後日談 再臨
第139話 その一
「邪魔するぞ、ゲーリィ」
「ん? おぉ、これはこれは、アテン殿。それにレイン君。今日はどうなさいました? あぁ、今お茶を淹れますので、おかけになってお待ちください」
ゲーリィがギルド長室でガトーに代わり執務に励んでいると、アテンが入ってくる。その姿はゲーリィが魔王のダンジョンで最後に見た時とは違い、腕が戻り、何だか崇めてしまいそうなほど威厳に溢れた完璧な状態だった。
ダンジョンの外で待つこと一晩。アテンは、生きて戻ってきてくれた。あの時に沸き上がった大歓声は記憶に新しい。
魔人がどうなったかなど、二の次三の次。誰もがアテンの無事を喜んでいた。ゲーリィたちもその時は一緒になって無事を喜んでいたのだが、すぐに『腕はどうした!?』と騒ぎ出したものだ。
そのマジックのタネはポーション。何を隠そう、アテンの切り札とは四肢欠損を治すほどのポーションだったのだ。
アテンは、あのダンジョンから取れたポーションを見た時に、見たことがないと言っていたため勝手に思い込んでしまっていたのだが、別に自分がそれに類するポーションを持っていないとは言っていなかった。
アテンは今まで存在を明らかにしてこなかったその秘蔵のポーションを魔人が油断した時に使い、見事、甚大なダメージを与えることに成功したのだと言う。
その話を聞いた時は事前に教えてくれても、と思ったものだが、敵を騙すにはまず味方からと言う言葉もある。あの魔人の裏をかくにはそれぐらいやらないといけないのはゲーリィには納得できる話だった。
尊い犠牲を出しながら、辛くも勝利を掴み取ったあの時から数週間。ヘルカンの街、ひいては国を取り巻く環境は大きく変化していた。ガトーが冒険者ギルドにいないのもそれが大きく関係している。
ガトーは今、ヘクターに随行して王都まで出かけていた。その理由は国王の死。その原因が献上したポーションにあるのではないかと疑われ、ヘクター共々、話を聞くために召喚されているのだ。
ひどい事件だったと聞いている。ポーションを摂取して身体がモンスターのように変異した王に気づかず、その身を傷つけた兵たちが相当数、処罰されたらしい。
気づけというのが無理な話なのに、難癖をつけてこれを機に王派閥を徹底的に追い詰めるつもりなのだろう。同時期に、王族の失墜を示唆するかのように玉座が無くなるという不可解な事件も起きており、侯爵派閥の本気度が窺えた。
これらのことから、ポーションを渡したヘクターも厳しい追及を受けるはずだ。だが、ゲーリィが一番心配しているのはガトーについてだった。
平民の中ではそこそこの地位がある立場とは言え、今回は事がことだ。厳しい取り調べは避けられないだろう。
ここで言う厳しい取り調べとは、拷問まがいのことだ。一般人より肉体が強く、『オーラ纏い』も使えるとは言え、時間をかければ結局のところ追い込まれてしまうことに変わりはない。
命がけで魔人戦を乗り切ったと思ったらこの仕打ち。加えて王にはあのポーションの危険性も知らせてあった。
ゲーリィは出かける間際の、ガトーの身震いがするほど冷たくて『黒かった』目を覚えている。もしガトーが向こうで暴れてこの街に逃げ帰って来るようなことになったとしても、自分だけは何があってもガトーの味方をしようと決意していたのだった。
作業の手を止めて慣れた手つきで紅茶を淹れるゲーリィ。丁度、休憩しようと思っていたところだったので自分の分も含めてカップを三つ用意して運ぶ。
その時に目に映ったレインが、物珍し気にあちこち見ていて『おや?』と思った。確かにレインがこの部屋に入ることはあまりないだろうが、そもそもここ最近のレインは感情が無くなってしまったかのようにほぼ無反応の状態だった。
信頼する師匠であるアテンが面倒を見ているとは言え、仲間を一気に失ってしまった辛さはその者にしか分からない。もう二度と感情が戻らないかもしれないと言っていたガトーの言葉が強く印象に残っていた。
しかし今日のレインはまるで以前の好奇心さを取り戻したかのようだ。一体どういうことだろうかと思いながらアテンの前に紅茶を置くと、そこから驚愕の展開が待っていた。
「どうぞ、レイン様。紅茶でございます」
「うむ」
(…………は??)
