第56話 希望/切望

「――で、素知らぬ顔をしてる少年少女諸君。その態度はあんまりじゃないか?」


 そう言って、ヴォルフは移民側に顔を向けた。


 このまま何も起こらずに終わればいいと願っていた彼らは、思わず身構えた。

 今の流れだと、あまり良い事は言われない事は確かだったからだ。そして、残念な事にその予感は的中する。


「俺は面談の時にも言ったはずだ。――『役立たずは必要ない』と。人に言われた事をこなすだけの木偶など、居ない方がマシだ。やる気が無いのならば、帰ってもいいんだぞ? ああ、今ならば手土産くらいは付けるが……」


 ヴォルフは、人によっては死刑宣告に変わりない台詞をさらりと言ってのけた。


 ――移民たちがこの魔王の治める国に移住を希望した理由。人によって、その理由は様々だ。

 ただ一つ、共通点をあげるとするならば、――今さら戻れる場所など彼らには無いという事だけ。


 生家の命運を背負ってこの場にいる者。この国に来ることを反対され、結果的に親類に絶縁された者。ただ単純に、帰る場所が無い者。

 確かに例外は存在するが、それでも今更『帰れ』と言われて素直に帰ることを選択する者など、此処にはいない。


 ――その内の一人、セラス・ブランシェは焦燥を隠しきれずにいた。


 まさかそんな、本気の筈がない。だが、彼の真意を測る為の情報が圧倒的に足りない。


 もう自分には、帰れる場所なんて無いのに……。そう思い、震える体を両手で支えながら、セラスはぎゅっと目を瞑った。


 ――セラスは山岳地帯にある小さな国の王族の庶子だった。

 山岳地帯という事からも分かるように、セラスの国は資源も少なく、尚且つ交通の便も悪いため流通の面でも他国に劣っている。

 ――このままでは、国家として存続していくことすら危うい。そんな状況で、末席の王族の庶子など、暖かく歓迎されるわけもなかった。


 妾であった母が死んだ後、他の王族たちが彼女に与えたのは、下級の女中としての生活だった。実父はそれに口出しはおろか、セラスに会いに来る事すらなかった。

 その事について、セラスは父を恨んでなどいない。父の立場は、王族の中では、とても弱いものだと、ちゃんと知っていたから。

 だからセラスは全ての不満を飲み込んだ。幼心にも、そうするのが一番だと思ったから。


 ――だが、その後の生活は本当に辛く厳しいものだった。

 周りの人々からは腫物の様に扱われ、誰もが嫌がる辛い雑務を押し付けられる。十代前半の少女には苦しい環境だったろう。


 そんなセラスの唯一の楽しみは、週に一度の図書館の解放日だった。その城の図書館は、週に一度だけ国民のみだけではあったが、ルールさえ守れば誰しもが利用できたのだ。ずっと昔から続く伝統らしい。

 だが、よくよく考えてみると、文字を読むことが出来るのはそれなりの地位にいる者だけ。いわば形骸化された慣習だった。母が存命の間に文字の読み書きを習得していた事は、セラスにとっては唯一の幸運だった事だろう。


 歴史書、兵法書、はたまた料理のレシピまで。セラスは何かに追われるかのように知識を求めた。今思えば、誰かに認めて貰いたかったのだと思う。縋るものすらない彼女には、それぐらいしか出来なかったから。


 そんな生活を続けること、早五年。異界の勇者によって魔族が滅ぼされ、国の生計が持ち直してもセラスの待遇は変わらなかった。

 十五歳になった彼女は、『このままではいけない』と強く思う様になっていた。

 五年間蓄え続けた知識も、こんな生活では何の役も立たない。そもそも、自分がこの国の文官になれるわけでもないのに、何故こんなにも無駄な努力をしているのだろうか? そう思い始めた矢先だった。


 ―-そんな折に、魔王国への移民の話を耳にしたのだ。


 そしてセラスは、生まれて初めて、自分の意志で父親に会いに行く事を決めた。

『どうか私を、魔王国へ移住させて下さい』と頭を下げに向かったのだ。


 いくら末席とはいえ、相手は王族。下手をすれば無礼討ちにされてもおかしくはなかったというのに。


 だが、父親は少しばかり目を見張った後、「……そうか」とだけ呟いた。そして、その後はセラスに目もくれずにその場から去ってしまった。


 ――本当はもっと言いたい事があった。恨み言や、不満。母の事や、自分の事。今さら何を言っても無駄だろうけど、それでも、伝えたいことが沢山あった。だが、セラスが父親の顔を間近で見たのはそれが最初で最後となった。

 

 ――その数日後、魔王の国への移民受諾の用紙を携えて、父親の部下がセラスの元へやってきた。処罰に対する宣告だとばかり思っていたセラスは、涙を浮かべてお礼の言葉をその部下に伝えた。

