第147話 その九

 想定外の連続で作られていたかのような嵐の夜が明ける。


 小鳥たちのさえずりが聞こえ始める清々しい朝の早い時間帯。コアは一人、幌の中で身体を起こした。


「……久しぶりに寝たなぁ」


 寝起きの心地よい気だるさを感じながら独り言を呟く。この世界に来てから初めてとった睡眠だ。ダンジョンコアになってからは休息をする必要が無かったので、この感覚は本当に久々だった。


(それにしても、昨日はびっくりしたな……)


 まだ回転の遅い頭で昨夜のことを思い返す。


 話の成り行きで、相手側の社長に謝罪することになってしまった。まだ人間として働いていた時は誰かに頭を下げる機会もあったが、経済的自由を得て一人になってからはそんな事とは無縁だ。


 あの嫌な雰囲気をまた味わうと思うだけで気が重くなると言うのに、今回は相手の従業員を殺害してしまったことに関する謝罪。もはや気まずいなんてものじゃなかった。


(でも、メイハマーレたちがいきなりあそこまで思い切ったことをするってことは、俺が知らなかっただけで前々から面識はあったんだろうな。そしてあまり好ましい関係ではなかったはずだ)


 昨夜の行動の過激さに鑑みると、おそらくかなり邪魔に思っていたに違いない。


 百五十年の歴史がある老舗と言うことで、強引にしつこくアテンを自陣に取り込もうとしていたのではないだろうか。そういった背景があるかもしれないことを考えれば安易にこちらが全面的に悪かったと言うことはできない。


 そんなことを言ってしまえば相手を付け上がらせてしまうし、アテンやメイハマーレに迷惑をかける結果になってしまう。コアは難しい塩梅を求められていた。


(元々よく分からない話だった上に、ひたすら態度を取り繕って紅茶を飲んでるのが精一杯で上の空だったのがイタイな。圧倒的情報不足だ)


 あの時はすぐそばにアテンが控えていたので他に気を配る余裕が無かったと言うやんごとなき事情があった。コアはコアなりに、自分にできることを頑張っていたのだ。


(それでも知れたことはある。話を聞くに、多分向こうもモンスター……だったんだよな? それならもしかすると、今後は良い協力関係を築いていけるかもしれないし、ここは一つ、頑張ってみますか……!)


 人間の世界に紛れて活動していると言う点ではお互い手を取り合えることもあるかもしれない。超絶面倒なことになってはしまったが、賽が投げられたなら後はやるだけだ。


 今日からダンジョンに入れる予定だと言うこともあり、コアは高まる気分によってマイナスな感情を振り切る。ダンジョンを全力で楽しむため、コアは出発の準備に取り掛かった。




 そこからはとりわけ問題も起きず、無事に辿り着いた紅蓮の洞麓の町。


 そこは、ヘルカンの街とはまた違った活気に溢れていた。


「ほぅ……。かなり賑わっているようだ」


 町の規模自体はヘルカンの街とは比べるべくもないが、ここにいるのはほぼ全てがダンジョンに関係する者たちということもあり、町全体の雰囲気が違う。


 その表情は総じて明るい、と言うよりはキリッとしていた。浮かべる笑顔が野生味を帯びているというか、生命の力強さを感じさせる。


 一言で言えば熱気、だろうか。この場にいるだけでつられて気分が高まってくるような、そんな町だった。


「ふむ。特に冒険者たちはやる気に満ちた顔をしているな。上昇志向が感じられる」


「はい。その成長は亀の如くですが、順調に育っております。もうしばらく時間はかかりますが、成長限界に達した者から随時レイン様のダンジョンへと送る予定です」


「……そうか、質の良い冒険者なら大歓迎だ。良い仕事をしているようだな。引き続き期待しているぞ、アテンよ」


「ハッ! ありがとうございます!」


 初めて聞いた情報に軽く答えながら周囲を見渡す。


 実はコアのダンジョンでの一大決戦が終わってからと言うものの、冒険者たちの士気は上昇の一途をたどっていた。


 『約束の旗』を始めとした将来有望な実力者たちの死亡を目の当たりにしたことで現実を直視し、ヘルカンの街を去っていった者たちも確かにいたのだが、それはごく少数に限る。


