第58話 反省/感性

 ――あれからフランシスカは、真っすぐと城に帰った。その道行きで誰にも会わなかったのは不幸中の幸いだろう。


 足早に部屋に戻り、鍵をかける。本当はまだ仕事が残っていたけれど、もう今日は何もする気になれなかった。先ほどの事を思い出すと、自己嫌悪で潰れてしまいそうになる。


 何よりも、今の自分の顔を誰かに見られたくなかった。涙で化粧は崩れ、瞳は赤く、ああなんて醜いのか。自分が自信を持てるものなど、この容姿くらいしかないというのに。そう思うと、フランシスカは胸が苦しくなった。


 あんなにも怒鳴り散らして、感情を制御出来ないなんて、まるで子供の頃の様だ。

 ――子供。そう、兄にとってはフランシスカなど、まだまだ子供と同じなのだろう。そう思い、フランシスカは自嘲した。


 ……だが同じ年でも、兄は魔王に対しては対等以上の扱いをしている。別に、その事に不満があるわけではない。彼女とフランシスカとでは、そもそも立場が違うのだから。


 ――それとも、自分に力がないから対等に扱ってもらえないのだろうか?

 フランシスカ程度の執務能力では、兄の足元にも及ばない。


 フランシスカの本来の能力が生かせるのは、主に社交の場だ。この国交がほとんどないこの国では、その稀有な能力も使いどころがない。それでも、役に立てるように努力した。実力不足な部分は自分の時間を削って補ってきたつもりだった。

 ……その結果があの失敗なのだから失望されても仕方がないのかもしれない。


 しかも、今回に至っては、民の真意を読み間違えた。多大なる失態だ。本当に、どうしようもない。


 ……もしかして、失望されてしまったのだろうか。そう思った瞬間、また涙が零れてきた。悔しくて、切なくて、悲しくて、息が出来なくなる。


 そんな時だった。

 コンコンっ。と、控えめなノックの音が部屋の中に響く。


 ――一体こんな時に、誰が訪ねてきたのだろうか。内心迷惑に思いながらもフランシスカはゆっくりとベッドから起き上がった。


「……はい、どちら様でしょうか?」


 息を整え、フランシスカは扉の前で、外にいる誰かに声を掛けた。扉を開ける気にはなれなかった。まだ誰かに会えるほどに精神が回復しているとは、どうしても思えなかったから。


「あの、えっと、ユーグです」


「何か用ですの? ……わたくし、少し疲れていますの」


 自分で思っているよりも、冷たい言い方になってしまった。内心失敗したと、フランシスカは反省する。

 そんなフランシスカの気持ちなど知らないユーグは、申し訳なさそうに言葉をつづけた。


「あ……、ごめんなさい。その、タオルとお水を持ってきたので、扉の前に置いておきますね。よかったら使ってください」


 彼はそう言うと、フランシスカの返事を聞かぬまま、「それじゃあ、僕はこれで」と、足早に去って行ってしまった。


 あわてて扉に手を掛けるも、足音はすでに聞こえなくなっていた。


「お礼も言えませんでしたわ……」


 フランシスカは、思わず扉の前にズルズルとしゃがみ込んだ。


 自分よりもはるかに年下の男の子に気を使われてしまった。……なんて情けないのだろう。恥の上塗りもいい所だ。そう思い、フランシスカは力なく笑った。


 子供みたいに癇癪をおこし、兄に手をあげ、皆に迷惑をかけて、いったい自分は何がしたかったのだろう?

 ――結局の所、フランシスカがどう思うにせよ兄とちゃんと向き合わない限りは何も解決しないのだ。自分の心も、今後の事も。


 そう結論付けるも、やはり会いに行くのは気まずい。

 所詮は女の平手打ち。……そう思っていたのに、いくら華奢とはいえ、男一人に怪我を負わすほどの威力があるなんて、到底思わなかったのだ。


 ……あまり認めたくはないが、自分の中に流れる魔族の血は、中々に凶悪らしい。恐らく、身体能力だけでいうならば、きっとフランシスカは中の上くらいには食い込めるだろう。だが、それだけだ。フランシスカがいくら剛腕だったところで、何の意味もない。そう、そんなもの何の役にも立たないのだ。


