健気な姉の奮闘記。
雲麻(くもま)
健気な姉の奮闘記。
その娘は、生まれた時から蔑まれておりました。
腹の中から出でて直ぐの事。共に生まれ出た妹は、まだ長らく浸った羊水にふやけた姿であれど、未来の美貌を予見させる物と見る者が見れば分かる眩しい程の才能を持っていましたけれど。本の少し先に生まれた姉には、何もありはしませんでした。
この家は、代々お国を陰から守護して来た術師の一門で御座います。能力を持たぬ屑など必要では御座いませんでした。
時代がほんの少し前で、周りの人間が残酷であったなら、姉は生まれた事すら無かった事にされて始末されていた事でしょう。けれどこの世の中、赤子の命を奪うなど重罪で、周りの人間もまぁ少しは良心と云う物を持ち合わせておりましたので、姉は生きる事を許されたので御座いました。
けれどけれど。妹はふんわり柔らかな布に優しく包まれ母の腕に抱かれましたけれど、姉は赤子を包むには適さない手触りの悪い布に包まれて、乳母ですらない女中にぽいと渡されました。
女中は嗚呼なんて面倒な、何故私がこの赤子を育てねばなぬのかと思いましたが、己の腕の中ですやすや眠る赤子を確かに
女中はなんだか可哀想になって、ぎゅぅと赤ん坊を抱きしめました。布がごわごわ肌に痛かったけれど、これ以外は与えられておりません。そんな布に包まれて抱きしめられても、赤子は安心しているかのようにすやすや、すやすや。
嗚呼――なんて健気な。
女中はぽろりと涙を零し、それをそっと拭って、敷地の奥深く――誰も近寄らない離れへと向かいました。そこでひっそり、この赤子を育てる事になっているのです。母屋には近付けるなと云われました。必要な物は与えてやると云われました。
ならばならば、必要な事、全て赤子に教えましょう。
この健気な赤子が大きくなった時、誰にも何にも負けず、強く逞しく生きていけるように、女中が得られる全てを持って、育ててみせましょう。
「強い子にお成りなさい。きっと貴女なら出来ましょう」
まだ赤いしわくちゃの猿のような赤子にそう云うと、何故でしょう、女中には赤子が笑ったように見えたのでした。それが嬉しくて女中も笑い、暗い暗い廊下を音も立てずに歩みます。
その女中の後ろ姿を、当家の嫡男様が見ていらっしゃいましたが、小馬鹿にするように鼻を鳴らしてそれで御仕舞い。嫡男様は取るに足らぬ存在などすぐに忘れて、皆が祝福する愛らしい妹を見る為に母の元へ向かうのでした。
皆に愛される可愛らしい妹は、その美しさを讃えられ椿と名付けられました。花は美しく咲いたまま潔くぽとりと落ちるのです。美しいまま
皆から蔑まれ捨てられた姉は、誰からも求められぬと嗤いを込めて
その柊を育てるように申し付けられた女中は、「良い名で御座いますね」と柊に笑いかけたのでした。
「誰にも触れられぬ、触れたモノに害を成す。――強きおなごになりましょう」
素晴らしい素晴らしいと褒め称えて、女中はまだ薄い柊の髪を梳いたので御座いました。
*** ***
柊は周りが思ったように、大して美しくも無い凡庸な娘でした。どうやら守護者としての能力は僅かばかりあったようですが、一門に全く相応しく無い程弱々しい物でした。端的に云ってしまえば凡骨で御座います。由緒正しい御家に生まれてしまった恥で御座いました。
そんな柊も、御年五歳とお成りで御座います。細かな傷は負えど大怪我をする事はなく、大病にかかる事も無く、母屋の者から忌々しく思われるほど健やかに育っておりました。
真っ直ぐな黒髪は短く整えられ、黒い目は少し細くて切れ長です。決して醜くなど御座いませんでしたが、妹姫が余りにもお美しい為に
蔑まれる者が反発しても、軋轢しか生まず、さらに厭な思いをするだけです。そう云う意味では、周りの大人に合わせられるほど柊は賢い子なので御座いました。
