第138話 余波、そして。
ヘルカンの街があるベルンガル王国、その首都にある王城。権威を示すために豪華絢爛さを意識され建築されたその城の一室で、コソ泥のように慌てて金庫をこじ開けようとしている者がいた。
ここは王の私室。一国のトップに相応しい内装が整えられた豪華な部屋の中で、絵画の後ろに隠された個人的な金庫をこじ開けようとしているのは何を隠そう、王自身だった。
「クソクソクソッ!! 早く開けぃッ!!」
正しい順番にダイヤルを回していくタイプのその金庫は、而して焦りすぎているがために何度も間違えてなかなか開かずにいた。
少し前に届けられた王都騎士団全滅の報。魔人は何とか抑えることができたようだが、望みの結果を得られなかった王は著しく求心力が低下した。
そして、ついに先ほど知らされた挙兵の報告。今の王に、王足る資格は無いと侯爵の一人が兵を起こしたのだ。
その建前は国の為と謳っているが本当の狙いが何なのかなど分かりきっている。そのため王はこうして金庫を開けようとしているのだ。
「ふざけおって、あの老いぼれが! 貴様を狙いは、これだろうが!!」
ようやく開いた金庫から取り出したのは一本のポーション。竜が管を巻く透明なガラスに入った、青く美しいポーションだった。
魔人討伐が失敗したことで、再びこのポーションを手に入れることは限りなく難しくなった。今やその価値はとどまるところを知らず、噂が一人歩きした結果、不老不死の効果が得られると言う話まで出てきていた。
嘘か真か、超古代文明時代の人類は非常に長命だったと言われている。もしその秘密がポーションにあるとするならば、これは不老不死とは言わないまでも寿命を延ばすような効果があるかもしれないと思われた。
今回兵を起こした侯爵家当主は非常に高齢だ。死ぬのが怖くなって欲に目が眩んだのは想像に難くない。王はその野望を打ち砕いてやろうとしていた。
侯爵家の兵たちはやがてここまで来るだろう。派閥を率いての挙兵に対し、王都騎士団もいなければ、旗色が悪そうだと次々と寝返り勝手に戦力が減っていく王派閥では勝負にならないからだ。
だが相手の狙いが分かっているなら一矢報いることはできる。王はポーションを手に取ると、蓋を外した。
「ククククク。あの老いぼれの悔しがる顔が目に浮かぶようだわ! もしこれで不老不死を得られたならば、余は永遠の若さと権力を手に入れるのだ!」
頭ではそこまでの効果は期待できないと分かっていながら溢れ出る欲望は止められない。国のことを思えばと、今まで手を出さずに取っておいたが、こうなっては致し方ないだろう。
できれば本人の目の前で飲んでやりたいが、その頃にはもうポーションは没収された後だ。王は興奮に震える腕を抑えてそのポーションを一息にあおった。
喉仏が動き青い液体が胃に落ちていく。その効果はすぐに表れた。
「……お? おおおおおおおお!? な、なんだこれは!? す、素晴らしいぃぃッ!!」
王の全身に力が漲っていく。かつて感じたことのない高揚感だった。
「ハッハッハッハッハ!! 何と言う力だ! これに加えて不老不死だと!? もはや余一人で侯爵軍を相手できそうではないか! 凄まじい、余は人間を超えた! 今の余は、もはや神だ!! この世界のあまねくもの全て、この手に、オゴッ!?」
全能感に浸って野望に耽る王だったが、突如として言葉が途切れる。
顔に、大きなコブが出来ていた。そしてそれは一つだけにとどまらない。ボコボコと王の全身に波及し、どんどん大きくなっていった。
『ボオオオオオオオオオオオ!?』
肥大化したコブで身の丈四メートルにも至る『何か』に成り果てた王から出たくぐもった唸り声が、部屋を越えて城に響く。異常を察知した近衛兵が部屋に飛び込んできた。
「陛下ッ、どうなされ……なっ!?」
『ダゥ、ダジュベレグウッ!!』
「も、モンスター!? モンスターだ!! モンスターが現れたぞ!!」
その声にすぐさま城中の兵たちが集まってくる。自分を囲んで武器を構える兵たちを見て、王は唖然としていた。
(モンスター? この余を、言うに事欠いてモンスターだと!?)