 大半は既に覚悟を決めていた者たちであり、彼らが胸の内に抱いていたのは『次こそは自分が戦う』と言う強い想いであった。


 何の役にも立てなかったのが悔しい。自分も街を守るためにできることがしたい。英雄たちと肩を並べて戦いたい。


 それぞれ多少の違いはあれど、現在ヘルカンの街、そしてこの町に残っている冒険者たちというのは、軸のしっかりした志の高い、気持ちの面では一流の冒険者たちだった。


 馬車を門で預けてダンジョンまでの道を行く。メイハマーレは姿を現すわけにはいかないので少しの間だけお別れだ。コアはアテンと二人で町を進む。


「アテン様だ」


「アテン様!?」


「こっちに来るなんて珍しいな……」


「おぉ……いつ見ても凛々しい姿だ。ありがたやぁ、ありがたや」


 アテンの姿を見た途端に騒ぎ出す住人たち。どうやらこちらでもアテン人気は変わりないらしい。


 アテンが来ていると言う噂は瞬く間に伝播し周囲に人々が集まってくるが、不思議と通行の邪魔になる事はなかった。その辺の統率はしっかりとれているようだ。アテンは相変わらずそれらの声をガン無視して進む。


 やがてダンジョンに入場待ちの行列が見えてきたが、それさえもアテンが来たと分かるや否や、海が割れるように冒険者たちが左右に分かれていく。人垣で出来た道の奥に、ダンジョンの入り口となっている巨木の洞がよく見えた。


 心待ちにしていたそのファンタジーな光景に、コアは内心でテンションが爆上がりするのを感じる。しかしそれを表に出したりはしない。


 周囲からのアテンに対するクールな人物像に悪影響を齎すかもしれないからだ。コアは鋼の意思で自分を律し、身体が勝手に踊り出そうとするのを何とか押し止めた。


 それでも口の端がヒクヒクするぐらいは、仕方のないことだと言えるだろう。


「こっちに来るのは久しぶりだな。スタンピードの時以来か? まさかオリハルコンになって戻ってくるとは思わなかったぞ」


「全ては必然に過ぎん。それと、今日は調査に来ただけだ。これが終わればまたしばらく来る予定は無い」


「はは、そうか。それは残念だな。まあ、しっかり頼むよ」


 アテンが警備兵のような者と親しげに会話を交わす。必要がある者とはちゃんと話していることが分かり、コアは少し安心した。


 このダンジョンに何度も潜っているレインのこともちゃんと把握していた警備兵によってコアも問題なく通され、ついに待ちに待った瞬間を迎える。


 ダンジョン、入場の時だ。


 ぽっかりと空いた木の穴の中に足を踏み入れていく。特に身体に違和感などは感じない。順調にダンジョンの中に入っていく。


 期待に胸が躍る。まずは洞窟の階層だと言うことは分かっている。それが第三階層まで続くと言うことも承知の上だ。それでもワクワクが止まらない。


 身体全体が木の中に入り込むと、一旦視界が全てブラックアウトした。これはコアのダンジョンには無かった現象だ。おそらくは外から見た時の様子と内部の造りに違いがありすぎるが故の仕様ではないだろうか。


 しかしそれもすぐに終わると、そこには夢にまで見た光景が広がって――。


「お待ちしておりました、御方。道案内はこのメイハマーレにお任せください!」


「……………………」


「階層全ての最短ルートは既に把握しております。快適で効率の良い進行をお約束いたします! ……ですが、申し訳ございません。少々お待ち下さい」


「……………………」


 何よりも先にコアの目に飛び込んできたメイハマーレはそれだけ言うと姿を消す。すると、時間を置かずにダンジョンの奥からゴールドのプレートをつけた冒険者たちがやってきた。


