第111話 決戦の日

 決戦の時が来た。今考えられる全ての戦力がゴブリンダンジョンへと集結する。


 ゴブリンダンジョンの入り口をぐるりと囲むのは大勢の冒険者たちだ。彼らは万が一ダンジョンからモンスターたちが溢れ出てきた時のために、ネズミー匹通さない布陣を敷いている。


 突入班がダンジョンの中に入った後はその入り口にバリケードを立てて道を制限し、万全の体制を敷く算段となっていた。そんな冒険者たちの顔には悔しさが滲んでいる。


 それは階級が高い者ほど顕著だ。外で待っているしかない自分たちの無力さがやるせなかった。


 彼らはアテンの立てた計画に物申していた。自分たちだって街を護りたいと。何か役に立ちたいと。


 ダンジョンの中では大量のモンスターが発生していると予想される。それを選抜メンバーとは言え少ない数で切り開き、その上で魔人を倒さなければならないというのは酷だ。


 スタンピードの時のように雑魚の相手だけでも引き受けると、強く意見具申していた。しかしアテンは首を縦には振らなかった。その理由は変わり果てた領主館にある。


 魔人が広範囲殲滅呪文を有していることは確実だ。どれだけ数を増やそうとも、魔人にあれを使われては無為に犠牲を増やすだけ。


 魔人を倒して終わりではないのだ。その後の街の生活がある。治安維持に貢献している側面がある冒険者たちが大量に死ぬようなことがあれば、たとえ魔人がいなくなったとしてもその後の混乱は避けられない。


 それはスタンピードの後、街の周辺に野盗の類が激増したことからも明らかだった。我慢することもまた戦いだと、英雄アテンに言い切られてしまえば彼らは引き下がるしかなかった。


 しかし、分かっていた。


 彼らは、分かっていたのだ。それがアテンの方便でしかないことは。


 思い出されるのはスタンピードの終盤戦。ピンチに陥った冒険者たちを鬼神の如き強さで救ってくれたアテン。


 そして、その後の苦虫を噛み潰したような顔だった。


 今となってはアテンが冒険者たちのことをよく考えてくれているのは周知の事実。当時は本人の言う通り、気絶してしまった自分が情けなくて苦い表情をしていたのだと考えていたが、本当のところは、自分がいながら冒険者たちを危機に晒してしまったことに対して顔を顰めていたのだ。


 我慢することもまた戦い。それも嘘ではないだろう。だがその真意は、再び冒険者たちを危険に晒すような真似はしたくないのだと、彼らは理解していた。


 スタンピードの時にしっかりとした姿をアテンに見せられていたならば今回の戦いにも参加できたはず。そう思わずにはいられない冒険者たちだった。


 そんな、過保護すぎるアテンから参戦を認められなかった彼らから未来を託されし精鋭が、満を持してダンジョンへと乗り込んでいく。


 先方を務めるのは今や有数の冒険者パーティーとなった『約束の旗』、そして戦う万能執事ゼルロンド。斥候役のスターが先頭となって勇ましく入っていった。


 その後に続くのはヘルカンの街で唯一のミスリル級冒険者パーティー『魔導の盾』と冒険者ギルド長ガトー。『魔導の盾』で『オーラ纏い』を習得が間に合ったのは結局リストールだけだったが、パーティーメンバーは全体的に腕を上げ確実に強くなった。その顔からは確かな自信が滲み出ている。


 ガトーは戦意が溢れ、この上なく士気が高い。その迫力は現役時代の頃を上回り、尚且つそれに相応しい実力を手に入れていた。その肩にはいつもの大剣ではなく見慣れないメイスを担ぎ戦いに赴く。


 その後を追うのは若き女傑クリステルと副ギルド長であるゲーリィだ。クリステルの瞳には一切の迷いが無い。魔人を討伐しなければならないと言う強い使命感に突き動かされ、力強く足を進める。


 ゲーリィは魔法使いとしてサポートできるよう、戦力的に中間になる位置に配置されたが、その恰好はどう見ても通常の魔法使いのものではなかった。


 軽くて丈夫な素材を厳選して作られたオーダーメイドの軽鎧。その鎧には本来ローブに刻まれるはずの魔力の質や魔力効率を高めるための力が込められている。手に持つのはゲーリィの胸ほどの高さまである鈍い輝きを放つ杖だ。魔法使いの杖は自然由来の素材を使ったものが多いが、ゲーリィの持つ杖は明らかにそれとは違う。


