第127話 黒

 <フライ>で移動するガトーたち三人が、リストールの首を胸に抱えて立ち竦むエルゼクスたち『魔導の盾』の姿を発見したのは、ブゴーと戦った場所から南へ進んでいる時だった。


 ゼルロンドの<気配察知>でギリギリ知覚できる範囲に仲間の反応を捉えたガトーたちは予定を変更して仲間たちの救出を優先した。


 魔人はどこに行ってしまったのか分からないし、感知した戦いが既に危機的状況に陥っているというので急いで来たのだが間に合わなかったようだ。


 モンスターの姿は無く、四人が生き残っていると言うこともあってリストールの犠牲と引き換えに何とか倒したのかと思ったがどうやらそうではないようだ。モンスターたちが何を考えているのか分からず困惑する。


「俺たちが戦ったのは、悪魔でした」


 俯いて一言も喋らないエルゼクスに変わってレンジャーの男がガトーたちの質問に答える。


「悪魔っつーと、山羊の悪魔、だよな? ……進化個体か」


 ゼルロンドが捉えた敵の反応は一体だけだった。しかしたった一体の山羊悪魔に『魔導の盾』が後れを取るはずがない。そうなると答えは自然と導き出された。


「そう、だと思います。聞いていた姿とは違っていましたから。体全体はくすんだシルバーホワイトに気味の悪い黒い模様が入っていて、顔の下半分は骨だけ。背中に生えていた大きな翼もほとんどが骨で出来ている悪魔でした」


「なんだそりゃ……」


 まるでアンデッド系モンスターを想像させるその容姿にガトーは顔を顰める。


 元が厄介なスキルで構成された悪魔だ。そこにアンテッド特有の状態異常などが加われば手強いことは簡単に予想がついた。


 しかしだからこそ分からない。前衛の要であるリストールを殺しておきながら何故でそこで手を引いたのか。


 おそらく全滅させることもできたはずだ。聞きづらいことではあるが今後を考えれば必要な情報。ガトーは踏み込んだ。


「それで、そいつはどうして中途半端に手を引いた? 何か分かるか?」


 レンジャーの男は歯を食いしばって怒りの表情を浮かべた。


「あいつは、嗤ってました。リストールが殺されて陣形を保てなくなった俺たちを嘲笑うかのように……! 今なら分かる。あいつは、俺たちが一番苦しむ選択をしただけなんだって! ただ殺すよりも、そうした方が見ていて楽しいからッ。そんな理由で俺たちは生かされたんですよ!!」


 その咆哮は叫びに似ていた。怒りに染まりながら泣いているようだった。


 他のパーティーメンバーたちも似たようなものだ。精神的にかなり参っている。それを見てガトーたちは判断した。


 『魔導の盾』はもう戦える状態じゃない。このまま連れて歩いて他の仲間たちの救助に行くのは危険だった。


「一度、第一階層まで戻りましょう。そこから先は申し訳ありませんがゼルロンド殿、彼らの先導をお願いします。私とガトーは引き続き第二階層に残り、他の方たちを探しますので」


「分かりました」


 ゲーリィの提案を素直に引き受けるゼルロンド。本当ならここから二手に分かれて行動したいところだが、第二階層のモンスターたちは油断ならない。


 今のゼルロンドと『魔導の盾』では不覚を取る恐れがあった。そのため、安全面を考慮し第一階層に着くまでは全員で行動することにする。


 もし魔人が現れれば全員揃っていてもその時点で終わりなので考慮には入れない。そうならないことを祈るばかりだった。


 『魔導の盾』のメンバーたちを気遣いながら慎重に進んでいると、やがて第一階層と繋がる階段が見えてくる。ようやくここまで来れたと少し安心するガトーたち。


 岩山を登り切って別行動に移ろうとした時、ゼルロンドが急に第二階層の方に振り返った。


「こ、これは……」


 驚きと戸惑いの声。それが何を意味しているのか分からずガトーとゲーリィも眼下に視線を移すと、こちらに向かって歩いてくる者がいるのを発見した。


 嘘だろ。


 そんな言葉を誰かが呟く。


 そこにいたのは三人。クリステルを右肩に担いだアテン。そしてレイン。


 まず、五人パーティーのはずのレインか何故メンバーを率いていないのか。そして何故アテンと一緒に戻ってきたのか。


 その理由に思い当たり、胸が締め付けられるほど苦しくなった。だが、何よりもガトーたちを驚愕たらしめたのはアテンの姿だった。


 完全無欠。怪我はおろか、傷ひとつ負ったところを見たことがなかったアテンは今、左腕を失くしていた。


 今回の作戦の最重要人物、人類の希望であるアテンの左腕欠損。


 言葉にせずともここにいる者たちならそれが齎す影響を痛いほどに理解できる。故に誰も喋ることができず、そして時間だけが経っていくうちにガトーたちの元までアテンが辿り着いた。


