第136話 神の揺り籠
発狂したメイハマーレがドラゴンの手を振り回す。
一薙ぎするごとにその爪の先からは空間を切り裂く衝撃波が発生し、周囲を瞬く間に荒野へと変えていく。その衝撃は遠く離れたガトーたちやブゴーたちの下まで届き、破壊の限りを尽くしていた。
第一階層に繋がる階段がある岩山。その岩山をいとも容易く破壊していく衝撃波を目にして、ガトーは勝負を最後まで見届けることなくダンジョンから出る決意をした。
「ッ、撤退だ! 撤退する! 階段を破壊される前にここから出るぞ!!」
その衝撃波は恐るべき力を秘めていた。もし階段に直撃コースの攻撃が来たら防ぎ切れるか分からない。それに、急いでここから出なければならない理由が他にもあった。
「で、でもギルド長ッ」
「見て分かんねぇのか!? 邪魔になってんだよ、俺たちは!! アテンのことを思うなら、ここは潔く引け!!」
ガトーの決定に『魔導の盾』のレンジャーが躊躇するが、その言葉を言い終わらせる前にガトーは強く言い切った。
いきなり凶暴化した魔人を前に、アテンの立ち回りは明らかに変わった。魔人の衝撃波がこちらに来ないように配慮しているのが分かってしまったのだ。
今、アテンは誰の目にも分かるぐらい劣勢だ。片腕になってしまったにもかかわらず安定した戦いぶりを見せていたアテンだったが、それが突如として崩れてしまった。
その危機に助けに向かうこともできず、ただただ悔しい想いを抱いていたガトーたち。忸怩たる想いを抱えた上、余計な足を引っ張るぐらいなら死んだ方がマシだ。
ガトーはとにかく急がせる。一秒でも早く、ここからいなくなることが一番アテンの役に立つのだ。
最後尾、階段の上で振り返りたい気持ちを抑えて最後の段を上りきるガトー。第二階層から避難した直後、魔人の衝撃波が階段を破壊し、ガラガラと破片が落ちていった。
時を同じくして聖域がある岩山の中腹。
モンスターたちが集まる場所では、岩山が崩れ落ちることがないようにブゴーを筆頭として各々が衝撃波を相殺していた。
「ヌンッ!」
三日月のような形をした衝撃波を殴り飛ばして消し去るブゴー。オーラのぶつかり合いはジジッと、電子音のような音を立てながら黒い粒子となって空中に溶けていった。
その威力を確認したブゴーは近くにいたゴブリンジェネラルたちにしばらくの間、後を託す。
「少し離れる。オデが戻るまで任せるぞ」
「どこへ行く、ブゴー?」
「まさか、介入する気か?」
「フン」
ゴブリンジェネラルたちの詮索にブゴーは二人の戦いを見る。
「馬鹿を言うな。あれは、あの二人だけの戦い。オデたちが介入する余地は無い。どんな結末になろうとも、ただそれを受け入れるだけだ」
正気とは思えないメイハマーレの有り様。そして、もう勝てるとは思えないアテンの姿。
このままいけばアテンは死に、メイハマーレもどうなってしまうか分からない。しかし、それも全ては御方が望んだこと。もしくは御方が望んだ結果を得るために必要なプロセスだ。
それに対してブゴーが口を挟むことは何も無い。そしてその思いはゴブリンジェネラルたちも同じだ。もし止めに行こうとしているのなら引き止めなければならないと考えていたので安堵する。
だが、そうでないなら一体どこに行こうと言うのか。ゴブリンジェネラルたちが疑問を口にする前にブゴーが続きを言う。
「アントビークイーンを連れてくる。あれにメイハマーレの攻撃に耐えられる頑丈さは無い。アントビークイーンは加護を受けてはいないが、御方がここに住むことをお許しになったモンスター。一応、守ってやらねばならないだろう」
「む、そうか」
「その通りだな……」
ブゴーに言われるまでその存在を忘れていたゴブリンジェネラルたち。
アテンに重要な役目を任された者としてこれではいけない。もっと視野を広げなければと気を引き締め直していると、聞き慣れない声が聞こえてきた。
「その必要は無いぜ」
軽い声と同時に、ブゴーたちの足元に転がされた何か。よく見なくても、それはブゴーが今から連れてこようとしていたアントビークイーンだった。
ギ、ギ、と小さく鳴きながら脚をピクピクさせている。あまり元気なようには見えないが、生きているならとりあえずそれで良い。
それよりも、と、三人はアントビークイーンを連れてきた者に目をやる。話しかけられるまでその気配を感じなかった。
つまり、なかなかの力の持ち主だ。しかし三人にはこのダンジョン内で該当する者が思い至らない。このタイミングでアントビークイーンを連れてきたのだから仲間なのだろうが、とその者を見たブゴーたちは驚きに目を見開いた。
身長はゴブリンジェネラルたちやブゴーと同じ位の百七十センチほど。すらりとした体躯には筋肉が凝縮して詰め込まれており力強さを感じさせる。
