第126話 約束の旗、魔導の盾

 混沌としている場を一瞬にして鎮めたその者を見て誰もが言葉を失う。見慣れているのにその雰囲気がいつもと全然違うために同じ人物とは思えなかった。


 恐ろしいほどに表情が無い。一歩一歩近づいてくる音は死神の足音に聞こえ、聞く者の心胆を凍らせる。


 全く瞬きせず常に開かれた視線はまるで獲物を槍で木に縫い付けるハンターのそれであり、その視線に射抜かれた者たちは全く動くことができなかった。


 凄まじく出来の良い人形が自分を見つめてくるような不気味さを醸し出しながら現れたのはアテン。思わず背を向けて逃げ出したくなるほどに恐ろしいアテンだった。


「アテン……師匠……」


 その姿を見ればいつも満面の笑みで駆け寄るレインも今は掠れた声しか出せない。そんな陰に隠れるように、スターは別の緊張で身体が硬くなることを止められなかった。


 アテンはそんなスターの様子をしっかりと視界に収めながら『約束の旗』の横を通り過ぎる。そして恥さらしの愚か者に再び問うた。


「もう一度聞くぞ。何をしている、エルダーゴブリン。貴様は岩山の上で女騎士の相手をしているはずであろう。それが何故、女騎士の気配だけが上にあって、貴様はこんなところで遊んでいるのだ」


 その言葉を聞いていた『約束の旗』の面々は混乱に堕とされた。


 アテンが何を言っているのか分からない。信じられない。頭が働かない。


 誰よりも早く顔が青くなり始めるスターの耳に、レインの呆然とした声が聞こえる。


「アテン、師匠……?」


 声がただの音として虚しく消えゆく。


 非情な現実は人の意志では止められない。事実だけが淡々とその姿を見せ始めた。


「お、おぉ、アテン。その、じゃな。ちと油断してしまっての? 落っこちてしもうたんじゃよ。いや、参ったわい」


 先ほどまで怒りで狂いそうになっていたエルダーゴブリンはどこに行ったのか。アテンに気圧され媚びへつらっているのが誰から見ても分かった。


「油断した。それで? 本来相手にすべき女騎士を放って、ジェネラルたちと事を構えようとしているのは何故だ」


「か、カハハ。そ、それはのぅ、あやつらが儂を馬鹿にしてくるものだから……く、口封じも兼ねて……」


 話している間もアテンは止まらない。近づくごとに圧力が増すアテンに、エルダーゴブリンは虚言を許されなかった。


 絶対強者に洗いざらい吐かされる。


「口封じとはなんだ」


「グ、グレートソードの、出所。御方、アテンからの献上品と……」


 エルダーゴブリンがそこまで言った時、不意にガシャリと何かが落ちる音がした。音につられてエルダーゴブリンはそちらに目を向ける。


 グレートソードソードだ。


 握っていたグレートソードが、<ウィンドストーム>により草が無くなり硬くなった地面に落ちていた。


 緊張による汗で手から滑り落ちてしまったか。自分はどれだけ緊張しているんだ。エルダーゴブリンはそんな事を思った。自分の状況を把握し冷静になると視界が広がる。


 そして、視界が広がったことにより、エルダーゴブリンはグレートソードの他にも地面に滑り落ちていたものがあることに気づいた。


 グレートソードの柄にくっつくように落ちているソレ。ピクピクと痙攣し、鮮血を垂れ流しているのは間違えようがない、白い腕。


 エルダーゴブリンは無意識に自分の右腕に目を向ける。


 無い。


 そこにあったのは鍛え上げた自らの腕ではなく、肩口から噴き出す液体だけだった。


「――――…………ぁ、ぁぁああ、グアアアアアアアアアアッ!!」


 それを認識するとエルダーゴブリンを激痛が襲った。そんなエルダーゴブリンを見ながらオーラに包まれた手刀を解くと、アテンは喚き立てるエルダーゴブリンの鳩尾を蹴り抜き強制的に黙らせる。


「この愚図がッ!! 余計なことばかりしおって。どいつもこいつも、私が少しいない間に随分と緩んだものだな! 油断した? 馬鹿が、それは油断ではなく貴様の実力だ! いつから自分が強者だと勘違いしていた? 貴様はただの未熟者、ただの雑魚に過ぎん! つけあがるな!!」


