第112話 先陣
何も見えない世界。奇妙な浮遊感。
困惑するメルグリットだったが、何かをする前にその不思議な体験も終わった。再び視界が利くようになった時、その目に飛び込んできたのは、青空の下、日の光を反射してキラキラと輝く美しい湖だった。
「……え?」
突然の事態に、これまで様々な異常を経験してきたメルグリットも頭が真っ白になる。
薄暗い洞窟にいたはずなのにいきなり景色が切り替わったのだ。それだけ急激な変化だった。
「外……じゃ、ないよね。ああ、そうか……」
声を出すことで段々と考えがまとまってくる。これまでの情報が整理され答えが浮かび上がってきた。
「相手を見繕うって言ってたよね。ああ、失敗した。クリステルちゃんから魔人は空間系の力を使うって聞いてたのに。してやられたね」
魔人を目にした衝撃ですっかり頭から抜け落ちていた。ラスタッドに一瞬気を取られた隙に別の場所に飛ばされてしまったのだろう。
それ自体は別に構わないのだが、戦いの最中に不意を突かれるのはいただけない。しっかりと反省し気を引き締め直した。
「メルグリット」
そんなメルグリットに声をかけたのはラスタッドだ。ここに飛ばされたのはメルグリットだけではない。騎士団丸ごと同じ場所に飛ばされていた。
ほとんどの者がまだ状況を理解できておらず慌てているのが見て取れる。メルグリットは苦い顔をしているラスタッドに陽気に答えた。
「サイザー、びっくりするじゃん。いきなり飛び掛かるなんてさぁ」
「すまん。あの状況がどうにもチャンスに思えてしまってな。焦っていたようだ」
「まぁ気持ちは分かるけどね?」
相手は討伐目標の魔人だけ。こちらは全戦力が揃っていた。のこのこ姿を現した魔人を逃す手はないだろう。
でも状況を考えれば十中八九罠だ。ラスタッドはどうにも気持ちが空回りしている印象を受けた。
「これからこの戦力に見合うモンスターと戦うことになるんだからさっさと切り替えてよね。騎士団長様?」
「あぁ、無論だ。しかし……ここは、どこなんだ?」
「洞窟じゃない以上は第二階層なんだろうけど。いやー、綺麗だねぇ」
ラスタッドの視線を追ってメルグリットも周りを見渡した。
美しい湖に、見たことはないが格調高い人口建築物の名残り。このダンジョンの第二階層は超古代文明にほど近い時代を切り取った階層だと聞いていたが、風化してなお、それらの建築物はかの時代の文明レベルの高さを窺わせた。
豊かな緑の中に埋もれるかつての繁栄が見る者の想像をかき立てる。メルグリットは自然と過去に思いを馳せた。
しかし、ここはダンジョンの中。そんな穏やかな時間も長くは続かない。
メルグリットの展開しておいた<気配察知>が、湖の中から猛烈なスピードで浮かび上がってくる一体のモンスターを捉える。そのバチバチに感じる強者の気配にメルグリットの髪の毛は逆立ち、全身に鳥肌が立った。
「来るよ!!」
迫る戦いの気配にメルグリットは瞬時に戦意が高揚し、顔は自然と笑みに変わる。その警戒を促す声にラスタッドは鋭く指示を飛ばし、呆けていた騎士たちも慌てて剣を抜き準備を始めた。
全員が見つめる中、水面付近で減速して湖からチャポンと顔を出したのは……。
「あれは……何だ? 竜なのか? メルグリット、知っているか?」
ラスタッドはその見たことの無いモンスターに戸惑う。
顔は竜のように厳めしいが目が無く、見えている範囲で判断するならばおそらくワームのように長い体に鱗が張り付いているのだろう。
翼があるようにも見えず手も足も見えない。ラスタッドの知識にある中では亜竜に分類されるシーサーペントが一番近いだろうか。だが、大きさが全然違う。
直径で一メートルにも満たないであろうその顔の幅から判断するに、体の方もそこまで長くは無いはずだ。大きさだけならばこの正体不明のモンスターよりも大きいモンスターはいくらでもいるし、まだ距離があるので正直そこまで威圧感を感じない。
