第8話 だからこそ、誰もが理解しようと努力するのです↑

 転移した場所は大きく開けた草原で、夕焼けが辺りを赤く染めあげていた。

 相手のスピードから見て、あと数分で此処に辿りつくだろう。


 碌に人の手が入っていないこの国は、自然が豊かで綺麗な場所が多い。この草原もその内の一つに入る。


 ――あぁ、前に三人で此処に来たな。たしか流れ星を見に来たんだっけ。


 まだ一月程しか経っていないのに、随分と昔の事の様に思う。


 あの時は夜だったから景色は碌に見えなかったけど、こうして夕日に照らされる様を見るとまた違った新鮮さがある。


 でも何故だろうか。何処か物悲しい気分にさせられるのは


 ……やはり先ほどレイチェルとあんな話をしたのがいけなかった。もう終わってしまった事をいくら思い返しても仕方がないというのに。


 ――止そう。今は侵入者への対応が先決だ。


 頭を振って、気配がする方に向きなおる。


 狼や猪如きは私の敵にもならないが、残念なことに今の私は機嫌が悪い。可愛そうだが八つ当たりの道具になってもらおう。


 森の奥から何かの走る音と、葉擦れの音が近づいてくる。


 草原の先の森から現れたもの、それは――、泥や木の葉で薄汚れた、幼い少年だった。


 私は彼の事を知っていた。忘れられるわけがなかった。


 茫然としたように、彼の名を呟く。


「――――ユーグ、」


「っ、魔王様!!」


 私を視認したユーグが息も絶え絶えに駆け寄ってくる。私は動けない。――動かなくちゃいけないのに。


 駄目だ。――信用したら駄目なんだ。


 友好的だと思っていた相手に、笑いながらナイフを突きつけられるなんて何時もの事だったろう?

 仲良くしていたと思っていた侍女が、私の事を化け物だと蔭で笑うのだって日常茶飯事だった。

 出される食事にすら、予め解毒の魔術を掛けなければ口になんて出来なかった。


 ――忘れるな。この世界に私の居場所なんて無いのだから。


 だからこれは何かの罠に違いなくて――――、


 ……そう思うのに、私は動けない。動けない。動かない。


 目の前まで迫った彼の伸ばされた両手を、――私は黙って受け入れた。


 幼い子供の両腕が、しっかりと私の腰に回される。しがみ付くかのように必死の様子で。


 突然の事に頭が混乱してどうすればいいか分からない。あぁ、戦いの中ですらこんなに思考がグチャグチャになった事なんて無かったのに。


 彼の姿をよく見てみれば、服は泥だらけで所々に切り傷がある。剣の傷では無いようなので恐らくは木の枝にでも引っかけたのだろう。

 ……それほどまでに、急いで此処に来たのか。

 隠れ里からはゆうに山を二つは超えなくてはいけないというのに。


 ユーグが頭を私のお腹に押し付けたまま、泣きそうな声で話し出した。


「ごめんなさいっ。 でも、僕、――ここに居たいです。魔王様と女神様と此処に居たいんです!!」


「ゆ、ユーグ、あの」


 私と、レイチェルと一緒に?本当に?


 まるで意地でも放さないとでも言いたげに、ギュッと両手にまわす力が強くなった。


「わ、我儘を言っているのは分かってます。でも、――初めてだったから」


 私のお腹付近に顔を押し付けて、ユーグが絞り出すように言う。


「魔王様だけが僕を化け物として扱わなかった。僕と真っ直ぐ目を合わせてくれた。頭を撫でてくれた。手を繋いでくれた。抱き上げてくれた。笑い方を教えてくれた。泣いている時に慰めてくれた。生きていてもいいと言ってくれた。全部、魔王様がくれました。――生きていて幸せだと思ったのは、初めてなんです」


 ……こんな風に思われていたなんて考えもしなかった。


 私はただ、可哀想な少年に親切にしてあげた。それくらいにしか思ってなかったのだ。


 この幼い少年が今までどんな扱いをされていたのか、私は何となく知っている。

 でもそれは知っているだけで『理解』していたわけではないのだ。

 だからその過去が彼の心にどんな傷跡を残していたかなんて、私にはわからなかった。


 最初は全部、同情からくる優しさだったようにも思う。


 だからいくらでも気安く優しく出来たし、気遣ってやれた。それには理解してやれない事への罪悪感も多少はあったかもしれない。


 だからこそ突き放した。私の為に。そして、彼の為に。


 ――だって私みたいな化け物に、誰かを幸せに出来る筈が無いから。


「……君はただ運が悪かっただけだ。普通の世界だったら、それは当たり前の事なんだよ。現に隠れ里の住人は皆優しくしてくれたろう?」


「はい、皆いい人ばかりでした。暮らしだって前に比べたら比べ物にならないくらい平和でした。でも、」


 ――あそこには、魔王様が居ないんです。


「…………それは、」


「僕は魔王様達が一緒じゃないと嫌です。嫌なんです。――ごめんなさい、我儘を言って。でも、それでも僕は、」


 ――寂しかったんです、と彼が涙声で告げる。


 ――これは、刷り込みだ。最悪な状態の時に私が優しくしてしまったから、一時的な依存対象として見られているだけだ。


 本当に彼の為を思うならば、保護した獣を野に返すのと同様にここで厳しく突き放さなければならない。それなのに、


 ――嬉しいと思ってしまうとは、そうとう私も救えない。


「小間使いでも、何でもします!!だから――、」


 私は行き場のなかった右手を、そっと彼の頭に乗せた。


 その頭に付着した泥を払い、その灰色の髪を壊れ物を触るかのようにゆっくりと撫でる。


「此処に居ても楽しい事なんて何もないよ。そもそも娯楽も無いし。何より、友達だって出来ないんだよ?それでもいいの?」


 私の呆れたような言葉に対し、ユーグはふるふるとその小さな頭を振った。


「魔王様達が一緒だから。だから、大丈夫です」


 その白い頬に涙を伝わせながら、ユーグは綺麗に笑って見せた。


 思わず空いている左手で顔を覆い、天を仰いだ。


 ――あー、もう。こんなの初めから勝ち目なんてないじゃないか。……私の負けだよ。全面的に降伏する。


「まずはその汚れをどうにかしなきゃね」


「!!それって、」


 何かを言いかけたユーグの唇の前にそっと人差し指をさしだし、その言葉を遮る。


 何というか、ここは私がちゃんと言わなくちゃ駄目だろう。


「――お帰り、ユーグ」


 私のその言葉に、ユーグは一度だけ大きく頷くと、はいと小さな声で答えて再び泣き出した。



 城に帰った後、レイチェルは仕方がないなぁとでも言いたげな表情を見せ、一言、「良かったですね」とだけ言った。


 それが私に対してなのか、ユーグに対してなのかは分からない。

 でも、その言葉に頷くことが出来るくらいには現状を受け入れていた。


 ――これから先、どうしたいかなんて考えていなかった。

 一人ならば考える必要も無かったから。


 良くも悪くもユーグという存在の誕生で、私の時間は動き始めた。


 ――――停滞していた思考は動き始め、やがてアンリは一つの結論に達する事になる。

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