第61話 記憶/疑惑
路地を後にした私は、あえて大通りを選んで走っていた。特に理由はない。
建物の上を逃げている途中で、壁を跳んだとき、トランポリンの様な物を使って飛びかかられたんだけど、もしかしてあれはバネを研究している人の仕業なのだろうか。いいのか最初の実験がそんなので。……いや、本人がいいならそれでいいんだけど。
でもまぁ、転写の学者しかり、どうやら今回の催しにはそれなりの数の学者たちが参加しているようだった。
さっきの転写魔術は中々だったな、と思いながら通りを走る。
いわば、アレの原理は魔術によって機能するレントゲンの原型の様な物だ。放射線を用いない分、身体には安全かもしれない。
この魔術が廃れていってしまっている時代に、まさかそんな使い方をしようと考える奴がいるなんて思いもしなかった。
魔術構築式の相談くらいなら手伝ってもいいけれど、あまり私が関わりすぎるのは良くないだろう。
ああいった研究の果ての『成果』というものは、自分の手で掴みとってこそ意味があるのだから。
先ほどの私の蹴りだって、一応は自力で成し遂げた代物だし。伊達に勇者と呼ばれていたわけじゃないのだ。
……とはいっても、純粋な研鑽を積んだって意味じゃないけど。
そもそも、考えてみてほしい。
私の勇者時代の主な武器は身の丈ほどある大剣だったのだが、私の様な、見るからに鍛えてもいない小さな矮躯の女が、どうしてそんな
――身体強化魔術。それは筋力を強化し、固く、尚且つ柔軟にする魔術だ。
――だがそれは、決して万能なんかじゃない。
重たい剣を振り回し、音速に近い速度で駆け、戦い続ける。
そんな物、いくら強化したところで、器にガタがくる。体の方がついてこないのだ。
――だから私は、まずは全部
骨を砕き、筋肉を断絶させ、間接を使い潰す。ボロボロに、ズタズタに、滅茶苦茶になるまで負荷をかけ続ける。
壊して、壊して、壊して、破壊しつくして、――そしてより強靭に、しなやかになるように、組み替えて
私の魔術適正は『破壊』と『増殖』。
加減さえ間違えなければ、その程度の肉体改造は簡単に出来る。……まぁ、すっげぇ痛いけど。
体の動かし方は実地で覚えた。実戦に勝る経験はないと思う。
――そこまでして武器を振るう事に拘らないでも良かったかな? とは思うけど、私の攻撃魔術は大味すぎるため、周辺への被害が大きいので、それも仕方なかったのかもしれない。
運が良い事に、かつての魔王との戦いではそれが功を奏した。魔王との戦いでは、魔術が
正確には、効果がなかった。私自身に干渉するタイプのものは使えたけど、攻撃魔術の様な魔力を
当時は魔王の固有能力だとばかり思ってたんだけど、あれって本当はべス君の仕業だよね。魔術の吸収とか、モロそんな感じだし。
すぐに大剣での接近戦に切り替えたけど、こっちは魔術を使えないのに、あっちはガンガン魔術を使ってこられると、ちょっと腹が立つよね。まぁ、力のごり押しで叩き潰したけど。
最近はメンテナンスを怠っていたので、全盛期――魔族と戦っていた頃に比べると大分錆びついてしまっている。この一週間でそれなりに磨きなおしたけれど、まだまだ駆動が鈍い。……まぁ、普通に考えたら十分すぎるレベルだけど。
――今考えると、あの頃の私はかなり精神的に追い詰められてたよなぁ。
追い詰められて、誰にも相談できなくて、そんなとんでもない無茶を重ねてきた。痛みによるショックで、うっかり死んだとしてもおかしくなかったかもしれないのに。
……そもそも、なんで私はあんなにも頑なだったのだろうか?
ファーストコンタクトで高圧的な態度をとられたというのもあるだろうけど、私は本来なら特に人見知りってわけでもないし、やろうと思えば周りの空気に合わせることだってできる。あんな態度を取らずとも、別に他の方法があったはずだ。
ふと浮かんできた疑問点に、私は首を傾げた。
ただしっかりと覚えているのは、あの召喚陣の上に降り立った瞬間――『決して信用してはならない』と強く思ったのだ。
――はたしてあれは本当に『私』の意思だったのか?
