第109話 全体会議 五

 全ての視線を自分に集めたラスタッドは、僅かに、しかしそれでもはっきりと分かるほどに頭を下げ、謝罪の言葉を口にした。


「すまなかった、冒険者諸君。お前たちの覚悟に対し、我ら騎士団のそれは、あまりにも足りていなかった。これも全ては騎士団長である私の責任だ。お前たちの街を護りたいと言う想いを侮辱したこと、どうか許してほしい」


「なっ……!?」


 ラスタッドの後ろでスルケベが驚愕の声を出したのが聞こえた。ラスタッドの、今までの性格を考えればこの行動は余程予想外のものだっただろう。そもそも上位貴族が平民に頭を下げ、謝罪すること自体が有り得ないことではあったが。


(それともお前を庇うために私が立ち上がったとでも思ったのか? 有り得んわ、そんなこと。あー、なんだか私も無性にボディーブローを打ちたくなってきたな……)


 決意を固めたことで心が軽くなったラスタッドは、同時に自制心まで軽くなってしまった。


 頭の中でシャドーによるパンチを繰り出していると、経験豊富なヘルカン子爵が場を収めてくれる。


「ラスタッド侯爵閣下。どうか頭をお上げください。こちらにも非礼がございました。領主として、この街に住む者たちが閣下に無礼を働いたことを深くお詫び申し上げます」


「うむ」


(さすがよな、ヘルカン子爵。私の心情の変化を察して丁度良い塩梅に落とし込んでくれたわ。この窮地に国王陛下が子爵を呼び戻したのも頷ける話だ)


 上位貴族に一方的に謙るのではなく、互いの非を認め合いその謝罪を受け入れ合ってくれた。一瞬でこれほどまでに気を回せるものは貴族の中にもなかなかいないだろう。ラスタッドはこの場にヘクターがいることを心強く感じた。


 ラスタッドが謝罪したことにより凍てついた視線も鳴りを潜める。


 会議室の空気が軽くなったことで、ようやく口を開けるようになった者がいたのだが、それも長くは続かない。


「ラ、ラスタッド騎士団長! 平民如きに頭を下げるとは何事ですか!? 我らは誇り高き貴族であり騎士であります! それを……」


「黙れ!」


「ゥ……!」


 目の前から放たれる、今まで感じたことがないラスタッドの本気の圧力に、スルケベはまたしても口を閉じさせられる。


 言いたいことも言えないそんな姿からは、貴族の威厳などとっくに無くなっていた。


「平民だからなんだ。今必要なのは純粋な戦力。冒険者ギルド長の言う通りだ。国王陛下のご命令を忘れたか? 陛下が望むは魔人の討伐と民の安全。決して貴族であることを鼻に掛けて居丈高になって来いと仰ったわけではない。お前が誇り高き騎士だと? 笑わせるな。良いか、今後私の許可無く勝手に喋るな。二度目は無いぞ」


 スルケベにとって、今のラスタッドはもはや目の前に聳え立つ巨大な黒い壁にしか見えない。何の反応もできないスルケベに言い放つとラスタッドは席に座った。


 そして、ようやく話し合いの準備ができたタイミングで、待ちくたびれたと言わんばかりにアテンが肩を鳴らす。


「やっと茶番が終わったか。手間をかけさせるなよ、サイザー・ラスタッド」


 口を開いた途端にこれだ。その傍若無人ぶりに苦笑いが出る。


 だが今のラスタッドが目指すべきところは正に今のアテンに近い。少しでも多く学び取れるところがないかとつぶさに観察しながら応じた。


「……あぁ。すまなかった、冒険者アテン。しかし、おかげで役立たずのまま終わると言う事態は回避できそうだ。礼を言おう」


「いらん。元から貴様らは物の数に入っておらん。使えようが使えまいが、どちらでもよかったのだからな」


「手厳しいな。だがそれも今までの騎士団の実態から考えれば理解できる話だ。……しかし、戦いの際には足手まといにはならないと、騎士団長ラスタッドの名をもって約束しよう」


「勝手にしていろ」


 二人の話に一区切りがついたと判断したゲーリィは再び会議を進めるため立ち上がろうとする。しかしそれをアテンが止めた。


「よい、ゲーリィ。そもそも決定済みのことを騎士団に伝えるだけの開く価値もない会議だ。私がさっさと終わらせてやる」


 アテンがラスタッドに目を向ける。そして騎士たちにとって衝撃的なことを告げた。


「魔人との決戦の場はダンジョンだ。準備が出来次第こちらから乗り込む。騎士団の再教育をしたいなら一週間以内に済ませておけ。言っておくが、貴様らに選択肢は無いぞ」


「な!?」


 その思いもしなかった作戦にラスタッドは目を見開き、スルケベは短く声を発する。頭の片隅でスルケベがそれ以上喋らなかったことを少し残念に思いながら、ラスタッドはアテンの言葉に理解を示した。