 アテンはマジックバッグからポーションを取り出すとエルダーゴブリンに対し雑に振りかけた。肩口からの出血が止まる。


「貴様たちが今回の人間共から攻撃を食らうのは別に構わん。そのためにわざわざ鍛えてきたのだからな。だが、自分の実力が足りないことを油断だと言い訳し認めようとしない青二才。そんなことだから貴様は以前にも取るに足らない雑魚に不覚をとっておきながら同じ失敗を繰り返すのだ! あまつさえ驕りからいらんことを口走り、私が御方のために時間を掛けて準備してきた計画を台無しにしようとする救いようの無さ。しかと反省しろ!!」


「ぐ、うぅ……」


 肩口を左手で抑えながら項垂れるエルダーゴブリン。アテンの説教はジェネラルたちにも及んだ。


「貴様らもだ、ジェネラル!! 指定された場所からあまり移動せずに侵入者共の相手をしろと言われていたはずだな。時と場合も考えず、自らの役目よりも己の修練を優先した結果がこれだ! 貴様らだけで動いているわけではないのだぞ。計画にはある程度の余裕を持たせてあるが、軽率な行動一つで無に帰す恐れもある。二度とこのような失敗はするな!」


「……すまなかった」


 エルダーゴブリンのように誤魔化すことなく素直に自分たちの非を認めるゴブリンジェネラルたち。


 このダンジョンで古株に当たる彼らは精神が育っているし、アテンやメイハマーレが苦労して計画を立てていることを知っている。普段からあまり役に立てていないのだから、せめて手間を掛けさせないようにしようと言う分別があった。


 アテンもそれは分かっているのであまり厳しく言わずさっさと切り上げる。今考えるべきことは他にあった。アテンは一人、ここからの最善を見つけ出す。


「どうする、またメイハマーレに記憶でも弄らせるか……? いや、駄目だ。あれは完全ではない。これ以上不確定要素を増やしては万が一の時にカバーしきれん。……チィ。やはり、やるしかないか。まだ伸びしろがあったものを……ッ」


 すぐさま結論を出すアテン。だがそれをやる前にすることがある。


 グレートソードに付いている腕を蹴り飛ばすと柄を掴んで拾う。そして、不思議そうな顔をするゴブリンジェネラルにグレートソードを手渡すと、左腕に嵌まっているアクセサリーの装備品を一つひとつ取り外し始めた。


「お、おいアテン。何をする……いや、我らに何をさせるつもりだ……?」


 薄々アテンが何をやろうとしているのか感じ取ったゴブリンジェネラルが動揺を隠せずに聞く。アクセサリーを取り外しては右腕に移し替えるアテンはそれに淡々と答えた。


「ゴブリン種の許されざる失敗の数々。統括する者として、私も責任を負わねば御方にお見せする顔が無い」


 アクセサリーを全て右腕に移し終えると、アテンはゴブリンジェネラルの前で左腕を真っ直ぐ横に伸ばす。そして、言った。


斬れやれ


「ッ!!?」


 その言葉に、この場にいる誰もが息を止め言葉を失った。


 エルダーゴブリンも、ゴブリンジェネラルたちも、逃げ出す隙を窺っていたスターを始めとする『約束の旗』すらも。


 重いわけでもなかろうに、グレートソードを持つ手が震え出すゴブリンジェネラル。唾を飲み込んだ後、アテンに確認を取った。


「これが我らに対する罰、ということか」


 その凄まじい覚悟にも驚かされたが、ゴブリンジェネラルたちはその裏に隠されたもう一つの目的に気づいていた。


「そうだ。御方が授けしそのグレートソードで私を斬ることにより、私は御方に直接罰を与えられたのと同じことになる。貴様らはその代行者。生半可な覚悟で刑を執行することは絶対に許されない」


 グレートソードを振り下ろす一瞬の時ではあるが、自分たちが神の代行者となる。


 その尋常ならざるプレッシャーにゴブリンジェネラルたちの額に汗が滲む。


「貴様らはゴブリンジェネラルだ。はっきり言ってその存在自体は大したものではない。しかし古株であり、ここまで生き残ってきた猛者でもある。だからこそ、貴様らには貴様らにしかできないことがある。貴様らは、いつまでも自分たちのことだけを考えていてよい存在ではないのだ。これより先、その命をかけてこのダンジョンを支えるための一員となる覚悟を持て。その覚悟を、この一振りにかけろ」