着物は女中達が着る物より粗末な布で出来ておりましたが、柊は気にしません。醜い自分にはぴったりだと思っておりました。現に遠目にお見かけする妹姫の振り袖姿の美しい事。あの美しい振り袖は柊が着た所で全く似合いもしないでしょう。なるほどなるほど、人には向き不向きがあるのだと賢い柊は直ぐに学んだので御座います。
「お女中どの、姫様は本当にお美しゅうございます。天使のようです」
「柊様。天使などと異教の者に例えてはなりませぬ。妹姫様は天上の女神さまのようにお美しいのです。間違えてはなりません」
「はい、お女中どの」
素直に頷き理解する柊に、女中はこっそり微笑みかけました。周りに見えぬよう、こっそりです。
この女中が皆に厭われる柊に情を注いでいるとわかっては、女中の立場が悪くなります。そうすれば自動的に、柊の立場は益々悪くなってしまうのです。
「厄介事を押し付けられた可哀想な女中」と云う立場を維持しておけば、お給金も弾まれますし、周りも同情してくれます。柊にこっそりこっそり良い物をあげられるのですから、この立場は手放せないので御座います。
「柊様。貴方様は妹姫様の美しさを引き立てる為に、生きる事を許されたのです。
「はい、お女中どの。わたくしは姫様をお守りするため、生かされた御恩に報いるため、かならずや役立つにんげんになります」
「お分かりいただけて何よりでございます、柊様」
女中は人目がある時には柊に冷たい物云いをしましたが、そうでない時には「柊様、柊様、なんとお可愛らしい。あたくしの宝物で御座います」と優しく抱きしめて囁きました。忌み嫌われる柊が住まう離れへ、好き好んで来る者はおりませんでしたから、周りから隔絶された離れの中では、女中は優しく慈悲深く柊を心から愛せたのでした。
柊は何故自分のような醜女をそうして愛してくれるのか不思議に思いましたが、その疑問も直ぐに解消されました。
「お女中どの、わたくしはかわいくなどありません」
「えぇそうです。世の中のほとんどの方にとって、柊様は可愛くなど御座いません。しかしあたくしにとっては、誰よりも可愛らしく愛おしい方なのです」
「お女中どのだけですか」
家の中ではこの女中以外、誰も柊を抱きしめてくれません。可愛いとも愛しいとも云ってくれません。
両親だと云う旦那様と奥様は柊を居ない者と扱いますし、実兄だと云う若君は柊を見ると露骨に厭そうな顔をして「醜女が僕の前に姿を見せるな」と蔑みます。妹姫の事は遠目に見るばかりで、お声を聞いた事もありません。ついこの前弟に当たる方が生まれたと聞きましたが、当然会わせて貰った事など御座いません。周りの大人達も柊を見ると厭な顔をしたり、クスクスと居心地の悪い嗤い方をするのです。
だからなるほど、と頷く柊に、女中は首を横に振りました。
「いいえ、きっとどこかに、あたくし以外にも、柊様を可愛い愛しいと仰る方がいらっしゃいますよ」
「そうなのですか?」
「えぇ。ですがその方は、まだ柊様の御前にいらしゃりません。柊様が大きくお成りになって、お外の世界へ出た時に、いつか出会う日が来るので御座います」
「そうなのですか!」
青天の霹靂とはこの事で御座いましょう。柊はこんな醜く愚図で愚鈍な自分を愛してくれるのは、この優しい女中だけだと理解していました。なのにその女中は、いつか己以外にも柊を愛する存在が現れると云ってくれたのです。
女中は柊に嘘をつきません。女中は何時だって正しく柊を導いてくれます。ならば本当の事なのでしょう。
柊は胸がドキドキして、頬が赤くなりました。女中以外にも自分を好いてくれる人がいるだなんて、とってもロマンチックです。この前女中が読んでくれた異国のお姫様が出てくる絵本を思い出してしまいましたが、自分は姫ではないので違いますねと考え直しました。
でも、姫でなくても愛して貰えると云うならば、それは素晴らしく幸せな事でしょう。柊はそのいつかが楽しみになって、にこにこと笑いました。
