第57話 正論/口論

 フランシスカのチーム分けを聞きながら、私は頭を抱えた。

 これは、非常にまずいんじゃないか?


「だ、大丈夫ですか魔王様!? 顔色が蒼いですけど……」


 ユーグが私の顔を覗き込むようにして、心配そうに言った。


 「……大丈夫。ちょっと眩暈がしただけだから」


 私がそう返すと、ユーグは耳を伏せて「それは大丈夫って言わないです」と不満げに言った。まぁ、その通りだけど。


 原因は分かりきっている。先ほどのヴォルフの発言だ。

 彼の話をもの凄く掻い摘んで要約すると、「お前らサボってないで死ぬ気でやれ」という事になるのだが、それが実行されると、当初五割だった勝率に大きな変化が現れるのではないだろうか?


 いや、勘違いしないでほしいのだが、別に負ける事自体を厭うているわけじゃない。ただ、もしも。――もしも私が開始数分で捕まってしまったら。そう考えると冷や汗が止まらない。

 そうなると、全てが台無し・・・になる。努力も、勝利も、何もかも薄っぺらい物になってしまう。ついでに私の威厳もガクッと下がる。

 後者は別にどうでもいいが、今までの準備も含め、皆の頑張りが意味のない物になるのは絶対に防がなくてはならない。……どうやら私も本気を出さざるをえないようだな。


 ぐっと両手を上げ、伸びをする。最近は地道にささやかな運動をしていたとはいえ、全盛期の感覚には程遠い。しばらくは本格的に鍛えなおす必要がありそうだ。


「私、明日から山で走り込みとか色々するつもりなんだけど、一緒に来る? 時間を測ったりしてくれると助けるんだけど」


 私が遠い目をしながらユーグにそう告げると、彼は心配げに私の服の裾を握った。


「もちろんお供しますけど、無理はしないで下さいね?」


「大丈夫。そこまで無茶はしないからさ。それに駄目そうな時はユーグがちゃんと止めてくれるだろうしね」


「はいっ、勿論です!! えへへ、 じゃぁお弁当とか用意しておきますね」


「あはは。ピクニックじゃないんだぞー」


 私は笑いながら、からかう様に軽くユーグの額を軽く小突いた。ユーグは「あうっ」と小さく声を上げると、感情に合わせてパタパタと動いていた尻尾が、抗議を示すかのように、ベシッと私の足を叩いた。ずいぶんとかわいらしい反抗である。


 ユーグがもう少し小さい頃であれば、抱え上げてふざけてみてもよかったけど、最近だと露骨な子ども扱いは恥ずかしがるからなぁ。年齢でいえばもう小学校高学年くらいだし、それも当然か。


 もしかして、これから先ユーグに反抗期が来たら、年増は近寄らないで下さいとか言われちゃうんだろうか。……多分その時は泣くな。うん。

 私がいつか来るであろう未来に思いを馳せていると、隣で見ていたレイチェルがクスクスとおかしそうに笑い出した。


「ふふ、楽しそうですね。――私は居ても手伝えませんし、病院に行っていますね。最近は力も戻ってきたので、場の安定くらいならば可能でしょうから」


 レイチェルが微笑みながら言う。


 ――場の安定。それは文字通り、レイチェルが存在する空間を清浄に保つ効果がある。もう少し力が戻れば、体の中にある悪い気配――つまり腫瘍なども、時間を掛ければ小さくして消し去ることも出来るそうだ。地味に凄い。ようやくの面目躍如である。


「ああ、タニアさん安定期の筈だけど最近調子悪そうだからね。それがいいと思うよ」


 ガルシアがこの場にいないのはその為だった。今朝も貧血の様な症状が出ていたらしく、私が無理を言ってガルシアを帰らせたのだ。タニアさんも近しい者がそばにいた方が安心できるだろうし。


 でも、「後の事は任せなさい!」と大見得を切った手前、今回の事をどう報告しようか少し迷っている。色々あったけど結果としては概ね上々? なのかな? ……うん、少々の小言は覚悟しよう。


 心の中で言い訳を考えていると、レイチェルがちょっと困った顔で私に耳打ちをしてきた。


「あの、先ほどからトーリが階段の隅からずっとこっちを見てくるのですが……」


「ああ、うん。知ってる」


 流石にこの距離になると、気配くらいは察知できる。それでなくても、トーリの赤い髪って目立つし。背後霊かお前は。暗がりに金色の瞳が光っててなんか怖い。


 小声で、「僕は誘ってくれないんですか……」と言っている様な気もするが、無視してもいいだろうか。だって、トーリって身体能力的にいえばシスカと同じくらいだし、正直私のロードワークについていけるとは思えない。


 そして、ユーグ。私より耳がいいのだから、恐らくトーリの声も聞こえている筈なのに、清々しいくらいのシカトっぷりだった。

 ……今まであえて聞きはしなかったけど、やっぱり仲が悪いのだろうか。トーリの奴、フランシスカとは犬猿の仲だし、ちょっと敵が多すぎじゃないか?


