第55話 疑念/詭弁
「ちょ、ちょっと、お兄様!?」
ステージの奥で呆然としていたフランシスカが、驚きの声を上げた。思わずヴォルフに駆け寄ろうとしたが、トーリに腕を掴まれ、その場でたたらを踏んだ。無遠慮に掴まれた腕が、ひりひりと痛む。
フランシスカが、キッとトーリを睨みつけるも、トーリは涼しい顔のままだ。その事に、フランシスカは余計に苛立つ。
「離しなさい!! 今あなたと争っている暇はっ……」
「その願いは聞けないね。話しの邪魔はしないように、ヴォルフに言われているし。それに、アイツなら上手くやってくれるだろう?」
「ですがっ!!」
「うるさいなぁ。黙って見てなよ。アンタが出たって何も変わりはしないんだから」
トーリの棘のある言葉に、フランシスカは歯噛みした。そんな事は人に言われずとも分かっている。……先程の説明で彼らの気持ちを動かせなかったのだ。既に自分の出る幕は終わっている。
だからこそ、自分がとるべき行動は痛い程に分かっていた。
――私はこのまま黙って兄に任せるべきなのだ。きっとそれが一番良いに決まっている。それでもフランシスカは納得が出来ない。出来なかった。
一か月。準備にかかった時間全てを台無しにされているような気分だったのだ。だが、その憤りをトーリにぶつけた所で軽く流されるのが目に見えている。
「……分かりましたわ、離してくださいまし。何もしませんから」
そう吐き出す様に言ったフランシスカを見下ろしつつ、トーリは少し考えてその手を離した。
「ふうん。なら、別にいいけど」
トーリは面倒臭そうにフランシスカを見やると、はぁと溜息を吐いた。
「ヴォルフの奴が『見張っておけ』って言うからなんだと思ったけど、こういう事とはね。あ、もしかして、何も聞かされて無かったんだ?」
「え?」
「だーかーらー、今回の展開までアイツの仕込みなんでしょ?」
トーリにそう言われ、フランシスカは泣き出したいような気持ちに駆られた。
ああ、そうだ。フランシスカだって、薄々は気が付いていた。
きっと、兄はこうなると分かっていた。――分かっていたのに黙っていたのだ。
――なのに、どうして? なぜ何も言って下さらなかったの? 私では、役に立たないから?
答えは出ない。いくら自問自答を繰り返したところで、自分では兄の考えまでたどり着けないから。
フランシスカは、ギリッと歯を噛みしめた。じわじわと、兄への不信感と、劣等感が心を苛む。とても、嫌な気分だった。
「色々言いたい事があるだろうけど、後にしてね。面倒だから」
「――本当に、嫌な人」
だが、言っている事は間違っていない。それが余計に悔しくて仕方なかった。
兄が何をするつもりなのかはまだ分からないが、もう自分には見守る事しか出来ない。それに、――それに兄ならば現状を打破できると、確信している自分がいる。だからこそ、歯がゆくて仕方がない。
複雑な心境を抱えながら、フランシスカはただ前を見つめた。
◆ ◆ ◆
「――――どの面を下げてこの場に立っている。この負け犬どもが」
そう言って、ヴォルフは両手で机を叩きつけた。
いきなりの暴言に、講堂の中に居る者はざわざわと騒ぎ始める。だが、怒りを感じてる者は少なく、困惑している者の方が多い。
そして移民の少年少女達も同様である。彼等にとってヴォルフは面接をした人当たりのいい男性という記憶しかない。だからこそ、その人が何故こうも怒っているのかが分からない。
彼の言葉を単純な『悪意』であると受け取れないのだ。――それは紛れもなく、彼らのヴォルフへ対する信頼の証だった。
例えば、
『魔王』という存在が、良くも悪くも緩衝役になっていたからというのもある。それ以上に、
――ヴォルフガング・フォン・ベルジュは、決してこの国の『敵』には回らないと。
彼が、この国の為に体調を崩しつつ、身を粉にして動いている事は、皆が知っていた。まぁ、主にその情報源は魔王とガルシアだから多少の誇張はあるかもしれないが。
だからこそ、その彼が意味もなく罵倒をするとは考えにくかった。それ故の困惑である。
「お前たちが何故そんなにも簡単に勝負を諦めるのか、俺には理解ができない。いくら相手が魔王とはいえ、二回に一度は勝てる勝負だぞ? それに命が懸かっているわけでも無い、ただの遊戯だ。……それだというのに、お前たちはそんな情けない
問う様に、ヴォルフは言う。
「でも、勝てるわけない」