侮れない雰囲気はあるが、自分たちでも充分に対処可能か。それがラスタッドの所見だった。
だが、その正体を知るため問いかけたメルグリットからの返事が無い。不審に思ったラスタッドは横目でその表情を窺う。そして、ラスタッドは自分の考えが甘かったことを知った。
メルグリットは野性的な笑みを浮かべながらも、その顔には汗が吹き出していたのだ。知り合って長いラスタッドだから分かる。それは難敵のサインだった。
<気配察知>で相手からどれだけの情報を得られるかは術者のレベルによって異なる。メルグリットとラスタッドではそもそものレベルに違いがあることもあるが、メルグリットのそれは<直感>とのハイブリッドだ。ラスタッドには見えないものがメルグリットには見えている。
「……ハハハ、光栄だね。まさかこれほどのモンスターに相手してもらえるなんてねえ! …………僕も正体は分からないけど、多分さっきの魔人とほとんど遜色ない強さだよ、サイザー」
「なんだとッ!?」
齎された情報にラスタッドは目が飛び出さんばかりに驚く。その横でメルグリットは自分の思い上がりを恥ずかしく思った。
(馬鹿だな、僕は。自分の分のモンスターが残っているか、だって? 逆だよ。死に物狂いで戦って、向こうの戦力をどこまで引き出せるでしょうかって話だったんだ。……はてさて、みんなで生きて帰ることはできるかなあ……?)
一瞬冒険者組のことが頭をよぎるがすぐに切り替える。今はそんなことを考えている場合じゃない。
向こうにはアテンがいる。自分が心配するだけ無駄だ。目の前のことに全身全霊を傾けて、その一瞬の煌めきを精一杯楽しもう。
剣を持つ手に汗を感じながらも、かつてない戦いに期待を寄せてどうって出るべきか高速で思考を巡らせる。
騎士団との共闘で湖の中にいる相手を攻める。メルグリット一人だけならば湖の上でも戦えるがそれでは相手に対して力が足りないことは明白。
ひとまず遠距離からちまちま攻撃するしかないか? と考えていると、メルグリットはふと違和感を感じた。
「……んん?」
何がどうと言うわけではない。しかし、どうにものんびりしすぎている気がした。相手も、自分たちも。
すぐに行動した方が良い。そう思えた。
スキル<直感>が示すように、メルグリットは論理よりも感性型の人間だ。あるいはその違和感も<直感>から来るものかもしれないが、とにかくメルグリットは自らの思うがままにスキルをブッ放した。
「<フレアバースト>」
メルグリットの魔力の循環により刻印が赤く光る剣を持ったまま、右手から炎系の広範囲殲滅呪文が放たれる。爆発音を響かせながら周囲は瞬く間に真っ赤に染まった。
魔法による炎は地面の上は勿論のこと、水の上でもしばらく燃え続ける。美しい景色を一変させたその技の威力に、騎士たちは唖然としていた。
「おい!?」
突拍子もなく高威力のスキルを使いだしたメルグリットに、「いきなり何してんだ!?」という意味を込めて声を上げるラスタッド。しかしメルグリットが答えるまでもなく、その結果はすぐに表れた。
「あああぁァァァァァァ」
「アアァァァアァァ」
「ッ!? なんだ……!?」
ラスタッドの耳に苦しいような、悲しいような、女の声が聞こえる。
メルグリットの炎に焼かれ照らされ、湖の上には半透明の人魚たちの姿が浮かび上がっていた。
「こいつらは、ゴースト!? マーメイド型のゴーストか!? いつの間に、こんな近く……!!」
「わーお。僕の<気配察知>に引っかからないなんて、相当な隠密性だね。あぁ、いや、この歌のせいかな」
マーメイドゴーストたちの姿が認識できると辺りに響く歌声が聞こえてきた。その旋律はもの悲しく、聞く者の気分を沈ませる。
それを聞いてメルグリットを素早く指示を飛ばした。
「色んな効果の歌があるみたいだね。ほら、サイザー。びっくりしてないで<ブレイブハート>展開して。みんな戦えなくなっちゃうよ?」