「はぁ。そんなとこに隠れてないで、こっちに来たらいいのに」


 私が呆れながら手招きをすると、トーリはパァっと顔を輝かせ、小走りでこちらへ寄ってきた。その姿が、何故か大型犬にダブって見える。でも残念だが私は猫派だ。

 ……でもそう言えばトーリって妖精猫ケットシーの血を引いてるんだっけ? それにしては愛らしい要素は一切ないけど。あえて言うなら、瞳が猫っぽいくらいかな。

 猫はふわふわでツンデレで自由な所が売りの、可愛い生き物だというのに。この差は何だ。

 まぁ現実の猫は、私が触ろうとすると噛みつかれるのが常なんだけどね。もしかして動物に嫌われるオーラでも出ているのだろうか……。


「そもそも、トーリは仕事が残ってるし、どの道無理なんじゃないかな?」


「……問題ないですよ?」


「私、嘘つきは好きじゃないなぁ」


 私がそう言うと、トーリはサッと目をそらした。

 ……ついて来るとなれば、仕事はサボるんだろうなぁ。やっぱり連れていくのは無しの方向で。


 ――一応トーリの役割とは、当日の私の位置情報のリークであるが、この一週間のあいだに、各チームから説明の為に呼び出される可能性が高い。

 何より、トーリの能力を効率的に作戦に組み込めれば、私を捕らえる確率はぐっと上がる。本気になった彼らがトーリに詳細を聞かないわけがないだろう。


 まぁ情報提供は、運動能力と知識、ほんの少しのひらめきが問われるミニゲームのクリア報酬なので、そちらの対策の方が先だろうけど。


 王道の作戦としては、ミニゲームで役に立つアイテム――情報や魔術符など――を手に入れ、それを駆使してわたしを追い詰めるというのがベターだろう。


 本当に怖いのは、その定石から外れた作戦だ。正直、何チームかで同盟を組んで数で責められるのが一番厄介だ。捕縛符を持って四方を囲まれたら逃げ切れる気がしない。


「あ、説明が終わったみたいですよ」


 ユーグが会場を見ながら言う。

 チーム毎に用意した部屋に向かうのか、いくつかのグループに別れて移動を開始しているようだ。


「ところでトーリ。その、フランシスカの事なんだけど……」


 その言葉に、トーリは静かに首を横に振って答えた。


「正直近寄りたくないくらい怒ってましたね。それと同じくらい凹んでましたけど」


「いや、そんな状態なのに二人っきりにして置いて来ちゃったの!?」


 ……つまりコイツ、逃げてきたのか。トーリに仲裁させても碌なことにならなさそうだけど、居ないよりはマシだろうに。


 もう既に嫌な予感しかしない。ああ見えてフランシスカは直情型だ。初めて会った時の事も含め、追い詰められたら突拍子もない事を仕出かしてもおかしくない。







◆ ◆ ◆





 ――――パシンッ!!


 会場の人が皆いなくなり、私がようやく講堂まで下りてきた時、そんな音が勢いよく聞こえてきた。そのすぐ後に、ドサッと何か大きな物が倒れる様な音が響く。……遅かったか。


 私が壇上裏の控室にたどり着いたとき、そこには涙を流しているフランシスカと、頬を抑えて倒れこんでいるヴォルフが居た。


両手で顔を覆い、震える声でフランシスカは言う。


「――お兄様はいつもそう。大事なことは最後までわたくしに話して下さらない!! そんなにも私は頼りないのですか!?」


「………………」


 それに対し、ヴォルフは蹲って黙ったままだ。そんな兄の様子を見て、無視されと感じたのだろう。フランシスカはさらに悲しげな顔を受べた。


「もう、いいですわ。……お兄様なんて、大嫌いっ!!」


 フランシスカはそう叫んだ後、ようやく私の存在に気が付いたのか、ハッとしてこちらを見つめた。


 彼女は涙を強引に拭うと、ばつが悪そうな顔をして私に頭を下げた。


「見苦しい所をお見せしてしまい、申し訳ありません。……今日は少し疲れたので、これで失礼させていただきますわ」


「え、ちょっと待って!」


 咄嗟に引き止めるも、時すでに遅し。それだけ言うと直ぐに、フランシスカは裏口に向かって駆け出していってしまった。


 ……これは、拗れたらまずいんじゃないだろうか。私はそう思いつつ、蹲っているヴォルフの前にしゃがみ込んだ。普通、追いかけるのは兄であるヴォルフの役目だというのに何をしているんだ。