頭には三角の長い紫キャップを被り、上半身には胸ほどまでしかない短い黒ベスト、下半身にはダボついている白いズボンを履き、足には爪先が尖っている黒い靴を履いていた。
左手には死神を連想させる大鎌、デスサイズを携えており、その表情は実に自信に満ち溢れている。自分を見る三人の驚きの顔が面白かったのか、その者はニヤリとした笑みを浮かべた。
「ふっ、おいおい。どうしたよ、お前ら? 俺のあまりにも素晴らしい姿に、声も出ないってか?」
「お、お前はッ!! ……誰だ?」
ゴブリンジェネラルのボケに顔面からズッコケる鎌男。アントビークイーンと同じような姿勢からがばっと起き上がると猛然と抗議し始めた。
「おいッ! そりゃねーだろ!? アテンの地獄の特訓を生き抜いてようやく進化できたってのによお!! 俺だよ、俺! ほら、分かるだろ!?」
「オレ、というモンスターに心当たりは無いな」
「頭固すぎかよッ!! ゴブリンストーカーだよッッ!!」
冗談の通じないゴブリンジェネラルたちを相手にこれ以上は無駄だと悟ったのか、キャップを地面に叩きつけながら虚しく正体を明かした元ゴブリンストーカー。叩きつけたキャップをすぐに拾い、埃を落としながら被り直すその滑稽さは確かにあのゴブリンストーカーにそっくりだった。
理解を示すゴブリンジェネラルたち。その内情はどうであれ、自分のことを分かってもらえた様子に、意気揚々と新しく生まれ変わった自分のことを語り出そうとするゴブリンストーカーだったが、何せタイミングが悪かった。
「よし、分かったようだな。だがしかし! 今の俺はゴブリンストーカーではない!! いいか、よく聞け! 俺は……ッ!!」
腕を横に広げ胸を開いていた元ゴブリンストーカーの身体が横に吹っ飛ぶ。
メイハマーレの衝撃波、直撃。
手からこぼれた大鎌がカラン、と乾いた音を立てて落ちた。
これが、持って生まれた運命か。衝撃波が当たりそうになっていることに一人だけ気づかなかったゴブリンストーカーは、誰にも庇ってもらえることなく、登場即退場していった。
「……まさかそのまま当たるとはな。気づいていなかったのか?」
「むう。進化した自らの耐久力を試すためか?」
「馬鹿なだけだ。ここはオデ一人でいいからお前たちは下に向かえ。戦いももうじき終わる。それまで耐え抜け」
「「うむ」」
言った通りゴブリンジェネラルたちが下山していき、ブゴーとアントビークイーンだけがその場に残されると、ブゴーは暴れるメイハマーレの方を見ながらポツリと呟いた。
「未熟者が」
その精神の脆弱性は前から気になっていた。あの程度の者に実力で負けていると思うと腹立たしい。
いつか必ず。その決意を胸に、ブゴーはまた一つ衝撃波を殴り飛ばした。
ゼェ、ゼェ、と、かつてないほど息を乱すアテン。その身体の色は今や白よりも赤が目立つ。
まともに食らえば一撃で致命的なダメージになってしまうメイハマーレの巨大なドラゴンの手を、能力の下がったアテンは躱しきることができなかった。繰り出される度に減っていく体力と血に、足がどんどん重くなっていく。
<祖の嘆き>を使えばこの状態でも一時的に挽回することができるだろうが、そんな力技に頼ってもアテンが望む結果は得られない気がした。
強きを求める本能が囁く声に従いながら藻掻くうちにスキルを使うだけの魔力も無くなり、意識も鮮明さを欠いて朦朧としていく。それはまるで、まだ自我に芽生えていなかったあの頃のようだ。
あの頃。
まだ何の価値も無い、ただのゴブリンだった自分。生きているのか死んでいるのか分からないような状態で戦い続けて、抗い続けていた。
その心にあったのは強くならなければ、と言う想い。強くなるためには生き残り続けなければならない。そして生き残り続けるためにはどうすれば良いか、当時のアテンは無意識の内に答えを出していた。
それは、周りと違ったことをすること。ただ我武者羅に突っ込んでいくだけではいずれ死ぬと感じた。別の方法が必要だと思った。
その考えに至った時、アテンの体は前に動くことを止め、受けの姿勢をとっていた。相手の力を利用し自分に有利な状況にする。無駄なく効率よく、必要最小限の力で。
それが、運に頼らずに生き残る唯一の方法だった。
(そうだ……そうであった……)
進化して半端に力を手にしてから、いつの間にか相手の力を利用することはなくなっていた。
そんなことをせずとも自分の方が強かったから。一々受けの姿勢をとることの方が面倒になっていた。だが、今の状況はどうか。
相手の力は自分を優に上回り、追い込まれている。ただのゴブリンだった時は相手も同じ位の力だった。あの頃よりも厳しい状況だ。
この先も生き残り望みを繋げるためには、まさに普通ではない打開策が必要だった。
(今の私ならば。相手の身体にオーラを流し込めるほどの技術を体得した、今の私ならば……ッ!!)
