第108話 全体会議 四

「なっ、シ、ショーシィン!? き、貴様ら! 自分たちが何をしたのか分かっているのか!?」


 信じられないものを見たと驚愕の声を出すスルケベ。そしてラスタッドもまた同じ想いを抱いていた。


 平民が貴族に手を出した。何の躊躇いもなく、だ。


 百歩譲ってそれをやったのがアテンならまだ理解できなくもない。後で自分の身分を明かせばそれだけでこの問題を封殺できるかもしれないからだ。


 だがそれを実行に移したのは紛れもない平民。まだ若い冒険者だ。垣間見えたその実力の高さに目を見張っていたラスタッドだったが、もはやそんなことを言っている場合ではない。


(何故そんなことができる……。権力構造をよく理解していないのか、それとも冒険者アテンの権力をアテにでもしているのか。そうだとしても、浅はかに過ぎる!)


 ラスタッドは一連の行動を勇み足による浅慮だと切り捨てる。


 たとえアテンが某国の貴族だとしてもここは遠く離れた他国。その影響力をどう判断するかは相手の貴族次第だ。


 常識的に考えれば手を出すことを躊躇するだろうが、中には考えなしの貴族だっている。その者たちが実力行使に出ることだって充分考えられるのだ。


 ましてやその相手が弟子という間柄ではあるが平民ともなれば、なおさら意地になって捉えようとするだろう。自分が足を踏み入れてしまった危険地帯に、あの冒険者は気づいているのだろうか。


(少なくとも冒険者アテンは分かっているはずだが……。それを理解しながら何故そんな命令ができる? 弟子を危険に晒しているのだぞ? 若き冒険者よ、何故そんな命令に従える? どうしてそこまで信用し、迷いなく行動することができるのだ!)


 厚い信頼関係で結ばれている二人を見ているとラスタッドは無性に言い知れぬ苛立ちを覚えた。自分でも判然としない気持ちに支配されかけながらも、この場をどう収めるべきか必死に頭を巡らせるラスタッド。


 妙案が浮かばずにいると冒険者アテンとスルケベの会話が進み出したので、そのまま冒険者アテンの出方を窺うことにした。


「何をしたか、だと? ゴミ掃除だ」


「ご……!?」


 ふてぶてしい冒険者アテンの返答にスルケベが絶句する。貴族として生まれて数十年が経つラスタッドでも貴族をゴミと称した者はかつて聞いたことがない。


 衝撃的な言葉遣いをする冒険者アテンにスルケベが何も言い返せないでいるとアテンは再び弟子に命令を下した。


「レイン。廊下にでも捨ててこい」


「はい! アテン師匠!」


 元気に受け答えする弟子はショーシィンを雑に引きずると本当に廊下に投げ捨ててしまった。素早く自分の席に戻って満足げな笑みを浮かべる若き冒険者に、自分たちもショーシィンに対して思うところがあったのだろう、冒険者ギルド長と副ギルド長たちも苦笑いを浮かべていた。


 ヘルカン子爵が執事に目配せをし、不肖の団員の回収をしてもらっている間、スルケベがようやく衝撃から帰ってきた。貴族を軽視する行動の数々に、正気に戻ったスルケベはもう我慢の限界だった。


 しかし実力行使に出ようにもおそらく自分では敵わないことは既に予想がついている。なのでスルケベはラスタッドも苦手としている口撃で攻めることにした。


「く、くっくっく、馬鹿な奴らめ。やりすぎたな! 貴族に手を上げた以上、法による裁きは避けられんぞ!! そうやって粋がっていられるのも今の内だ! この事をこの街に逗留している騎士団に報告すれば、すぐにでも大量の騎士たちが貴様たちを捕えにやって来る! そうすれば即刻、縛り首だ!! ハーハッハッハッハ!!」


 アテンを指さし高らかに勝利の死刑宣告をするスルケベ。ラスタッドが恐れていた通りの展開になってしまった。


 アテンのことを平民だと思い込んでいるスルケベは実際に行動を起こすだろう。ここまで貴族が侮辱され続ければもう引くという選択肢は無い。


 止めなければ不味いのだが、一緒に侮辱された側であるラスタッドがここでスルケベに待ったをかけるのも不自然だ。そんなことをしたら平民に怖気づいた情けない騎士団長と周囲に言いふらされて、戦いの指揮を執ることも困難になってしまう。


 ここはアテン自身が何とかしなければならない。だと言うのに、そのアテンは何もせず、何も喋らず、ただ静かに椅子に座っているだけだった。それを見ているとラスタッドの方が焦ってしまう。


(どうして何も行動を起こさないのだ……。いや、それよりも、魔人との戦いを前にしてなぜ問題を大きくするようなことをした!? こうなることぐらい予想できたはずだ。一体、冒険者アテンは何がしたいんだ!?)