「お女中どの、楽しみですね」
「はい、柊様。あたくしも楽しみで御座います。だから柊様、もっと頑張りましょうね」
「もっとですか?」
「はい、もっとです。妹姫様の為だけでなく、貴方様を愛して下さる方の為にも己を磨かなくてはなりませんから」
「なるほど。お女中どののおっしゃる通りです。わたくしはもっとつよく、かしこくならなくてはいけませんね。姫様とその方に、恥をかかせぬためにも」
「はい、柊様。そのお心意気、素晴らしゅうございます」
女中が嬉しそうに笑うので、柊もますます嬉しくなって笑いました。
次の日から、課せられる修業も勉学もより厳しい物となりましたが、柊は人より時間はかかれども、着実にこなして行きました。それを見かけた者達は「やはり出来損い」「あの程度の事にあんなに時間をかけて」と蔑みましたが、女中だけは頑張る柊を励まして褒めてくれました。それが嬉しくて柊は頑張りました。それでも辛い時には、妹姫の美しい御姿と未だ見ぬ自分を愛して下さる方を想い乗り越えて行ったのでした。
そうして気付けば、柊は決して出来損いでも愚図でもなくなっていたのですが――その事に気付けたものは、女中以外誰もいませんでした。
柊は確かに、この一門の中では出来損いで御座います。能力も下の下の下。普通の人間より僅かにマシ程度の才能でありました。
けれどたった一つ、柊には素晴らしい才能があったのです。
それは不屈の心、諦めぬ胆力で御座います。努力をし続ける気力で御座います。
「継続は力なり」とはまさに柊の事。妹姫が床へ下ろさぬ程大事にされている間、柊はずっと修業に明け暮れて、飽きる事無く繰り返し繰り返し鍛錬を重ねたものですから――
女中が気付いた時には、才能に頼った怠け者や、己の力を過信する愚か者など足元にも及ばぬほど、その力は強くなっていたので御座いました。
世の中、努力をすると云う事すら出来ぬ者のなんと多い事で御座いましょう。本気で事を成し遂げ続ける行為は、とても難しいものなので御座います。
それは女中もよくよく承知しておりました。故に女中は、柊を
「貴女のような方は、世に二人とおりません。流石は柊様で御座います。柊様はあたくしの誇りです」
「ありがとうございます、お女中どの」
柊は。
相変わらず自分は愚図で愚かな出来損いだと思っておりました。自分はどうしようもない屑石だと思っておりました。そんな自分に優しい言葉をかけてくれる女中は、まさに天女のように慈愛に溢れた素晴らしい人だと思っておりました。その女中の愛と期待に答えたくて、柊はさらに頑張るのでございました。
もうすでに、一門の中で柊と互角に渡り合えるのは、本家のご当主であらせられる旦那様くらいになっていたと云うのに。
*** ***
普通であれば音を上げ、弱音を吐き、周囲を憎み、己の不遇を呪う人生で御座いましたが、柊は相変わらず自分の身の上に何ら不満を抱くことなく日々を懸命に生きて、御年十五歳となりました。
幼さ故の丸い輪郭が、女としての丸い輪郭へと変化している途中で御座います。黒い髪は相変わらず短く整えられ、同じく相変わらずの切れ長の瞳は後数年もすれば色気と云う物も出てくるかも知れない雰囲気になって参りました。それでも美しい妹姫に比べれば平平凡凡な顔立ちですので、やはり相変わらず家の者達には醜女と罵られておりました。
そんな柊に、青天の霹靂が訪れました。次の年には高等学校へ通う事になっております。その高校はなんと驚いた事に、妹姫と同じところなので御座いました。
義務教育と云う物がありますので、柊も小学校と中学校には通わせていただいておりました。ですがそこは妹姫の通う私立とは違う、公立の学校で御座いました。それでも、勉学を許されただけ柊は有難く思っておりました。学校には友達もいます。なんと幸せな事でしょう。それで充分だったと云うのに、何故か旦那様は高校は妹姫と同じ所へ通えと仰ったので御座いました。