 鎧姿なのに杖と言う、見た者が首を傾げるような装備をしながらも、歴戦冒険者の貫禄を見せつけていた。


 そして最後尾をいつもと変わらぬ涼しい顔をしながら進むのが『夜明け』のアテンだ。


 絶望の淵にいる人々を、何度も太陽の如き輝きで照らし出してきたアテンに、その二つ名は相応しい。冒険者プレートが吊り下げられている首下からは、赤みを帯びた金の輝きが放たれていた。


 何の気負いも感じさせず淡々とダンジョンに入っていくその姿は、周囲の冒険者たちに安心感を与え、なんだか呆気なくこの作戦が成功するのではないかと思わせた。


 ちなみにもう一人のオリハルコン級冒険者であるメルグリットは、ラスタッドたっての願いにより騎士団の最後尾に配置されている。その理由は言うまでもなく騎士たちの様子を見れば分かった。


 アテンに続くようにラスタッドが歩みを進める中、その後続がなかなか続かない。あとに行けば行くほど不満や不安な顔をする者が目立った。


 ダンジョン突入作戦に関しては騎士団長であるラスタッドは納得したものの、当然のことながら大半の騎士たちは猛反対した。そのほとんどは利己的な理由によるものだったが、中にはごく少数ながらきちんとした意見があったことも大きい。


 それは魔人が転移できること。魔人がアテンを警戒して退いたならば、アテンが街を離れたタイミングで再び襲って来かねないというものだった。


 この意見に対し事前にアテンから答えを授かっていたラスタッドは、街の蹂躙よりもダンジョン防衛を優先するという魔人の行動原理と、遥か格下だと認識している人間に対してそんなせせこましい真似はしないと言う心理を説いたのだが、あくまでも推測であって確証は無いと騒ぎ立てる騎士たちを納得させることはできなかった。


 しかし結局のところ、街にいても魔人を倒すことはできないとラスタッドと数名によりここまで強引に連れてきたが、この期に及んでまだ覚悟が決まらないらしい。忙しなく周囲を探る者が散見された。


 しかし今更逃げ場などどこにも無い。周囲はたくさんの冒険者たちが鉄壁の布陣を敷いているのだ。騎士一人当たり冒険者が一人、二人程度なら突破できるかもしれないが、いくらなんでも多勢に無勢。四十名程度の落ちこぼれの騎士たちではそれも叶わなかった。


 自分たちの代表が勇ましくダンジョンに入っていったにもかかわらず、全くやる気が感じられない騎士の連中に、冒険者たちからの突き刺さるような殺気が向けられる。


 平民如きにそのような目を向けられることを屈辱に感じながらも騎士たちはその圧力に屈し、渋々ダンジョンへ入っていった。






「あーあ。一番前が良かったなぁ」


 騎士団の一番後ろでメルグリットが心底残念そうに独り言を呟く。その声が聞こえたやる気のない何人かの騎士がメルグリットを変人を見るような目で見てくるがどうでもよかった。


 どんどん前を進んでいく冒険者パーティー組が羨ましい。それに引き換え騎士団は遅々とした歩みで冒険者組とは引き離されていた。


 騎士団の後方にはメルグリットだけでなく見張りの騎士が二人ほど配置されており、前からも後からも急がせているがほとんど効果は無い。逃げ出そうとする気配はあるものの実際に逃げ出す騎士はおらず、特にやることが無いメルグリットは上の空になってただ歩いていった。


(このダンジョンて魔人以外にも強いモンスターが居るらしいじゃん? 前の方にいればさあ、そのモンスターたちとも戦えたかもしんないのに、こんな後ろじゃねぇ。どうせ魔人とやるのはアテン君なんだから、それ以外のモンスターたちとはできるだけ多く戦いたかったのに。はあ、ついてないなぁ)


