第137話 メルグリット

 一瞬にして切り替わる景色。魔法陣に乗って避難したメルグリットが最初に目にしたのは、森だった。


 鬱蒼と生い茂る森の中に少しばかりあるスペース。上から微かに枝と葉っぱの間を縫って光が差し込む広場に、魔法陣は設置してあった。


 周囲にモンスターの気配は無い。もしかするとすぐにトリトーンウティカが追いかけてくる恐れがあったので、メルグリットは足早にその場から離れた。


(? なんか、不思議な木、だね?)


 今、メルグリットが見ているのは一本の木だ。それは紛れもない木である。しかし、見ていてどうにも現実味を感じないというか、自然の息吹を感じない木だった。精巧な作り物のような印象を受ける木に首を傾げながらも先を急いだ。


 どうやらその森は規模が小さかったらしく、少し歩けばすぐに抜け出すことができた。そして目に飛び込んできた圧巻の光景を見て、メルグリットは人生で一番の驚きと感動を受ける。


 浮遊する島々。


 大小様々な空島の一つひとつに豊かな自然が実っており、大きめの島には人口建築物のようなものも見られる。しかしその形は特殊で、メルグリットが見たことのないようなものばかりだ。


 どのような意味があるのかは分からないが、それでもどことなく洗練されていると感じるフォルムは美しいと思えた。そんな島々が高低差を設けられていくつも存在する。


 当然だがメルグリットが立っている島も空に浮かんでおり、それがなんだか信じられなくて島のギリギリまで歩み寄って下を覗いてみると、見えたのは上から見る雲と言う初めての光景。地面などは全く見えなかった。


 あまりの壮大な景色に逃げることも忘れて魅入ってしまうメルグリット。そんなメルグリットに、親し気な声がかけられた。


「いつまでもそんなところにいては危ないと思うがね、メルグリット? まあ気持ちは痛いほど理解できるのだがね」


 その声に飛び跳ねるように反応するメルグリット。素早く剣を構えて戦いに備えたメルグリットだったが、声をかけてきた者を見て目を丸くした。


「……え……博士? ドリック博士?」


「ハハハ、そうだとも。まあもっとも、今の私は博士でも研究者でもないがね」


 そこにいたのは、もう何ヶ月も前にこのダンジョンで死んだと思われていた研究機関のトップ、ドリックだった。


 メルグリットとドリックは以前から面識がある。高難易度ダンジョンなどに調査に向かう時は凄腕の冒険者が必須だからだ。ドリックの身に何かあっては不味いと、メルグリットにもよく依頼が回ってきていた。


 戦闘狂と研究狂い。狂っている者同士、どこか通じ合う感じがしていたので、ドリックが死んだと聞いた時は少し残念に思ったものだ。


 元々一般人からすれば気が狂っているようにしか見えないドリックだったが、このダンジョンに調査に入ってからと言うものの更におかしくなったらしい。果ては単身でこのダンジョンに乗り込み、そんなドリックを助けるためにダンジョンに入った冒険者たちが戻ってこなかったことから、ドリックも既に死んだものと判断されていた。


 だが、そんなドリックが生きている。しかもその姿は妙に若々しい。


 具体的に言えばシワが無くなったというぐらいのものだが、それだけでも受ける印象が随分と違う。


 明るい雰囲気も相まって、本当に若返ったかのようなドリックに、メルグリットは心の中では油断せずに陽気に問いかけた。


「もう研究者じゃないって、それはダンジョンにこもりすぎてもう死亡判定がされてるだろうからってこと? 博士なら戻ればいくらでも席を用意してもらえると思うけど」


「いやいや、そうではない。もっと大切なものを見つけたから辞めたと言う話だよ。このツルツルになった肌を見れば、私がここでどれだけ充実した毎日を送っているか分かるだろう?」


 自分の顔をすべすべしながら満面の笑みで冗談を言ってくるドリック。その邪気の無い笑顔にメルグリットも朗らかに答える。


「ハハハ。ダンジョン研究じゃなくて今度は美容研究の方にシフトしたのかい? きっと外に出ればご婦人方に囲まれて大変だろうね。羨ましいなぁ。もし可愛い子がいたら、僕にも紹介して欲しいよ」


「本当に、そう思うかね?」


「……え?」


「いや、何でもないとも。……少し、歩こうか。せっかくここまで来たのだ。案内するから見て行きたまえ」


 意味深な言葉を投げかけてきたドリックが、まるで自分の庭を歩くかのようにダンジョンを進んでいく。無防備な背中を見ながら、メルグリットはとりあえずついていくことにした。