 アテンの言葉の意味を理解したゴブリンジェネラルは驚愕に染まり語気を強めた。


「ば、馬鹿なッ。俺たちに、お前に次ぐ調整役になれと言っているのか!? ゴブリンジェネラルでしかない、俺たちに……!?」


「そうだ」


「ッ……」


 絶句するゴブリンジェネラルたち。


 この強者はびこる神の地で、未だ劣等種の域を出ない自分たちがまとめ役に回る。考えられないことだった。


 まことしやかに、二回進化すれば御方より名を授けて頂けると言う噂が流れる中、ついぞ自分たちが名前を与えられることはなかった。


 ただのジェネラルだから。自分たちは御方に期待されていないのでは。


 そんな後ろ向きな考えを彼らはずっと抱いていた。しかしアテンの眼差しに冗談を言っている気配は無い。


「本気……なんだな」


「無論だ。御方は試練を乗り越えた者に望む力を与えてくださる。私には想像もできないが、貴様らには秘められた可能性が必ずあるはずだ。それをもってジェネラルであることの劣等感を消し去り、御方の配下として相応しい存在になれ」


 目を閉じ、心の奥深くでその言葉を受け止めるゴブリンジェネラルたち。変わる決意を固めるとはっきりと口にした。


「……分かった」


 そう答えるゴブリンジェネラルたちの目はかつてないほどに力が込められている。


 強い自我の目だ。これから自分たちに圧し掛かってくる責任、そしてそれを背負っていく覚悟。新たな決意を胸に、ゴブリンジェネラルはグレートソードを振り上げた。


「ぁ、や、止めろっ」


 どこからか力無い叫び声が上がる。


 それに対する返答は、鮮血を伴って宙を舞い、無造作に地面に転がった左腕で示された。


「くっ。見事な覚悟だったぞ、ジェネラル。<活性>」


 スキルを唱えたアテンの出血が止まる。身体の調子を確かめながらバランスが悪いなと口にすると、ゴブリンジェネラルからグレートソードを受け取りそれをエルダーゴブリンの前に突き刺した。


「エルダーゴブリン。貴様一人でこの人間たちを、殺せ。貴様が死にそうになっても私たちは一切手助けしない。自分で自分の価値を証明してみせろ」


「……分かった」


 そのやり取り。アテンからの明確なる死の言葉。


 現実からどれだけ目を背けてもその事実はもはや変わらない。『約束の旗』を襲った衝撃と絶望。それは本人たちですら把握できないほどに大きく、黒かった。


 それでも状況を受け止めていち早くこの場から逃げようと、向こうが立て込んでいるうちにスターがメンバーたちを逃そうとしていた。


 だが、できなかった。どうしてもその場から動かない者がいたのだ。


「アテン、師匠……どうして……」


 レインが虚な目をしながら地面に転がるアテンの左腕を見ている。出会った日のことからこれまでの特訓の日々が頭をよぎっては消えていく。


 あの日々は偽りだったのか。いやそんなはずない。相反する考えで頭の中はぐちゃぐちゃになり、何も考えられなかった。


 左腕にグレートソードを携えたエルダーゴブリンが前に出てくる。


 もう逃げられない。やるしかない。スターがレインの肩を激しく揺さぶるがその反応は芳しくない。


「おい、しっかりしろよレインッ!! あの人は、あの人は! 敵だったんだよ!!」


「て、敵……? そんなわけ……。だって、どう見たってあの人は人間じゃないか……。モンスターのわけ、敵な訳、ない……」


 レインが何かに縋りつくようにアテンに目を向け、そしてビクリと身体を震わせる。


 とても冷たい瞳だった。今まであんな目で見られたことはない。


 それは同じ人間に対して向けるような目ではなかった。言葉にできないショックで心が壊れそうなレインの前で、アテンがおもむろに自分の頭部を覆うオレンジ色のファーに手を伸ばす。


 それを取り外し、中から出てきたものを見て、レインの大切で致命的な何かが壊れた。


 人ならざる者の証、額から生える美しき黒角。明かされた絶望が淡い希望を徹底的に打ち砕く。


 そんな中、後が無いエルダーゴブリンが容赦なく襲い掛かる。動揺しながらも、まだ動けないレインを放って迎え撃つ『約束の旗』。


 ついには手から剣を取りこぼし、頭を抱え始めたレインは……。


「ぁ、あ、あああああああああああああああああああああああッッ!!!!」








 


 第二階層東部。山岳地帯になっているこの場所で、『魔導の盾』は倒れ伏していた。


 力を振り絞って立ち上がろうとするエルゼクスの目の前に、パーティーリーダーであったリストールの首が置かれる。


 置いた者を視線で射殺さんばかりに睨み付けるエルゼクスだったが、その視線を切るように蹄で頭を踏みつけられた。


「クカカカカカカ!」


 勝敗の決まった無慈悲な空間に、無力な人間を嘲笑する悪魔の嗤い声だけが響いた。

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