目の前で起きたことが信じられない。アテンは自分の前に置かれた紅茶を迷い無くレインの前に置き直す。
その自然さは、下々の者が王に献上品を贈る際、間に侍従を挟む時のやり取りを彷仏とさせた。恭しく差し出されたカップを手に取り、しばし香りを楽しんだあと口をつけるレイン。
唖然としていたゲーリィはそれを見て息を飲んだ。その仕草が、落ち着き払った表情が、あまりにも堂に入っていたからだ。洗練された動作は威厳を醸し出し、若者からあるべき姿へと変える。
王。
類まれなる英雄、アテンを従える今のレインは、比類なき本物の王のようだった。状況を全然飲み込めないゲーリィをよそに事態はどんどん進行する。
「ほぅ……。美味いな」
「ありがとうございます、レイン様。身に余るお言葉に、給仕の者も喜んでおります」
「……そうか。お前も飲むといい。俺の前だからと言って遠慮することはないぞ」
「ハッ。ありがとうございます! ゲーリィ、私ももらおうか」
「あ、はい」
言われるがままに紅茶を差し出す。ゲーリィの頭は、一体何が起きているのか、と言うことで一杯だった。そんなゲーリィの気持ちを察してくれたのか、アテンがこの状況を説明してくれる。
「精神の均衡を保つためだ」
「そう、ですか……?」
端的に結論を述べるアテンだったが、思考停止しているゲーリィの頭はそれだけでは理解しきれない。それを見抜いたアテンは一つ溜息をついた後、言葉を付け足した。
「あの戦いの後からレインの精神は非常に危うい状態だった。これに対処するため、私は実験的に立場の変更を試みた。環境を変えることで、心理的な変化を齎そうと言う狙いだ。その結果は上々。だが、まだまだ経過観察が必要故に、これからもこのようなことがあるかもしれん。貴様も私の態度を見て、その都度レインへの対応を変えるようにしろ。よいか、私が傅いている時は、何があっても、絶対に! 失礼の無いようにしろ」
「は、はい……。な、成る程、そのような意図があったのですね……」
かろうじて相槌を打つゲーリィ。効果覿面すぎないかとか、もう治ってるんじゃないかとか、様々な考えが頭をよぎるがアテンがそう言うのであれば否応もない。
大貴族であるプライドをかなぐり捨ててまで、レインのためにここまでしているのだ。ゲーリィも、レインがもとの元気な姿を取り戻すなら協力は惜しまない。
たった一人になってしまった『約束の旗』のリーダー、レイン。仲間を全員失ってしまい、失意のどん底に落ちてしまった彼をどうするかは、よくよく話し合われた。
始めはレインを『魔導の盾』に入れるという意見もあったのだが、今のレインは実力が飛び抜け過ぎてしまっていた。パーティーとは大抵、同じ位の力量の者たちで組むものだ。
ワンマンパーティーと言うのも悪くは無いのだが、予期せぬところで問題が起きたりする。戦いの中で要となる者がやられてしまえば、たちまち全滅する危険性が高まるし、他のパーティーメンバーたちが成長しづらくなってしまう。
それはこれまでエルゼクスがパーティーを牽引してきた『魔導の盾』の例を見れば分かるだろう。彼らは同じ過ちを繰り返さないように必死になって藻掻いている最中だ。
そんな彼らの努力を無駄にしないためにも、レインを『魔導の盾』に入れるわけにはいかなかった。ではどうするのかとなった時に名乗り出てくれたのが、アテンだった。
アテンは本当であれば今まで通り一人で行動したかったのだろうが、きっと師匠として思うところがあったのだ。まだ若いレインを一人のまま冒険者をやらせるには不安だった冒険者ギルドは、このありがたい申し出に甘えさせてもらうことにしたのだった。
(魔人を倒せたわけではないと、引き続きこの街に留まってくれることにもなりましたし、もう何と言ったらいいか。アテン殿には、頭が上がりません……)
この街がまだ残っているのは間違いなくアテンのおかげだ。名実ともに英雄となったアテンの名を知らない者はこの街にはいない。
魔人を退けたことで多少の活気を取り戻した街を見渡せば子供たちが英雄アテンごっこで遊び、ご婦人方はその魅力がとどまるところを知らないアテンのことで盛り上がっては頬を紅く染める。そんな光景が当たり前になっていた。
もうこの街にアテンがいないことなんて考えられない。それほどまでにその存在は大きなものになっていた。
対面に座り、紅茶を飲みながらアテンを見ていると自分ですら魅了されてしまいそうになるが、中年の野郎から熱視線を送られても気色悪いだけだろう。折を見て、今回の訪問理由を尋ねてみた。
