第65話 終結/集結

 空はほとんど紺色に染まり、後はわずかばかりの茜色の光が差すだけ。完全に日が落ちるのも、もう秒読みだろう。


 前方から出てきた少年の頭を踏みつけて、体をひねってその背を蹴り飛ばし、後続の追跡者達を巻き込んで転ばせる。わぁ、ドミノ倒しみたい。と、煽ることも忘れない。

 でも男の子ならば別にあれくらい雑に扱っても平気だろう。

 ……もちろん女の子には手加減したけどね! 贔屓ではなく区別である。異論は認めない。


 追っ手に見えないように、建物の路地に逃げ込む。いくら大勢でかかってこようとも、狭い路地ならば小柄な私に分がある。

 特に今は体力的な問題で、あんまり負荷はかけたくないしね。節約は重要である。


 ――でもそんな思考すら、相手は想定ずみなのかもしれないけど。ああ、怖い怖い。


 言葉とは裏腹に、私の口角は知らず知らずの内に上を向く。


 あはは、自分ではそんなに好戦的なつもりはないんだけれども。

 そんな事を言ったら、皆には鼻で笑われるんだろうなぁ、と頭の片隅で思いながら、鼻歌でも歌いそうな勢いでタンッ、と地面を蹴る。


 まぁ、そんな余裕も長くは続かなかったけどね!!


 ……言い訳をするならば、私はこの誘導が罠だということはちゃんと分かっていた。恐らく、何処かでまた狙撃がくるであろうことも予測できていた。


 でも、――それ・・に気づいた時には、もう遅かった。


 距離にして数メートル。目と鼻の先と言ってもいいくらいの地点で、私は一本の矢を見つけた。正確には視界に入っただけ、だが。

 しかもそれは私目がけて真っ直ぐに飛んできている最中で、――とてもじゃないが「避けよう」と思って反応できるレベルではなかった。


 それでも私がこの狙撃を予測しきれなかったのは、この場に誰一人・・・として待ち伏せをしている気配が無かったからだ。見る限り、周りに罠も何もない。

 定石であれば、避けられた時のことも考えて、何人か後詰を用意しておくのが普通だろう。

 でも誰もいない。だから油断した。……どう考えても明らかな失態である。


 ――そんな私の意識の隙間を掻い潜った狙撃。


 流石に意識の範囲外からの攻撃を完璧に避けられるほど、私は人間を止めてはいない。


 つまりはここでゲームセット。――本来であれば、だが。


 しかし、今回はが悪かった。私ではなく、彼ら・・・にとって。


 その時の私のコンディションは、いわば最高潮。俗にいうランニングハイってやつだった。

 思わぬ大がかりな捕り物にテンションは上がっていたし、疲れも吹っ飛んでいた。

 ――つまり、ある程度のことには反応できるだけの下地があったのだ。


 それに加え、『追いかけられている』という状況と、それが本来の矢であれば怪我では済まされないほどの『攻撃』だったということ。

 それらが組み合わさった結果、私は本能での回避を無意識に実行していた。


 死ななきゃ安い、がある種のモットーだった勇者時代の恩恵、……いや、弊害?だろう。

 致命傷を回避しようとする生存本能。でもそれは、――ある意味諸刃の剣だ。


 咄嗟に踏み出した右足をさらに強く踏み込み、そこを軸点にして無理やり体をひねる。


「っ、ぐッ」


 ブチブチと、人の体から聞こえてはいけない音が足首から聞こえた。踏み込んだ足がものすごく痛い。


 ……そう、『避ける』ことが大前提であるがゆえに、無理な動きをした結果、代わりに他の何かが犠牲になる。当然の結果だろう。


 普通の戦闘だったのなら、多少の怪我くらいはもともと織り込み済みで、負傷すればほぼオートで治癒してしまうため気にもしなかったが、残念なことに今はゲーム中。治癒魔術は制限により使えないのである。