(罠、だよね。たぶん……)


 ダンジョンは、一般人の域を出ないドリックが生き延びられるほど優しいところではない。ましてや魔人がいるダンジョンだ。ドリックが生きていけるとしたら、魔人に気に入られて飼われているといったところだろうか。


 そう考えれば今のドリックはダンジョン側に協力する人間。メルグリットの敵だ。しかし解せない。こんな手の込んだことをしなくてもメルグリットを殺せるモンスターはいるし、ドリックからは全く敵意を感じない。


 一体何がしたいのか分からないが、ひとまずはすぐに殺されるようなことはないと思われる。どの道、今は言うことを聞くしかなかった。


(戻ってもウティ君が待ち構えているだろうし、僕がここに来たタイミングで接触してきたってことは、あらかじめ計算されていたってことだよねぇ。してやられたよ、完全に)


 トリトーンウティカの芝居がかった動きが思い出され、つい苦笑いが出る。果たして自分はどうなってしまうのか。殺されるなら強いモンスターと戦って死にたいなと、そんなことを思いながら歩く。


 あまり大きくない島だ。さほど時間が経たないうちに別の魔法陣のところまで来た。ドリックから感動の吐息が聞こえてくる。


「はあぁ。何度見ても素晴らしい。魔法陣。神秘の結晶だ。……この階層の島々には一つにつき、いくつかの魔法陣が設置されている。その中から正解を引当て、奥へ進んでいくという、なんとも遊び心に溢れた作りになっているのだよ」