焦点の合っていなかったアテンの瞳に力強さが戻る。一度メイハマーレから距離を取ると、大きく息を吸い込み深呼吸一つ。腕をだらんと下げて棒立ちになった。
今こそ、初心に帰る時。
再びの、受けの姿勢。
一見無防備にしか見えない姿。しかしその周囲の空気は静かに張り詰めている。
暴走しているメイハマーレはその事に気づかない。生きることを諦めたようにも見えるアテンに、最期の一撃を与えんと全力の横薙ぎが繰り出された。
地面を抉りながら迫る、不可避の死。アテンはそれに対し、タイミングを合わせて後ろに飛ぶとドラゴンの手に右腕を伸ばした。
その手にドラゴンの手の先端、爪の部分を掴むとがっしりと握り込む。<陽のイーグル>の効果が切れているアテンの右腕に、その身を侵食せんと爪の部分から触手が伸びて右腕を包み込んでいくが、今だけはむしろ好都合だ。
一瞬でしっかりと結合したことを確認したアテンは闘争心を剝き出しにする。轟くような咆哮を上げた。
「オオオオオオオオオオオオオオッッ!!」
『ッ!?』
アテンを中心にメイハマーレが大きく円を描く。ほぼ正反対の位置までぶん回されたメイハマーレはそのまま地面に強烈に叩きつけられた。
『ぎッ、がぁ……ッ!』
その威力の高さに、地面がメイハマーレの形に陥没し反動で土が浮き上がる。衝撃によって触手の拘束が緩むと素早く振り払い、隙を晒したメイハマーレの本体に渾身の拳を打ち込んだ。
『ッ!!? ボエエエエェェェェッ!!』
嘔吐しながら藻掻き苦しむメイハマーレ。しかしアテンも残りのオーラが少ないため、そのダメージは致命的とはいかない。
闘争本能が収まらず、すぐに反撃を開始するメイハマーレ。だがその攻撃がアテンに当たることは二度となかった。
一度でも当たればその時点で勝負がつくのに、そのたった一回がいつまでも訪れない。繰り出す攻撃は全ていなされ、利用され逆にメイハマーレがダメージを負っていく。
今のメイハマーレには、何が起きているのか理解不能だった。
洗練されていく。
死の一撃を乗り越える度に、アテンのオーラが研ぎ澄まされていく。
かつてないほどの経験値と成長スピード。自分のレベルが上がっているとハッキリ自覚できるほどの劇的な戦いは、やがて鮮烈なる結果となってアテンに表れた。
いつの間にか、アテンの周りに白く煌めく粒子が舞い始める。マジックバッグの中から独りでに、一つ、また一つと、いくつもの小さな光が飛び出し、まるで妖精のようにアテンの周りをくるくると飛び始めると、次の瞬間、アテンを包む光の柱になって天を衝いた。
黒い雲を突き破り、遥か彼方から白光に照らされているようなその様は、まるで天上からの祝福。あっという間に増していく光の強さに、アテンの姿はすぐに見えなくなった。
危機意識が働いたメイハマーレはその光の柱を殴りつける。だが、ただの光であるはずのその柱はメイハマーレの攻撃を受け付けなかった。
何度やっても同じ。音もなく手応えもなく、メイハマーレの攻撃は無効化され続けた。
それでも理性を失った獣の如く、光の柱を蹂躙すべくドラゴンの手を振るい続けるメイハマーレの耳に、光の中から声が届く。
「騒々しいぞ」
そこから何が起こったか。メイハマーレは認識できないまま、体に穴を開けられ、地面に倒れていた。
「進化している間ぐらい、大人しくできんのか? さすがに見苦しいぞ、メイハマーレ」
『ゴフッ……。ア、アデ、ン……?』
逆光となって姿の見づらいその者から呆れた声が出される。霧散していく光の柱はやがて逆光から後光へと変わり、その者を神秘的に照らしだした。
アテン。
その容姿は、光に包まれる前とさほど変わらず、けれども、決定的に違っていた。進化したことによって万全の状態を取り戻した身体にはしっかりと左腕が戻っているが、そんなものは些細なことに過ぎない。
その存在に、圧倒される。
全身を飾っていた数多くのアクセサリーは、もはや自分たちではその身を飾るには力不足だと言わんばかりに全てが無くなっていた。
一等星に余計な装飾など不要。その美しさを彩るに相応しいのは己の肉体のみであり、着飾る必要性が消失していた。
簡素になったことで逆に引き出された魅力。その中でも特に目を引くのが、瞳だ。透き通ったブルーサファイアの瞳は時折仄かに光を放つ。