 ――自身の適正とやるべき事がかみ合わないジレンマ。それが、言葉にできない焦燥の正体だった。


 そんな事を考えていると、カツカツと誰かが廊下を歩く音が聞こえた。その音は徐々にフランシスカの部屋に近づいてくるようだった。


 その足音はユーグのものよりも重く、だが男性陣に比べると大分軽い。――そうなると、残りはもう一人しかいないだろう。


 足音はフランシスカの部屋の前で止まり、コンコン、というノックの後、控えめな様子で声を掛けられる。


「フランシスカ。ちょっといいかな?」


「……ええ、どうぞ。――魔王様」


 そうして、フランシスカは扉を開け、自身の部屋に魔王を招きいれた。拒否する気力なんて、今の彼女には無かったのだから。





◆ ◆ ◆




 それから魔王が語ったのは、当たり障りのない様に簡略化されたあの後の話で、特にフランシスカを責める様な気配はなかった。


 その事に、フランシスカは拍子抜けしてしまった。

 だが、肝心の兄の様子を語る様子はない。まるで、フランシスカが聞いてくるのを待っているかのように。

 いいように乗せられているな、と思いつつも、フランシスカは口を開いた。


「あ、あの。お兄様の様子は……」


「ああ、暫くは頬が腫れるんじゃないかな。――別にそこまで怒ってるって訳でもなかったし、そんなに心配しなくても大丈夫だよ」


「そうですか……」


 フランシスカは魔王のその言葉に少しだけ安堵した。だが疑問は残る。


 ――怒ってはいない。それならば今兄は何を考えているのだろう?


「ま、本人同士が『兄妹喧嘩』って言ってるからには、私は別に口煩く言ったりしないけどね。でも、気になるんなら早めに会いに行った方がいいよ。こういうのって機会を逃すとずるずる先延ばしにしちゃうもんだからさ」


「はい……」


 魔王が苦笑しながらそう言った。未だに会う事をためらっているフランシスカにとっては、耳に痛い言葉だった。


「でも、顔を合わせにくいっていうなら仕方ない。――これを君にあげよう」


 魔王はそう言うと、一通の白い封筒をフランシスカに手渡した。何も書かれていない白紙の封筒を見て、フランシスカは首を傾げる。


「魔王様、これは一体何ですの?」


「えっと、ヴォルフへの処罰内容かな」


 あっさりとした魔王の言葉に、フランシスカは立ち上がり、抗議の声を上げる。


「何故ですの!? 今回の責任は全て私にあります!! その私に処罰が無いのに、何故お兄様にだけ……」


「あそこまで派手にやらかす・・・・なら、私かシスカに一言報告くらいするべきでしょう? いきなりやられると流石に焦るしさぁ。上手くいったから良いものの、失敗してたら目も当てられないよ」


――まぁ、その辺りはちゃんと何とかするって信じてたけどね。と魔王は続けると、封筒をフランシスカの手に握らせた。


「フランシスカへの処罰は、そうだな……。『その封筒の内容をちゃんとヴォルフが実行するか見張る事』でいいかな」


「……ですが、」


「そんなに心配そうな顔をしないでよ。『処罰』なんて名ばかりの処置なんだからさ。多分皆が思ってるより、かなり軽い物だと思うよ?」


 そうは言うものの、中身を見ない事には何とも言えない。


 ぎゅっと封筒を握りしめながら、フランシスカは思う。

 ――もし、ここに書かれている内容が兄にとって重すぎる処罰であるならば。その時は自分が魔王に頭を下げに行こう。たとえそれが許されない事だとしても、自分の不始末で兄が過剰な責を負うのは絶対に嫌だった。