「へぇ。それは確かに面白そうだね。ハズレを引いた時が怖いけどね?」


「フフフ、そんなに警戒せずとも大丈夫だ。この魔法陣は当たりだからね」


「ハズレがあることは否定しないんだね……」


 転移したらモンスターだらけの島で全て倒すまで魔法陣が起動しなくなる、と言う罠などが思いつく。


 宙に浮いていて逃げ場が無い島。わざわざ魔法陣が設置してあるくらいだから<フライ>なども対策されているのだろう。


 転移するまでどこに飛ばされるか分からない。この階層を攻略するには数え切れない程の犠牲者が必要かと、一人の冒険者としてそんなことを考えた。


 そうこうしているうちに先にドリックが魔法陣の中に入って移動する。その、メルグリットが逃げることを全く考慮していないような行動に、毒気を抜かれてしまう。


「ま、今更逃げたりしないけどね」


 一言呟いてからメルグリットもすぐに後を追った。


 新しい島に着き、まず目に映ったのは島の外に向けて跪くドリックだった。まさかの光景に思わずそちらの方向に目が向き、そして息を飲んだ。


 その気配が分かったのか、ドリックが口を開く。


「驚いたかね。言っただろう、あの魔法陣はあたりだと。何せ、第三階層に入ってから最速でこの景色を拝める魔法陣なのだからね」


 見上げる場所にある、一つの大きな島と、その周りに浮かぶ小さい島々。その如何にも特別な感じが演出されている島には、これまた白くて荘厳な建築物が建てられている。


 そしてその中心にある高く聳え立つ白亜の塔。澄み切った青空を背景に、太陽の光を反射する塔が白く輝いていた。


 メルグリットは確信する。あそこが終着地点だと。


 あそこに、魔人を従える魔人。魔王がいるのだと。それを肯定するかのようにドリックが続けた。


「先ほど、私はもう研究者ではないと言う話をしたね? では今の私は何なのか。その答えがあそこにある。今の私は、信奉者だよ。あそこにおわす神を崇め奉る、信奉者だ」


「神……」


 その言葉はメルグリットの心にすっと入ってきた。この階層、あの建物は魔王と言うよりも神と言う言葉の方がしっくりきたからだ。


 神という大言壮語な言葉を茶化す気にもならない。それほどの説得力がこの景色にはあった。


「さて、時間を取らせた。ここを通るといつも祈りを捧げずにはいられないものでね。先に進むとしよう」


 立ち上がって再び先導を始めるドリック。どこか後ろ髪を引かれるような思いを抱きながら、メルグリットもそれについて行った。


 それから少し経った頃、森の中からガサゴソと何かが動く音がした。モンスターだろう。当然の如くメルグリットはその気配を察知していた。


 チラリとドリックを見る。その様子に焦ったところは見られない。手を身体の後ろで組んで余裕の笑みを浮かべている。


 これはメルグリットの戦力をあてにしているわけではなく、その身の安全を保障されていると言うことだろう。それを確認すると剣を抜いて奇襲に備えた。


 しかし予期していたようなことはなく、モンスターはのそのそと森から出てくる。その姿を見て、メルグリットは顔を顰めた。


「うわ、何あれ……。アンデッドモンスター並みに気持ち悪いんだけど? 肉のスライムかい?」


 一メートルくらいの大きさであるそのモンスターは、一言で言えばデカい心臓だ。赤い表面には青筋が張り巡らされ、一秒ごとに大きく脈打ち蠢いている。そんなモンスターが案の定、メルグリットの方に向かってきていた。


 あまり強さは感じないが見たことがない分、何をしてくるか分からない怖さがある。攻撃の動作を見逃さないように警戒するメルグリットだったが、独り言に対する予想外の答えがドリックから返ってきて、瞬く間に頭が混乱した。


「人間だよ」


「…………は?」


「それが、人間だ。人間とは、元を辿ればそのモンスターなのだよ」


 言っている意味が分からなかった。


 人間の元とは人間ではないのか。いや、そもそもそんなの考えたことがない。それでも人間の元がモンスターで、しかもそれがこんな気持ちの悪いモンスターだとは思いたくなかった。


 動揺するメルグリットの隙をついたのは偶然か否か、自立する心臓が飛びかかってくる。しかしそのスピードは速いわけではなく、メルグリットもオリハルコン級の冒険者。


 何も考えていなくとも身体は勝手に動く。突撃を横に躱しながら剣を振り抜くと盛大に切り込みが入り、ど派手に赤い液体を撒き散らした。


「うわっ、汚、くさッ! 血なまぐさい!? <クリーン>!」


 メルグリットの身体にたっぷりと浴びせられたのは血だった。戦闘中にもかかわらず、思わず身体を綺麗にすることを優先してしまう。しかしそれでも問題なかったようだ。


 無意識でもしっかりと魔力を通された剣は特殊効果を発揮し、自立する心臓を炎で包む。大量の血を吐き出してその分、小さくなっていた自立する心臓は、そのまま何もすることもできずに消し炭になっていった。


「フフフ、ご苦労だったねメルグリット。第三階層で初めての『モンスター』との戦いはどうだったかね?」


「いや、どうって、弱かったけど……。それよりも、博士のせいでびっくりして戦いどころじゃなかったんだけど!? いきなり変なこと言うのやめてよね!?」


「ハハハ、変なことを言っているのは君の方だよ。真実をおかしいと言っているのだからね」


「……」


「まあ、いきなり言われても分からないね。少し、昔の話をしようか。遠い遠い、昔の話をね」


 再び歩きだすドリック。その口からゆっくりと消し去られた過去が紡がれた。


「かつてこの世界は、今では考えられないほど凄まじく高度な文明によって栄えていた。そう、言わずと知れた超古代文明だ。そして、高度な文明と言うものは高度な知的生命体がいないと成り立たない。人間が長い時間をかけても満足にアイテムの再現すら行えないほどの技術と頭脳を持ち合わせていた存在によって、超古代文明は築かれていたわけだ。その存在に、何か心当たりはないかね、メルグリット?」


 振り返りながらされたその問いかけに、メルグリットの頭には思い浮かぶものがあった。


 人間よりも遥かに優れた頭脳と力を持つ存在。だがその答えはあまりにも突拍子がないもので、言葉が出てこない。


 しかしその答えは言葉にせずとも顔に表れていた。ドリックはそれに満足すると再び前を向いて語りだす。


「正解だよメルグリット。そうさ、魔人だ。超古代文明とは、魔人たちが築いた文明だったのだ。そして、人類とはかつての魔人たちを指す言葉であり、今の人類という言葉は正しくないのだよ」


「……ハハ、想像つかないや」


 魔人が闊歩する世界。とても刺激的で、ある意味メルグリットの理想とも言えるかもしれない世界の有り様を想像して、それでもそんな世界は凄すぎて、メルグリットは乾いた笑いが出た。


「魔人種は長命だ。優れた者の中でも更に優れた魔人によって、その文明は長く安定的に繁栄を誇った。そんな文明の中で発明されたものこそが、ダンジョンで時折手に入れることができる優れたマジックアイテムたちだ。当時の魔人たちが作ったのだから、その仕組みを人間如きが理解できないのは当然なのだよ」


