第60話 学者/転写
――風を切りながら、颯爽と街を駆ける。
開始の空砲からもう小一時間ほど経過したが、私はまだまだ余裕だった。
時折、
あいつら絶対私よりイイ空気吸ってるよね。
――楽しそうだなぁ、もう。
そんな思いとは裏腹に、くすり、と小さな笑みを浮かべる。
人の気も知らないで、とちょっとだけ思ったが、この程度の協力で皆が楽しめるなら別にいいかな、とも思う。
何だかんだとレイチェルに『いじわる』と言われる事も多いけど、私ってやっぱり結構優しい方じゃないだろうか? 逆に心は狭いかもしれないけど。
しかし、上半身を拘束している為、自然と前傾姿勢になりがちなので、少々回避がしにくい。これだと方向転換も体に負荷がかかるしなぁ。ちょっとだけ幸先が不安だ。
そんな事を考えながら路地を駆けていると、ふと、言い様のない
普段であれば、気にもならないような些細な違和感。
――この道は何度も通った事がある。だからこそ、
道の途中に差し掛かり、何があっても対処ができるようにゆっくりとスピードを落とす。
――此処には裏道に続く小さな路地があったはずだ。それが今はどうだ?そこには何がある?
私の目線の先には路地など無く、隣の建物と同じような壁があった。そんな物、本来
それに気が付いた瞬間、私は驚くよりも先に感心してしまった。
――なんだ。あの堅物の
◆ ◆ ◆
――そのチームの最初の作戦は、言ってしまえばとてもシンプルだった。
路地の曲がり角の手前に、隣接する建物に酷似した――まるで転写されたかのような壁紙を配置し、通りがかった魔王に奇襲をかける。
そんな単純な作戦だが、それでいて油断しがちな魔王に対してはとても効果的なものだった。――そう、効果的だった筈なのだ。
その場に差し掛かった魔王は、こちらを見やると、ふっと緩やかに口角を上げた。
感心した様な、いや、まるで親が子供を褒める時の様な、そんな微笑に見えた。
絵画の壁の奥に隠れていた者たちは、そんな魔王を見て、――あ、これはバレてるな。と一瞬にして悟った。
だが、いくら気が付いているとはいえ、こちらが距離を詰めているのは確かだ。
――だから、このまま突っ込む。そう彼らが結論づけた瞬間。魔王が少し離れた壁の前で立ち止まった。
そして、おもむろに右足を振り上げると、そのまま勢いよく振り下げて一閃。
刹那。見えない刃が自分たちを隠す
「――は?」
目の前で起こった現象に理解が追い付かず、アルスは呆けた様な声を上げた。
スパッと勢いよく裂けた紙を見つめ、あまりの事に、飛び出そうとしていた足がすくむ。
アルス達が動揺している隙に、魔王は「またねー!」と声を上げながら走り去ってしまった。
「うっわ、やっぱ魔王様ヤバいわ」
「誰だよ、今回魔王様が碌な魔術使わねーって言ってた奴。話が違うんだけど」
「いやお前、あれは純粋な体術だって。よくベン爺が素手で薪割ったりしてたろ? そんな感じのアレだってば。よくわかんないけど」
「それ結局分かってねーし」
同じチームの半魔族の青年たちが、そんなゆるい会話を交わしながらさっさと撤収の準備を始める。驚くくらいに切り替えが早かった。
それを傍目で見つめながら、人間――つまり移民側の少年少女達は未だ固まったままだった。
「どうしたのー? もしかして怪我でもした?」
――人間って脆いからなぁ、と言いながら、八歳くらいの半魔族の少女がアルスの元に駆け寄ってきた。確か名前はトロワだったはず。
自身の弟と同じくらいの少女がぽてぽてと走る様子をみて、アルスは少しだけ微笑ましく思った。
少女の見た目は普通の人間に見えるが、その前髪の下には第三の眼がある事をアルスは知っていた。だからと言って、それだけで忌避を抱くのは間違いだとわかっている。
魔王の国に来るにあたり、ある程度の心構えはしてきたつもりだ。害される事はないとちゃんと分かっていれば、まともな応対が出来る。それくらいの礼儀はきちんと弁えていた。
――そもそも、危険度で言えば人間だってそう対して変わらないのだから。
そんな思いを振り払いつつ、アルスは少女の問いに答える。
「いや、大丈夫だよ」
「そう? でもお兄ちゃんたちって思ってたよりも丈夫なんだね。前にまおう様が『ヴォルフはペンよりも重い物を持ったら倒れるから、無理に遊びに誘わないように』って言ってたから、他の人もそうなのかと思ってた」
「そ、そうなんだ」
――それだと魔王様があの宰相の人を大事にしているのか、それとも馬鹿にしているのかの判断が難しいなぁ……。
アルスは引き攣った笑みを浮かべながら、そんな事を考えた。
恐らく、誰かがその言葉の真意を魔王に問いただしたならば、彼女は『両方』と答えるだろうが、それをアルスが知る由はない。
少女は破れた壁の絵をちらりと見て、言う。
