第113話 怒り

 魔人が右手を上げた瞬間、背後から斬りかかろうとしたラスタッドはおろか、メルグリットを含めた騎士団全員が黒い壁に飲まれ消えてしまった。


 いきなり親友を消され、僅かに心が乱れかけるガトーだったがすぐに切り替える。今は他人の心配をしている場合ではない。


 動揺する冒険者たちの隙を突くように、再び魔人が勢いよく右手を上げた。それにびくりと反応する冒険者たち。


 しかし何も起こらない。それを見て魔人はおかしそうに笑った。


(馬鹿にしてやがる……! クソがッ!)


 数々の経験を経て急激な精神的成長を遂げたガトーだったが、メルグリットが消えてしまったことも合わさり予想以上に頭に血が昇る。


 一歩足を前に出しメイスに手をかけたが、そこで魔人と向き合ったままのアテンに止められた。


「落ち着け、愚か者。そうやって釣り出されたサイザー・ラスタッドに気を取られて、メルグリットまでもが捕まってしまったことを見ていなかったのか。奴らはまだ死んだわけではない。くだらない失敗を繰り返すな」


「ぐ、わ、悪りぃ……」


 アテンに指摘されたことで自分が魔人の術中に嵌まっていたことを悟ったガトー。


 単純な者を利用して手こずりそうな相手を効率よく処分するその悪辣さと知能の高さは、まさしく噂に聞く魔人のそれだ。しかし、言葉一つ動き一つに注意を払わなければいけない状態は冒険者たちの神経を容易く削っていく。


 どうにかしてこの状況を突破しなければならない。ガトーはアテンの背中を見ながら必死に考えた。


 空気が張り詰め、それぞれが素早く動けるように身構える中、先に動いたのは魔人だった。突如として『約束の旗』が黒い壁に飲み込まれて姿を消す。


 全く予備動作無しに現れたその黒い壁に、冒険者たちは魔人の右手を上げる動作がただのブラフだったことに気づいた。しかし今更それが分かったところで『約束の旗』が戻ってくるわけではない。動揺を隠せず、素早い状況判断ができない者たちからどんどん消されていった。


「くそ! <シールド>!」


 自分たちの死角から黒い壁が迫っていると気づくも、もはや避けられないと判断したエルゼクスが破れかぶれにスキルを唱えるが何の意味もなさない。スキルごと飲み込まれて『魔導の盾』も消える。


 だが、『魔導の盾』が消えたことでパーティー単位で飲み込まれていることに気づいたゲーリィが咄嗟に叫んだ。


「皆さん! 固まってください! そうすれば魔人はあの技を使えません!」


 魔人は相手を見繕うと言っていた。つまり誰にどのモンスターを当てるかを既に決めているはずだ。間違って複数の冒険者たちを一体のモンスターに割り振ってしまえばモンスターの方が危険になってしまう。


 魔人はおそらく、黒い壁に飲み込んでからでは割り振ることができないのだろう。だから冒険者たちが一カ所に集まってしまえば事故を恐れて魔人は転移を諦めざるを得ないはずだ。


 ゲーリィの言に、そこまで理解が及ばない者たちも一斉に動き出す。意識せずともその足を向けるのは自然とアテンの下になっていた。


 これ以上戦力を分散されないために全力で駆け出す。しかしそれを魔人が黙って見ているわけがない。狙いをつけられたクリステルが捕まってしまう。


「あっ!?」


 クリステルの前に黒い小さな穴が出現するとそこから魔人の手が伸びてきた。


 前進していたせいで何も反応できずに突き飛ばされたクリステルは、そのまま背後に展開されていた空間の壁に自ら入り込んでしまう。


「嬢ちゃんッ!!」


 ガトーは叫ぶもすぐに黒い壁は無くなる。あっという間に四人になってしまった。


 しかしさしもの魔人もこの短い距離でこれ以上転移させることは難しかったのか、アテンの下にガトー、ゲーリィ、ゼルロンドが辿り着けた。


 それを見た魔人は短く笑うと、唐突にアテンの側面に黒い壁を放つ。


 だがこれは予想できたこと。全員が無意識の内に、アテンなら何とかできるのではないかと思い集まったが、その縋るような気持ちは知能に優れる魔人ならば当然のように見抜いているだろう。