「まぁ、そうだろうね」


 ドリックの言っていることが本当なら、至極もっともな話だと思うメルグリット。人間至上主義ではないメルグリットは、優れたものは優れていると、ありのままに判断できる。


 実際に魔人、メイハマーレを見たばかりの彼からすれば人間が魔人よりも優れているという言葉は決して出てこず、ドリックの言葉を素直に飲み込むことができた。そんなメルグリットの様子を見てドリックは満足そうに頷く。


「やはり、君は優秀だ。……さて、メルグリット。ここまで聞いて、何か疑問に思ったことはないかね。そう例えば、魔人たちが作ったものが、人間が使用するのに丁度良い大きさだった、なんて、何とも都合の良い話だとは思わなかったかね?」


「……そうだね」


 メルグリットはドキリとした。今まさに、そんなことを考えていたからだ。


 未開の地はともかく、平原からモンスターを駆逐し、人間たちが繁栄できたのは強力なマジックアイテムの存在が大きい。もちろんその辺のモンスターたちよりも知能に優れていたと言う点もあっての話だが、それでもマジックアイテムは重要なものだった。


 メルグリットがここまで強いのもマジックアイテムありきの話であり、自分の身体のサイズに合った装備品を運良く手に入れられて良かったな、と思っていたところだったのだ。


 ドリックにピンポイントで指摘されたことで、メルグリットの中で既に答えは出た。わざわざこのタイミングで言い出したのだ。ならばこれは偶然ではない。


「魔人と人間の背格好が偶々同じぐらいだった。運が良かった。そう思うかもしれない。しかし、そうではないのだ。それを証明する鍵が、先程のモンスターにある」


一拍間をおくと、ドリックは固い声を出した。


「あのモンスターは生き物を取り込み、融合する。その姿は千差万別。取り込んだ生き物の魔力によって、どんな姿になるかが決まる。そんなモンスターなのだよ」


「博士、それって……」


 これまでの話の流れから、おおよその顛末が予想できたメルグリットが恐る恐る口にするが、あまりのことに後が続かない。そしてドリックは、そんなメルグリットの言葉を否定しなかった。


「あのモンスターは、隆盛を誇る超古代文明に忽然と姿を現したとされている。その理由については私も分からない。私には、そこまでの『閲覧』許可が出なかったからね。個人的には神の一柱による気まぐれだと考えているが、果たしてどこまで合っているか」


 空を見上げて何事かを思うドリック。再び喋り出すまで、メルグリットは待った。


「生き物を取り込んで野心が芽生えた自立する心臓は、やがて魔人たちと対立した。その力は魔人には遠く及ばなかったものの、奴らは数が多かった。そして逆に、長命種であるが故に魔人は数が少なかったのだよ。長引き、激化する戦争の中で疲弊した魔人たちの中には力尽きる者が現れ、そして…………。このままでは不味いと判断した残りの魔人たちが、奴らの融合する力を封じるために特殊な魔力の性質を持つモンスターを生み出したことで戦争は終結したが、その頃にはもう魔人の数が激減していた。出生数も少なかった彼らは人口を戻すことができず、最期は時の経過によって絶滅してしまった。だが、戦争から逃げ延びた変異済みの自立する心臓たちはやがて独自の生態系を築いていく。多種多様な形態を生み出し、世界には異形の怪物、モンスターが蔓延るようになった。人間もまた、その内の一つ。その姿が一体何を模したものであるかなど、今更言う必要は無いね?」


「じゃあ、魔人が人間を酷く憎むって言われているのは……」


「君ならどう思う? 君が魔人の立場だったなら。許せないと思うのではないかね。ちなみに私なら、今すぐにでも人間を滅ぼしたいと思うだろうねえ」


 できることなら実際に今すぐ滅ぼしたい。凄みのある笑顔を浮かべるドリックは、言外にそう言っているように思えた。


(こんなに圧力を感じさせる人だったっけ……?)