 アテンの考えが分からず顔が険しくなるラスタッドをよそに、スルケベはアテンが言い返してこないことに上機嫌になっていた。


 それもそのはず。スルケベは今やクソ生意気な平民の命を握っているも同然だからだ。だが、スルケベはこんな時でも油断しきったりはしない。


 相手は何と言っても実際に貴族に手を出した野蛮人だ。自分も襲い掛かられたら堪らないと、事前に釘を刺しておく。


「くくく。頑張って澄ました顔を保っているようだが私には手に取るように分かるぞ? その皮一枚奥で暴れ回るっている、貴様の恐怖心がなあ! おっと、先に言っておくが、私が騎士団を呼びに行くのを邪魔しても無駄だ。そんなことをしても貴様らが犯した罪は変わらない。それに何より、私を止めたとしてもこちらにはラスタッド騎士団長がおられる! いずれ貴様たちの罪は白日の下に晒され、後悔の中、処刑台の上で貴様たちは……」


 平民甚振りが興に乗ってきたスルケベ。快感に酔いしれた顔をしながら朗々と紡がれる言葉はどこまでも続くかに思えた。


 だがその独壇場は突如、幕を下ろされることになる。


 スルケベ劇場に終焉を齎したのは予想外の人物。アテンの横で不思議そうな顔をするレインだった。


「あのー、騎士様」


 気持ちよく演説していたところを、小さく手を挙げて質問してくるレインに邪魔されてムッとするスルケベ。


 だが貴族である自分に遠慮しながら質問してくるレインの姿は平民に相応しい姿だと思えたので、スルケベは死にゆく者に寛大な心で、特別に、質問を許可してやった。


「……なんだ。平民」


 たっぷりと上から目線を放つスルケベに、レインの純粋ゆえに鋭利な疑問が突き刺さった。


「自分の行動を平民に邪魔される程度の強さで、ここまで何しにきたんですか?」


「…………ッ!!」


 侮っていた平民如きに揚げ足を取られる形となったスルケベは目と鼻の穴が大きく開き、ひどい顔を晒した。


 恥辱と怒りでみるみるうちに真っ赤に染まっていく顔をプルプルと震わせ、その激情を口から吐き出そうとすると、会議室に大きな笑い声が響く。


「クク、ガッハッハッハッハッハ!! おいレイン、あまり言ってやるなよ。せっかくここまで来てくださったんだからよ」


「そうですよ、レイン君。個々の戦闘能力が低くとも、騎士には特殊な戦い方があると聞きます。それを駆使すれば、きっとまともな戦力になるのでしょう」


 レインの無垢な質問に笑いを我慢できなくなったのはガトーとゲーリィだった。その言葉は貴族に無礼を働いたレインを諌めているように見えて、実のところスルケベを馬鹿にしているのがよく分かった。


 平民としての身分を弁えていたかのように見えた冒険者ギルド長と副ギルド長までもが、自分に楯突いてきたことが気に入らないスルケベの怒りは人生の中の最高値を更新する。


「どいつもこいつも、ここには無礼者しかいないのか……! 舐めやがってぇ……ッ」


 怒りに戦慄くスルケベ。


 その独り言が耳に入ったガトーは、剣吞に目を細めた。


「お言葉だけどよ、騎士様。舐めてんのはそっちだぜ」


 もはや隠す気も無いその反抗的な目に、スルケベも言葉が出ない。


 しかし、怒りを湛えているのはスルケベだけではない。ガトーは今まで溜め込んでいた憤怒の池に言葉を浸し、その一つひとつを吐き出していった。


「今必要なのはお貴族様の権力じゃなくて純粋な戦力なんだよ。権力で魔人を倒せんのか? 倒せねーだろ? そんなもん糞の役にも立たねえんだよ! こっちは街を護るために命懸けてんだッ!! 碌な覚悟もえ奴がいつまでも出しゃばってんじゃねえッ! 邪魔なんだよッ!!」


「……ッ!」


 ガトーの怒りの剣幕と覇気に気圧されるスルケベ。そこにゲーリィも続く。


「付け加えれば、貴方が捕えると仰っているアテン殿は決戦における最重要人物。それを害すると言うのであれば、全力で阻止させていただきます。そもそもアテン殿を捕えるなど出来ようはずもありませんが、それでもよければどうぞ騎士団を連れてきてください。決戦前の準備運動に、有効活用させていただきます」


