明日、海に行こう!」

 そして、明日から二人の絵本作りが始まる事になった。新は、先程はどんな絵本にするか何も決めていないと言っていたが、心の中では少しイメージをしていた。折角ならば、この世界での思い出を絵本にしてみようと。だからこそ、ただ会うだけなら何処でもよかったのにわざわざ海まで遠出をすることにしたのであった。

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