第148話 その十
紅蓮の洞第三階層。それも後もう少しで終わると言うところ。
コアとアテンのダンジョン探索は、極めて順調に進みすぎてしまっていた。
(……ただの強歩だコレー!? ダンジョン要素どこいっちゃったの!?)
内心で絶叫し、その驚きぶりを表現するコアだがそれも仕方のないこと。これまでの道程を振り返ると、今回のダンジョン探索はあまりにも味気なさすぎた。
まず、モンスターが出てこない。
アテンが正しすぎる道を進むがために、他の冒険者たちも頻繁に往来する都合上、道中でモンスターと遭遇する確率がそもそも低いのだ。
そしてそれは罠にも言える。時間をおけば復活するのかもしれないが、今は積極的にこのダンジョンに潜っている冒険者が多いらしく、一度もそれらしいものを発見できていなかった。
モンスター無し。罠無し。
ここがダンジョンだと認識していなければ、ただの洞窟を進んでいるだけだと錯覚してしまっただろう。途中でコアが「各階層のモンスターを見たい」と言うリクエストを出さなかったら、それすら叶わなかったはずだ。
その際もアテンが何かしていたのか、モンスターたちは一定距離から近づいて来ようとせず、その様子は安全なところからモンスターを眺めるさながら動物園を思い出させた。
程良いスリルになる低リスクと、少し道を外れればトレジャーにも期待できるというリターン。まるでレジャー施設だ。
もし他のダンジョンもこのような感じならば、この世界の人間たちがダンジョンに対して舐めた態度をとるようになるのも何となく分かるような気がしてしまった。
(まぁ、それはそれ、これはこれ。決して許されることじゃないし、いずれその愚劣さの対価は必ず支払わせてやるけどな。……でも、あれだな。このダンジョンに潜っている冒険者たちからはダンジョンを侮ってる感じがしない。好ましいとすら言えるかも……)
自分に与えられた使命を再認識すると同時にそんなことを思うコア。これまで何度も冒険者パーティーとすれ違ってきたが、そのどれもが決して楽な探索を行っていないのが一目で分かるものばかりだった。
アテンと会ったことで顔は笑っていたが、ポーション代をケチっているのか生傷が絶えなかったし、身に付けている装備品にも汚れが目立つ有様だ。
何階層まで行って何を倒した、宝箱を見つけて新しい武器を獲得できたと興奮気味に力強く報告してくる彼らは、それらの成果を得るに相応しいだけの対価を賭けている。
たとえ実力がどうであれ、ダンジョンに対して正しいスタンスで臨んでいる者たちはちゃんと評価するコアだった。
そうこうしているうちに第四階層への下り階段を見つける。一層一層がかなり大きい紅蓮の祠も、気づけば半分が終わろうとしていた。
全七階層から成るダンジョンなのに第三階層が終わった時点で半分だと言っているのは、ダンジョンボスがいる第七階層に関してはそれまでの階層に比べると驚くほどに小さく、ボス部屋しかないらしいのでほぼノーカウントのようなものだからだ。
その事もあり、記念すべきコアの初探索がこんなにも何も無いまま過ぎてしまうことに、悲しさを禁じ得なかった。
護衛にアテンがついている時点で問題なんか起きるはずがないが、それでももうちょっと何かあったっていいんじゃないかと思う。そう考えるコアの脳裏には、一人の元人間の姿が思い浮かんでいた。
(ドリックでもいれば色々ダンジョンの話で盛り上がったのかもなぁ。研究機関のトップだったって言うし、面白い話とか聞けたかもしれないな)
それは、人間側からダンジョン側へと寝返り、更にはコアの『堕落』によって種族すら変わってしまったドリックのことだった。
『執行者』という謎の種族に生まれ変わったあの男さえいれば、道中退屈に思うこともなかったのかもしれない。しかしそれはできない相談だ。