 元々、頭のネジが一本外れているような人だ。普通の人間ならばその異常さに気圧されることもあるかもしれない。


 しかし、今のメルグリットが感じているのはそういうものではない。その迫力に思わず圧倒されてしまいそうになる。


 人に対してこんな気持ちを抱くのは初めてだ。まだ冒険者として新人だった頃、オリハルコン級の冒険者を見た時でさえこんな気持ちにはならなかった。


 スケールの大きすぎる話に飲まれてしまっているのかも。そう思ったメルグリットはなるべく平静さを保つために自分からも話を振ってみた。


「自分たちは滅びてしまったのに、自分たちの姿を真似た偽物たちはのうのうと生き延びている。うん、これはキツいね。僕でも許せないかも? ……それにしてもさぁ博士。これって、かつて文明を破壊した始まりのモンスターが再び現れたってことでしょ? 普通に考えてさ、やばくない? しかもだよ? 博士の予想通りなら、これを生み出したのは神の一柱。そして、博士が崇拝しているこのダンジョンの主も神、なんでしょ? もしかして、同じ神様? 世界、滅亡しちゃう……?」


 同じ神だとしたら自立する心臓を生み出した神に魔人が従うのはおかしいように思えるが、かといってその神以外に世界を壊した忌むべきモンスターを生成する神がいるとは思えない。


 ダンジョンのモンスターが何になるかはランダムだと言われているが支配しているのが神だと言うのなら話は別だ。意図的にモンスターを決めることだってできるだろう。


 世界が滅ぶかもしれないと思えば、既にほぼ死ぬことが決まっているメルグリットだって割と本気で気になる。これからの対策と言うよりは好奇心で聞いた質問に、ドリックの進む足がピタリと止まった。


(あ。これはぁ……聞く内容、間違えちゃったかなぁ……?)


 ドリックの雰囲気が変わったことに珍しく冷や汗を流すメルグリット。仮面の微笑を表面に貼り付けてしばらく待機していると、ドリックが笑い出した。


 狂ったように、笑い出した。


「ク、クククククククク、ハーハッハッハッハッハッハッハッハ!!」


 その時ドリックから噴き出した圧力は、間違いない。オーラだった。


 そこから伝わってくる底知れなさに驚愕するメルグリットをよそに、ドリックは一気に絶好調になる。


「世界が滅亡するか、だと? 逆だ! まったくの逆だ、メルグリットッ! 世界は、ここから再び! 始まりを告げるのだ! たかが一柱の駄神が愚かなことをした程度で壊れてしまうような不完全な世界を、我らが最高神が、新しく、創り直すのだッ!! 御方は世界を誰よりも愛している! 自立する心臓をこの階層のモンスターに選んだのが、その愛の深さを示しているのだ! いいかね!? 本来ならば御方にとってあのモンスターは見た瞬間にぶち殺したくなるような憎き存在だ! しかァし! 御方は冷静に戦力としてその有用さをお認めになられた! 分かるかね!? そんじゃそこらの駄神とは器の大きさが違うのだよ、器があ!! しかしだ! あー、そうだ分かってる! どうしてそこまで戦力をお求めになられているのかと言うことだな!? 良い着眼点だ。実際このダンジョンのモンスターたちは強い! これ以上の戦力など必要ないように思えるだろう! だがそれは考えが浅いと言わざるを得ない! 仮想敵のことを考えていない! 御方はそのお立場故に、見据えるべき相手と言うものがいるのだ!!」


 目が血走ってぎょろぎょろしている今のドリックは、メルグリットから見ても怖い。狂い具合に磨きがかかったドリックを余計な口を挟まずに見守った。


「御方は最近になって長き眠りからお目覚めになられた。それはとても喜ばしいことだ。だが! それは同時に別の懸念が生まれたことを意味する! 果たして、目を覚ます神は御方お一人だけなのか。そうだ、もう分かっただろう。御方は、かつて世界を混乱に陥れた駄神の復活に備えていらっしゃるのだ! け、れ、ど、も! さすがは御方! その備えに憂いなし! 万全の構え! 相手の手札をも取り入れてしまうと言う盤石さ! これほどの神が他にいるだろうか!? 否ッ、いなぁぁぁぁい!! 御方は必ずこの世界を手中にお収めになられる! この世に、新しい理想郷を齎してくださるのだ!! あぁぁ、ハーーーーッ! 最高だあ、最高過ぎる! 私たちは、歴史の転換点にいるのだ! 歴史の生き証人となるのだ!! これが興奮せずにいられるか!? 凄いッ! 御方、愛してるぅぅ!!」


(鼻息、すごく荒いや……)