『ダワアゲガアア、イィダイゴノヨヲオダェダドッ!!』
怒り声を上げて兵たちを問い詰めてやろうとする王。しかし、現状をよく把握できていない王のとった行動はただの悪手だった。
「き、来たぞ! 行けええ!!」
「オオッ!」
「ハアッ!」
モンスターが襲ってきたと思った兵たちは次々と攻撃を繰り出していく。王の体に続々と武器が突き刺さっていった。
『アアアアアアアア!?』
痛みに悶える汚らしい声が響く。自分が兵に攻撃されるとは夢にも思っていなかった王は嫌がるように腕を振り回した。
豪腕から繰り出される薙ぎ払いは兵たちを簡単に吹き飛ばす。その威力、リーチの長さは、シルバー級冒険者程度の実力しかない兵たちにとって脅威だった。
下手に攻め込めないと足が止まる兵たち。だが彼らにとっての脅威はそれだけではなかった。
「なに!?」
一人の兵が驚愕の声を出す。その視線の先では、与えたばかりの傷がみるみるうちに治っていく光景が映っていた。
自然治癒能力だ。この瞬間、兵たちは足を止めることを許されなくなった。原因不明、正体不明のモンスターを倒すため、犠牲を覚悟で突っ込んでいく。そして、長い時間をかけてモンスターが息絶えた時、兵士側には少なくない死者が出ていた。
「何だったんだ、このモンスターは……」
体からいくつもの武器を生やして倒れるモンスターを見て誰かが呟く。すると、それに答えるかのようにモンスターの死体が変化しだした。
どんどん小さくなっていくそのモンスターはやがて一人の人間になった。その顔を見た時、誰もが絶句する。
そこにあったのは、苦悶の表情を浮かべ、涙の跡を残しながら絶命する、本来自分たちが守るべきはずの王の姿だった。
部屋の隅に転がる一つの瓶。
その中身に少しだけ残っている青い液体は、まるで古の竜に流れる血のようだった。それを飲んだ者には莫大な力を与え強力な自己再生能力を付与するが、逆に身の程を弁えない愚か者がそれを摂取すればたちまち身を滅ぼす毒となる。
王の急死。未だ去らぬ魔人の脅威。
地盤を大きく崩されたベルンガル王国は、否応なしに激動の時代へと突入する。
「君主様。興味深い報告が上がって参りました」
「……何だ」
「遥か北の地で、魔人が現れたとのことです」
「ほう。随分と久しぶりだな。それで、目と被害は?」
大陸南方に位置する、とある大国。
いくつもの国を時には力で、また時には謀略のみで制してきたその類稀なる傑物は、部下から上がってきた報告に僅かに喜色を乗せて声を上げた。
真っ先に魔人の瞳と及ぼした被害を聞いたのは、それが現れた魔人が本物であるかどうかの重要なファクターになるからだ。部下もその事は了承しているが速報で届けられた情報のため確かなことは言えない。
申し訳なさそうにしながらも、代わりに新しく情報を加えた。
「目に関してはまだ明らかになっておりません。被害自体も建物一つと無きに等しいものです。ですが、興味深いのはここからでして。その魔人を撃退したというのが、なんとたった一人の冒険者だと言うのです」
「何だと……?」
訝しげな声を出す、玉座に座る女。その感情を察するには声で判断するしかない。何故ならば、その女は鼻から上を布で覆っている上に、表情の変化が乏しいからだ。
その女が玉座について既に百五十年以上の時が経っていた。ずっと変わらず君臨し続けているので、当時の君主はとっくに死亡していて今は影武者が玉座に座っているに過ぎないのだと言われている。
だが、その女と接する機会がある者だけが、その変わらぬ傑物ぶりを知っている。限られた者だけが、その正体を知っている。
その内の一人である部下は、久方ぶりに崇拝する君主が反応を示す情報を上げられたことに安堵する。破竹の勢いで周辺国を呑み込んでいた昔の勢いはもはや無く、徐々に感情が薄くなっていく女のことを部下は心配していた。
そして報告を聞いた女は深く考え込む。もしかすると、自分の計画を大いに進めるピースの一つになるかもしれない。