 「大丈夫? 結構すごい音がしてたけど。……半分くらいは自業自得だと思うけどね」


 というか先ほどから何の反応もないのだが、もしかして倒れた時に頭でも打ったのだろうか? 少し焦りながら、俯いたままのヴォルフの髪をかきあげ、打たれたであろう頬の様子をみる。それを見て、ようやく合点がいった。


「……ああ、これは何も言い返せないわけだ」


 私のその言葉に、こくり、とヴォルフが小さく頷く。


 彼の口の端からは血がポタポタと流れ落ち、恐らく口を開けば結構な量の血を吐き出さなくてはいけなくなるだろう。この量だと舌を噛んだのか、歯が折れたのかのどちらかだ。

 だが動けないレベルの痛みとなると、やはり歯か。痛みのせいかヴォルフは涙目である。……いや、しっかりしろよ男の子。


 とりあえず、このままにしておくわけにはいかないので水場に連れて行くことにした。

 応急処置に治癒魔術を掛けようか、と言ってみたが、静かに首を振られた。

 ……まぁ、そうだよね。フランシスカの気持ちを考えると、その痛みは甘んじて受け入れるべきだろう。


 ちなみのこの場にいないユーグ達は、厄介なことになりそうだったので先に城に帰した。レイチェルはそもそも役に立たないし。特にトーリ。あいつは駄目だ。

 こういう事にはガルシアが一番向いているんだけど、それは今言っても仕方がない。


「落ち着いた?」


「はい。……すいません、見苦しい所をお見せしました」


 私が差し出したタオルを受け取りながら、ヴォルフは頭を下げた。何だかいつもより殊勝な様子に少し戸惑う。

 前から思っていたけど、コイツって本当にフランシスカに関しては弱いよなぁ。凹むくらいならもうちょっと対応を考えたらいいのに。


「いいよ。流血沙汰は慣れてるから」


「いえ、そうではなく。――兄妹喧嘩・・・・の事です」


「……あのさぁ、それ本気で言ってるの? あれだけ大勢を巻き込んで?」


 私がそう言うと、ヴォルフは不思議そうな顔をして首を傾げた。


「確かに今回、問題点を黙っていた事で魔王様にもご迷惑をかけたかもしれません。ですが、結果としてはこれが最善だったと思います。違いますか?」


「うっわ、お前本当に面倒くさい奴だなぁ……」


 ヴォルフのその言葉を聞いて、私は少し呆れた。フランシスカが怒っていた本当の意味を彼はちゃんと理解しているのだろうか?


 言っている事は正論だけど、こうも悪びれずに言われると少しイラッとくる。結果至上主義なのは別に構わない。だが、今回の件は兄弟喧嘩と言うにはあまりにもフランシスカに対し不誠実だろう。

 ヴォルフってば大多数の考えを読むのは得意なくせに、個人の気持ちを悟るのは苦手そうだからなぁ。……まぁ、私も人の事は言えないけれど。


「もうちょっと柔軟にならないと、世渡りがしにくいんじゃないの? またぶっ叩かれても知らないよ」


 軽くペシペシと頬を叩きながら、私はため息を吐いた。ヴォルフは傷に響くのか、声にならない悲鳴を上げてその手を払いのけ、涙目で睨んでくる。ふふん、日ごろの恨みを思い知るといい。


「痛っ、な、何なんですか……。ああもう無理を言わないで下さい、この歳になって今さら性格なんて変えられませんよ。ったく、貴女は俺の母親か何かですか?」


「いや、自分より年上の息子はいらない」


 思わず真顔で首を振った。ヴォルフが息子とか、どう考えても胃が痛くなる案件だろう。

 ヴォルフの母親は早くに亡くなっていると聞いたが、その後ヴォルフとフランシスカの二人を育てきった父親には、素直に尊敬の念を抱く。きっと良い父親だったのだろう。それが少しだけ羨ましい。