 そう決意し、フランシスカはしっかりと魔王を見つめる。


「分かりましたわ。――この封筒は、私がきちんとお兄様に手渡します」





◆ ◆ ◆





 フランシスカの部屋から魔王が去り、フランシスカはジッと封筒を見つめた。


 ――この封筒の中身をこの場で確認する事は出来ない。指定された当人以外が勝手に中をあらためる事など、礼儀に反する。何よりも、兄がそれを許すとは思えなかった。


 ――でも兄の立会いの下、読み上げる事ならば可能だろう。そうすれば自分が真っ先に内容を知る事が出来る。

 納得がいかない処罰であれば、読み上げた後に魔王の元へ走ればいい。自分の方が兄よりも足は速いのだから、何とか間に合うだろう。


 そう思いながら、フランシスカはゆっくりとヴォルフの部屋へと向かったのであった。






◆ ◆ ◆







 部屋に訪ねてきたフランシスカを、ヴォルフは黙って迎え入れた。


 その左頬には大きなガーゼが貼られており、見ていて痛々しい。フランシスカはそれを見て気まずそうに目を逸らした。


 ――数分の沈黙の中、ようやく覚悟を決めたフランシスカが口を開いた。


「お兄様、その、傷の具合は……」


「医者が言うには、三日もすれば腫れは引くだろうとの事だ。――全く、この馬鹿力め」


 ヴォルフは苦笑しながらそう言うと、スッと右手をフランシスカに向かって伸ばした。フランシスカは思わず反射的に目をつむった。――殴られる、と思ったのだ。


 ヴォルフの指先がフランシスカの頭に触れる。そのままグシャグシャと、まるで犬を撫でるかのように髪をかき回された。


 予想外の事にフランシスカは驚きの声を上げる。


「えっ? あの、お兄様?」


「……俺が悪かったよ。魔王にも叱られた。お前の気持ちを蔑ろにするつもりは無かったんだ。――ごめんな」


 ヴォルフはそう言うと、フランシスカに頭を下げた。

 それに対し、フランシスカは動揺しながら言葉を紡ぐ。


「お兄様……。いいえ、私の方がいけなかったのです。……もっとちゃんと落ち着いて話をすれば良かっただけの事なのに……」


 ――結局、自分が難しく考えていただけなのだ。

 才能や立場なんて、自分が勝手に造り上げていた壁に過ぎなかったのだろう。


 魔王が言う様に、もっと話し合えばよかった。だって、たった二人きりの家族なんだから。


 ぽたり、とフランシスカの両眼から涙が零れる。その泣き顔を見られないように、そっと頭を兄の胸に寄せた。


「ごめんなさい。ごめんなさい、お兄様」


 そんなフランシスカの謝罪に対し、ヴォルフは無言でフランシスカの背を撫で続けた。まるで、幼子をあやすかのように。


 彼らの間にこれ以上の言葉はいらなかった。




 ――フランシスカが落ち着き、泣き止んだ頃には、すっかり空は暗くなっていた。

 午後の一時くらいに説明会を行ったのが、もう遠い昔のように感じられた。


 いくら兄とはいえ、臆面もなく泣き顔を見せた事に、フランシスカは気恥ずかしさを感じた。

 そこでフランシスカはようやく、自分が兄の元へ訪れる切っ掛けとなった物の存在を思い出した。


 白い封筒を差し出しながら、フランシスカは言う。


「お兄様。――これを魔王様から預かりましたの」


「……ああ、例のあれか」


 ヴォルフはそう言うと、少々苦い顔をした。どうやら処罰の旨は聞いているらしい。


「私が読み上げてもよろしいですか?」


 フランシスカがそう聞くと、ヴォルフは黙って頷いた。


 それを見て、フランシスカは封筒の封を切った。中に入っている手紙を取り出し、内容に目を通した瞬間、


「――え?」


フランシスカは目を見開き、驚いたような声を上げた。


「どうした? 何が書いてあったんだ?」


 そんなフランシスカの様子を見て、ヴォルフが不思議そうに声を掛ける。


「いえ、その……」


「……ちょっと貸してみろ」


 ――そんなにもひどい処罰が書かれているのだろうか。そう思い、ヴォルフは少しだけ不安になった。魔王は大した罰じゃないと言っていたが、もしかしたら気が変わったのかもしれない。


 その後、妙に口ごもるフランシスカから手紙を取り上げ、ヴォルフは紙に書かれている内容に目を通した。


『報告連絡相談は、再度言わなくても守ってくれると思うので、これ以上は口煩くは言いません。


さて、処罰の話ですが、とっても軽いので安心してください。


か弱い女の子の平手打ちで怪我を負うのは、ヴォルフが鍛えられていない何よりの証拠ですよね。はっきり言ってダメダメです。もっとしっかりして下さい。


そんなヴォルフへの処罰は、下記の通りになります!


・腕立て伏せ20回

・腹筋20回

・スクワット20回

・城の周りを1周ランニング


 これをオリエンテーションの後から、ひと月続けて下さい。ひと月です。筋肉痛での休みは認めません。それ以外の体調不良なら特別に許しましょう。

 ――これくらいなら、いくらヴォルフでも続けられるよね? 見張りはフランシスカに頼むので、さぼらないでね!』


 手紙には軽い口調でそう書かれてあった。


 ヴォルフは小さく笑い、震える手で手紙をたたんだ。


「………………ふっ」


 ――無理だ。死ぬ。


「お、お兄様。大丈夫ですっ……。確かにお兄様は私よりも運動の出来ない虚弱体質ですが、これくらいならば何とかなります!!」


 顔を青くして震えるヴォルフに、フランシスカがそう焦りながら声をかける。……自分が酷い事を言っている自覚はないようだ。



 --ヴォルフは魔王がこんな事を書いた理由を何となく悟っていた。


 おそらくこれは処罰の名を借りた、魔王の『善意』である事を。


 あれは数日前の事だ。魔王と廊下を連れ添って歩いている時、階段を上っているヴォルフに対し、ひどく深刻そうな顔でこう言ったのだ。


『階段くらいで息切れするのは、流石にまずいんじゃない……?』


 確かに、この内容ならばヴォルフも無理にでも運動せざるをえないだろう。だが、魔王はヴォルフを過大評価している。ヴォルフにははっきり言ってこの一般的には『軽い』と呼ばれるメニューをこなす自信が全くなかった。

だがそれでも、命が下されたからには実行するしかない。たとえそれがどんなに辛く苦しかろうとも。


「……フランシスカ。すまないが付き合ってくれるか?」


 ひどく悲壮な表情を浮かべるヴォルフに戸惑いつつも、フランシスカはしっかりとその問いに頷いた。


「え、ええ。勿論ですわ。一緒に頑張りましょう」



 ――こうして、魔王の全く意図しない所で、ヴォルフに対する最悪の意趣返しは完遂されたのであった。


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