そう思った瞬間、ギリっ、と頭が鈍く痛んだ。
……今はもうこの事を考えるのは止そう。これ以上頭痛が悪化しても困るし。
よくよく考えてみれば、この頭痛が起こるのは、王妃時代より前の記憶を思い出した後にばかり起こっている。
二十歳を目前にして、ようやくまともに過去を振り返る事が出来るようになってきたけど、こんなにも原因不明の頭痛が続くようなら、あまり深く思い出さない方がいいのかもしれない。あの頃の事は、よい経験だったとはまだ冗談でも言えないし。
……というか、どうでもいいけど走ってると顔にあたる風が冷たくて地味にヒリヒリする。邪魔じゃなければマフラーくらい付けたかったのに。
今の季節は冬なんだから、ある程度は仕方ないけど、寒いのって子供の頃からずっと苦手なんだよなぁ。暑すぎるのも苦手だけど。
うとうとする事が多くなるし、何より体の動きがかなり鈍る。さながら、冬眠前の獣のように。
気温に大きく操作される体調か……。もしかして私の前世は変温動物とかそんなのだったのかもしれない。カエルとかだったらちょっと嫌だな。どうせだったら蛇がいい。
――つらつらとそんな事を考えながら走っていると、前方に蹲る影が見えた。
このイベントには不似合いな、ドレスの様なものを着ている。
フランシスカがいつも着ている物に似ているけど、こちらの方が全体的にゆったりしているように見える。
その人影は扇で顔を隠しながら、ゆらり、と立ち上がった。予想していたよりも、身長が高い。170センチは超えているだろう。
――これは、どう考えても罠だろうなぁ。
そう思うものの、ここで完全にスルーを決め込んでしまったら、あんな服装までした彼女の立つ瀬がないだろう。
勝ちに行く、というのは絶対条件だけど、彼らが考えた
エンターテイナーを気取るわけじゃないけど、ある程度は協力しなくちゃ。
まぁ、基本的に罠関係のセットは壊すけどね。再利用できる余地を残すだけましだと思う。
私がドレスの女に、あと数メートルという所まで迫った時、女が扇をゆっくりと下に下げた。
その隠された貌があらわになる。
………………。
「……見なかった事にしてもいい?」
私は何とも言えない表情をしながら、そう呆れた風に言った。本当に、それ以外何を言ったらいいのかわからない。
「そうしてほしいのは山々なんですけど……。すんません、ちょっとだけ付き合って下さい」
死んだ魚の様な目をして、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべながら、――シャルは悲痛そうに言った。
……よくよく見てみれば、女にしては骨格がしっかりしすぎているし、露出も極端に少ない。
まさかの女装である。髪と同じ色のウィッグまでつけているし、結構凝っている気がする。どうしたんだ一体。お前そんなキャラじゃないだろう?