「おにーさんたち、これくらいで驚いちゃダメだよ? まおう様、やろうと思えば水の上だって走れるし、お空だって飛べるんだから!」
「あ、あはは。そっかぁ……」
そんな少女の言葉に、移民側の少年たちは乾いた笑みを漏らした。
……どうやら自分たちが思っているよりもずっと、魔王捕縛というハードルは高いようだ。
彼らとて、ヴォルフのあの『最終試験』という言葉が、発破がけだという事くらい理解しているが、何一つ成果を残せず終わっては、流石に立つ瀬がない。
「おにーちゃん、わたし足疲れたー。おんぶしてー」
「あー、はいはい。ほら、気を付けて登りなよ」
――本当に、この年齢の子供は気紛れだなぁ。
アルスが苦笑しながらも少女をおぶると、前にいる青年たちから、「おっ、トロワよかったなぁ。楽々じゃん」「そいつ背中で涎たらすから気をつけろよー」と気安い声がかかった。
そんなやり取りを聞くと、--なんか、もう大丈夫なんじゃないかな? などと思ってしまう自分がいる。
幸いなことに、運良く弟とともに移民の試験をパス出来たゆえの楽観視なのかもしれない。
何だかんだで、問題なく半魔族の人たちとは馴染んできているつもりだが、先ほどの魔王に対する認識の相違も含め、完全に理解しあうにはまだ時間が必要だろう。
半魔族も人間も、根っこではそんなに変わらない。そう心の底から思えた時が、きっと本当の融和なのだろう。
――まだまだ、先は長いかもな。
やれやれ、と肩を落としていると、路地の奥から人影が歩いてくるのが見えた。
◆ ◆ ◆
「これは、派手にやられたなぁ……」
そんな言葉をぼやきながら、壮年の男が路地からひょっこりと顔を出した。
つかつかと革靴を鳴らしながら、アルス達の方に向かって近づいてくる。男は苦々しい顔をしながら、壁の絵の切り口を見つめていた。
――実をいうと、作戦の要となる精密な転写画は、この奇特な魔術師が協力して出来上がったものだった。
無論、男の専攻していた学問が絵画であった――というわけではない。
――その男は、医学者の枠でこの地にやってきた魔術師だった。
男の本来の研究内容は『魔術により体の内部の映像を転写し、悪い部分を探り出す』という荒唐無稽なものではあったが、その内容はかつてないほどに魔王に絶賛されたと、後に男は語っていた。
誰かに評価される為に研究を続けてきたわけじゃない。名誉が欲しかったわけでもない。ただこの研究は、必ず人類の為になると信じて、今までずっと一人きりで研究を続けてきた。
『すごいよ!! まさかこんな型破りなアプローチをしようだなんて思う人がいるなんて!!』
そう言って、魔王は子供のように男の両手をぶんぶんと振り回した。まるで、素晴らしいものにでも出会ったかのように。
男が聞く所によると、魔王の居た世界にも理論は違うが似た様な装置があるらしかった。その透視の装置は、医療の現場では当たり前のように使われているらしい。
それを聞いた瞬間。心が、歓喜で震えた。
――間違っていなかった。
――自分は何も間違ってなんかいなかったのだ!!
そう叫びだしたくなるくらいの情動が、男の心を支配した。
誰からも『馬鹿げている』と蔑まれていた研究を、あれ程までに手放しで認めて貰えるならば、たとえ死んだとしても本望だ。
そんな事を思ってしまうくらいには、男は魔王の言葉に救われていた。
――もちろん、男の魔術を完全に実用化するためには、様々な問題点がある。
転写場所の座標固定。悪性腫瘍の見分け方。外科治療の方法。男の人生を全て使ったとしても、それら全てをやりきる事は出来ないだろう。
――だが、魔王は認めてくれた。繋ぐ者すらいないこの研究を認めてくれたのだ。
きっと誠意をもって話せば、後継の手配くらいはしてもらえるかもしれない。
幸いにも、半魔族には魔術適性が高い者が多い。中には人よりもずっと寿命が長い者だっている。研究者としてみれば、最適な人材だった。
男が、このお遊びの様なオリエンテーションに参加しているのも、そんな打算があっての事だ。まぁ、多少は魔王に対する恩返しの意もあるのだが。
この転写の魔術を使えば、最優秀捕縛者とまではいかないまでも、魔王の目には留まる事だろう。そう男は思ったのだ。……結果はこの様だったが。
「まぁ、仕方がないだろう。暫くは地道に追い回すほかない。――こちらは、日が落ちてからが本番だ。暗くなればなるほど、絵の差異には目がいかなくなる。魔王の隙を突くならば、そのあたりが限度だろう」
男が憮然としながらそう言うと、周りの者たちは、おう、了解っす、等と口々に肯定の意を示し、次の設置予定場所へと向かっていった。
男は、いつの間にか自分がこのチームのブレインになっていたという事実に首を傾げつつも、その場を後にした。
――こんな
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