 そのヒートアップっぷりに、謎のオーラに驚いていたメルグリットにも冷静さが戻る。


 ハァハァ言ってるドリックの呼吸が落ち着くのを待ってから、声をかけた。


「成る程ね。まぁ要するにあれだ。大方、僕はあのモンスターの養分にでもされるってところかい? でもその前に一つだけ聞いていい? どうして僕にその話をしたのかな。博士なりの情けかい?」


 その質問にまたもや身体の動きをピタッと止めると、今度はびっくりするほど優しい笑顔を浮かべたドリック。まるで教会の神父が迷える小羊を導く時のような慈愛の表情だ。


 博士のこういう顔を見るのは初めてだね、と他人事のように考えていたメルグリットだったが、ドリックの次の言葉に息を止めることになった。


「生まれた時代を間違えた。そう思ったことはないかね」


「ッ!!」


 どこまでも優しい笑みを浮かべるドリックの静かな言葉が、メルグリットの心に深々と刺さった。メルグリットの全てを見透かすような瞳でドリックは続ける。


「時折、ふと思い出したかのように生まれることがあるのだ。かつての力、その片鱗を少しばかり宿した人間の子供が。それは他よりもパワーが優れていたり、他よりも様々なことを覚えられたりなど、いろいろな形となって現れる。そして中には、力に恵まれすぎてしまったせいで他人に価値を感じられず、孤立し、心が壊れてしまう者が現れるのだ」


 心臓の音がやけに聞こえた。何も考えられずドリックの言葉だけが頭に入り込んでくる。


「君のことだ。メルグリット」


「……なん、で」


 ずっと隠してきたことだった。今まで気付かれたことはなかった。


 比較的早い段階で転機が訪れたメルグリットはそれ以降、心の負担が軽くなり、壊れないように上手くやっていたつもりだった。それが初めて見破られる。


「メルグリット。聞いたよ。昔、何やら面白いゴブリンと戦ったそうじゃないか」


 脆かった当時の心までほじくり返され、壁がどんどん剝がされていく。


「君はそこで、初めて自分と対等な相手に出会った。初めて生きていると実感できた。できればそのゴブリンを殺したくはなかった。強くなることに夢中になった。またあの時のようなゴブリンに出会いたくて、必死になって冒険者をやった。そうだろう?」


「……」


「強い相手と戦っている時だけ全てを忘れられた。それ以外の時間が辛かった。自分の気持ちを誤魔化すように女遊びに耽った。それでも心の隙間は埋まらない。陽気なふりをして、自分と他者を欺き続けた」


 孤立したままでいられるならそれが一番楽だった。しかし、メルグリットの心はいつまでも一人でいられるほど強くなかった。


 相反する辛い気持ち。


 一人でいたいはずなのに、心のどこかでは話し相手を求めていた。他人と接する時間が無いと精神が耐えられないことを、メルグリットは理解していた。


 壁を尽く破壊されて、擦り切れた弱い心が表に出てきてしまう。そこに掛けられるドリックの慈しみの言葉は、メルグリットにとって劇薬だった。


「今まで、よく頑張ったね」


「あ、……っ」


 生まれて初めて自分を理解してくれた言葉に、メルグリットは膝から崩れ落ちた。口がわななき、もう何十年も流していなかった涙がとめどなく溢れる。


 人から理解されることがこんなにも救いになるとは思わなかった。人目を憚ることなく涙を流したメルグリットは、気持ちが少し落ち着くと泣き笑いを浮かべながらドリックに感謝を述べた。