 静かに、それでも張り詰めた鋭い気迫を発するゲーリィは完全に戦闘態勢に移行していた。


 いや、ガトーやゲーリィだけではない。


 気づけば会議室にいるほぼ全員、メルグリットやクリステルといった者たちまでもが、寒気がするような目でスルケベたちを見ていた。


「ひ、ぐ……」


 スルケベは実力で大きく上を行く者たちに、揃って殺気混じりの視線を向けられたことで悲鳴が喉から出掛かる。


 とてもではないが、今の状況はスルケベが尚も何かを言い返せるほど生ぬるいものではない。歯が立てる、カチカチとした音を外に出さないように、口を閉じているので精一杯だった。


 一方で、同じくその視線に晒されているラスタッドはと言うと、頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けていた。


(これが……彼らの覚悟、だというのか。これほどまでに……。……重い。今の騎士団とは、比べるべくもないほどに。成る程な。見苦しい、か。確かに彼らからしてみれば、今の私はさぞかし見苦しいであろうな)


 身命を賭して街を護ると誓った彼らに対して、何をしに来たのか疑われてしまうような団員で構成された騎士団。その団長である自分。


 強力な指揮系統のもと、力を一つに合わせて戦いに臨もうとしている彼らに対して、碌に団員たちに言うことを聞かせることもできない自分。


 戦いに万全を期すためならば貴族に歯向かうことすら厭わない彼らに対し、遥々王都からやって来ては恥を晒し、騎士の務めよりも保身にひた走り、何もできなくなっている自分。もはやぐうの音も出ない。


(覚悟が無いなら団長になるな……。染みるな、冒険者アテンの言葉は)


 ラスタッドは自嘲の笑みが出る。国を護る、格好いい姿に憧れて騎士になった。だが、年齢と騎士としての階級が上がっていくにつれて理想とは程遠い現実が見えてきた。


 そんな現実を直視するのが嫌だった。こんなものになるために今まで努力してきたんじゃないと目を逸して、がむしゃらに走り続けた。


 そしていつの間にか至っていた騎士団長としての立場から見る景色は、ラスタッドの夢に応えてはくれなかった。


 それからは可もなく不可もなく、騎士団長としての務めを果たしてきたが、今日ここに来てラスタッドは自分のやるべきことが見えた気がした。


 現実が理想と程遠いなら自分でそうなるように努力すればよかったのだ。


 自分は侯爵家。犠牲を厭わなければきっと理想に近い騎士団を作ることも可能だっただろう。強い姿勢を示し続けていれば、頼りになる騎士団だと国王陛下からさらなる後押しをしてもらえただろうし、横槍を入れてくる他の貴族も少なかったはずだ。


(そうだ、私はきっとできた。理想を叶えられた。茨の道を突き進むのが怖くてそこから逃げだしたのは私自身。それなのにできない理由ばかりを探して実行に移してこなかったことを、言い訳と言わずに何と言うのか。冒険者アテンは、私が目を逸らし続けてきた真実を言い当てていたのだ。)


 ラスタッドはアテンに目を向ける。自分が何かをするまでもないとばかりに、静かに目を閉じて座っているアテンを。


(冒険者アテンは某国では王の側近だと聞く。きっと国を守護する重要な役職に就いているのだろう。そんな彼からしてみれば、騎士団長と言う地位にいながら周りに振り回されている私の存在は、さぞかし不甲斐なく映っただろうな)


 ラスタッドは自戒する。今にして思えば騎士団長を名乗るには烏滸がましいほど情けない姿を見せていたのだと分かる。


(冒険者アテンよ。お前は私にこれを見せたかったのか……? 騎士団長とはかくあるべきという姿を、自ら実践してくれたのか? いや、そうなのだろう。このまま戦いに臨んでいれば、騎士団はその力を発揮することができなかっただろう。防衛と言う点においてもしっかりと意味があったことだったのだ。それを私は……。)


 愚かな思い込みでアテンという人物のことを過小評価していたことを恥ずかしく思う。しかし、それが分かった以上は変わらなければならない。


(私に、できるだろうか。今からでも遅くはないだろうか。……ふ、無駄な問いかけだな。やらねば私はきっと後悔する。だったら、やってやろうじゃないか。今日が一番若い日だ。何かを始めるのに今日ほど良い日はない。私は、理想の騎士団を作り上げてみせる! そのためにもまずは、私の覚悟を示さんとな……!)


 凍てつく視線が、主にラスタッドの後ろに立っているスルケベに集中する中、それを遮るようにラスタッドは立ち上がった。

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