 作戦の要であり、精神的支柱の役割すら果たしているアテンが何もできずに黒い壁に飲み込まれてしまえば、冒険者組が受ける精神的ダメージは非常に大きい。


 正にこの先の展開を決定づける一瞬。緊張感で三人が身を硬くする中、全てを飲み込む次元の壁がアテンに迫る。しかし……。


「ふん」


 くだらないとばかりに鼻を鳴らすと、アテンは組んでいた腕を解いて黒い壁に向かって裏拳を放つ。


 黒い壁に触れるかどうかと言ったところで寸止めされたその拳は、防ぎようがないと思われた黒い壁に対して劇的な結果を齎した。


 ギシリ、とガラスを擦り合わせたかのような音が鳴ったかと思うと、黒い壁に一気に蜘蛛の巣のような亀裂が走る。


 亀裂が入った黒い壁は段々と色が薄くなっていき、やがてそのまま音もなく消えてしまった。


 魔人と戦うに足る実力を見せつけたアテンに、ガトーたち三人の表情が喜びや驚きのものに変わり勢いづく。しかし、魔人にとってはこれも想定の範囲内だったのか、悠然と微笑んだ。


「ふふ、無駄な足掻き。どうする? このまま引き下がるなら見逃してやる」


 馬鹿にするように聞いてくる魔人。目標を達成していないばかりか、仲間たちが捕らわれたままダンジョンから逃げるなど有り得ない。


 その想いを代表するようにアテンが決然と告げる。


「戯言を言うな。貴様を倒し、全員回収するまで撤退の文字はない」


 元よりそのつもりでここまで来た。命を捨てるつもりでここまで来たのだ。


 されど、アテンのその言葉にガトーたち三人がどれだけ勇気づけられたか。


 想定外の事態になってしまったが未だアテンの戦意には微塵も揺らぎが無い。アテンが魔人を倒しさえすればそれで冒険者組の勝利なのだ。


 お前の好きにはさせないと、ガトーたち三人の鋭い眼光が魔人を見抜いた。


「ふふ、ふふふふ! やってみろ。盤上の駒の一つとなりて、踊れ」


 そう言うと魔人は自分の背後に作った黒い壁の中に入り消えてしまった。


 これ以上はやっても無駄だと悟ったのだろうが、その潔い引き際を意外に思うガトーだった。


(……まさか! これも油断させるための作戦の一つか!?)


 緊張の糸が途切れたところに不意打ちを仕掛けるつもりなのだ。


 一瞬気を抜いてしまったが、再び臨戦状態に入るガトー。そんなガトーの横を、アテンはさっさと通り過ぎていった。


「何をしている阿呆。時間が無い。遊ぶのは後にしろ」


 見れば既にゲーリィとゼルロンドもアテンの後に続いている。腰を落として身構えているのは自分だけだった。


「なんだよ……」


 なんか納得いかないと、不満を覚えながらガトーもアテンを追いかけて行った。




 第二階層に向かう道すがら、これからどう行動するべきか話し合う。


 仲間たちの命を優先するか。それとも仲間たちを信頼し魔人のところまで急ぐか。とても大事で迷う選択だ。どちらにも様々なメリットとデメリットがある。


 絶対に間違えるわけにはいかない決断。けれども、そんな重要な決定をアテンは素早く、端的に下した。


「私たちは魔人の元に向かう」


 その言葉を聞いてそれぞれが少なからず思い詰めたような顔になった。それは諦観とも言えるかもしれない。


 アテンの決断は正しい。元々そういう話だ。皆、死ぬ覚悟はできている。助けに行けば、逆にどうして助けに来たんだと言われてしまうだろう。


 しかし、どうしたって仲間たちのことが頭をよぎってしまうのだ。ここで情に振り回されることなく第一目標を淡々と遂行できるアテンのことを、本当に強いなと誰もが思う。


 アテンに倣い、自分たちもなすべきことを間違えないようにしなければならない。ガトーたちがそうやって迷う心を振り切ろうとしているとアテンが続きを語りだす。


 それを聞いて三人は、ああ……これがアテンと言う人間なんだと、魂を熱くした。


「最短で魔人の元に辿り着いた後は、貴様らで他の者たちの助太刀にまわれ。あれを放置しておけば助けに行こうにも必ず妨害してくるからな。私が抑えている間に迅速に行動しろ。そして、お前たちの役目はそこまでだ。救出後は私に構わずダンジョンから出ろ。ダンジョンから出て、祝杯の用意でもしておけ」


