第9話 人の頼み事は簡単に引き受けちゃダメだってお祖母ちゃんが言ってた気がする

 移り変わる状況を物ともせず、自由気ままに生きられたならば、きっとそれは『幸せ』という事になるのだろう。


 でも今はその自由が私を苦しめる。――本当に今のまま過ごしていていいのかと。


 此処に来てから、やりたい事をして、やりたくない事に蓋をしてきた。嫌な事は全部耳を塞いで知らんぷり。

 辛いと感じる事は無くなったけれど、代わりに心に大きな穴が空いてしまった気がする。


 でも、ユーグに会って私は少しだけ変わったように思う。


 広くなった世界に、目を向けてみよう。そう思えるようになった。――腐ってばかりいないでそろそろ未来へ歩きださなくちゃ。


 変革を望むならば、まず自分から動かなくてはいけない。


 幸いにも私には力がある。出来ない事なんてほとんど無いはずだ。やれるところまでやってみよう。



「実はね、街を作ろうと思うんだ」


「……随分と急ですね。ついこの前まで、ぼっちでいいと喚いていたというのにどんな心境の変化があったんですか?」


「ちょ、なんで最初から喧嘩腰? 私何かした?」


「いえ、別にこの間の事を引きずっている訳ではありませんよ? ええ、ありませんとも」


 しれっとした顔でレイチェルはそう言い切った。いや、かなり根に持っている。

 こ、心が狭い。こんなのが女神でいいのか?


「と、とりあえず!!私もユーグの事で色々と思う所があったわけだよ、うん」


「へぇ、それで?」


「ユーグを遠ざけたのは、此処が悪影響しか及ぼさないって私が思い込んでたのが原因なんだけどさ、なんかもういっその事隠れ里の住人をこの国に呼べば全部解決するんじゃない?都合がいい事に土地は腐るほど余ってるしね。それならみんな安心できるでしょ?」


 誰かと共に生きてくのは、たしかに面倒だと思う。でも、それが『生きる』という事なんだろう。なら少しの弊害くらい、喜んで立ち向かおう。


 それに、彼らは人間に迫害されている身の上だ。

 『魔王の国』という絶対的なブランドの下ならば、人間に手出しされる事は無い。少なくとも私がこの世界で最強でいる限りは。


「……悪くはないですね。その案ならば彼等も承諾してくれるはずです。幸いなことに、この国の食料事情は良好ですし」


「でしょう?」


「でも、それを行うならば私にも条件があります」


「条件? 別にいいけど何?」


「大したことではありません。 ただ、――救済の女神として見過ごせない事があったので」


 にっこりと、レイチェルはその『条件』を突きつけた。




◆ ◆ ◆




 神聖歴346年 ふみの月 1日


 帝国『ベルンシュタイン』の王城の一室において、三ヶ月に一度の定例会議が開かれていた。


 円卓の間には、齢六十を超え尚も現役として名高い皇帝とその側近、そして帝都内に駐在している上位貴族たちが机を囲むようにして席についている。


「それにしましても、件の『魔王』は今の所まったくと言っていいほど動きが無いようですな」


「それは国境警備隊の意見だろう。あの化け物が城の中で何をしているか分かる者はおらんのか。おい、王宮魔道師たちはどうだ。何か進展はあったか?」


「いやはや、使い魔であの魔王城を偵察しようにも辿りつく前に始末されてしまうので、我々としましてもお手上げですな。情けない話ですが、術者としての格が違いすぎます」


 国内の政治の話もそこそこに、最近の主だった話題は『魔王アンリ』の動向についてだった。


 確かにこの五ヶ月の間、魔王に動きは見られない。だが、あの化け物がいつ気まぐれに人類に牙を向けるのかは、その時にならねば誰にも分からない。対策しようが無い事に頭を悩ますのには、正直な所骨が折れる。


 根拠が無い意見が飛び交う中、止む無しと言った風に議長を務める壮年の男が声を発した。


「とにかく、監視は引き続き続行という形でよろしいですな?」


 その言葉に、渋々ながらも皆が頷く。

 それはそうだろう、前回もこれと同じ結論が出たのだ。無理もない。


「いいんじゃないの?私に争う気は無いから結局は人件費の無駄しかならないだろうけど」


 そんな何とも言えない空気の中、妙にやる気の無い声が部屋に響いた。


 突如円卓の間に響いた女の声に、一同は騒然とする。


 動揺が走る中で、皇帝の親衛隊隊長であるその騎士は、瞬時にその声の持ち主を悟った。


 ――忘れるわけもない。あの四か月前の日、世界を再び混沌へと突き落とした化け物の存在を!!