「あ、ああ! 連鎖術式用意! <ブレイブハート>、始めッ!!」
<ブレイブハート>はネガティブマインドからの回復効果があるため用途広く使える便利なスキルだ。マーメイドゴーストたちのレクイエムのような歌には戦意低下の効果が含まれていた。これに対抗するために、ラスタッドの命令に従って騎士全員が通常よりも少ない魔力量でラスタッドに<ブレイブハート>を唱える。
これこそ騎士が誇るお家芸、連鎖術式だ。
本来スキルは発動すれば決まった魔力量を消費してしまう。しかしその事からも分かるように、スキル発動には魔力消費の無駄があるのだ。
このロスは主に練り込んだ魔力を外に出す時に発生する。そこで核となる者、今の場合はラスタッドが騎士たちに魔力的なパスをつなぎ、そこを介することによって無駄なく<ブレイブハート>をラスタッドにかけることができる。
複数の<ブレイブハート>をかけられたラスタッドはそこから少しずつ力を集め、今度は使った分を自らの魔力を上乗せして再分配するのだ。
長期戦を見据えた時、如何にして魔力効率を良くするかは継戦能力に露骨に響いてくる。一つひとつは小さくともその積み重ねが結果に大きな違いを齎すのだ。
これが騎士の戦い方。無駄をそぎ落とし安定した戦いを可能にする、騎士団長に代々受け継がれる秘技であった。
また、<ブレイブハート>の場合はそのような使い方をするがこの連鎖術式は他にも使いようがある。ラスタッドが一つひとつのスキルをまとめあげ外へと放出すれば少ない魔力で強力な攻撃を仕掛けることもできるし、部隊を守るための盾を作ることもできる。
まさに攻守一体。ラスタッドが集団戦に自信を持つ由来であった。
ちなみに騎士のスキルには同一複数のものを統合可能な<戒めの鎖>などのスキルも存在するが、それは元々合わせることを想定して作られたスキルなだけであり、連鎖術式とは無関係だ。
いつも通り連鎖術式により<ブレイブハート>を掛け終えたラスタッドは歯嚙みする。
魔人と同等の化け物の他にも厄介なモンスターを相手にしなければならないのだ。非常に厳しい戦いが予想される。
「ゴースト系か。物理攻撃は効果が薄い。ますます魔力を無駄にするわけにはいかんな……。面倒な敵だ」
「そうだねぇ。ま、もっと面倒なのがいるけどね」
「ああ。この上さらにあの化け物を相手にしないといけないなど、気が滅入りそうに……」
「ん? 違うよサイザー。あの竜じゃなくて、ほら、マーメイドゴーストの横に浮いてる水の玉だよ」
メルグリットはラスタッドの勘違いを訂正する。その指差す先には、確かに拳大ほどの水の玉が浮かんでいた。
よく見れば数こそ少ないものの、同じようなものが何個か見てとれる。それを見てラスタッドは首を傾げた。
「確かに水玉が浮いているが……あれは何だ? あれもモンスターなのか……?」
「水の精だね」
「…………は?」
呆気らかんと言うメルグリットに、口が開いたままの締まらない表情を見せるラスタッド。
聞き間違いかと、そう思ってしまうほどその内容は信じられないことだった。
「水の、精……? あれが、精霊……!? 初めて見た……」
戦いの場にもかかわらずラスタッドは一瞬その事を忘れてしまう。だがそれはラスタッドだけの話ではなく、メルグリットの声が聞こえていた騎士全員に言えることだった。
何かと書物などに記されているのでその存在自体は知っているが、実際に目にする人間がほとんどいない伝説の生命体。それが精霊だ。
物珍しさに気を取られる騎士団。感動する者、想像していたのと違うとガッカリする者。その反応は大別して二つに分かれていたが、人間にジロジロ見られているのが不快だったのか、水の精からいきなり攻撃が飛んできた。
騎士団の先頭にいたラスタッドの顔に細く鋭い水流が襲い掛かる。
「ぬっ!?」
