第7話 貴方と私は違う。いつだってそれが争いの始まり↓

「へぇ、つまり君は農奴として国境付近の村に飼われてたわけか。で、隙をみて脱走したと」


「はい。手首が細くなったお蔭で鎖が抜けたので、必死で逃げてきたんです。……此処が魔王様の国だとは知りませんでした。あの、申し訳ありません」


「……いや、知らなかったなら仕方ないよ。そこまで気にしなくてもいいから」


 少年――ユーグはそう語った。姓は無いらしい。


 やはり最初に予想した通り、逃亡奴隷で間違い無かったようだ。


 普通の国だったら引き渡し義務が生じるのだろうが、如何せんここは天下の魔王国。条約なんて紙切れに等しい。そもそも国交自体が無いしね。


 とりあえず最初はご飯を食べさせた後に隠れ里まで送っていこうと思ったのだが、思った以上に衰弱しているので回復に努めた方がいい、とレイチェルに進言されたので、基礎的な体力が戻るまではこの城で保護する事にした。

 

 最初の何日かは怯えられてばかりだったのだが、一週間もする頃には比較的に友好的な態度に変わった。私が危険じゃない事が分かったのだろう。そう思いたい。


 それに、これにはレイチェルの働きも大きい。


 忘れかけていたが、彼は出会った当初『声に従って歩いてきた』と言っていた。そう、彼は珍しい特殊能力持ちだったのだ。だけども、『超感覚ギフト』と呼ぶほどの精度ではないらしい。