 沈黙が支配する階段の前で、いつも通り淡々と口を開いたのはアテンだった。


「余計な手間が省けたな。地上に戻るならこいつらもついでに連れて行け」


 肩からクリステルを下ろし『魔導の盾』に預けるアテン。そのいつも通りすぎる振る舞いが今は逆に痛々しく見えた。


 ガトーはなんと声をかけていいか分からず、それでも何か言わなくてはと強引に口を開く。


「あ、アテン。お前……」


「貴様らを追っている最中、魔人が移動したのが分かったのでな。私はそちらに向かっていた。どうやら魔人は、仲間を殺されたことで覚醒したレインに、自分が用意したゴブリンジェネラルたちを殺されたくなかったようだ。モンスターに勝てたら生きて帰すと言うルールを破り、自らがレインにとどめを刺そうとしていたところに何とか割り込むことができた。魔人とゴブリンジェネラルたちは逃してしまったが、丁度近くにいたクリステルの相手、白いゴブリンは仕留められたのだがな。こいつも、トドメを刺す寸前で油断していたので殺すのは楽だった」


 言葉を遮るように一連の出来事を一気に説明したアテンに、ガトーはその心中を察した。


 危険も顧みず味方を庇ったはいいが、また想定外の事態になってしまったことが不甲斐ないのだろう。しかも今回は片腕を持っていかれると言う大失態だ。


 アテンは誰よりもこの計画の自分の役割と重要性を理解している。全て分かっているから、今は何も言うなと言いたいのだ。そしてそれを、助けられたレインも分かっている。


(見ちゃいられねえな……)


 ガトーは目を逸らし唇を噛む。それだけ今のレインは見るに耐えなかった。


 普段の活発な様子が全く見られない。それは自責の念や後悔などを遥かに通り越して、無だ。


 目がどこまでも暗く沈んで光が宿っていない。完璧な無表情。棒立ちで立ち竦んでいる姿は今すぐ抱き締めてやりたいほどだ。


 しかし、できない。アテンが言った通り、仲間を失って力が覚醒したと言うレインはとんでもない威圧感を放っていた。


 それがただの強者が発するような威圧感ならば何も問題は無かったのだが、レインの放つそれはあまり良いと思えるものではなかった。


 例えは悪いが、ブゴーや山羊の悪魔と似たような感じとでも言おうか。接近を躊躇するには十分なものだった。


 ガトーがレインの精神面を心配していると、アテンは踵を返して歩き出す。再び岩山を下りていこうとするアテンにガトーはギョッとして慌てて引き止めた。


「おいッ、アテン! お前、どこに行くつもりだ!?」


「何を寝ぼけたことを言っているのだ貴様は。魔人を倒しに行くに決まっているだろう」


「倒しに行くって、お前、その腕じゃ……」


 アテンの意志の強靭さには驚かされるが、正直言ってガトーには無謀にしか思えなかった。


 片腕を無くした今のアテンが果たしてどれぐらい戦えるのか。それは魔人に匹敵する程なのか。


 今の状況でもまだ勝てると思うのは、考えが甘いと言わざるを得ないだろう。加えて、ガトーの脳裏にはブゴーの言葉が思い返されていた。


(もし魔人がピンチになれば仲間を呼び寄せる。仮にアテンが魔人を追い詰めたとしても、他の奴らまで呼ばれたら絶対に勝てねぇ……)


 白いゴブリンは倒したようだが、ブゴーを始めとして、進化した悪魔や、『オーラ纏い』を全員が習得していた『約束の旗』を壊滅状態にさせたという意味が分からないゴブリンジェネラルまで残っているのだ。


 作戦は、失敗した。


 見極めを誤ってはならない。ガトーは冒険者ギルド長として、震える拳を抑えアテンに進言した。


「……アテン。撤退しよう。その身体じゃもう……無理だ。作戦は失敗だ。一度街に戻って態勢を立て直そう」


「……メルグリットや騎士連中は見捨てるのか」


 アテンの静かな指摘に、ガトーは拳から血を垂らす。


「……魔人に勝てるのはお前だけだ。お前だけは、絶対に死なせちゃならねえんだッ」


「この戦いで、少なくとも魔人に痛手を与えることができなければすぐにでも奴らは街に攻め込んで来る。街が戦場になれば大勢の人間が死ぬぞ。外にモンスターも溢れかえる。それでもよいのか」


 痛いところばかり的確に突いてくるアテンに、ガトーは叫んだ。


「よくねえよッ!! じゃあどうしろってんだ! しょうがねぇだろ!? 魔人がいる限りはずっと危険に晒されたままなんだ! どれだけの犠牲が出ようが、とにかく魔人を倒すことを優先した方が結局被害は少なくなる!! そうだろ!?」


 ガトーの発言に顔を強張らせて驚きを示したのはゲーリィだ。ガトーは守るべき者たちが傷つくことを何よりも嫌がる。今の言葉はそんなガトーの口から出たとはとても思えないものだった。


 血涙を流しそうなほど苦しい顔をしているガトーの心中は察してあまりある。だがゲーリィにもそれが最善だと思えたので口を挟むこともできず、ただ歯痒い思いをしながら立っていることしかできなかった。


 空気が重い。


 それは、この先を考えた時に圧し掛かってくる心の重さを表していた。全員がその重さに囚われて身動きが取れなくなっている中、それでも自由を失わない強さを持っている者が一人いた。