「アテン……」


 この男を、夜明けの太陽みたいだと、最初に言い出したのは果たして誰だったか。


 ぶっきらぼうだがその心は誰よりも優しくて。


 責任感が強くて。


 高潔さを体現する男。常に自信に満ち溢れ、その並外れた知力と武力で道を切り開く、男が惚れる漢。


 しかしだからこそ。何でもできてしまうからこそ、一人で背負いこんでしまう男だった。


 この一大事。実力で遠く及ばないからといって、アテン一人に任せきりにするわけにはいかない。そんなことをすれば、外で待っている冒険者たちに何を言われるか分かったもんじゃないし、何より自分自身が許せない。


 一人に責任を背負わせて味わう勝利の美酒が美味いだろうか。


 そんなもん、クソ不味いに決まってる。


 この英雄と、堂々と肩を並べて最高の酒を飲むんだ。ガトーは不敵に笑う。


「おいおいアテン。水臭いこと言うんじゃねーよ。お前一人でおいしいところ全部持っていこうってか? そうはいかねーぞ! 俺たちにも何かできることぐらいあるはずだ。全員揃ってダンジョンから出る。これは譲れねえ! あいつらを回収し終えたら俺たちも魔人と戦うぞ! いいな、アテン!?」


「いや、邪魔だ」


「オイッ!!?」


 そこは「フッ、仕方のない奴らだ」ってなるところじゃねえのかよ! とガトーは渾身のツッコミを入れざるを得ない。


 今日は尽く決まらないガトーだった。


「貴様ら程度では私と魔人の戦いについてこれない。まあ、実際に目にする方が早いだろう。自分たちが邪魔にしかならないと分かったら、さっさとダンジョンから出るんだな」


「そうかも知れねえけどよぉ。それでも、お前一人を残しては行けねえよ。せめて戦いは見届けさせてくれ。それぐらいならいいよな?」


 悔しいが足手まといになるぐらいなら大人しく引き下がるしかない。


 しかしガトーには冒険者ギルド長としてこの戦いの結末を見届ける義務がある。さすがにこれだけは本当に譲れないと食い下がる。


「好きにしろ」


 気持ちを込めて言うと想いが伝わったのか、何とか了承をもらえた。胸を撫で下ろし、奥へと進んでいく。


 度重なる探索により既に全容が判明している第一階層。


 もうすぐ第二階層と言うところで各人が更に気を引き締めていると、それは現れた。第二階層へと繋がる階段の前に立ち塞がるは一体のモンスター。


 脚が特に発達したホブゴブリンのようなモンスターが、酷薄な笑みを浮かべてガトーたちを待ち構えていた。


「キッシッシッシッシ」


「見たことねぇゴブリンだな……。早速時間稼ぎってか?」


 魔人はこちらの狙いに気づいているのだろう。ゲームを邪魔されないためにこうしてモンスターを配置して、こちらの進行を遅らせようとしているのだ。


 こうなってしまえばとにかく早くモンスターを倒すしかない。ガトーたち三人が身構えて仕掛けるタイミングを計っていると、アテンが一歩前に歩み出た。


「アテン……?」


「私が一人で相手にする。貴様らは先に行け」


「キシ!?」


 見慣れないゴブリンが一瞬変な声を出したが、すぐに意識をアテンに戻す。


 別に一人で戦う必要は無いはずだ。こんなことまで背負い込むつもりかとガトーが思っていると、理路整然とした答えが返ってきた。


「今は時間と労力が惜しい。無傷で勝てる私一人で戦った方が効率的だ。役に立ちたいと言うのなら、先に行って少しでも露払いしておけ」


「お、おう。分かった」


 見たことがないモンスターに対して無傷で勝てると断言してしまうアテンに何も言い返せない。


 もしかしたらガトーが見たことがないだけでアテンは戦った経験があるのかもしれないが、そもそも<気配察知>で読み取れる情報量が違うアテンには見えている世界が違うのだろう。


 即断即決するアテンは続けざまに指示を出す。


「執事。魔人の気配は覚えているな? 第二階層に着いたらそこまで真っ直ぐ向かえ。すぐに追いつく」


「気配は覚えておりますが……私の察知できる範囲にいるかどうかは……」


 アテンとメルグリットを抜かせばゼルロンドの<気配察知>が一番広範囲を探れる。しかしながらその範囲は常識の範疇を出ないため不安が残った。


「ふん、第二階層の奥で高みの見物でも決めているだろうよ。クリステルの報告に門が設置された山の話があったはずだ。第二階層に入ってほぼ正面方向、そちらに進め」


「承知いたしました」


「……おし、話がまとまったところで後はどうやってあいつを階段の前からどかすかだが……」


 ガトーの呟きが聞こえたのか、顔を下に向けて肩を震わせるゴブリンが階段の前から移動する。


 愚かな人間が無駄な算段を立てていると嗤っているのだろう。


(どうぞどうぞってか? 馬鹿にしやがって。アテンの実力も知らねえでよ。精々後悔しやがれっ!)