「に、似合ってるよ?」
「好きでこんな恰好してるんじゃねーんですけど。くっそ、あのババア……。後で覚えとけよ」
「……ああ、あの人か」
シャルの恨みがましい言葉で、何となく状況を察した。
彼に対し、こんな屈辱的な命令、もしくはお願いを出来る人材は限られている。
それに『ババア』という呼称と、この衣装の凝りようを見ると、必然と一人の半魔族が浮かび上がった。
なるほど。――
「で、こんなに近くに居るわけだけど、捕まえなくてもいいの?」
「いや、俺は服の締め付けがきつ過ぎて、立ち上がるのがやっとなんで」
はぁ、と辛そうに息を吐き出しながら、シャルは言った。心なしか、顔色も悪い。
まさかコルセットまで入れているのだろうか。男がそれをやったら、下手したら肋骨が折れるんじゃないか……? 少し心配になってきた。
「それに、――捕まえるのは俺の『仕事』じゃねーっす」
ふいっと、目線を私の横に向けながらシャルはだるそうにそう言った。
――まぁ、うん。もちろん伏兵はいるよね。でも、それは
忍び寄ってきた足音に合わせて、しゃがみ込んで素早く一人に足払いを掛ける。 その際に隣に立っている奴にぶつかるように倒せば、一石二鳥だ。運が良ければ連鎖出来るし。
「うわっ」
「きゃっ」
数人の男女が、私の前に足をもつれさせて倒れ込んだ。不満げな目で見上げられが、捕まるわけにはいかないんだからしょうがないだろう。
スッと、彼らから距離を取りながら、辺りを観察する。視線は感じるけど、走れば十分に逃げ切れる距離だ。問題はない。
ちゃんとシャルが目を向けた
それに少しだけ、違和感を感じた。まぁ、別に気にならない程度だけど。
私がそろそろ行こうかな、と考えていると、誰かに呼び止められた。
「もうっ、魔王様ぁ。シャルちゃんがこんなに体を張ってるんだから、捕まってあげてもいいじゃないの?」
路地の間から、妖艶な声を響かせながら一人の女性が姿を現した。
年の頃は二十代後半だろうか。淡い紫色をした巻き毛を片手で弄びながら、女はこちらへと近づいてくる。
「体を『張った』じゃなくて『張らせた』の間違いでしょ? ――ねぇ、マリィ」
私がそう言うと、マリィ――マリィベルはひっそりと色香を含んだ風情ある微笑を浮かべ、クスクスと微笑んだ。
「あらあら。私はそんなにひどい女じゃないわよぉ?」
そう言って彼女はシャルの方へ近づいてき、スパァン、と勢いよくその頭を叩いた。
「口のきき方には気をつけなさぁい、このくそガキ。誰がババアよ。私はまだまだ現役なんだからっ」
キィィ、とでも言いたげに眉を吊り上げて、彼女はシャルの耳を引っ張っている。
言動はともかく、相変わらず美しい女性だ。そう――
「うっせぇ!! 五十路をとうに過ぎてるくせに若者面すんじゃねぇよ!!」
――その実年齢に目を瞑れば、だが。
彼女は夢魔の半魔族であり、意図的にその体の成長を止めることが出来た。その能力以外に特性は持っていないので、姿だけ見れば完全な人間にしか見えない。
だがこう見えても、彼女は隠れ里の元長でもある重鎮だ。力ではなく、仁徳と話術をもって彼女は信頼を勝ち取ってきたのだ。
そして、以前の噂の流布のための吟遊詩人の一件でも、彼女の協力は頼もしかった。実力だけならば、フランシスカに匹敵するだろう。
……それにしても、シャルは本当にもう、アレだな。まるで反抗期の少年の様だ。
マリィも偉い人だけど、こんな戯れで怒るほど狭量ではないし、あの扱いを見ると『可愛い弟』くらいに思っているのかもしれない。
でも、まぁ、――私はそろそろお暇するとしよう。さっきのやり取りで他のチームにも私の所在がばれたみたいだし。
「二人とも程々にしてきなよー。じゃあね!」
二人の話を適当にぶった切って、そう声をかけ、その場を後にした。ま、結構面白かったかな。
◆ ◆ ◆
「……行ったか」
「行ったわねぇ」
走り去る魔王の背を見つめながら、シャルとマリィベルはそう呟いた。
ガシガシと頭をかきながら、シャルは大きなため息を吐いた。
「もうこれ脱いでもいいっすか」
「あら、折角似合ってるんだからもう少し着ていればいいのに。――それで、例の物は?」
トーンを落とした声で、マリィベルがそう囁いた。
シャルはその問いに眉を顰めると、嫌そうな顔をしながら自身の胸元に右手を突っ込んだ。
ガサゴソと胸元を漁りながら、ずるりと四つ折りにされた紙の様なものを取り出した。
「ほら。ちゃんと既定の条件――『魔王との三十秒以上の会話』も満たしたし、ちゃんと使えるはず……です」