「……ありがとう、博士。こんなに気持ちが軽くなったのは初めてだよ。今なら、満足して逝ける気がする。だから、一思いにやっちゃってくれるかな……?」


 本当は力の限り抵抗しようかと考えていたメルグリットだったが、もうそんな気は失せていた。


 死ぬなら、今の清々しい気持ちのまま死にたい。そう懇願するメルグリットにドリックは歩み寄ると、そっと手を取った。


「何を言っているのだね。立ちたまえ」


「え……?」


 てっきりあのモンスターの贄にされるとばかり思っていたので予想外のことに目を丸くするメルグリット。そのメルグリットに、ドリックは優しく告げる。


「喜びたまえ、メルグリット。君は、選ばれたのだ」


「選ばれ、た……?」


 何に? そう思うメルグリットの顔に差し込んでいた陽の光が突如として遮られる。涙でぼやける瞳では、それが何なのかすぐには分からなかった。


 眼前に大きく広がる真っ黒なそれ。それをしっかりと認識した時、呆然とメルグリットは呟いていた。


「綺麗だ……」


 ドリックの背後から出現した漆黒の片翼。光を一切通さず、それでも黒々と力強く存在感を主張する大きな翼は、見ていてどこか安心感を覚えた。


 そして翼を出したことで膨れ上がったドリックの肉体とオーラ。その強さは、メルグリットを完全に超えていることを<直感>が伝えてきていた。


「これが、選ばれると言うことだ。私は神の奇跡の御業によって人間と言う種を超え、新しく生まれ変わらせて頂いたのだよ」


「生まれ、変わる……? 僕にも、それを……?」


「そうだとも。神は、今まで頑張ってきた君に褒美を賜るそうだ。これからは共に神の使徒となって御方に仕えようではないか。ここには君の理解者となれる者がたくさんいる。もう寂しい想いをすることは二度と無い。今日から、君の新しい人生がスタートするのだ」


 それができたらどんなに素晴らしいことか。一度止まったはずの涙が再び流れだした。


「……もう。……もう、辛い気持ちにならずに、済むの? 僕は、自分らしく生きていいの、かな?」


「いいのだよ。この理想郷で、君は本当の自分を取り戻す。……フフフ、一般人に毛が生えた程度の力しかなかった私でこれほどの力を得たのだ。元々強い君なら果たしてどれほどのものになるか、ワクワクしないかね?」


「……する。……すごく、ワクワクするよっ」


「それでいい。このダンジョンは常に強者を求めている。君ならばあるいは、メイハマーレ様やアテン様の相手をできるようになるかもしれないね」


「え、アテン……君?」


 まさかの名前が出てきて涙が止まる。


 魔人の名前と一緒に出てきたこと。今のドリックの立ち位置。そして様付け。メルグリットの中で、全てが結びつく。


「え……えぇぇぇぇ!? アテン君って人間じゃなかったの!? っていうか、魔人とグル!? じ、じゃあ今回の魔人討伐作戦って、もしかして……!?」


 その気持ちの良い驚きっぷりにドリックは朗らかに笑う。いたずらが成功して満足したかのようにネタバラシをしてやった。


「あそこまでの強さと頭脳を持つお方がただの人間だったらおかしいだろう? 今回の作戦だけではない。アテン様がヘルカンの街に赴いてから起きた出来事は全て、お二方が計画されたことだったのだよ」


「嘘……」


 全部、手のひらの上だった。盛大なるマッチポンプ。


 これまでずっと踊らされていたのだと知ったメルグリットは……目を、輝かせた。


「すっご……!」


 一目見た時から強く関心を寄せていたアテンのことは人づてに色々と聞いていた。そこには付随するように街に起きた出来事なども含まれている。


 大まかにそれらのことを把握していたメルグリットは、思い通りに人を動かすその手腕に惚れ惚れしていた。


 このダンジョンにはメルグリットが欲しかったものが全て揃っている。今よりもっと強くなれて、理解者がいて、アテンもいる。控えめに言って、最高だった。


 ただ少しばかり残念に思うこともある。それを鋭く見抜いたドリックはメルグリットに問いかけた。


「彼らのことが心配かね?」


「まぁ、ね……」


 今回の作戦に際し、共にアテンの特訓を受けた仲間たち。過ごした時間は短かったが気の良い奴らだった。


 その中でも特にガトーはゴブリン掃討戦からの付き合いだ。ガトーは気持ちの良い馬鹿であり、一緒にいて楽に感じる、メルグリットにとって貴重な友人の一人だった。


 そんなガトーとの付き合いもこれで終わり。いや、それどころか既にモンスターに殺されているかもしれない。そう思うと、さすがに一抹の寂しさを覚えた。


 しかし、このダンジョンはメルグリットにとってどこまでも最高の場所だった。それをドリックに教えられる。


「何人かは死んでしまったようだが、冒険者ギルド長、ガトーならばまだ生きているよ。そして私の見立てでは、ガトーにはおそらくチャンスが残されている」


「え、それって……」


「彼を君の本当の友人にできるかどうかは、もしかすると君の手にかかっているかもしれない。御方は頑張った者に望みのものを与えてくださる。理想の未来を手にしたかったら、これから精一杯、御方に尽くすのだよ」


「〜〜ッ、分かったッ!!」


 万歳しながら全身で喜びを表現するメルグリット。


 そこには、生まれて初めて心から笑えた、本当のメルグリットがいた。

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