 ご丁寧に部屋の隅まで移動したゴブリンを警戒しながら階段を降っていくガトーたち。


 早速アテンを一人にしてしまうことに少しばかりの罪悪感を抱えながら、自分たちの役割を全うするためしっかりと前を見据えた。


 人間共がいなくなったことを確認するとゴブリンストーカーが弱々しく口を開く。


「アテン」


「何だ」


「チェンジで」


「何だ、それは」


 呆れたように返すアテンにゴブリンストーカーが勢い良く顔を上げて抗議した。


「聞いてた話と違うぞ!! なんでお前が残ってんだよ!? 人間を一人残すって言う話じゃなかったのか!!?」


 メイハマーレから伝えられていた話ではそうだったはずだ。予定と違う行動をとるアテンをここぞとばかりに責め立てる。


 しかし冷静に考えれば分かることだがゴブリンストーカーとアテン、間違っているとしたらどちらなのかと言われれば、それは悲しいことにゴブリンストーカーなのだ。


 アテンはその非情な現実を突きつける。


「何も違わん。メイハマーレは、私が貴様に対して冒険者組から一人残すように誘導すると伝えたはずだ。今の私は誠に遺憾ながら冒険者組に属する。それを貴様が勝手に勘違いし、選択肢を人間のみにしていたと言うだけの話だろう」


「そんな……」


 絶望したような声を出すゴブリンストーカー。


 久しぶりに人間で遊べると思っていたのに蓋を開けてみれば自分が弄ばれる側に回っていた。これから始まる惨劇を思うと涙が出そうになってしまうゴブリンストーカーだった。


「そもそもだ」


 項垂れるゴブリンストーカーに、アテンの感情を感じさせないような声がかけられる。


 仲間内だからこそ分かるアテンのその不機嫌のサインに、ゴブリンストーカーは反射的に背を正した。


「貴様は人間を痛めつけて遊ぶつもりだったのだろうが、あの三人のうち誰が残っても貴様は苦戦を免れなかったはずだ。そんなことも分からんのか」


「……うぇ?」


「正面から戦うことを得意としない貴様にとってこの状況は不利に働く。はっきり言ってしまえば貴様が殺される確率の方が高かった。だと言うのに能天気に出て来おって。まったく、嘆かわしい。御方によって種を超えられる位置にいながら、あの程度の人間にすら勝てんとは。嘆かわしい、ああ、嘆かわしい……!」


「ア、アテン……?」


 なんだか火山が爆発しそうな雰囲気を醸し出すアテンにゴブリンストーカーが恐る恐る声をかける。


 しかし今さら何をしたってもう遅いのだ。自然災害は個人で食い止められるものではないのだから。


「更に言えばだッ!」


「うひぃっ!?」


「貴様、なぜ未だに進化していない!? その姿になってどれだけ経つ!? いったい今まで、何をしていたああッ!!」


「ぎゃああああ!!」


 第一階層にアテンの怒号が響く。怒りに反応して溢れ出たオーラが広場を白く染め上げた。


 目をつぶされて苦しむゴブリンストーカーを前にしてもアテンの怒りは収まらない。


「貴様が無能を晒せば管轄している私までもが御方に無能だと見做されるのだ!! 御方に甘やかされているからと調子に乗りおってッ! その性根を徹底的に叩き直してやる!!」


「ま、まさか最初からそのつもりで……!?」


 ゴブリンストーカーは話を伝えてきた時のメイハマーレの表情を思い出す。


 なんだかいやらしい笑みを浮かべていた。あの時は人間を甚振る姿を想像して自分もいやらしい笑みを浮かべていたが、そんな場合ではなかったのだ。


(嵌められた!?)


 サァーっと血が落ちて顔面蒼白の上、アテンのオーラによって白く照らされている今のゴブリンストーカーの顔はアテンよりも真っ白だ。


 恐慌に震えるゴブリンストーカーにデスマーチが開始される。


「今日、ここでッ! 貴様が進化するまでッ! 訓練し続けてやるッ!! 覚悟しろ、ゴブリンストーカアアアァァッ!!」


「ボギャーッ!!?」


 悲痛な叫びがダンジョンに木霊する。


 哀しみを誘うその声はいつまでも、いつまでも続くのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る