付け足すように言われた敬語に、マリィベルは苦笑した。どうやら彼は、先ほどの『役柄』がまだ抜けきっていないようだ。
マリィベルはシャルからその紙を受け取ると、確認するかのように目の前で広げた。
シャルが差し出したその紙には、大まかな王都の地図が載っていた。その地図上では、赤い点が動き回るように移動をしている。
「どうやら成功みたいねぇ」
くくっ、っとマリィベルは声を抑えて笑った。
――魔王を足止めし、魔王の居場所を補足するための条件――『魔王との三十秒以上の会話』を実行する。
マリィベル達のチームの目的は、最初からこれだった。
この地図は、最初から各チームに一枚ずつ配られている。そのチームによって使用条件は異なるが、それなりの難易度で条件が設定されている。
『魔王との三十秒以上の会話』という条件も、このゲームの『逃げる魔王を捕まえる』という特性から考えると、不可能に近い設定だったかもしれない。
――だが、相手は
余裕が無くなってくる終盤ならともかく、序盤や中盤ならば、このような『茶番』に付き合うだけの優しさ――もといサービス精神の様な物が魔王にはある。
その『茶番』に、この小生意気な少年を付き合わせたのは、マリィベルの趣味だけれど。
彼が魔王とそれなりに交友があるというのも、理由の一つだ。
そんな人物が、女装をして立っているというシチュエーションに、魔王が興味を惹かれない筈がない。まぁ、半分は賭けだったが。
そしてシャルに暴言を吐かせたのは、マリィベルの指示によるものだ。流石のシャルも面と向かってマリィベルに暴言をいう勇気はない。
空気を和まして魔王の毒気を抜くには、さぞちょうどいい茶番だったことだろう。
「さぁて、次はコレを使って魔王様を追い詰めなきゃねぇ」
地図を見つめながら、マリィベルは満足げに微笑んだ。
大局的に見れば、結果は上々。
少々訝しまれはしたが、魔王はこの地図の存在を知らない。条件を満たした今となっては、魔王も手の打ちようがないだろう。
「これで私たちは、他のチームに対し一歩リードしたわぁ。――後は、使い方しだいね」
「……それはそうなんですけど、俺もう着替えますよ。ダメって言われても、もう聞かねぇっすから」
シャルがぶっきらぼうにそう言って踵を返すと、着替えを持ってきた移民の少女達が、「あーあ、折角可愛く作ったのになぁ」「ねぇねぇ、シャルさん。次はもっとセクシーな奴着てみようよ!」等と言いだした。随分と楽しげである。
シャルはついつい、と服を引っ張る少女たちの手を振り払いつつ「ええぃ、放せ!! もううんざりだ!!」と叫びながら、着替えをひったくって建物の中に消えていった。
それを遠くから眺めていたマリィベルは、――まぁ随分と懐かれたものだな、と感慨深く思った。
シャルのあの反抗的な様が、少女たちの母性本能をくすぐったのかもしれない。
でもあの子には一応、エリザという娘も居ることだし、恋慕の感情だとしたら厄介な事になるかもしれない。それはそれで見ものだろうけど。
それはともかく、こんな風に移民と半魔族が馴染んでいくのは、きっと良い事なのだろう。
少なくとも、マリィベル自身はそう考えている。……含むところが無いわけではないが。それは他の半魔族も同じことだろう。
――チーム分けで顔を合わせた際に、移民側の少年少女達からこう問われた。
『何故、貴方たちはこんなにも友好的に接してくれるのですか?』
その答えは、もう分かりきった事だった。
『
そう、ただそれだけなのだ。
多くの半魔族は、盲目的と言ってもいいほどに魔王の事を慕っている。
魔王が『そうしろ』と望むのならば、我々はいくらでも我慢を重ねよう。そう思ってしまうくらいには、魔王の存在は絶対だった。
――だが、
その言葉が正しいことくらい、マリィベルとて理解している。だがしかし、納得できるかどうかは別の話だ。
盲目でいるのは楽だ。目を開くのは、恐ろしい。
でも、マリィベルは思うのだ。
――
だがそれでもなお、自分自身でその道を選択したという『矜持』が必要なのだ。
それこそが、
……癪ではあるが、あの男はこの国になくてはならない人材だ。自ら嫌われ役を買って出るなんて、本当の『忠臣』と呼べる奴にしか務まらないのだから。
「本当に、いけ好かない男よねぇ……」
小さな声でぽつりと呟きながら、マリィベルは路地を後にした。
そう、――まだまだゲームは続いているのだから。
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