 メルグリットは今日と言う日が来るの心待ちにしていた。充実した特訓の総仕上げとして、今日ほど相応しい日は無い。


 自分の力を完全に把握しているが故にその成長ぶりがはっきりと分かる日々は天上から福音が聞こえるほど素晴らしいものだった。


 加えて魔人討伐戦と言うメインイベントまでついているのだ。なんのご褒美だと、そう思わずにはいられなかった。


 しかし、当日になって申し訳ない顔をした友人に頼み事をされてしまった。本当は断りたかったが、アテンからも言われてしまってはどうしようもない。


 モンスターたちの予期せぬ攻撃によって、冒険者組が打撃を受けてしまった時の保険が必要だと言われてしまえば従うほかなかった。


(だったらアテン君がここに来ればよかったのにさぁ。まぁ? 万が一の時の対応力を考えれば仕方ないんだけどさ。はあ。僕の分、ちゃんと残してくれるのかな?)


 メルグリットだっていい年だ。言っていい我儘と言ってはいけない我儘の区別くらいはつくし、我慢だってできる。ただ、どうしても楽しみにしていたがために、未練がましくなってしまうのだ。


 それに不安だってある。アテンによって鍛え上げられた冒険者たちはかなり強い。


 『約束の旗』に至っては全員が『オーラ纏い』を習得しているのだ。二、三人で組んでいるトップ層の中にはそういうパーティーを見かけることもあるが、五人、しかもあの若さでとなると、各国を渡り歩くメルグリットですら見たことが無い。まだゴールドのプレートを下げていることがおかしくて笑ってしまうくらいだ。


 元々ミスリル級だったガトーやゲーリィ、ゼルロンドといった面々は言うに及ばず、他の者たちだってどこの冒険者ギルドに送っても恥ずかしくない猛者揃いだ。


 これほどのメンバーが攻略に乗り出せば、さすがに強いモンスターとは言っても自分が相手にする分が残らないのではないかと、メルグリットはそわそわしながら心配していたのだ。


(まあ、言ってても仕方ないか。アテン君に出会えて特訓をつけてもらえただけでも良しとしないとねぇ……)


 そう言って気持ちを切り替えようとした時だった。


 突如前方が騒がしくなる。それと同時、ソレの気配を鋭敏に感じ取ったメルグリットは反射的に前に飛び出していた。


 メルグリットがソレを目撃するのと、異常を察して引き返してきたクリステルが警鐘を鳴らしたのもほぼ同時。


 今日この時、メルグリットは人生で初めて畏怖の感情を覚える。


「まっ、魔人! 魔人出現!! 最大級の警戒をッ!!」


(強い……。いや……強いなんてもんじゃない。すごい。そう、すごい! すごいすごいすごいっ!! これが、魔人……! 美しいなぁ……)


 クリステルの声が遠く聞こえる。誰もが戦闘態勢に入る中、メルグリットは茫然と突っ立っていた。


 メルグリットはその強さと技能故に魔人との格の違いがはっきりと分かった。自分がいくら手を伸ばしても届かない存在。その領域にいる者。


 童話の中の竜に憧れる子供のように、メルグリットはその小さな女の子の姿をした魔人に憧憬を抱いた。


 前を進んだ冒険者たちが戻ってくると魔人はそちらに振り返る。魔人にとってはそちらの方が警戒に値するのだろう。向こうにはアテンがいるのでそれも当然と言える。


 振り返る際、一瞬だけ魔人と目が合ったことにメルグリットの心臓が大きな反応を示す中、冒険者たちの方を向いた魔人はアテンと話をしだす。


「……愚か。ぞろぞろと出来損ないを引き連れて。おかげで御方は今ご機嫌が優れない。お前のせい。街で大人しくさせていればよかったものを」


「ふん、何を言うかと思えば。片腹痛いわ。全ては貴様の能力不足が招いたことであろう。さっさと行動を起こしていればこのような事にはならなかったのだ」


 性格のせいで誤解されやすいが、こう見えて意外と頭も回るメルグリットはその会話の内容を理解する。


(出来損ないっていうのはアテン君を除いた僕らのことだろうね。あの魔人からしてみればその評価は何もおかしくない。それがぞろぞろとダンジョンに入ってきたことにダンジョンボスが怒っていると。八つ当たりでもされちゃったのかな? それをこの中の代表者であろうアテン君のせいにしてるんだね。それに対してアテン君はそんなの知らんと。彼女に力があれば二ヶ月と言う猶予を与えることなく街を滅ぼすことができて、こうしてダンジョンに乗り込まれることもなかっただろうと言っているわけだ)