 これは拙いな、と思うものも、やってしまったものは仕方ない。

 咄嗟によけてしまっただけで、本来怪我をするつもりは無かったわけだし。わ、私は悪くない。


 制限が取れたら、過保護な連中にばれないうちに治しておかないと、後でお説教コースまっしぐらだろう。恐ろしいな。


 体をひねった勢いが強すぎて、ごろごろと地面を転がる。

 手が拘束されているため、受け身が取れなくて痛い。


 あ、砂が目に入った。泣きそう。


 生理的な涙でにじむ視界の先で、矢にかかっていた魔術式が弾ける光が見えた気がした。


 ――ああ、ちゃんと避けられたんだな、と思うのと同時に、どっと疲れが襲ってきた。

 安堵感のせいで、脳にまわっていたアドレナリンが切れたらしい。体は実に正直である。


 今さら無理して逃げなくても、あとものの数秒で日没だ。ここには誰もいないのだから、ジッとしてやり過ごそう。

 そう思い、足の痛みに耐えつつ何とか起き上がり、矢の狙撃範囲を避けるようにして、路地を歩く。


 ――そう、この時の私は間違くなく油断していた。


 ほぅ、と小さく息を吐いて、ちょっとだけ目を伏せたその時。


「「つーかまーえた!!」」


 そう言って、幼い少年と少女。

 ――トロワとまだ名前を覚えていない移民の少年が、ぎゅっと腰にしがみ付くようにして、私の両脇で声を上げた。


「……え?」


 呆然として、私は彼らを見やる。


 えっ、え? 捕まえたって何が? へっ?


 そう現実逃避をしてみるも、両脇の子供が消えるわけもなく、彼らはしっかりと私に抱き着いている。


 ……ここには、さっきまで誰もいなかったはずだ。

 勿論、ここに来るための道は常に視界に入れて警戒していたし、新しく追跡者が来たらすぐにわかるはずだ。

 もちろん、子供二人が隠れられるスペースはここにはない。


 ――ならば、何故・・


 リーン、ゴーン、と追跡者側の勝利を表す鐘の音が響き渡る。……どうやら、本当に逃げ切ることに失敗したらしい。

 勝ったとばかり思っていたため、地味にショックが大きい。


 ハッとして、先ほど矢が当たった壁を見やる。

 その魔法式が弾けた壁に残された術式を見て、私は全てを理解した。


「……捕縛の術じゃなくて、転移・・の術を矢に刻んだのか」


 私がポツリとそう呟くと、二人は心底嬉しそうに笑って「大正解!!」と言った。


 私が矢を避けられたと思って気を抜いている隙に、こっそり近づいたと。なるほど、単純な話だ。

 しかもご丁寧に気配を薄くする符まで持ってるし……。これは無理だわ。勝てる気がしない。


 ……でも、例えば。――例えばもし私があの矢に少しでも当たっていたら、きっと私は逃げ切れていた。


 即座に発動するよう設定された捕縛の術と違い、転移の術は質量の移動が起こる為、いくら精度が高かろうと、コンマ数秒のタイムラグが起こる。


 その一瞬の間に、彼らの手が届かないところに逃げることは、恐らく可能だったはずだ。


 ――でも、彼らは賭けた。

 ……いや、信じたのだろう。私が矢を避ける・・・・・ことを。


「…………はぁ」


 すっかり日が落ちた、暗い空を仰ぐ。


 ――完全に読み負けた。でも、妙に清々しい気分だった。


「あー、負けた負けた。本当にもう、敵わないや」


 笑いながらそう言うと、二人は「どーだ、参ったか!」と私の周りをぐるぐると回りはじめた。なにこのかわいい生物。天使か。


 ちなみに少年の名前はリヒトというそうだ。

 こいつからは何となく子供時代の私と同じくらいのポテンシャルを感じる気がする。悪がき的な意味で。まぁ、戯言だけど。


 二人にベルトを外してもらい、広場に合流する前にこっそりと足を治した。


 怪我の事はトーリには気づかれているだろうけど、あいつはわざわざそういうことを言ったりする奴じゃないし、多分他の連中にはばれていない筈だ。がんばりすぎて怪我するとか、魔王様ちょっと恥ずかしい。