この長い停滞を打ち破るチャンスを逃すわけにはいかない。ぶつぶつと独り言を呟いて集中力を高めていった。
「たとえ名乗りたがりの半端者だったとしても、魔人の存在を知るレベルのモンスターであれば、人間一人が抑えられるものではない。いや……ごく一部のオリハルコンならばできなくもないか? ……半端者が現れておきながら、なぜ被害が建物一つに収まっている? 一瞬で勝負がついたのか?」
「いいえ、どうやら半端者が街を襲った際にその冒険者も街にいたらしく、確実に倒せる戦力を整えるために一度ダンジョンに戻ったとのことです」
「……おかしいな、それは」
女の人知を超えた頭脳が、一瞬でその話の違和感に気づく。
「逸っている半端者ならば、勝てるかどうか分からない程度の戦力差では退いたりしない。人間相手にすごすごと引き下がるなどプライドが許さんからな。逆に言えば、その冒険者は半端者が勝てないと思うほどに強かったと言うことだ。……成る程な。確かにこれは、興味深い。人間の枠を超えた人間、か。一応聞いておくが、その冒険者とは本当に人間なのであろうな? 我のように顔を隠していたりするか?」
「いいえ、少々風変わりな格好はしているようですが人間のようです。ですが、実はもう一点、その冒険者には気がかりな点がございまして」
「……勿体ぶらずに早く言え」
この部下は優秀は優秀なのだが少々話を長くする傾向がある。自分を思ってのことだと分かっているのであまり無下にもできず、一つ息を吐いて先を促した。
「申し訳ありません君主様。……その冒険者の男、どうやら不敬にもこの国の貴族を名乗っているようなのです」
「……それを先に言え!」
背もたれから身体を離して久しぶりに、本当に久しぶりに強く声を発した女。
いつもの片手間な思考ではなく、まだ野心に滾っていた頃のような鋭利さでありとあらゆる可能性を導き出す。その様子を見て微笑んでいる部下にも気づかないほど深く考えに入り込んだ。
「おかしな強さを持つ人間がこの国の貴族を名乗っている……? これは偶然か? いや……挑発? ……ッ、おい、先ほど半端者を撃退した、と言ったな? 殺したのではなく、退けたのか!?」
「はい。殺すには至らず、退けるのが精一杯であったと」
「そんな訳あるかあっ! まさか、いや、それなら何故わざわざ戦った? ……退けるので精一杯? 奴らはどこで戦った!?」
「魔人が生まれたダンジョンに乗り込んで戦ったようです」
「……クククククっ。アッハッハッハッハッハ!! 挑発だ! 我のことを挑発しておる! 遥か遠方の地で、我の正体を見破ったかっ! 面白いっ、面白いぞ! 実に愉快だ!!」
感情の発露と一緒に力も滾ってくる。その身体からは自然にオーラが滲みだしていた。
「お喜びのようで何よりです。ですが、君主様?」
「む、そうだな」
部下に諫められてオーラを抑える。女の力は強すぎて周囲に威圧感を齎してしまう。
すぐにオーラは引っ込めたが、久しぶりの楽しい感情は収まらない。嬉々とした声で指示を出した。
「暗部を差し向けろ」
「……よろしいのですか?」
「向こうもそれは想定済みだ。頭は切れるようだが、力の方はどの程度のものなのか、見定めてやろうじゃないか。もちろん、どちらの暗部なのかは分かっているな?」
「はっ。特殊部隊を出しておきます」
「宜しい。さて、こうなることが分かっていながら我に喧嘩を売ったのだ。精々楽しませてくれよ? その頑張り次第では、配下に加えてやらんでもないからな」
弧を描く妖艶な唇が、女がどれほど楽しんでいるかを物語っている。
しばらく静観を保ってきた南の超大国、ザラズヘイム。
大陸でも有数の力を持つ恐るべき強国が、再び動き出そうとしていた――――。
「いやー。すんごかったねえ……」
どこまでも続く青空と、浮遊する島々と言う非現実的な景色を一望できる新たな聖域において、そのダンジョンを治めるコアはハフー、と大きく息を吐き出した気になっていた。