 ただ、嬉しかった。――自分の願いを叶えるために、父は動いてくれた。

 

 きっと、自分は父に愛されてはいなかった。認められてもいなかった。それでも、最後に手を貸してくれた。今までの事も何もかも、その事実だけで、セラスには十分だった。

 

 部下の男は去り際に、こう言った。


「『好きに生きなさい。お前はもう、自由なのだから』――そう伝えるように申し付けられました」


 結局、父親から与えられたのは、魔王の国への通行券と素っ気ない伝言だけ。それだけだというのに、セラスにとっては生涯忘れえぬ宝物おもいでとなった。


 セラスの今までの人生はきっと、『不幸』だと言っていい。そしてこれからも、一人ぼっちの日々がずっと続くのだと、思い込んでいた。


 父からの伝言を、セラスは心の中で繰り返す。

 ――きっと父は、私の旅立ちを祝福してくれている。そう思うのは、自分にとって都合のいいだけの解釈に過ぎないのかもしれない。それでもセラスは信じたい。父と自分の間には、ちゃんと『絆』が存在したのだと。

 だってあんな些細な言葉なのに、泣きたくなるくらいに嬉しかったのだ。


 ――無駄なんかじゃ、なかった。

 我慢も、努力も、悲哀も、何もかも全部、決して無駄なんかじゃない。そう前向きに思えるくらいには、救われたのだ。


 ――だからこそ、こんなところで躓くわけにはいかない。自分自身の為にも、そして父の為にも。今さら追い出されてたまるものか。


 きっと今の自分たちに必要なものは、才能なんかじゃない。ヴォルフが半魔族に語った内容を鑑みるに、求められている物は『立ち向かうための勇気』だ。だから、考えよう。自分に何ができるかを。何をすべきかを。


 そう決意し、セラスは挑むような瞳で壇上を睨み付けた。





◆ ◆ ◆





 ――へぇ、中々いい反応だ。


 ヴォルフは顔には出さず、心の中だけでにやりと笑った。「帰ってもいい」と言った後、もう少し悲壮な空気になるかとばかり思っていたのだが、移民の少年少女達はこちらが考えていたよりも骨があるらしい。


 中には、こちらを睨み付けている者さえいる。


 特に目を引いたのが、ダークブラウンの髪色をした細身の少女だった。たしか、名前はセラスといったか。


 面談で話した際、中々の博識さで優秀さを見せつけ、それがほぼ独学だと知り二重に驚いた記憶がある。だが、ヴォルフが評価したのはその部分ではない。


 ――彼女自身は自覚していないだろうが、ヴォルフが最も高く評価したのは、『現状を打破する為に、何ができるかを考察する事が出来る』という点だった。セラスが倍率の高い面談を通過できたのも、自身の悲惨な経歴をありのままに語って見せたからだ。


 そして他の移民達も、ある程度の誤差はあるが、その根幹は変わらない。ヴォルフはただ、『状況に流されぬ者』だけを選り好みしたのだ。


 この事は魔王には話していないが、恐らく説明したとしても反対はされなかっただろう。それくらいの信頼は得ているという自負がヴォルフにはあった。


 ヴォルフは続ける。危機感を持たせるには、まだ足りない。


 ――憎まれ者になるのは慣れている。さぁ、エゴイズムを吐き出そう。


「可哀想な事を言うようだが、君達と半魔族かれらでは立場が違う。生まれや種族などではなく、これはただ単に過ごしてきた時間の話だ。――二年という期間は、そう短いものではないからな」


 ――二年前に魔王が密やかに半魔族を集めたことは、もう人間側にとっては周知の事実だろう。

 隔離するためではなく、奴隷にするわけでもなく、ただ、安らかに暮らせるようにと『女神レイチェル』が願ったから。少なくとも、魔王はそう理由を話している。

 実際は成り行き任せの行動だったらしいが、結果オーライといったところだろう。


 その時はまことしやかに『魔王は反乱を起こすつもりだ』という噂が流れ、それを信じる者は多かったが、この場にいる者達はそれが間違いであることをよく分かっている筈だ。


 彼らは此処にきてまだ数日しかたっていないが、魔王と半魔族の関係は、もう説明せずとも理解できているだろう。


『王は民の為に心を砕き、民はその身をもって王に尽くす』


 ……そんな事は、当たり前だと思うかもしれない。ただ、それを真に誠意をもって実行している者など、少なくともヴォルフは見たことがない。――この国を除いてだが。


 名君と呼ばれる統治者は歴史に数多くいるが、ここ百年近くの魔族との闘争によりそういった話は聞かなくなってしまっていた。

 無理もないだろう、有事の際に生まれてくる『名君』など、暴君と呼ばれたとしてもおかしくない際物が殆どだ。その行動自体は国の為だろうが、それが民の為に繋がるとは決して限らない。