「……成る程な。危険も大きいが一番被害を少なくできる方法だ。そして冒険者たちがダンジョンに乗り込む以上、騎士団も乗り込まないわけにはいかない、か」


 騎士団だけが街に残って悠々と構えていれば一体何をやっているんだと言う話になってしまう。今回の騎士団の働きは国王陛下の威信に直結するのだ。冒険者たちに後れをとるわけにはいかない。


「致し方なし、か」


「ラスタッド騎士団長!?」


 ラスタッドの前向きな呟きに、スルケベが非難するように呼びかけてくる。


 もう一回喋ったら殴ろうと決めて今は無視した。


「魔人の言った期日まで残された日数は少ない。それまでに貴様らは貴様で全ての準備を整えておけ。まったく、これだけの事を言うのに無駄な時間を使わせおって。それと、サイザー・ラスタッド。一つ忠告だ」


「忠告? ……なんだ?」


 ここまで格の違いを見せつけてきたアテンだ。その言葉には価値があると、ラスタッドは真剣に耳を傾ける。


「足手まといは初めから連れていくな。貴様らにとってその存在は致命的となるだろう。そうなるぐらいなら、初めからその紛い物の魔人装備を身に付けた貴様一人の方がまだマシだ」


「なんだと……? いやその前に、国宝であるこの魔人装備が紛い物……? これはその昔、多くの犠牲を払いながらも討伐した魔人から獲得したという、わが国に伝わる由緒正しいものだぞ?」


 忠告よりもそちらの方が気になってしまう。ラスタッドはこの黒い装備一式が魔人装備だと信じて疑っていなかった。


 この装備を身に付けた時の全能感は凄まじい。王都に売っているどんな装備品を身に付けても、これほどの力強さを感じることはない。それほどの装備だった。


 しかしアテンはそれを歴史ごと否定する。


「だからなんだ。本当に魔人が出現していたらこの国など残っておらんわ。貴様の装備を見るに、その似非魔人による被害は精々都市一つか二つ程度であろう。そんな、メルグリット如きでも可能なことと、魔人の強さを一緒にするな」


 衝撃の事実を叩きつけられてラスタッドは言葉を失う。それならば、真の魔人とは一体どれほどの脅威だと言うのか。


 ラスタッドは心のどこかに、魔人の装備を身に付けている自分ならば魔人と戦うことだってできるという安心感を持っていた。


 アテンの言葉が本当で、今回相手にする魔人が真の魔人であった場合、勝てる見込みはあるのか。


 ラスタッドが魔人に対する認識を改めていると、突然名前を使われたメルグリットが勢いよくアテンに食いついてきた。


「え? 僕一人で都市一つ? うーん、できるかなぁ……? それよりもアテン君! 魔人ってそんなに強いのかい!? あはっ、やばいね。これは死んじゃうかな? くうぅ、堪らないねえ!! 早く戦ってみたいなっ!!」


 手を上下に振って子供のように興奮を表す中年。


 花が咲くような笑みを浮かべるメルグリットに、周囲から白い目線が突き刺さった。


 戦闘狂末期であるメルグリットに施せる処置は何も無い。ラスタッドは残念な友人を努めて無視すると、アテンに返事をした。


「そうか。それほどの脅威ならば、やはり騎士団としては一丸となって戦うことにしよう。冒険者アテンも知っているだろうが、我ら騎士の真骨頂は集団戦。確かに騎士と呼ぶには烏滸がましい者も混じってはいるし、そちらが不安になる気持ちも分かるが、それでも此度の戦いに推参しここまで来たのだ。その務めはきっちりと果たさせる」


 騎士団長としての使命感に目覚めたラスタッドは力強く意思表明をする。


「まあ、貴様の自由だ。好きにしろ」


 アテンはそれだけ言うと用は済んだとばかりに目を閉じてしまった。会話を主導していたアテンが黙ったことで会議の終わりの雰囲気が出始めた。


 しかしこのまま会議を終わらせる訳にはいかない者が一人だけいる。


 スルケベだ。スルケベを始めとした団員の半数以上は今回の魔人戦でまともに戦う気など無かったのだ。


 街での防衛戦だと、当然のように思っていたので、戦いは主にラスタッドにやらせて自分たちは比較的安全な場所でやり過ごそうという計画を立てていた。


 魔人装備を身に付けたラスタッドに勝てる者なんかいやしない。勝利が約束された戦いに参加することで、必要最小限の労力で賢く、美味しく名誉だけを獲得する魂胆だった。


 モンスターとの野蛮なる戦いなど脳筋に任せておけばいいのだと、派閥内で笑い合っていたのに、このままでは自分の命に危険が及ぶ。


 戦力を蓄えているであろうダンジョン内に突入するなど正気の沙汰ではない。進行役の平民がヘルカンに目配せで会議を終わりにしていいか確認を取っているが、良いわけがない。スルケベは目をこれでもかと開いて猛然と抗議した。


「ラスタッド騎士団長!! 我ら騎士団は街に残るべきです! ダンジョン内に突入するなど正気の沙汰ではありません! そんな作戦が本当に成功するとお思いですか!? 失敗するに決まってるッ!! 下等な冒険者共に付き合う必要はどこにもない! 我らは馬鹿共が失敗した時のために、街で防衛の準備をしておかなければならないのです!!」