 効果は詳しくは分からないが、人ならざる者の声を聴きとれる、そんなところだと思う。

 無事に兵に会わずに国境を超えられたのも、その声に従ったからだそうだ。

 私には聞こえないし見えないが、恐らくは彼の守護霊的なものなのだろう。


 それにしても、逃亡先に私の国をチョイスするなんて中々見る眼があるじゃないか。何かは分からないが、褒めてやってもいいぞ。


 そんな能力の御蔭なのか、姿は見えないらしいが彼はレイチェルの声が聞くことが出来た。


 これにはレイチェルも喜んで、私よりも早くユーグ少年と仲良くなった。 

今まで話し相手が私しかいなかったのは、実は退屈だったらしい。……泣いてもいいかな。


 だがレイチェルの説得もあり、彼の疑念その他諸々も払拭されたので、私としては文句は無い。微妙に納得はいかないけど。



 ――ユーグとの出会いから約半月。私達は色々な事をして過ごした。まあ、要は暇だったのだ。


 熱い日差しの下で一緒に野菜を収穫したり、夜の空中散歩に連れ出したり、レイチェルと三人でハイキングをしてみたり。ほぼ毎日の様に出かけていた様に思う。

 ……私は自分で思っていた以上に人恋しかったらしい。


 でも、それもそろそろ終わりにしよう。


 彼だって私と一緒に居るよりも同族と暮らした方がいい筈だ。


「明日には出発するから準備しておいてね。――そんなに心配しなくても大丈夫だよ。手土産さえ持って行けば追い出されたりはしないはずだから」


「……はい」


それなのに、何故だかユーグの表情は硬い。不安がる事など、何もないはずなのに。


「――ユーグ、私は君に会えて本当に良かったと思ってる。短い間だったけど、楽しかったよ。ありがとう」


 私がそう言うと、ユーグは何か言いたげに口を開いたかと思うと、少し迷ってその口を閉じてしまった。


 その不安げな瞳が「行きたくない」と言っているように見えるのは、きっと私の願望なのだろう。


 俯いて、彼は言う。


「お礼を言わなくちゃいけないのは僕の方です。……今まで、本当にありがとうございました」


 彼は、何処か悲痛さを湛えた笑みで笑った。


 新しい土地に不安を抱くのは分かる。でも、私の側に居るよりは幸せに暮らせるはずだ。……きっとそうに決まってる。


「いいよ、そこまで気にしないでも。――最後にレイチェルとも話しておくといいよ。……それじゃあ、おやすみ」


 そう言って私はユーグに背を向けた。これ以上話していると情が移る。そうなればお互いに辛いだけだ。


「はい。おやすみなさい、魔王様」


 ユーグは擦れた声でそう返した。


 背後で鼻をすする様な音が聞こえたが、――それでも私は振り返らなかった。




◆ ◆ ◆




 次の日、一つ国を跨いだ先の山奥にある隠れ里の近くにユーグを置いてきた。

 べス君に造ってもらった手押し車に大量の日持ちする食糧を積んだので、手土産としては問題ないと思う。

 彼は良い子だし、きっと直ぐに新しい地に馴染める筈だ。――きっと、大丈夫だ。


 ――彼は最後に、ありがとうと言った。


 私はきっと笑って見送る事が出来たはずだ。


 だからこの頬を伝う水の冷たさは、きっと気のせいなのだろう。




◆ ◆ ◆




 ユーグを送り届けた日から一月。私は前と変わらぬ平穏な日々を過ごしていた。


 ――心に一抹の寂しさを残しながら。


 だが、それは我らの女神さまですら例外ではなかったようだ。


「寂しいです」


「……何をいきなり」


「寂しいんですよ。なんでユーグを追い出しちゃったんですか? 私と話せる人なんて世界中を探しても数人しか居ないというのに。 ……ずっと此処に居てもらったらよかったのに」


そう不貞腐れながらレイチェルが言う。


その気持ちは分からなくもない。でも、それは駄目だ。


「此処に居たからといって、彼に未来は無い。友人も仲間も、ましてや恋人すら一生望めないような場所に縛りつけておくなんて、それこそ最悪だ。それに、ユーグだって此処に残りたいとは言わなかったじゃないか」


「……言わなかったのではなく、言えなかったんですよ。それくらい分かっているでしょう?」


「…………さぁ、どうかな」


「それに、隠れ里といっても命の危険は高いです。どこに居たって、魔族の残党狩りの被害に遭わない訳じゃないんですよ?彼らの村が襲われた時、殺されないとは限りません。仮に生きていられたとしても、よくて奴隷扱いでしょうね。彼がそうなってもいいんですか?」


 ……その可能性を考えていなかったわけじゃない。


 でも、だからといってどうなる?


「じゃあどうしろって言うのさ。その隠れ里の住人全てをこの国にでも連れて来たらよかったわけ?――そんな面倒な事ごめんだよ。もう私は背負うのも期待されるのも蔑まれるのも全部御免だ。それならもう私は一人でいい。一人きりでいいんだよ」


「――人は一人では生きていけませんよ」


「はっ、流石女神様は言う事が違うね。――でも残念。私は魔王なんだ。普通の人間とは格が違うんだよ」


 私の言葉に、レイチェルは悲しげに目を伏せた。もしかしたら強がっているように聞こえたかもしれない。


 でも、私は十分に一人で生きていくだけの力がある。


 誰にも頼らないで、誰にも迷惑を掛けないで、誰に理解もされなくたって、生きていける。

 それが、『魔王』というモノだろう?


 いや、そうあるべきなんだ・・・・・・・・・


「……悲しい人ですね」


 レイチェルが言葉とは裏腹に、泣きそうな顔で言う。


 ……まったく、お優しい女神様だ。この期に及んで私なんかの心配をしてくれるなんて。


「いいんだよ。私はこの城で一人きりで寂しく死んでいくのがお似合いさ。誰かに使われて生きていくよりはずっとマシだろうし」


 信頼して裏切られるくらいならば、最初から何も信じない。いくら強がっても、私の心はもう限界なのだ。


 ――ユーグの事は結構好きだった。だからこそ、好きなうちに別れておきたかった。嫌いになんて、なりたくないから。



「――あれ?」


 何かが国境を超える気配があった。獣の様な速度で真っ直ぐ城塞に向かって走ってくる。


 獣か、それとも誰かの使い魔か。まぁ何にせよ――、


「――侵入者だ。少し出てくる」

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