使用人から旦那様から呼ばれている事と、その内容が妹姫と同じ所へ通えと云う御命令だと云う事に驚く柊で御座います。お呼び出し頂いたのは初めての事でした。柊は慌てましたが、女中が「しっかりなさいまし。あたくしが教えた事を覚えていらっしゃれば、何も問題御座いません。旦那様の手を煩わせてはいけませんよ」と元気づけてくれたので、すぐに腹を括りました。
しずしずと廊下の隅を歩き、使用人達に邪魔そうに見られる前にすぐ様道を譲り、息を潜め、静かに静かに旦那様の元へと向かいました。
母屋に入ったのも、初めての事で御座います。緊張で呼吸が乱れそうになるのを、柊は必死に耐えました。大丈夫大丈夫と、己に云い聞かせます。女中の教えさえ守れば、旦那様の御気分を害する事など無いでしょう。女中はいつだって正しいのです。
そうして廊下を歩いていると、前から若君が歩いていらっしゃいました。周りの使用人がさっと
その姿に、若君はギョッと驚いたので御座いますが、柊には勿論わかりません。若君が柊の側で歩みを止めます。何か粗相をしてしまったのでしょうか。柊は背中に冷や汗をかいてしまいました。
「……ここで何をしている?」
「はい。旦那様より鶴の間へ来るようにと申し付けられました。只今参じる所で御座います」
「……そうか。ならば早く行くといい。お父様を待たせるな」
「はい、有難うございます」
お優しい若君は、醜く下賤な柊に立ち上がる許可と御前を歩いてもよいと云う許可を与えて下さいました。なんと慈悲深い若君なのでございましょう。柊は涙ぐみながら立ち上がり、深々と頭を下げて「失礼致します」と申し上げて鶴の間へ向かいました。
歩き去る柊の後ろ姿を、若君が困惑したように見ている事には気付きませんでした。
鶴の間の前へ辿りつくと、柊は静かに深呼吸を三度繰り返しました。姿勢を正し、ほとほとと静かに襖を叩きました。
「誰だ」
「柊で御座います。お呼び出しにより、馳せ参じました」
「入れ」
初めて聞く旦那様のお声は、低く太く、逞しゅうございました。柊は静かに襖を開き、そっと身を滑り込ませ、すぐさま畳へ額を押しつけました。旦那様にこの醜い顔をさらさぬように、そして下賤な自分が旦那様のご尊顔を拝見する事がないように、と。
その姿に若君と同じく、旦那様は驚きましたが、当然柊はわかりません。
旦那様は己の動揺を誤魔化すように咳払いをすると、柊の名を呼びました。
「柊よ。話は聞いておるな? お前は来年、椿と同じ学校へと通わせる。何故だかわかるか?」
「いいえ。愚かなわたくしに、旦那様の崇高なお考えは推し量れませぬ。申し訳御座いません」
「……まぁ良かろう。ならば一から説明してやる」
「はっ。ありがとうございます」
旦那様が仰るには、妹姫であらせられる椿様は年を重ねる度に益々お美しくなり、周りの男達が放っておかなくなったとの事。それは当然で御座いましょう。妹姫は天上の美貌を持ち、慈悲深く慈愛に満ちた素晴らしい方なのです。どんな男性であれ、妹姫に好意を抱かぬ方などいません。それは愚かな柊にもわかるお話でした。
「故に、椿を群がる愚かな男達から守るため、お前を同じ学び舎へ通わすのだ。椿が通うのは、我らのような特別な血筋と力を持つ者達が集まる玉蘭学園。お前は椿と比べる事すら度し難い愚図だが、椿を守る盾くらいにはなろう。しかと椿を守るのだ。だが、周りの尊い方々へ無礼を働く事は許さん」
傍から聞けば、「無茶ブリ」と云う物でした。
椿様を守れと云うのに、周りの者へ無礼を働くな、とは。なんともまぁ無理難題で御座いましたが、柊はそんな事は考えません。
ただただ柊の胸は、喜びに満ちておりました。
(旦那様が、わたくしに姫様を守る力があると仰って下さっている……!)