 スルケベの主張に冒険者ギルド長の平民が顔を手で覆う。おそらく、今頃になって正しい対処法が分かって後悔しているのだろう。咄嗟に出た言葉ではあるが、スルケベはその正当性の高さに自分の話術センスを感じざるを得ない。


 ラスタッドは愚かと言うわけではないが、派閥間による板挟みで自らの主張ができない男だ。これほど強く正しい意見を言えば間違いなくこちらに靡く。


 勝った。


 そう確信するスルケベの前で、ラスタッドはおもむろに椅子から立ち上がった。


「精鋭の冒険者たちを欠いた状態で、たかだか数十人しかいない騎士団だけで、どうやってこの街を護ると言うのだ?」


「なんですと……?」


 まさかの口答えにスルケベの表情が顰められる。だが聞かれてしまっては仕様がない。質問に答えてやった。


「そんなものはどうにでもなるでしょう! その魔人装備を身に付けたラスタッド騎士団長は一騎当千の強さ! 防壁で持ちこたえている間に、ラスタッド騎士団長を主軸とした戦力でモンスター共を蹴散らせば良いのです! ……まさか、そこの無礼者が言った言葉を真に受けているわけではありますまい? あんなものは戯言に過ぎません! その装備は正真正銘、魔人装備! 由緒正しい魔人装備です!! ですから魔人など恐れるに足りません! 魔人も比較的強いとされるモンスターも、ラスタッド騎士団長が……!」


「……何でもかんでも人頼みか! 恥を知れッ!!」


 みっともない姿を晒し続ける団員に、ついにラスタッドの堪忍袋の緒が切れる。


 深く腰を落とすと、捩じれの力を最大限に発揮した渾身のボディーブローが炸裂した。


「歯を食いしばれ!! 騎士団長印・団員矯正パンチッッ!!」


「ゴッブォッ!?」


 城門に破城槌でもぶち当てたかのような音を立ててスルケベが壁に叩きつけられる。


 そのままドサリと倒れて泡を吹き、白目を剥くスルケベを見てラスタッドはアチャーといった顔した。


「怒りのあまり力加減を間違えてしまったわ。これは、一度やり方を乞わねばならんかな?」


 そう言ってラスタッドはレインに笑みを向ける。


 その表情は明るく、等身大の彼の人柄がよく分かるものだった。






 会議も終わり、移動した先の執務室。


 そこでヘクターとゼルロンドが先ほどまでの会議のことを話し合っていた。


「如何でしたかヘクター様。その目で見たアテン様は」


「……不気味、だな」


 ヘクターは端的に答える。その表現が一番合っている気がした。


「会議の流れがあの者の手のひらの上にあったように思う。自らは極力手を出さず、周囲を動かし望む結果を手に入れる手法は上位貴族たちが好んで用いるものだが、その精度が桁違いに高い。とてもではないが、同じ人間だとは思えん」


 冒険者たちがダンジョンに乗り込んで戦いに挑むのはいいが、それに騎士団を加えるのは困難を極めると予想していた。


 ヘクターは騎士団の内情をよく理解している。故にそれをどう攻略するのか、アテンのやり方を窺っていたのだが、まさかあのような方法で掌握するとは思っていなかった。


 何の気負いも無く遅れてやって来ては、少し喋っただけでラスタッド侯爵閣下が奮い立つように誘導し味方につけてしまった。相手の心を見極める洞察力、感情を動かす言葉と順番。そしてそれを可能にする迷いなき姿。


 これは、かの者と知り合った者たちが軒並み心酔してしまうのも仕方ないとよく納得できるものだった。


 今回の一件が、事前に情報を細かくまとめて入念に対策した上で成したことであるならば、やり手の貴族で済む話なのだが、そんな時間は無かったはずだ。


 つまりは、ある程度予測を立てただけのぶっつけ本番。この程度の事は、かの者にとって何でもないということ。


(人間と言うものをよくよく理解しているのだろうな……)


 そうとしか説明がつかない。おそらくは国によって解析された人間の詳細な行動理念と、かの者自身の頭脳があって初めて成せる技なのだ。ヘクターはそう結論づけた。


 しかし会議を思うように動かしたかの者も、一つだけ上手くいかなかったことがある。ヘクターはその事が気になった。


「ゼルロンド。かの者がラスタッド侯爵閣下にした『忠告』を覚えているな? お前はあれをどう思った」


「そうですね……。一見、ラスタッド侯爵閣下の選択が正しいように思いますが、私はアテン様の言う通りになさった方が良かったのではないかと思います。あの方は今まで間違ったことを言ったことはありませんから」


「ふむ……」


 ラスタッド侯爵閣下は忠告を断っていた。それが何を齎すのか。


 ヘクターの目から見て、かの者は忠告に従って欲しかったように見えた。だが、断られてもあまり頓着が無かったのでその狙いは分からない。


 本当に忠告を聞いて欲しかったのか、それとも断られることに意味があったのか。


 何にせよ、今回の戦いが良い結果になるよう、願うしかないヘクターだった。

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