「計画は完遂する」


 暗い雰囲気を切り裂くように聞こえてきた声。唖然として顔を上げた先にはアテンがいた。


「何があっても計画は完遂されなければならない。多少、想定外の事態にはなったが計画を変更するほどではない。何よりも計画の続行・完遂は我が王の望みである。途中で止めることなどを許されない」


 それは崇拝する王に仕える戦士としての矜持か。どんな状況でも挫けないその精神はとても強いと思うし、立派だとも思うが、意固地になっているように見えてアテンらしいとは言えなかった。


 視野が狭くなっているとしか思えないアテンにガトーが諫言しようとするも、それは自分の思い違いに過ぎなかったとすぐに知る。


「アテン! 冷静になれッ。どんなに精神が強くたって、現に……」


「私は見くびるなよガトー。貴様の物差しで私の強さを測れるなどとは思うな。私の強さは私が一番把握している。そして、戦況もな」


 そこまで言うとアテンはガトーから目を切り、視線をゲーリィに向ける。


「ゲーリィ、貴様が魔人と一戦交えたことは分かっている。その際、魔人が急激に強くなるようなスキルを使ったはずだ。奴は一体何をした?」


「は、はい。アテン殿の仰る通り、魔人メイハマーレは何某かのスキルを使い人間のような姿に変身しました。その強さは計り知れず、目がまるで魔法陣のようになっておりました」


「そうか。アレを使わせた上で生き残ったのだな。よくやったゲーリィ」


「え、は、はい。ありがとうございます……?」


 めったに他人を褒めないアテンからいきなり褒められて挙動不審になるゲーリィ。そんなゲーリィに構わずアテンは話を進めた。


「想定外とは良くも悪くも起きるものだ。魔人がゲーリィに使用したスキルは私が最も警戒していたもの。そして一度使用すればしばらく使えないものだ。しかし逆に私にはまだ切り札が残っている。勝つのは決して不可能ではない」


「ほ、本当、なのか? だ、だが、ブゴーという黒いゴブリンは言ってたぞ。魔人は追い詰められれば援軍を呼ぶと。ブゴーは強かった。いくらお前と言えども一筋縄ではいかないはずだ。そして援軍は奴だけじゃない。万全の状態のお前ならまだしも、今のお前じゃ……」


「援軍を呼ばれる前に方を付ければ良いだけの話だ。貴様たちには難しいだろうが、私ならば自らの考えるところに戦いを落とし込める」


「そんな、都合良くッ」


「ガトー」


 しつこく食い下がるところに名前を呼ばれ、つい口を閉じてしまうガトー。その時点でガトーの負けは決まっていた。


 アテンの決定を覆すことができるのはこの世でただ一人だけ。アテンはガトーを突き放した。


「ガトー。貴様の口から出てくるのは否定的なものばかりだな」


「な、に……?」


「ガトーよ。貴様は今、死んでいった者たちにその酷い面を見せられるか」


「ッ……」


 ガトーは眩暈がした。足から力が抜けていき地面に膝をついてしまう。


「何のために戦った。何のために散っていった。奴らはただの様子見のために死んだわけではない。旗色が悪くなったからと敵に背を向け逃げ出すか。僅かな時間稼ぎをしようとも、今回以上に万全の態勢になることはない。これが最初で最後のチャンスだ、次など存在しない。そして、私にはこの計画を提案した者として最後までやり遂げる責任がある」


 どこまでも貫き通されるその覚悟にもはや言葉が出ないガトー。それを見たアテンは戦いの場に戻ろうとするも新たに声をかけられる。


「冒険者貴族」


 悪魔との戦いに敗北してから今までずっと黙っていたエルゼクスがアテンを見据えていた。


 アテンがガトーに言った言葉はエルゼクスの心にも響いていた。リストールの首を抱えながら震える身体を叱咤し、一言、願う。


「勝ってくれ……ッ」


「ふん、貴様に言われずとも私は負けん」


 エルゼクスを一瞥し、無愛想に言い捨てるとアテンは再び歩み出す。岩山を軽やかに飛び下り、眼下でどんどん小さくなっていくその背中を見ながら、ガトーは拳を地面に叩きつけた。


「クソがああああああッ!!」


 この状況で何もできない自分に対する苛立ちもある。しかし、今のガトーが思うことは別にあった。


「ポーションさえ、あのポーションさえここにあれば、治せたかもしんねえのに……ッ!!」


 意味も無く王に届けられた超貴重なポーション。もしかしたら、この絶望的な状況を一変させる奇跡を起こせたかもしれないポーション。


 アテンは効果が分からないものに期待するなと言っていたが、ガトーの頭にはどうしてもあのポーションのことが浮かんだ。


 ここまでダンジョンを成長させてしまった王。


 この危機的な状況に碌な戦力すら寄越さない王。


 そんな王に、そんな存在に、一体何の意味があると言うのか。


 ガトーの心に燻ぶり出した黒い炎。本人すら気づかぬまま、その心は少しずつ灰となって降り積もっていく……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る