 城壁を作るために男手を。魔族と戦う為に武器の徴収を。戦地に赴く者のために食い物をよこせ。そうしてじわじわと真綿で首を締め上げるかのように、民の暮らしは辛いものになっていく。それなのに王侯貴族は安全な城壁の中で、飢えることなく過ごしている。

 ああ、そんな有様なのに何故心から王の為、国の為に尽くせるというのか。


 二年の間に、魔王と半魔族の間に何があったかまでは、彼らには分からないだろう。それでも、魔王という柱を中心に、寄り添うように生きる半魔族かれらの姿は、言葉よりも雄弁だ。


 だからこそ思う。移民である彼等も歩みを同じくしてほしいと、心からそう願う。


 ――フィリアでは失敗した。だから、もう二度と同じ轍は踏まない。


 ヴォルフはぐっと拳を握る。


 ――父が望んだ『理想の国』


 貴族という制度は排し、身分など関係なく、個人の能力によって国の中枢に立てるような、公平な采配を。

 人民が各々しっかりとした意志と発言権を持ち、互いを助け合いあい、より良い道を選んでいく。そんな国になってほしいと、父は良く言っていた。


 鼻で笑われるような綺麗事を語る父が、ヴォルフは決して嫌いではなかった。


 だが、そんな父に惹かれて様々な人間が集まってきたが、彼らは皆、父と共に死んでいった。


 ……馬鹿みたいな夢物語だと、分かっていた。クーデターが失敗することくらい、簡単に予想できた。それでも父を強く止めなかったのは、ヴォルフ自身が諦めてしまっていたからだ。


『何をどうしたって、この国が変わるわけがない』


 ヴォルフはそう確信していた。


 ――変えられない現実に心を壊されるくらいならば、いっそ潔く夢に散った方が父は幸せなんじゃないだろうか? そう、思ってしまったから。


 フィリアの病巣は、父が思っているよりも大きく、そして根深かかった。


 命令される事に慣れ切ってしまい、思考を放棄してしまった人民達。

 自分の利権とくだらない権威を手放そうとしない貴族共。

 利益を吸い上げて自堕落な日々を送る、肥え太った王族。

 それら全てが複雑に絡み合い、グチャグチャに混ざり合ってしまっているのがフィリアの現状だった。


 それはヴォルフの力を以てしても、『手に追えない』と判断するには十分だったのだ。


 勿論、手段を選ばなければ他に方法はいくらでもあった。だが、優しい父はそれを良しとはしない。

 当たり前の様にクーデターは失敗し、ヴォルフとフランシスカ以外の人間は死んでしまった。


 ――歴史はifを語らない。


 あの時こうしていれば、やり直せれば、と思うのはそれこそ負け犬の考え方だ。

それでも願ってしまうのは、人間の性だろう。


 ……あの日のやり直しをしているつもりは無い。だが、未来ある若者達があの国の諦観者達と同じようになるのだけは、我慢できない。


 運命の女神様は前髪しかないとよく言うが、それは正しい比喩だとヴォルフは思う。

 人には、何時だって『今』しかない。今この瞬間を必死になって生きられない奴に、未来なんて無い。だからこそ、彼らは今こそ動くべきなのだ。

 だらだらと時間を消費するうちに、腐られても困る。それこそ本末転倒だ。


 ヴォルフはしっかりと前を見据えた。


「今を走れぬ者に、女神は決して微笑まない。信頼を得たければ、ただひたすらに行動しろ。――これが、俺からの最終試験だ。しっかり励むといい」


 それだけ言うとヴォルフは一礼し、微かにざわめく会場を背に壇上を後にした。


 入れ替わるようにして、フランシスカが壇上に上がりチーム分けを淡々と発表していく。その際、視線は一度も交わらなかった。明らかに様子がおかしい。


 ――少しやりすぎたか。


 そう思うも、ヴォルフにとってはこれが最善の対処だと考えていた。その為ならば、多少の怒りを買うことくらい何とも無い。

 そもそも、皆が冷める可能性を看破できなかったのが駄目なんだ。まぁ、この後の話し合いは必須だろうけど。


「あー、おつかれ?」


 何故か疑問形の形で、トーリが軽く手を上げる。


「いや、別にそうでも無いよ」


ヴォルフがそう返すと、トーリは肩を竦めた。


「ま、大変なのはこの後だしさぁ。今は休んだ方がいいんじゃない?」


 トーリが苦笑しながら親指で壇上の方を指差す。……その対象はどう見てもフランシスカ以外には居なかった。


「――かなり、怒ってるから」


 僕は面倒くさいからパスね。と、トーリは言って、二階席の方を目指し舞台裏の階段を上がっていった。


 ――逃げられた。そう思うも、追いかける気力が無かった。


「………………はぁ」


 ヴォルフはフランシスカに聞こえないように、深くため息を吐いた。


 ――頬を張られる覚悟くらいしておくか。



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