血の巡りのように循環する魔力に反応して魔法陣が浮かび上がっていた。それは、魔眼に似て非なるもの。魔人を超えて、新たな領域へと至った者が現れたことの証明だった。
そんな、別の次元に足を踏み入れたアテンからは特徴的だった額の黒い角が無くなっている。その代わり、腰には剣を佩刀するように無骨で原始的ながらも黒く美しい、切れ味など全く無さそうな小型剣を携えていた。
正気を失いながらも肌身に感じる格の違い。メイハマーレは塞がらない本体の傷跡から血を流しながらアテンを睨みつける。
『アデン……!!』
「メイハマーレよ。もはや勝負はついた。人間たちももういない。いつまでもそんな汚らしい言葉遣いをしていないで、さっさと正気に戻れ」
『アデンッ!!』
「無駄だと言うに……」
なおもアテンを殺そうとするメイハマーレからオーラが噴き出す。地面の染みにしてやらんとばかりに上から強烈な叩きつけを行うが、その攻撃はメイハマーレの理想とは逆の結果を齎した。
回復したからと言って、食らえばただでは済まないはずの一撃を今のアテンは躱すでもなく防御するでもなく、そのまま受ける。
だが、その身体を動かすことは一ミリも叶わず。まるでメイハマーレの方が慎重にアテンの頭に手を置いたのではないかと言うような状態になっていた。
勿論のこと、実情はそんな生ぬるいものではない。攻撃を無効化され、驚きのあまり動きが止まったメイハマーレの巨大な手は、その攻撃の威力を倍返しされたかのような衝撃を受けて爆散した。
『アアアアアアアアアアアアアァァァァ!!?』
意識が飛びかねない激痛に襲われて悶えるメイハマーレ。そんなメイハマーレをアテンが『視た』瞬間、メイハマーレが纏っていた全てのオーラが忽然と消えてしまった。
変形させていたもう片方のドラゴンの手もただの触手へと戻り、常に展開されている浮遊する魔法陣すらも停止してメイハマーレは地面にボテっと落ちた。
完膚なきまでに圧倒するアテン。尋常ならざる力を手にしたにもかかわらず、その心は実に静かだった。
決して驕らず、溺れず。抗い続けるメイハマーレを諭す。
「もう分かったであろう。これにて本作戦は終了だ。しかしまだいくつかの後始末が残っている。貴様は貴様の成すべきことをなせ」
『アデンンンンンンンッッ!!』
「馬鹿が……」
これほどの差を見せつけられておきながら、メイハマーレからは引き下がる様子が見られなかった。再びオーラが滲み出し戦闘態勢に入ろうとする。
「いい加減にしろ、メイハマーレ」
そんなメイハマーレのオーラを今度は強めに消し去るアテン。戦闘の継続はできず、それでも後始末程度はできる魔力だけを残す。
これにて完全に戦いは終了。決着はついたはずだった。
だが三度、メイハマーレからはオーラが噴き出す。
「む……」
『ア、デ、ンン……』
もう原型を保っていないメイハマーレの擬態。酸を全身に被って溶けた人間のような姿に成り下がったメイハマーレは、ドロドロの腕触手をアテンの方に伸ばす。
暴走。
圧倒的敗北は、手の届きそうだった第一配下の地位をメイハマーレから奪った。
欲しかったものを目の前にして、ほぼ確実に自分が手にすると思っていたものを目の前にして、それを横から掻っ攫われることを、メイハマーレは認めることができなかった。
悍ましい程の執着。一モンスターとしての領分を越えて御方のおそばにいたいという、メイハマーレが心に抱えていた闇を、アテンも、メイハマーレ自身も、気づくことができなかった。
今のアテンの強さを超えることがどれだけ難しいか。それを本能で悟ってしまうがために絶望し、メイハマーレは止まれなくなっていた。
『アアアアアアァァ!』
欲求に従い力を求めるメイハマーレ。擬態ばかりか、本体までもがその形を崩し始めてしまう。
周囲には淀んだ霧が出始め、ただならぬ雰囲気を放ち始める。それを見てアテンは声を荒らげた。
「止めろメイハマーレ! ただの獣になり下がる気か!? 今までの努力を、全て無駄にするつもりかッ!!」
進化成らざる進化。誤った道に進もうとするメイハマーレをなんとか止めようとするアテン。
だがアテンとの力の差を理解させられるほどメイハマーレの暴走は加速する。メイハマーレの周囲を取り囲む霧の濃度がどんどん濃くなっていった。
(チィッ! 私が止めても逆効果にしかならん! どうする!?)
