第5話 ネーミングセンスには定評があります。悪い意味で
『あ、あー。マイクテスト。聞こえてますかみなさーん』
中庭に出た先の空に広がっていたのは、逃げたはずの化け物の姿だった。
「な、なんだあれは」
「分かりません。ですが魔術師の話によると、映像の転移魔術の亜種だそうです。
どうやらここから遠くはなれた土地から操作しているらしく、場所は特定できないとの事ですが……」
ローランドを連れだした兵士は申し訳なさそうにそう言った。
いや、たとえこの付近で行われたとしても、アンリが映像配信を途中で止めるとは思えない。
以前の見せかけは大人しかった時ならばまだしも、今の奴は本性を現している。
『えーっと、聞こえてるよね?大丈夫だよね?まぁ、いっか』
黒い髪を靡かせながら、クラシックな黒いドレスの両端を持ち、化け物は恭しくお辞儀をしてみせた。
お飾りながらも王妃を務めていた事もあってか、礼儀作法だけはまだ見れるレベルだ。
『はじめましての人も、お久しぶりの人もこんにちは。《勇者》アンリです』
そう言うと、化け物は楽しそうに笑った。ローランドが見た事も無い、自然な笑顔で。
その事実に自身が動揺している事に、ローランドは驚いた。
――何故だ、あの化け物が笑おうが泣こうが私にはどうでもいいはずなのに。
訳の分からない焦燥を抱きながらも、アンリの言葉の続きを聞く。
『今日こうして
大陸全土?――この国だけではなくそんな広い範囲にまで、こんな高度な魔術を展開しているというのか?
ローランドは、何とも言えない背を這いずる様な恐ろしさを感じた。
――それにしてもこの女はこんなにも砕けた話し方をしていただろうか。――いや、無い。
ローランドの記憶にある彼女は、何時だって他人行儀な敬語を使っていた。まるでこれでは別人の様ではないか。
『私ことアンリは、只今をもって旧魔王領を制圧、及びその地に王国【ディストピア】の建国、そして――二代目魔王の就任を此処に宣言いたします』
そう、高らかに化け物は宣言した。
――な、何を言っているんだこいつは。建国?二代目の魔王だと?何を馬鹿な事を……。
アンリの言葉を皮切りに、黙って空を見ていた兵や文官が口々に騒ぎ出す。
当たり前だった。この世界では『魔王』とは最悪と災厄の象徴。それを曲がりなりにも『勇者』が宣言したのだ。騒いだとて無理もない。
『みなさん静粛にー。心配せずとも別に貴方達を殺したりなんかしませんよ。あくまでも【魔王】は便宜上の名称ですから。
あは、びっくりしちゃいました?嫌ですねー、軽いジョークなのに。そんなに大げさに反応しなくてもいいじゃないですか。
あ、でも
――それがたとえ誰であろうとも、私は絶対に許さない』
ひやり、とローランドの背筋に悪寒が走った。
今までずっと道化の様に軽口を叩いていたと言うのに、最後の一言だけが底冷えするような声音で紡がれたからだ。
『と、いう訳で国境には近づかないで下さいねー☆そうしたら私も何もせずに済みますから。偉い人たちもその辺りの対応よろしくお願いしますね?』
アンリはパッと顔を上げると、何事も無かったかの様ににこやかに話を続けた。
『――それでは皆様、ごきげんよう』
アンリは恭しくお辞儀をすると、空の蒼に掻き消えた。報復を考えていないという言葉は、嘘ではないかもしれない。
――だが、それと我々を憎んでいるかどうかは別問題という事なのだろう。
ローランドは深くため息を吐きながら、右手で目を押さえて点を仰いだ。
――見誤っていた。アレは御しやすい小娘ではない。立派な狂犬だ。到底私の手には負えそうもない。
「陛下、先ほどの王妃様の言葉は一体……」
「アレは、もう王妃ではない」
「え、」
「もうアレには関わるな。――死にたくなければな」
アンリの言う通りに旧魔王領に近づきさえしなければ被害を受ける事は無いだろう。
恐らく先ほどの宣告は、興味本位で近づく愚か者を牽制するための物だ。いや、忠告と言ってもいい。
アンリの前では人間など一瞬で消し炭にされるのが関の山だ。態々刺激することも無いだろう。
幸いにもレーヴェンは旧魔王領から離れている。出向く意味もないだろう。暫くは近隣が煩く捲し立てるかもしれないが。
それにしても、とローランドは考える。
「……あんな風に笑えたんだな」
「何かおっしゃられましたか?」
「いや、なんでもない」
今さらあの化け物に対する態度が間違っていたと言うつもりは無い。
無いが、――少しだけ気分が悪かった。
◆ ◆ ◆
その後程なく行われた国家間での対策会議にて、建国を宣言した本人が不在のまま『王国ディストピア』の建国が受理された。
『王国』への対応は、大きく分けて三つ。
【不可侵】【不干渉】そして【監視】だ。
会議に参加した面々は、誰もが『魔王アンリ』には敵わない事を自覚していた。
それでも中にはあの前魔王が君臨していた暗黒時代に戻るくらいならば玉砕覚悟で進撃を、と唱える過激派が居たのだがそれを説得したのは、意外にもかの魔王を妻にしていた召喚国の国王だった。
魔王には争う意思が無い事、戦っても敵わない事、そして何よりこの事態を招いたのは我々の責任であると、何度も説いた。
過激派の面々から、化け物に情でも湧いたのかと揶揄される事も少なくなかった。だがそれでも彼は主張を曲げることは無かった。
彼がその時何を思っていたのかは定かではない。
恐らく、下手に手を出して報復に巻き込まれたら堪らないといった打算もあったろう。
だがそれでも、その中にはほんの少しだけ『平穏に暮らしてほしい』といった想いがあったのではないかと思うのは、希望的観測だろうか?
その事を、魔王は知らない。きっとこれからも知る事は無い。
彼等が分かり合える運命は、既に破綻しているのだから。
――かくして、神聖歴346年
この際、国民総数僅か一名。
この当時の情勢において、まぎれもない弱小国であったこの国が、いかにして繁栄を築いたのか。それを、今から語っていこうと思う。
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