そう半魔族の誰かが言った。それは小さな声ではあったが、何故か皆の耳にはしっかりと聞こえた。もしそれが自身の心の声だと言われたならば、きっと納得した事だろう。
いくらフランシスカやヴォルフに「対等な勝負」と言われようとも、頭ではなく、心がついていかないのだ。
――彼ら半魔族にとって、『魔王』は絶対だった。そもそも、同じ土俵に立つという事すら考えが及ばないというのに。いくら遊びだとしても、それは同様だ。
そんな彼らを見て、ヴォルフは笑う。嘲りが混じった、嫌な笑いだった。
「なんだお前たち、たかが二年足らずで牙を折られたのか。魔王が与えた物を享受するだけの日々はそんなにも甘美だったのか?」
――そんな事はない、とは誰も言えなかった。半魔族は誰しもが知っているからだ。今の安寧な生活と、自分たちの労働は決して等価ではないという事を。
魔王が与えるものに対し、自分たちではその対価が払えない。そんな事は周知の事実だった。
ただ、その事を魔王から責められたことは一度もない。それどころか、その事を気にも留めた様子も見られない。……彼らは薄々であるが、その理由に気が付いていた。
何でも一人で出来る。単純な労働ですら、魔王一人で動いた方が効率がいい。
だから、――
その疑念を見透かしたように、ヴォルフは言う。
「魔王の力が強大なのは事実だ。強大すぎると言っていい。あの方さえいれば、大抵の問題は難なく解決できるだろう。――それ故に、魔王は他者に期待を抱かない。……悲しいな。役立たずのままでいたい奴なんて、誰もいないのに」
そう言って、ヴォルフは悲しげな面持ちで唇をかんだ。
『あいつ、普段から淡々としか話さないから、喉もそんなに強くないんだよ。大声出すとすぐに痛みが出るんだってさ。ちょっと全体的に体が弱いんだよ。だから、その辺だけ気遣ってやってね』
魔王はその時、困った奴だよなぁ、と言いながら優しげな笑みを浮かべていた。
――そんな彼が、あれほどまでに必死になってまで、自分たちに何かを伝えたい事がある。それだけは、確かな事実だった。
一拍おいて、ヴォルフはまっすぐと前を向く。言うべき事を、言うために。
「それでも、お前たちが現状維持を望むのであれば、それでも構わない。好きなだけそこで腐っていろ。――だが、少しでもお前たちに矜持が残っているのであれば、立ち向かえ!! あの孤高の魔王を下してみせろ!! 自分たちはただ庇護されるだけのお荷物ではないと証明しろ!!」
「――それこそが、真に『報いる』という事じゃないのか!?」
ヴォルフがそう叫んだ瞬間、――明らかに空気が変わった。
魔王への恩に報いたいのに、報いることが出来ないジレンマ。ようやく、その答えが分かった気がしたのだ。例えそれが、誘導された考えだとしても。
『出来うる限りの力を用いて、自分たちが無力な民でない事を証明する』
自分達でも、有事の時の戦力になると魔王に見せつけるのだ。それだけでも、何か変わるかもしれない。『頼りになる』と言ってもらいたい訳ではない。ただ、少しでもいいから
無論、半魔族の全てがヴォルフの言葉に感銘を受けたわけではない。その者達は、ヴォルフが言っているのは詭弁であることも、ちゃんと分かっていた。
だが、それでも。――それでも、ああまで言われて心が動かない奴は、只の屑だ。
――だから今回は彼の口車に乗ってやろう。それが、魔王への献身になるのであれば尚の事だ。
一方、意思が纏まりつつあった半魔族側に対し、移民側には戸惑いが広がっていた。
無理もない。いくら人数的には同数とはいえ、所詮は外様の人間だ。壇上に立つヴォルフですらも、半魔族中心に話を進めている。
だからこそ、大抵の者はこの場をやり過ごすことを選択していた。彼らにとっては、この後のチーム分けの方が重要だったからだ。
いくら
――これから上手くやっていけるのだろうか? 勝ち負けや、魔王がどうこうよりも、彼らはその方が心配だった。
……語弊の無いように言っておくと、フランシスカや魔王は、今回のオリエンテーションを通し『ゆっくりとでいいから、お互いに慣れていけばいい』と考えていた。この辺りは、ヴォルフと二人の意識の差だと言ってもいい。
だからこそ、この場で『様子見』を選択するのは決して間違いではない。
――だが、その怠慢を見逃すほど、ヴォルフは甘くはないのだ。
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