「それで、アテン殿。本日はどうなされたのですか? 私に何か用でも?」
レインの件もそうだろうが他にも何かある気がする。そんなゲーリィの予想は当たった。
「紅蓮の洞に潜ってくる。深部まではしばらく調査が行われていなかろう。それに伴い数日間、特訓も無しにするのでその旨を通達しておけ」
「……何から何まで。ありがとうございます、アテン殿」
深々と頭を下げるゲーリィ。あのダンジョンは確かに調査が必要な時期にきていたので、願ってもない申し出だった。
依頼しなければと思っていながら、こうしてアテンが言い出すまで調査が行われてこなかったのは、そこまで調査するに足る冒険者パーティーが無かったからだ。
全七階層で構成される紅蓮の洞。このダンジョンの調査を困難なものにしているのが、平原と丘陵の第五階層の先にある、最大の難関にしてダンジョンの名前の由来ともなっている第六階層だった。
その難易度はミスリル級冒険者パーティーでないとまず踏破は不可能と言われるほど。現在、紅蓮の洞はとある理由で意欲の高い冒険者パーティーが続々と乗り込んでいる最中だが、未だに第六階層に辿り着くのが精一杯で、ダンジョンボスがいる第七階層に辿り着いたパーティーの報告は無い。
ヘルカンの街には『魔導の盾』が在籍しているので調査が滞ることは無かったのだが、先の戦いで前衛の要であり、リーダーでもあったリストールを失った今の『魔導の盾』では調査が厳しくなってしまった。
魔王のダンジョン対策が優先されていたため仕方のないことだったとは言え、このタイミングで都合の悪いことが重なってしまったことに頭を悩ませていたのだ。
実のところ、最近になって『魔導の盾』を超える、とある冒険者パーティーがこの街に来たので、万が一の時には調査を依頼することもできたのだが、外から来たばかりの冒険者パーティーにこの街が抱える問題解決をお願いするのは外聞が悪い。
それらの問題を解消してくれると言うのだから、ゲーリィの頭だって自然と下がるというものだ。
アテンがやってくれると言うのならば何の文句も無い。文句が無いどころか、これ以上の調査など存在しない。
普通のパーティーならば見落としてしまうような異変でもしっかりと見つけ出し、完璧な報告をしてくれるに違いないのだから。
ちなみにこのダンジョンを発見した時はまだ第六階層が無かったので別の名前で呼ばれていたのだが、数年前に階層が追加された時、物珍しさもあっていつの間にか名前が変わっていたのはご愛嬌だ。他のダンジョンでもまま起きていることであり、大抵の場合は発展の証と、良い意味に受け止められている。
その後、王の死亡により国内がゴタゴタしている隙を突いて隣国が怪しい動きをしていることなど、情勢についての共有も終えて、話し合いも終わりを迎えようとしていた頃、再びレインの姿がゲーリィの目に入ってきた。
アテンと話している間、一言も喋らず、紅茶を飲みながらずっと微笑み続けていたレイン。その優美さは別人のそれであり、自慢の臣下の働きに満足しているかのような表情だった。
その変化はやはりすぐに受け入れられるものではなく、ゲーリィがレインに向ける視線の中に困惑と戸惑いが混ざり始めた時、不意にレインと目があった。
ゲーリィの心臓がドクン、と高なる。何故そうなったのかは分からない。
焦りか、恐怖か。得体の知れない人間になってしまったレインの目を見ていると落ち着かない気分になってしまう。
その心音が聞こえているかのように、笑みを一転して不敵なものに変えたレインは、肘掛けに腕を置いて頬杖をつき、たおやかに足を組むと尊大に口を開いた。
「そうだ、ゲーリィと言ったな。お前には聞いてみたいことがあったのだ。話も終わりのようだし、一つよいか?」
「ぇ、あ……」
「レイン様は直答をお許しになられている。誠心誠意お答えせよ」
「は、はい……」
レインもアテンも、役になりきっているその姿は王様ごっこの域を軽く超えていた。アテンからはピリピリとした緊迫感が伝わってくるほどだ。
おふざけ一切無しの、目がガチのマジ。
下手のことを言ったら首が飛ぶのではないか。場のプレッシャーに飲み込まれたゲーリィは喉を鳴らして唾を飲み込み、その衝撃に備えた。
「今の世界に、満足しているか?」
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