 だが当の息子達が仲たがいをしていては、天国の父親も心休まらないだろう。


 ……あんまり諭す様な事は得意じゃないんだけど、仕方がない。私がひと肌脱ごう。


「えっと、妹っていうのはさぁ、結構面倒な精神構造をしてると私は思うんだよね」


「はぁ」


 ヴォルフは、「何をいきなり」とでも言いたげに、怪訝そうに返した。はやくも心が折れそうになったが、ここで負けては意味がない。


「私も自分より出来のいい姉がいるから、何となく分かるんだよ。やっぱりちょっと劣等感は感じてた。勿論私の方が優れてた事だってあるけど、比べられる内容じゃなかったしね。まぁ、仲は良かった方だと思うけど」


「その話と、あいつに何の関係が?」


「何ていうか推測に過ぎないけど、恐らくシスカはこう思ったんだろうね。『――自分には言っても無駄だと兄は思っている。だから何も言ってくれなかったんだ』って」


「そんな事は一度も思ってません。……ただ、俺は」


 俺は、何だというのだろうか。身内であれば何をしても許されると思うのは勝手だが、限度というものがある。


 ……いや、私に対してはその限度を遥かに超えているような気がするけど、それは考えたら負けかもしれない。


「だったらちゃんと話せばいいじゃん。家族なんだからさぁ。それをぐだぐだと難しく考えてるのはヴォルフの方でしょ? 籠の鳥じゃないんだから、いつまでも子ども扱いされたら普通怒るって」


 だからこそ、彼女は許せなかったんだと思う。問題点を黙っていたことも、失敗すらも取り上げられて、何てことの無い顔で後始末をしてしまった事も、全て。

 ヴォルフよりも、自身の至らなさが許せなかった。それ故に感情が爆発したのではないだろうか。

 ……それだけだと子供の癇癪のようだと思うかもしれない。でも、本当にフランシスカが悲しかったのは、きっと、


「妹だから、いや、家族だからこそ――認めてほしかったんだよ、他でもないヴォルフに。『流石は自分の妹だ』ってね。その答えがあれじゃあ、私でも切れるよ」


「…………そう、ですか」


 家族というのは、最も身近な理解者である。その人に認めて貰いたいと思うのは、とても自然な感情だと私は思う。

 俯いたヴォルフの顔からは、表情が読み取れない。でも、何だか珍しく落ち込んでいるような気がした。


 ヴォルフが何を考えているのかまでは分からないけれど、これは避けては通れない問題だろう。せめてたった一人の妹に対しては、ちゃんと腹を割って話をするべきだ。


 ……私みたいに会えなくなってから、後悔する前に。

 あーあ、姉さん元気にしてるかなぁ。激務で体壊してないといいけど。家事も碌にできないから、私生活も心配だし。

 私もたいして料理とか上手じゃないけど、姉さんの作る料理ってもう、その、劇物だったから……。お母さんの手料理までは覚えてないけど、お祖母ちゃんも料理下手なんだよなぁ。もしかしたら先天的に何か異常があるのかもしれない。


 まぁ、それは今は置いておこう。


「シスカは今回すごく頑張ってたと思うよ。それは分かってるよね? 確かにヴォルフから見たら手際が悪かったかもしれないし、少し読みが浅かった部分はあると思うけど、それは私も同じだしさ。あんまり責めないであげてよ」


 私がそう言うと、ヴォルフはふっと苦笑した。


「俺にあいつを責める資格はないですよ。今回の一件は、確かに黙っていた俺にも責任がありますから。」


「そっか。じゃあ皆で一緒にガルシアに叱られようか」


 私は笑いながらそう言った。でもむしろ私は逆にヴォルフの事を責める側でもいいくらいだ。

 さっきの頬への攻撃で多少溜飲は下がったけど、難易度をハードモードにした恨みは絶対に忘れないぞ……。いつか仕返しをしてやろう。


 はぁ……。明日からのロードワーク頑張ろう。せめて全盛期とまでは言わずも、あの頃の勘くらいは取り戻さなくては。

 やれやれ、とため息を吐いたとき、ふと忘れていた事を思い出した。


 ……あ、そうだ。ヴォルフに言わなきゃいけない事があったんだ。


「あのさ、今の話と企画の責任者であるシスカに問題提起をしなかった事は、また別の案件だから。――ペナルティはまた後でねっ!」


「えっ」


 ――ほら、けじめだけはしっかり取らないとね?


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