息を吐く暇も無いような怒涛の展開だった。コアはダンジョン内であればどこだって見渡すことができるが、同時にいくつもの場所を見られるわけではない。
同時進行で進む戦いを、ハラハラドキドキしながら忙しなく切り替えて見ていたのだ。その中でもアテンが片腕をちょんぎったシーンだったり、進化したところだったり、最後にメイハマーレが何かやばいことになりそうだった時は、ハラハラドキドキどころではなく齧り付くように見ていたわけだが。
終わってみれば精鋭モンスターたちに被害はなく、ゴブリンストーカーも進化を果たし収穫もあったという上々の結果だった。エルダーゴブリンだけ可哀想なことになってしまったが、進化すれば問題なく元通りになることも分かったので、それまでは我慢してもらおう。
「それにしてもあの時のアテンは怖かったな……。自分が問い詰められているわけじゃないのに、思わず泣きそうになっちゃったよ……。興味本位でエルダーゴブリンの後ろからなんか見るんじゃなかったな……。うん、忘れよ」
どんどん頼もしくなっていくアテン。それはそれでダンジョンの戦力が強化されるので嬉しいことなのだが、コアとしてはいつ自分のメッキが剝がされてしまうのか心配でならなかった。
「なんか、今回の進化でもうモンスター辞めちゃったみたいだしな……。種族名に『神』の文字が含まれているのはモンスターではないと思うのですよ、私は。はい。……あれ? この座をアテンに明け渡せば全て解決するのでは……? いや、それは駄目だ! それだけはやらせんぞ、アテンッ! ダンジョンを楽しみ尽くす特権は、俺だけのものなのだ! これだけは絶対に死守せねばならんのだ! だから奪わないでくださいよろしくお願いしまっす!!」
ダンジョン内で戦いが繰り広げられている間、ずっとこんな調子だったコア。
結局のところ、憂いも喜びも楽しみ尽くすその精神性は、立派に狂っていると言えた。コア以外の誰にも、その役目を担うことはできないだろう。
そうとも知らず、肝心な時以外は頓珍漢を発揮するコアは、今日も今日とて能天気なことを言い出した。
「それにしても、そんな超進化を果たしたアテンですら慌てていたメイハマーレの異変。相当まずい状況だったんだろうな……。それを解決したのが、まさかの『天候操作』だったとは!! せめて俺も何かしたいと、雰囲気作りのために出しておいた雲から、あんな丁度良いタイミングで雷が落ちるなんてッ。見抜けなかった、このコアの目をもってしても! くぅー、きっと俺の日頃の行いの良さに、ダンジョン様が応えてくださったに違いない! ありがとうございます、ダンジョン様!!」
自分がどれだけ薄情なことを言っているのか気づかないコアは、満たされた気持ちで祈りを捧げる。そして満足できるまで祈り終えると、一連のことを締め括った。
「今回の侵入者たちは質が良くて、しかも何人かはダンジョンに吸収することができた。きっと捧げ物として気に入っていただけただろう。もしかすると、あの雷はそれに対する褒美だったのかもしれないなぁ。この分だと、勢い余って新しい能力に目覚めちゃったりなんかしたりって、ッ、お、うお!? 言ってるそばからキターーーーーー!!?」
吸収してから少し時間が経っていたので、内心ではほぼ諦めていたコアを久しぶりに全能感が包み込む。何度味わってもたまらない高揚感に、テンションは一気に振り切れた。
「この気持ち良さッ、麻薬級!! いや、知らんけど!! あー堪んないっすわぁ。これだからダンジョンはやめられないぜ!!」
夢見心地に浸るが、残念ながらそんな時間も長くは続かない。いや、長く続かないからこそ極上の気持ち良さを味わえるのだ、と切り替えたコアは早速能力の確認に移る。
プレゼント箱を開けるようなワクワク気分全開でニューフェイスを確かめたコアは、意外なその能力に驚き、そしてご褒美の名前を口にしたのだった。
「ん? ………………『憑依』?」
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