第62話 狙撃/索敵
罠を適当に蹴散らしたり、スルーしたりしながら、先ほどの出来事を考える。
……よくよく考えてみれば、先ほどの二人はやはり不自然だった気がする。
条件を満たせば商品を貰えるタイプの、主催側に提示されたミニゲームの一つだった。と、言われてしまえばそれまでだけど。
……もしかして、私には開示されていない何らかの『裏ルール』のようなものが存在するのかもしれない。それも、とびきりに私に不利なものが。
ヴォルフとフランシスカなら、やりかねないのが怖いなぁ……。
でも、そこまで気にする程じゃないだろう。
いくら劣勢になろうとも、不利なルールを強いられようとも、今更やる事は変わらないんだし。
それに結局のところ、『自分は負けないだろう』という、傲慢に似た確信があった。
別にただ慢心しているわけではない。
何というか、理論上では五分以下の勝率であることは分かっているのだが、単純に自分の負ける姿がイメージ出来ないのだ。
いくらこれがゲームで、その敗北が疑似的な捕縛であったとしても、私は自分が捕らわれている姿を想像できない。
俗にいう『危機的状況』というやつに陥ったとしても、私はきっと心の奥では『何とかなるだろう』と楽観的に考えるんじゃないかと思う。いや、ビビりはするだろうけど。
――ただ単純に、私は昔から危機感というものが薄いのだ。
魔族と戦っている時も、『死にたくない』とは思っていたが、『死ぬかもしれない』とは不思議と思わなかったし。
……薄々気がついてはいたけど、私ってどこか人とは思考がずれているのかもしれない。自分では常識人だと思ってたのになぁ。
戯言はさておき、そろそろゲームも中盤だ。日の傾きからみて、開始から二時間と少しといったところか。
体力は十分だし、頭の切れも鈍っていない。まだまだいけるな。
前方に罠を発見し、少し思案して、今回は破壊ではなく回避を選択する。あれくらいの罠であれば、後半に残っていたとしても特に障害にはならない。
そう思い、私は罠を避けるべく建物の壁を駆けあがった。
壁を登り切り、建物から建物へ飛び移ろうとしたその時、――かすかな風切り音を耳にした。
「――――ッつ!!」
ばっと右を見やる。魔術で反応速度を強化した視界には、一本の矢が見えた。
それは普通の矢にはありえない直線の軌道を描いて、音速に近い速度でこちら向かって進んでいる。
地面ならまだしも、今の私は建物の間――つまり何もない
他の魔術が使えたならば、風で矢を吹き飛ばしたり、氷で足場を作ることもできたし、何より転移でこの場から去ることも可能だった。だが、今の私には強化と重力制御の魔術しか使うことを許されていない。
今この王都全体には、ベス君によって怪我防止の結界が張られているため、体のどこにあたってもそこまでのダメージは無いだろうが、あれが体に触れたら、それだけで私は
恐らくあの矢には捕縛の為の魔術がかけてある。そういった術式もミニゲームの景品になっているとフランシスカも言っていたし、間違いないだろう。
――だが、手がないわけじゃない。
あの矢が当たるであろう位置さえ割り出せれば、何とかなる。
そして、あれを射ったのが、私の
「――きっと、
その言葉とともに、私は背筋を使って大きくのけぞった。これくらいであれば、空中でも多少は体勢を変えられる。
そのまま両膝をお腹につけるように勢いよく折り曲げ、前へ飛ぶための力を殺す。それにより、頭の位置はさらに下がる。
――その刹那、ひゅッ、と勢いよく先ほどまで頭があった場所を、緑色の羽がついた矢が通過していった。……あ、あっぶねぇ。ギリギリじゃん。
内心冷や汗を流しつつも、私は丸まった勢いのまま、くるくると回転しながら建物の間を落下していた。流石にあの状態から建物の上に飛び移れるほど、私の体はでたらめじゃない。
そのままの勢いで地面に足をつけた瞬間、重力操作を発動させ衝撃を殺し、何もなかったかのような顔をしてゆっくりと立ち上がった。心臓はバクバクだけども。
正直言って、落下中に第二撃が来るんじゃないかって焦った。今がまだ中盤だから二個目の術式は手に入れてないだろうと踏んだけど、予想が当たったみたいだ。
まったく。そろそろ来るとは思っていたけど、やはり
――でも、まだまだ詰めが甘い。
狙うなら、頭ではなく腰にすべきだった。人間の動きの基本は、腰にあるといっても過言ではない。
さっきの私だって、慣性にしたがって落下し始めるまでは、腰の重心の位置だけは動かせなかったのだから。
矢が飛んできた方向、――魔王城の最上階の展望台を見上げながら、私は笑みを浮かべた。
「――そう簡単には当たってやれないよ、ヘイゼル」
◆ ◆ ◆
セラスは手にした遠眼鏡――とある学者が作成した物――を覗きながら、呆然とした面持ちで呟いた。
「信じられない……。なんであれを回避できるの?」
タイミングも何もかも完璧に見えた。それなのに、魔王はいともたやすくあの矢を避けてみせる。
魔王の凄さは話に聞いていたが、まさかここまでとは思っていなかったのだ。
「避ーけーらーれーたー!! あのドヤ顔も腹立つなぁ、もう!」
そんなセラスの横で、大声で愚痴を言いながら、少年――ヘイゼルはその端整な顔立ちを悔しげに歪めた。