柊は感動に打ち震えておりました。そうです、柊はその為に今まで努力を続けてきたのです。自分を愛しんでくれる女中のため、妹姫のため、生かして下さった旦那様方のため、お家のため。そして将来出会うであろう自分を愛して下さる方の為、柊は厳しい教育を乗り越えてきたのです。
辛いと思う事もありました。苦しいと思う事もありました。それでも頑張ってこれたのは、いつか必ずお役に立つのだと云う強い決意故でした。
それが今、報われたのです。感動するなと云う方が無理なお話でした。
「そのような重要な役目をわたくしに与えて下さり、感謝の念に耐えません!」
「うん?」
「必ずや、必ずや姫様を守り通して御覧に入れます! 旦那様のご期待に添えるよう、命を賭して働く所存に御座います!」
「あ、うん、そうか?」
旦那様の想像と全然違う事を柊は申し上げていたのでした。
旦那様はてっきり、柊が屈辱に震えているのだろうと思っていました。散々存在を無視して、妹ばかり可愛がった父親がようやく声をかけて来たかと思えば、妹を守れと命じて来たのです。そんな父親、旦那様が柊の立場だったら憎みます。嫌います。呪います。この糞野郎と心の中で呪詛を吐いて、もしかしたら口にすらしたかも知れません。「こんな家、やってられっか!」と云う感じで。それだけの仕打ちをして来た自覚が、旦那様にはあったのです。客観的に見て酷い父親です。実の娘を甚振り追い詰め、しまいには可愛い方の娘の為に肉の盾にしようとしているのですから。
しかし当の柊は、心の底から感謝しているようにしか見えません。実際に、柊は心の底から、誠心誠意喜び感謝しているのです。
旦那様は驚いて、普段の威厳が保てていないのですが、心の中で狂喜乱舞してる柊は勿論気付きませんしわかりません。
(あのお美しい姫様のお側に侍る事を許されるなんて! 私はなんて幸せ者なんだ!)
若干口調にも変化が起こりました。それくらい、柊にとっては幸福な出来事なのでした。
離れに戻り、この事を女中に報告すると、彼女も飛び跳ねん勢いで大喜びしました。二人手を取り合って喜びを分かち合い、抱きしめあって涙しました。
「柊様、柊様。ついに柊様の努力が実を結んだので御座います。旦那様の期待を裏切る様な事があっては成りませぬよ。誠心誠意お勤めを果たして下さいまし!」
「はい、お女中殿! 私は必ずや勤めを果たし、御恩に報いて見せます!」
「それでこそ柊様です! 嗚呼、今日はなんと善き日で御座いましょう! 久々に甘いお菓子を食べましょうね。あたくしのとっておきですよ」
「はい、お女中殿!」
きゃっきゃと童女のように喜ぶ二人を、若君が遠目に御覧になっておりましたが、二人は気付きませんでした。修業の成果で敵意や殺意には敏感でしたが、それ以外の視線に柊達はとんと無頓着なので御座います。それにそれに、こんな寂れた隅っこの離れをわざわざ見に来る方もいませんから、気付く方がおかしいのです。
なので若君は、遠くからその善く見える目を術でさらに善くし、じっと離れの様子を見る事が出来たので御座います。
「……どうなってるんだ?」
若君は呟きましたが、その疑問に答えてくれる者はおりません。
想定外で御座いました。屋敷の者は誰一人――正確に云えば、母屋で過ごす者は誰一人、想像すらしておりませんでした。
双子として生まれた姉妹。片や優美な御屋敷で蝶よ花よと育てられた美しき妹。片や粗末な離れにて、過酷な教育を受けて育つ平凡な姉。
普通に考えれば、恵まれた妹に対し姉が憎悪を滾らせるシチュエーションに御座います。母屋の者達はそう思っていました。醜い姉の柊は、美しい妹の椿に嫉妬していると。憎んで呪って嫌悪して、惨めな生き方をしているのだと、そう思っていたのです。
ところがどうした事でしょう。柊は妹どころか誰の事も憎みも呪いも嫌悪もせず、清く正しく生きているではありませんか。理不尽な要求に対し、感謝感激大喜びすらしているのです。
あの女中とて、面倒事を押し付けられて厭々やっているのだろうと、思っていたのです。現に屋敷の者の前では、女中は柊に冷たい事ばかり云っていました。柊は「はい、お女中どの」と素直に頷き口応えなど一切してませんでした。主従が完全に逆転しているように見えました。鬱屈した関係だと、そうとしか考えていなかったのに。
柊がもふもふと大きなおまんじゅうを嬉しそうに頬張っています。
その姿を、女中はうっとり幸せそうに見つめています。
何もかもが勘違いだったと気付くには――まぁ色々と、遅かったので御座いました。
健気な姉の奮闘記。 雲麻(くもま) @kumoasa_4410
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