「――この声は、魔王アンリか!? えぇい、どこに居る!!姿を現せ!!」


 騎士が剣を抜き、すぐさま皇帝をその背に庇うと、他の円卓の面々もハッとした様子で次々に剣を抜き、机を背にしてそれを構えた。


「――衛兵!!速く応援を呼んで来い!!何としても陛下の身を守るのだ!!」


 男が叫ぶ。――だが、部屋の外からは反応はおろか足音すら聞こえてこない。


 ――まさか、魔術で隔離されたのか?そう考えるが、男には確かめる術がない。


 一触即発の空気の中、剣を抜いたまま誰もが動けずにいると、カタンと椅子が引かれる音が部屋に響いた。その発生源に、誰もが目を向ける。


 先程まで皇帝が座っていた椅子に、深々と腰を下ろしている女がいた。


 特徴的な漆黒の長い髪に、同色の瞳。この世界では人が持ちえない色の持ち主。


 ――間違いない。魔王アンリだ。


 魔王は、年齢の割には幼く見えるその顔に軽い笑みを湛えながら、右手の指でくるくるとその長い髪を弄んでいる。


 騎士達の殺気だった視線を物ともせず、魔王は机に置いてある茶菓子を手に取り、無造作に食べ始めた。

 ……非常に腹立たしい事だが、こちらを警戒している様子すらない。


「あ、これ美味しい。帰りに買っていこう。……いいから皆座ったら?話し合いの途中だったんでしょ?」


 魔王が菓子をつまみながら、何でもない風にそんな事を言う。


「ふざけた事を抜かすなこの化け物め!! 貴様の様なモノがいて呑気に座っていられるわけがないだろう!!」


「何もしないってば。しつこいなぁ。――何度同じ事を言わせる訳? いいから【座れ・・】よ。ああそれと、剣もしまってね」


 忌々しい、とでも言いたげに魔王はそう言い放った。


 ――はっ、何を言っているというのか。こんな状況で席に付く訳がない。男はそう思ったが、体は己の意思に反し椅子に近づいていく。


「か、体が勝手にっ。くそっ、魔術か!!」


 抗えない力で、体が椅子へと縫いつけられる。


 叫ぶ事しか出来ない彼らを鼻で笑いながら、魔王は事も無げに言った。


「嫌だなぁ。私は《お願い》しただけだよ? ――あぁ、そういえば陛下の椅子が無いね。じゃあ私が新しい椅子を用意するから、陛下は引き続きこれに座ってくださいね。可愛い女の子の隣ですよ?よかったですね!! ……っと、そんなに見つめないでよ。照れるじゃん。でもまぁ軽口はこの辺りにしておいて、本題に入ろうか。皆座ってくれたみたいだしね」


 後半の台詞は、明らかに今にも飛び掛からん勢いで魔王を睨み付けている男に向けてのだった。


 ギリッ、っと男は奥歯を噛みしめた。皇帝が目の前で侮辱を受けているというのに何もで出来ない事が情けなかったからだ。


 屈辱に打ち震える彼等を、魔王はスッと一瞥した。


 ――ああそれと、と魔王が再度口を開く。


「応援の兵なら来ないからゆっくり話が出来るよ。だから安心してね」


 その言葉に、殺気と疑念が籠った視線を向けたが、魔王はうっそりと微笑んで見せるばかりで、それ以上の反応が無い。


「…………皆の者、少しは落ち着くがよい。相手が交戦の意を示していないというのに、その有様では帝国の権威が下がる。――弁えよ」


 皇帝が苦渋に満ちた表情でそう円卓の面々に告げる。


「で、ですが」


「あははっ、流石天下の帝国の皇帝陛下だ!! 随分と胆が据わっていらっしゃる。どこぞの吠えるだけしか脳が無い駄犬どもとは格が違うね。尊敬するよ」


 魔王は嘲るような笑みを浮かべ、こちらを煽ってくる。


 ――これに交戦の意思が無いだと?それよりももっと性質が悪いではないか。


 ――だが、落ち着かなければならない。陛下にも言われたではないか。ここで言い返したとしても、私などでは言いくるめられるのが関の山だ。


 拳を握りしめ、唇が切れるほどに噛みしめながらも、男は口を閉じた。


 この魔王が対等に扱うのは、この場ではきっと皇帝以外にいない。今までの態度にそれが現れていた。


「魔王よ。お主とて茶菓子を貪る為に態々出向いたわけではあるまい?」


 まず初めに、そう皇帝が切り出した。


「まあ、そうなりますね。――今日はお願いがあってきたんですよ。聞いてくれます?」


 まるで娘が父に首飾りを願うかのような気安さで、魔王はそう言った。


 その言葉に、一瞬だが皇帝は狼狽えた。


 まさかこんなにも早く直接的な交渉が始まるとは想定していなかったからだ。

 無理もない。彼が今まで行ってきたのは国家間の腹の探り合いが主だ。それにだって一応の暗黙のルールがある。

 だがこの魔王はそのルールが全く通用しない。

 だからこそ、長年の経験を持つこの皇帝ですら、魔王の心理を読み取る事は出来ないでいた。


「……内容にもよるな。とにかく話してみよ」


 ――恐らく、聞いてしまえば断れなくなる類の話だろう。だが話を聞かないという訳にもいかない。そう、皇帝は考えた。


 そんな皇帝の葛藤も理解できない貴族たちが、その是ともとれる返答に否を唱える。


「皇帝陛下よ!!何もそんなに簡単にっ」


 その言葉の途中で、皇帝は右手を思いきり机に叩きつけ、


「――黙れっ!!」


 と、一喝した。


 その声に、ざわざわと喚きたてていた者達が押し黙る。


 いくら還暦を越え、衰えたといえ、かつて『侵略王』と呼ばれた皇帝の覇気は凄まじい物があった。


 声を荒げて皇帝は叫ぶ。


「――貴様等これ以上我に恥をかかせるつもりか!?その口を縫い付けられたくなければ黙っていろ!!」


 皇帝のあまりの剣幕に、しん、と静寂がその場を支配する。


 そんな中、場違いな拍手が部屋に響き渡った。


 言うまでもない。魔王アンリだ。


 嬉しそうに笑いながら、魔王は言った。


「流石です、陛下。それでこそこの国を選んだ甲斐があるというものです」



「――ほう?」


「いや、大した話ではないんですけどね。

 ――『半魔族ハーフブラッド』って居るじゃないですか。あの出来損ないの化け物。

――――――――あれ、私にくれませんか?」

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