装備品の効果で身体能力が底上げされているラスタッドは間一髪それを避けることができた。その威力と発動までの予備動作が無かったことにラスタッドは冷や汗を流す。
「サイザーさぁ、珍しいのは分かるけど気を抜いているとあっという間に死んじゃうよ? あれは生きた魔法だ。スキルのように魔法発動までのタイムラグが一切ない。その上、魔法陣も浮かばなければ予備動作も全く無いからね。僕が厄介だって言った理由、分かってもらえたかな?」
「……あぁ。よく、分かった」
おとぎ話にすら出てくる生命体に憧れのような気持ちを持っていたが今ので全て吹き飛んだ。倒すべき敵として完全に意識が切り替わる。
そこにメルグリットが更なる情報を追加した。
「ついでに言うと物理攻撃は全く効果が無いから注意してね。スライムみたいに核も無いし、魔法とかでその存在を完全に消し去るまで死なないから。そこら辺まで考えて戦ってね」
「……承知した」
どれだけ面倒な敵なんだよとラスタッドは内心でゲンナリしていたが、それを表に出せば騎士団の士気に関わる。ラスタッドは頑張っていつも通りを取り繕った。
「幸い、あの竜はまだ動く気が無さそうだ。これぐらい倒せないようなら自分が相手をするまでもないってことかな? その気になってもらえるよう頑張ろうか!」
確実に<フレアバースト>の範囲内にいたはずなのに全くダメージを受けている様子がないその竜に俄然やる気が高まってくる。
(とは言え、これぐらいだったらすぐに引っ張り出せるけどね)
精霊がいるとは言ってもあれは格の低い個体だ。自分と騎士団でごり押しすればすぐに方が付くだろう。
炎が沈静化し始めている湖に立て続けに<フレアバースト>を撃とうとするメルグリット。構えた剣に刻印が走り技を放つ寸前、その隙を突くように横合いから攻撃された。
「ッと!」
何の攻撃か分からないが、<直感>が反応して辛くもそれを避けるメルグリット。だがメルグリットを追尾するように斜め上から三連撃の巨大な水の槍が立て続けに飛んでくる。
大きくバックステップしてそれも躱しきったところに、今度はいつの間にか目の前に現れていた何者かが正面から強烈な突きの一撃を繰り出してきた。
大きく吹き飛ばされるメルグリット。しかしそれは後ろに飛びながら防御したからであって、ダメージを回避することには成功する。その代わり、あっという間に騎士団から引き離された。
そんなメルグリットの前に、いきなり攻撃を仕掛けてきた張本人が四本腕を大きく広げながら立ち塞がった。
「マーメイドゴーストの歌で姿も気配も無かった私の攻撃をよく躱しました! さあ、あなたには私の相手をしてもらいましょうか!」
ご丁寧に説明してくれたモンスターに変な笑いが出る。どうやらご褒美にはそう簡単にありつけないらしい。しかし、その姿を認識することで目の前のモンスターも充分に強いことが把握できた。
勿論あの竜には劣るが、メルグリットが勝てるかどうか分からないぐらいの力はある。お預けされたと思ったご褒美がいきなり目の前に出されたような状況に、メルグリットの気分は一気に高まった。
「はは、まったく次から次へと。見たこともない強いモンスターがいっぱい出てくるねえ! このダンジョンは最高かい!? ああ、ああ! 是非ともお願いしようかなあッ!!」
オーラを迸らせるメルグリットのやる気に気分を良くしたのか四本腕のモンスターも笑みが深まる。
互いの笑いとオーラが際限なく高まっていった。
「フッフッフッフ」
「ハッハッハッハ」
「フッフッフッフ!!」
「アッハッハッハッハ!!」
「<
相手を自分に優位な領域に引きずり込むため、青の世界と赤の世界がぶつかり合う。
未来の命運を賭けた戦い。
メルグリットが、その先陣を切った。
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