 因みにお子様二人の口止め料は、お菓子一週間分で手を打ってもらった。なんとも抜け目ない子供たちである。





◆ ◆ ◆





 その後。


 私と二人が広場に戻るころには、参加者のほぼ全員がそこに集まっていた。


 数人に「遅いですよー」と声をかけられたが、基本的に主役は遅れて登場するものである。

 あ、今回の主役は私じゃなくてこの二人ね。MVPだし。


 二人を引きつれて壇上へ上る。

 ここで物怖じしないあたり、彼ら・・が選んだ人選はやはり最適だったのだろう。……作戦指令官が誰かは分からないが、末恐ろしいものがあるな。


 壇上にて、フランシスカがそっと白いタオルを差し出してきた。

 思わず自分の頬を触る。……土ついたままだよ。うわぁ。


 あいまいな笑みを浮かべながらタオルを受け取り、顔を拭う。

 汗でべちゃべちゃな私が何を言っても遅いだろうけど、別に女の子を捨ててるつもりはないんです。ただ、ちょっとガサツなだけで……。

 え、ちょっとじゃないって? ははっ、知ってた。


 ここまで心の中でセルフ突込みである。泣きたい。


「魔王様。――一言だけご挨拶いただいてもよろしいですか?」


 フランシスカにタオルを返すと、代わりにマイク型の拡声器を握らされた。


 まぁ、うん。確かに私が何か言わなきゃ〆に入れないだろうなぁ。良くも悪くも、私は主催なのだから。


 マイクを受け取り、口を開く。


「どーも皆さん。あれだけ大口たたいておいて捕まった負け犬です。どうぞ笑って下さい」


 ………………。あれ、返事がないな。

 ブラックジョークはお気に召さなかったのだろうか。


 一気に静まり返った空気に首をひねりつつも、言葉を続ける。


「まぁ、冗談はさておき。今回はMVPは二人いるけど、最優秀チームはありません。――理由は言わなくてもわかるよね?」


 私がそう言うと、広場にいるほとんどが、神妙な様子でしっかりと頷いて見せた。

 なんだこの空気。もっと喜べばいいのに。


「今回は正直終盤までは、余裕だわこれ、って思ってたし、実際逃げ切れると思ってた。――でもさぁ、私は今こうして捕まって此処にいる。お前達・・・がこの魔王を捕まえたんだ! 自分たちの力で!」


 思わず声を荒げる。


 ――だってそれは、十分に誇るべきことではないだろうか。


 ――ここまで来る途中、トロワとリヒトの二人に色々と話を聞いた。


 まさか私だって、ほとんど全てのチームが協力しているだなんて思いもしなかった。

 それを聞いたとき、何だか胸にこみ上げるものがあって、ちょっとうるっときてしまったが何とか耐えた。泣き虫は格好つかない。


 少しでもみんなが仲良くなれればいいな、くらいの気持ちだったのに、なんだよそれ。お前ら最高すぎるだろう。ぐう聖か。


「おめでとう。――文句なしにお前たち全員の勝利だ」


 そこから一拍、爆音のような歓声が響き渡った。それは開催式でのそれとよく似ていたけれど、やっぱり別物で、深く私の心に響いた。


『人は一人では生きていけませんよ』


 レイチェルが昔そう言ったことを思い出した。あの時は鼻で笑ったけど、今ならばその意味がよくわかる。


 私は、きっと彼らを手放すことなんてできないだろう。たとえ、何があっても。

 ……ああ本当にこれだから、人生ってやつは分からない。


「よし!! 表彰式が終わったら、予定通り皆で打ち上げだからね!! はしゃぎ過ぎて羽目を外さないように!!」


 そう最後に叫んで、マイクをフランシスカに手渡す。


 えー、この歓声の中で式を続けるんですかぁ? とでも言いたげな目で見られたが、それがフランシスカの仕事である。まぁ頑張れ。


 ――さぁて。ベス君と一緒に打ち上げの準備を始めますか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る