如何せん、ドリックは有名人すぎた。しかも一般認識では既に故人扱いだと言う。そんなドリックを連れ回してしまえば問題が起きることは火を見るよりも明らかだ。
それに何より、コアがその選択肢を省いた最も大きな理由は別にあった。その事を思い出し、コアの表情が渋いものに変わる。
(キモかったんだよなぁ、単純に。いや、こんなことを思っちゃいけないんだろうけど、でもあれはなぁ……)
それは至極個人的な感情によるもの。その発端はコアが『憑依』でレインに乗り移った時まで遡る。
久しぶりに人の身体を得たことで、それを動かす感覚や、前世とは違いハイスペックな性能を誇るレインの肉体を楽しんでいたコア。
身体は軽く、ツヤがあり、若いっていいなぁと、衰えを感じていた以前の身体と比べては年寄り臭い感慨に耽る。
更には前世で感じることなどなかった身体全体に滾るような魔力の感覚とスキルの数々。ダンジョンコアの時もあった感覚ではあるが、やはり異世界転生の王道である人の肉体で感じる魔力と言うのは少し気分が違うものだ。
よりダンジョンに詳しくなりたいと、ゲームだけではなくその手の小説も嗜んでいたコアには架空のものが現実になる昂揚感を覚えていた。
『憑依』のことやレインの能力について検証しているうちに、いつの間にか主だった配下が第三階層の聖域まで集まっていた。呆然と自分を見つめてくる配下たちが面白くて、ついつい手をグーパーしながら「ふむ、悪くない……」などと強者風に振る舞っていると、その言葉が発端となったのか涙腺崩壊する者が現れたのだ。
言わずもがな、ドリックである。
若返ったとは言え、元はいい年したおっさんが小さく前ならえの手の位置に行き場のない手を彷徨わせて「おぉぉ、おぉぉ……!」と言いながら、ヨタヨタと歩み寄ってくるのはホラー以外の何物でもない。
その時は周囲の者たちに取り押さえられて事なきを得たが、しばらくの間ドリックには近づかない方がいいだろうなと結論付けたコアなのであった。
そんなこんなで回想しながら降り立った第四階層。
ガラリと変わった景色に、コアは感動の吐息を漏らした。
「おぉぉ……」
植物と蟻の巣が掛け合わさったような階層。壁の所々から零れる光が神秘的に辺りを照らし、嗅覚に意識を集中すれば花の香りが漂ってくる。
(これだよ、これこれ!! 電球の代わりになる花とか、壁全体が植物になってるとか、まさしくファンタジーだ! 現実世界では有り得ないような光景を見せてくれるところも堪らないんだよなぁ)
別にダンジョンでなくてもこの世界ならば遠い距離を移動すればどこかに同じような景色もあるのだろう。しかし、ダンジョンならば階層を移動するだけで様々な景色を見られるのだ。
それは世界の詰め合わせ。欲張りパックみたいなものだ。
やはりダンジョンこそが世界で一番素晴らしいものなのだと実感する。そんなダンジョンを飽きずに見ていると、アテンが話しかけてきた。
「……レイン様、申し訳ございません。メイハマーレがそろそろ良いかとお伺いを立ててきているのですが、どう致しますか?」
「あ、あぁ、そうだな。ここまで順調に来たとは言え、随分待たせてしまったか」
正直、メイハマーレのことはほぼ忘れかけていたのだが、帰還を命じてからおそらく二日ほどは経っている。その間、ずっと合流するのを待っていたとしたらかなり時間の経過が遅く感じたことだろう。
なのでコアは許可を出すことにした。
「まだちらほらと冒険者たちがいるようだが、この階層は少し上に移動すれば極端に探索する者が減るのだったか。それならば大丈夫だろう。いいぞ」
「ハッ、ありがとうございま……」
「ありがとうございます、御方。ささ、上に移動するゲートでございます。どうぞお使いください」
「…………うむ」
待ちきれずにアテンの言葉をぶった切って現れたメイハマーレと、そんなメイハマーレを睨みつけているアテンを見て苦笑するしかないコア。こうして、再び三人での移動が始まるのだった。