アテンにできることは大人しく見届けるか、殺すか。どちらかしかなかった。アテンはこの現状に素早く思考を巡らせている。
(御方は、これをお望みなのだろうか。否、それはない。ここまで鍛えあげてきたメイハマーレを獣にするメリットは存在しない! これは、絶対に止めなければならないはずだ!)
「メイハマーレ! 正気に戻れ!!」
『オオオオォォ……』
アテンが必死に声をかけるも、どうにもならない。これを強制的に止めるにはアテン以外の者でないとならなかった。
だが今から止めに入るとしても間に合う者がいない。もうすぐ進化の霧がメイハマーレを覆い尽くしてしまう。
自我を失くした異形になり果てる前に殺してやることがせめてもの手向けかと、アテンが諦めかけたその時。黒雲が瞬き、天空から凄まじい稲妻が落ちた。
「ッ!?」
『ギイイァァッ!!?』
轟音と光を撒き散らし、一瞬だけ世界を白く染めあげた稲妻は、完全にメイハマーレを包もうとしていた霧を突き破って直撃した。その威力に進化はキャンセルされ、風に流されるように霧が無くなっていく。
その中からは、黒焦げになって倒れたメイハマーレが出てきた。
「今の電は……ミー、か? 湖からここまでは離れすぎて……。ッ、いや、そうか。そういうことだったか。さすがとしか、言いようがありません。……御方ッ」
空を見上げたアテンは全てを理解した。
黒雲への干渉。ミーは、この空を利用することでここまで攻撃を届かせたのだ。
「全ては、この時のための曇り空でしたか。それを私は雰囲気作りのためなどと、なんと愚かしいことを。この身になってもまだ足元にすら届かないとは、さすがは至高の神。このアテン。貴方様に生涯変わらぬ忠誠を誓います」
そこにはいないと分かっていながら、アテンは聖域に向けて跪く。今はそれしかできないのが口惜しかった。
そして、ミーの攻撃によって倒れていたメイハマーレは、自然治癒能力で殻が破れるように表面の黒焦げがポロポロと落ちて、元の姿を取り戻していた。
いつも叱責している者から叱責し返されるのは、中々効いた。ゴロゴロ鳴っている空を見ながら、メイハマーレはふと、以前御方から言われた言葉を思い出していた。
「……嗚呼、御方。頑張りすぎるなとは、この事を仰っていたのですね……」
あの時はその意味を掴みかねていた。しかし今ならはっきりと分かる。御方は、この暴走を見越していたのだ。
本来ならばこうなる前にメイハマーレ自身で気づかなければならなかったこと。またしても御方のご期待に応えられなかった。
それに対し、いつもなら悔しいと思うはずのメイハマーレだったが、今日抱いた感情はいつものものとは違っていた。
「凄すぎです、御方。こんなの、分かるわけないじゃないですか……」
神の考えを見通す。言うまでもなく不可能だ。しかし、メイハマーレは今までその不可能をできると信じて頑張ってきた。
御方が配下たちに考えることを求めているのは間違いないだろう。だが、そのお考えとメイハマーレの考えの間にはハッキリとした違いがあった。
神のお考えを完全に理解しようなど、ただの驕りでしかない。そんなことも分からないほど、メイハマーレは頑張り過ぎてしまっていた。
今のお前は当たり前のことすら見えなくなっているから。この戦いに負けて頭を冷やせと、そういうことだろう。危うく取り返しのつかないことになるところだった。
自分らしく。自分のペースで。
隠された激励を受け取ったメイハマーレの心は、今の空模様とは正反対で。
木漏れ日の中を美しく咲く一輪の花のように、眉を八の字にしながらも可愛らしい笑顔を浮かべていた。
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