 なんだか昔からの知り合いが会話をするかの如く、所々話を省いているような気がするがそんなはずはない。魔人は力だけでなく知能も人間を大きく上回るという。


 きっと頭の良い者同士が話をすると第三者には分かりづらいものになるのだろう。メルグリットは魔人と対等に会話をするアテンに感心した。


「片腹痛いのはこっち。『夜明け』のアテン。ぶふっ。カッコいい、似合ってる。『夜明け』のアテン」


「……殺すぞ」


 冒険者によっては自分に付けられた二つ名を恥ずかしく思う者もいる。アテンはその典型だ。


 魔人はそれを鋭く見抜いて挑発を仕掛けていた。決してただからかっているわけでは無いはずだ。


 戦いはもう始まっている。メルグリットは静かに腰を落とすといつでも剣を抜けるように準備した。


 これほどの相手に戦いを挑めることは、おそらくもう無い。神経を集中してアテンが仕掛けるの待った。


 アテンが挑発に乗ってこないことが分かると、魔人は次の行動に移る。雰囲気を一変させると厳かに告げた。


「愚かな人間共。自分たちならば事を成し遂げられると思い込んでいる驕り高ぶった下等生物共よ。お前たちに絶望……ささやかな絶望を教えてやる。ただ、せっかくここまで来たのに普通に殺してしまうのは面白くない。だから、ゲームをする」


「ゲーム、だと?」


 魔人の、人の命を何とも思っていなさそうな言葉が気に入らなかったのだろう、ラスタッドが顔を顰める。いつでも抜けるように剣に添えている手に力がこもるのが分かった。


 その事も当然把握しているだろうに、魔人は依然として話し続ける。はっきり言って、魔人にとってラスタッドは何の脅威でも無いのだろう。


「大層自分たちの力に自信があるお前たちのために、アタシが特別に相手を見繕ってやる。もしそれに勝てるようなら生かして帰してやってもいい。必死になって、足掻け」


 魔人の口が吊り上がる。後ろ姿しか見えないメルグリットでも魔人が笑っているのが分かるような声だった。それに釣られるかのようにメルグリットも笑みを浮かべる。


(僕の分、確約きた!?)


 周囲とは真逆の反応を示す頭がおかしいメルグリットをよそにラスタッドは尚も言い募る。理想の騎士団長になるためにここで引くわけにはいかない。


「……私たちをその相手の下まで誘導するとでも言うのか? こちらがお前の言う通りに動くとでも? お前を殺せばこちらの目標は達成されるのだ。相手を見繕うなどと言わず、お前自身が相手をしろ、魔人!」


 ラスタッドがその剣を抜き放つ。初めて刀身を現した珍しい片刃の剣は、その鎧と同様、真っ黒な見た目をしていた。見る者をどこか不安な気持ちにさせるその剣を力強く魔人に突きつける。


 そこまでしても魔人がこちらに振り返ることはなかったが、意識を向けさせることはできたようだ。ラスタッドを侮辱する言葉が紡がれる。


「ふふふ。随分と活きがいいのがいる。まるでおもちゃをもらった子供のよう。その身の程知らずも子供のよう。頭の悪さも子供のよう。アタシの言う通りには動かない? 勘違いするな。アタシの言う通りにんだ。お前たちに選択肢など……無い」


「できるものなら……やって見せろッ!」


 言葉を言い終える前にラスタッドが飛び出す。その速度はフルプレートメイルを身につけているとは思えないほど素早いものだった。


 まだ背中を向けている魔人。その攻撃は通用するかのように思えた。


 しかしメルグリットは思う。安い挑発だと。


 いつものラスタッドであればこんな安易に仕掛けることはなかっただろう。先日の会議で気持ちの変化があったのか、あるいは軽く一当てしてその力を見極めるつもりだったのか。その心の内は本人にしか分からない。


 だがメルグリットがラスタッドに意識を奪われた一瞬。魔人が右腕を上げる。


 その刹那、メルグリットの視界が暗転した。

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