第四階層での探索を開始してしばらく、レインとしての記憶が徐々に甦ってくる。どうやらこの階層でも大きな戦いがあったらしく、それが強く印象に残っていたようだ。
このダンジョンの第四階層といえば、コアもアテンから無茶苦茶な相談をされたことからも強く印象に残っている。レインの記憶を手に入れた今、その大きな戦い――スタンピードがアテンの狙いだったことは予想がつく。
当時の計画を読み解くことによって、それが現在にどう繋がっているのか。アテンやメイハマーレが何を考えているのかを知れるヒントになるかもしれないと、コアは果敢にも、しかしそれとなく聞き出してみることにした。
「この階層を歩いていると、以前相談された時のことを思い出すな。それほど前のことではないのに、もうずっと昔のことのように思える。お前は私の期待に応えてよくやってくれた。今更だが見事だったぞ、アテンよ」
「とんでもないことでございます。私はあの時、レイン様のご助言に従ったに過ぎないのです。しかも、あの時のお言葉がなければ今の私はありませんでした。後ろを振り返れば、全てが一本の道に繋がっているのがよく分かります。『冒険者を使え』と言う短い言葉にあれほどの意味が込められていたとは、何度思い返しても感服するばかりです。レイン様、私たちをいつも導きの光で照らしてくださり、ありがとうございます!」
まずは褒めようと思ったのに、逆におだててくるアテン。そこにメイハマーレも追撃する。
「あのお導きがなければ、アタシたちは所詮魔人止まりだったでしょう。常識に風穴を開け、アタシたちに新なる可能性を示してくださった御方には感謝してもしきれません! この御恩には御身に相応しい存在になることによって必ずお返しいたします。ご期待なさっていてください!」
「うむ。その意気や良し!」
(くっ、良しじゃねーよ。感謝の防波堤を突破できねぇ! なかなかやるな、アテン、メイハマーレ!)
やはりこの二人を相手に一筋縄ではいかないようだ。しかしそれでもコアはめげずに、どこかに穴がないか探り続ける。
「お前たちも日々努力しているのだな。俺はそれを嬉しく思うよ。これはアテン限定の話になってはしまうが、このレインの記憶を探ることによって、アテンのこれまでの頑張りが断片的にではあるが映像で見られるのだ。それがまた誇らしく、面白いな」
「そのようなことまで可能なのですか。稚拙な行動ばかりで少々恥ずかしいのですが」
「そんなことはないさ。レインの記憶には、アントビーロイヤルガードと戦っている時に上から岩壁の山が落ちてきて、そこをすんでのところで助け出してくれたお前の印象が強く残っているようだぞ?」
何を隠そう、レインがここまでアテンに心酔するようになったのはこの出来事の影響だろう。レインの記憶には、アテンがレインの頭を岩壁から守ろうと、手を伸ばしてくる姿が焼きついていた。
しかし、時に現実とは残酷なものだ。当時の真相が本人の口から無慈悲に語られる。
「あぁ、あの時ですね。状況が丁度良い塩梅になるまで埋まっておくことにしたのですが、奴らの意識があるままだと邪魔になるので庇うように見せかけて首に手刀を落とし、気絶させたのです。その後の様子から問題ないことは分かっておりましたが、レイン様の口から聞けて改めて安心いたしました」
(わお……。これはさすがに不憫)
アテンこそが自分の英雄だと、キラッキラの憧憬を抱いていたレイン。その想いの丈が理解できるからこそ、コアには理想と現実の隔絶したギャップがよく分かった。
これぞ知らない方が良かった真実と言うやつだろう。
微かにでも自我があるのかどうかは知らないが、心のどこかにまだいるはずのレインが愕然としている気がした。
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