ヘイゼルのくすんだ金色の髪の間からは、人間とは違う長く尖った耳がのぞいている。それは肩を落としたヘイゼルの心境を表すかのように、ぺたりと下を向いていた。
ヘイゼルは自己紹介の時に、「自分は『エルフ』という弓が得意な魔族の血を引いている」と言っていたので、恐らくその耳はエルフの身体的特徴なのだろう。
「あーあ、術式一個無駄にしたなぁ。ごめん、リーダー」
「いえ、いいの。私だってまさかあれを避けるとは思わなかったのだし」
申し訳なさそうに謝るヘイゼルに対し、セラスはゆっくりと頭を振って言った。
彼らのチームの作戦は、ヘイゼルの弓の腕を見込んで立てられたものだった。
中盤に差し掛かり、ようやく手に入った捕縛の術式を矢にかけ、こうやって王都を見渡せる展望台で魔王が隙を見せるチャンスを窺っていたのだ。
『当たれば勝ち』内容はそれに尽きる。
その状況まで持っていくために、他のメンバーは積極的にミニゲームに参加し、有効なアイテムや術式を集めている。手に入る物はランダムなので、いまいち思うようにはいっていないけれど。
それにしても、とセラスは思う。
ほぼ必中に見えたあの矢を避ける魔王も魔王だが、真に恐ろしいのは、的確に狙った場所を射ぬくこの半魔族の少年なのではないか?
こういったことに全く詳しくないセラスですら、天才的だと感じるほどに彼の弓の腕前は素晴らしいものだと思う。
ヘイゼルが今使っているのは、身の丈をゆうに超える長弓で、見るからに扱いが難しそうである。
普段の狩りではもっと短い物を使っていて、この長弓はほぼ使うことはないらしいけど。
大きければ大きいほど射程距離が長くなる事は知識として知っていたが、まさか
「弓矢ってあんなに遠くまで届くものだったのね……」
セラスは感嘆した様子でそう呟いた。
ここから魔王のいた場所まで、直線距離にしておよそ五百メートル。普通の弓矢であれば、どんなに頑張っても二百メートルがいいとこだろう。
しかもそれは曲線の軌道をとって、だ。いくら高い位置からの狙撃とはいえ、あの距離をほぼ直線の軌道を描いて飛んでいくなんて、実際目にしてもセラスにとっては信じられない光景だった。
「いや、これはちょっと特別だから」
「特別?」
セラスが不思議そうに首をかしげる。
それに対し、ヘイゼルは少し言いにくそうな顔をして、口を開いた。
「よく魔王様と一緒に、俺と他の連中とで狩りに行ったりするんだけど、その時の流れで『すごくよく飛ぶ弓』を作ろうって話になって、……なんかいろいろ悪乗りしてこれができた」
「悪乗り……」
詳しく聞くと、弓を引く際の使い手の負荷軽減から始まり、弓の弾性の強化、矢の加速、空気抵抗の軽減、その他二十を超える魔術術式を組み込まれているそうだ。
まるで、ちょっとした
発動の為の魔力は使い手本人から徴収されるため、ある程度魔術の素養がないと引くこともできないらしい。それ故に、いつもは唯一適性があったヘイゼルがこの弓を保持しているそうだ。
結局のところ、それなりに使い勝手は良いが、森などで使うには少々大きすぎるためお蔵入りしかけていたらしい。
確かにここまでの代物になると、使える場所も限られてくるだろう。でも、城壁からの警備などには役立ちそうだな、とセラスは思った。
そして、あまりにも自然に軍事転用を考えている自分の思考に戸惑う。……どうやら、早くもここの独特の空気に毒されてきているらしい。
だがまさか魔王も遊びで作った代物が、自分の首を絞めることになるとは思わなかったろうな、とセラスはぼんやり思った。
「でも狙いをつけたりするのは、全部ヘイゼルの腕しだいなんでしょう? ――それにしても、この展望台から魔王様がいた場所までよく肉眼で狙いを合わせられるわね。私はこの遠眼鏡を使っても、ある程度しか見えないのに」
セラスが感心したように言うと、ヘイゼルは誇るでもなく、へらりと曖昧に笑った。
「んー、ほら、俺は
鳥が飛ぶことを、魚が泳ぎ方を生まれつき知っているのと同様に、自分が弓を使えるのは
セラスにはよく分からないが、『そういうもの』だとしか言いようがないそうだ。
彼の他にもエルフの血を引くものは何人かいるそうだが、彼の腕前はそれでもなお一線を画しているらしい。
彼だけに留まらず、半魔族には一芸に特化した者が多い。それは、たいした取り柄のないセラスにとっては、少しだけ羨ましいことだった。そんなこと、思ってみたところでどうしようもないのだけれど。
でも、そんな特化した者たちがみんなそろって魔王を捕縛するために全力を尽くしているのに、未だ魔王が捕まりそうな気配は全く見られない。
――つまる所、魔王はやっぱりすごい。という話に戻る。
セラスがそう言うと、ヘイゼルは少しだけ悔しげに、だが肯定を表すかのように頷いて見せた。
「魔王様はさぁ、五感もそうなんだけど、勘が鋭いんだよね」
「勘?」
「あの人、途中で弓に気づいてこっち見てたでしょ? 普通だったら、あのタイミングでは気づくわけないんだよ。野生の獣だってもう一呼吸分は遅いし」
ヘイゼルは続ける。
「『気づき』が早いから、矢が当たる前にああやって軽く回避ができるってわけ。……空中でくらい大人しく当たっとけばいいのに」
「……あはは」
ヘイゼルはそう軽く言うが、そんなに単純な話なのだろうか?