「おぅ、これからか。まぁ死なない程度に頑張ってこいよ、って、ア、アテンさん!? す、す、す、すいません! 生意気なこと言っちまって!!」


「ど、どうしてこっちに!? も、もしかして、俺たちの激励に来てくれたんすか!?」


「アテンさんが姿を見せてくれれば他の奴らもやる気が上がるってもんです!! ありがとうございます!!」


 冒険者たちはアテンがいることに驚いた後、一様に感動した面持ちで話しかけてくる。それをアテンが適当にあしらっていると、彼らはすぐにダンジョンから出て行った。


 身に付けていた装備品にできたばかりだと思われる傷が目立っていたし、疲れていたのだろう。こちらの邪魔をしてはいけないと言う配慮もあったに違いない。


 冒険者たちの姿が見えなくなると、再びメイハマーレが現れた。


「失礼致しました、御方。魔力を抑えることができるようになっても、存在自体を消せるわけではないものでして。しかし、こうして移動していれば何の問題もございません。それでは早速ですが、ご案内を始めさせて……チィッ」


 何やら悪態をつくと、またもや姿を消すメイハマーレ。そのすぐ後、今度は入り口側から冒険者たちが現れた。


 まだこんなところにいたとは思っていなかったのだろう、すごく驚いた顔をされた。若干、不審なものを見るような目をしながら、冒険者たちは奥に進んでいった。


「それでは、参りま……」


「メイハマーレよ」


 コアは、また現れては何事も無かったかのように進もうとするメイハマーレの言葉を強引に遮る。そして、笑顔で通達した。


「冒険者たちの数が多い、浅い階層ではダンジョンに戻っていなさい」


「えっ…………」


 メイハマーレが、捨てられることを悟った段ボールの中に入れられた子犬のような顔をする。それでもコアは断固として言い切った。


「戻っていなさい」


「し、しかし……そうです! ゴブリンスト、ゴブリントリックスターがいれば一々ダンジョンに戻ることもありません! 今すぐ連れて参りますので、少々お待ちを!」


「……我儘を言ってレイン様にご迷惑をお掛けするな。レイン様の仰る通り、ダンジョンに戻って少しでも腕を磨いておけ。あの女に後れをとっても知らんぞ」


「ぐぐぐ……!!」


 何とかここに留まろうとするメイハマーレをアテンが戻るように促す。血涙が出そうなほど悔しそうな顔をするメイハマーレに、コアは仕方なく妥協案を出した。


「……それほど時間をかけずに進むようにする。それまでの辛抱だ」


「……畏まりました」


 再度コアに言われて観念したのか、しょぼくれた様子で一礼してダンジョンに戻っていったメイハマーレ。それを見ながらコアは盛大に溜息を吐きたい気持ちをなんとか堪えていた。


(まずは、リアルで他所のダンジョンの地を踏んだ感動を味わいたかった。そして深呼吸して全身にじっくりとダンジョンを感じたかった……)


 コアが今感じているものはそういった充実した類いのものではなく、ひたすらの空虚感だ。ダンジョンに着いたらやろうと予め決めていたことが叶わず、やるせない。記念すべき最初の一歩目に水を差されたような形になってしまったことが残念でならなかった。


 だがメイハマーレとて悪気があったわけではないのは誰にでも分かる。むしろコアの役に立とうと頑張っていただけだ。


 そんなメイハマーレに対して、はっきりと自分の気持ちを表してしまうのはあまりにも可哀想だった。


(本当なら壁から何からじっくりと見て回りたかったところだけど、仕方ないかぁ。メイハマーレにはあぁ言っちゃったし、多分こっちを見てるだろうしな。スムーズな進行を心掛けるとしますかね)


「それではレイン様。私が先導いたします」


「あぁ、頼んだ」


「ハッ!」


 何も言わずとも申し出てくれるアテンに任せることにする。


 コアは未練タラタラな目で周囲を見渡しながら、ダンジョン探索の初日を開始した。

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