魔王アンリは
たった一呼吸。その間に回避のための最適解を考え、即座に実行する。言葉にすると簡単に聞こえるが、並大抵の人間には決してできない行動だろう。
――まるでおとぎ話に出てくる英雄のようだ、とセラスは思う。
いや、文字通り
主要の国の上層部が、何故あんなにも彼女の事を邪険に扱っていたのか、セラスには分からない。
でも今までの言動や行動、そしてこの一週間でセラスは思ったのだ。
――ああ、魔王様は本当に『良い人』なんだ。
魔王の事を語るとき、暗い顔をした者が一人もいなかったというのは、つまりそういう事なのだろう。
民を見れば、その王の施政が分かる。昔見た本にそう書いてあった事をなんとなく思い出した。
人間と半魔族が入り混じって作られた急造チーム。セラスはその交流の中で、ここでは氏も育ちも関係ないという事を悟った。
――努力し、結果を出せば誰であろうと報われる。そして運悪く結果は出せずとも、その努力を評価してくれる人たちもいる。
セラスのような帰る場所がない者にとってこの国は、発展途上とはいえ、まさに『希望』そのものだったのだから。
そんな風にセラスが物思いに耽っていると、ヘイゼルが手持ち無沙汰に弓を触りながら口を開いた。
「で、リーダー。次はどうしたらいいわけ? 俺はあんまり頭良くないから、ゲームとかは遠慮したいんだけど」
ヘイゼルの問いかけに、セラスは答える。
「そうね……、移動するのも結構時間がかかるし、他の人たちが有効な術式を集めてくれるまでは待機しましょう。それに、ここからなら魔王様の動向を把握しやすいから」
「りょーかい。待機だね」
ヘイゼルが軽い様子でそう答えると、セラスはばつの悪そうな顔をして口を開いた。
「……あの、私の事リーダーって呼ぶの止めない? 私の方が年下なのに、変だと思うの」
「だってリーダーはリーダーでしょ? うちのチームで一番頭良いんだし」
今更何を言っているんだ? とでも言いたげにヘイゼルはそう告げた。
それに対し、セラスは困った様な表情を浮かべる。
確かに、チームの人達の特技や適性をみて作戦を考えたのはセラスだ。でも、だからといっていきなり『リーダー』などという責任のあるポストを与えられるとは思っていなかったのだ。
それに、最初にセラスの事を『リーダー』等と呼び出したのは、この目の前のお気楽そうな少年に他ならない。
『君頭良いね! じゃぁリーダー役やってよ』
……たしか、そんな軽い言葉だったと思う。
鶴の一声、とでもいえばいいのだろうか。ヘイゼルがそう言った瞬間、他の半魔族の面子は「コイツがそう言うなら、仕方がない」とでもいうように頷いたのだ。
今にして思えば、ヘイゼルの発言権の高さはこの弓の腕前からきていたのかもしれない。そんなことを今更言っても仕方ないだろうけど。
そして不運な事にセラスのチームの移民の子達は、みんなセラスよりも年下だった。そうなってくると、反対意見すら出てこない。
セラスは「私でよければ……」とリーダー役を受け入れるしかなかったのだ。
それでもこうやって過不足なく作戦を組み立てられるのは、セラスの能力の高さの証明だろうけども。
「それに、別に何の意味もなく待機しているわけじゃないの。--多分、そろそろ
「あの人?」
「『協力は惜しまない』とおっしゃってたのに、未だに何の行動を見せないのはちょっと不自然でしょう? それに、幸いにも『相談』のための連絡カードも手に入れているし、少し探りを入れてみるわ」
セラスがそう言うと、ヘイゼルもその人物の事を思い当ったのか、ああ、と頷いた。
「俺、あの人だけは敵に回したくないなぁ。魔王様もかわいそうに」
「……それには同感だわ」
◆ ◆ ◆
「っ、くしゅん」
小さなくしゃみをして、アンリは控えめに鼻をすすった。
「あー、やっぱり運動してても寒いものは寒いって……」
そう言って冬の寒さに愚痴をいうアンリに、さらなる魔の手が迫っている事は、まだ知る由もないのであった。
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