第99話 準備

 魔人の宣告から三週間ほどが経過したトルマリンの街。


 その爪痕が色濃く残る領主館では現在職人たちによる復旧活動が行われている。だが元の姿を取り戻すのはまだまだ先になるだろう。それは広範囲に渡って建物が消失してしまったことも原因だが、何よりも職人の少なさに起因していた。


 そして少なくなったのは職人たちだけではない。今のトルマリンの街ではスタンピードの時とは比較にならないほどの人口減少が起きていた。


 『愚かなる人間共よ。アタシは魔人メイハマーレ。お前たちが恐れ多くもゴブリンダンジョンなどと呼んでいる、至高なる御方が治めし聖なる地に住まう者である。お前たちは禁忌を犯した。聖なる地に大量のゴミ共を送り込んできた。アタシは、我らが御方に代わり、その愚劣なる行為の報いとしてお前たちに裁きを与える。今より二ヶ月後、圧倒的戦力を持ってこの街を滅ぼす。見せしめとして、ここにお前たち人間が住んでいた痕跡は塵一つ残さない。二ヶ月後、この地に立っているのは人間ではなくモンスターである。今再び、地上にモンスターの楽園を造ろう。恐れよ、後悔せよ。そして神に祈りを捧げ、首を捧げよ。それがお前たち人間の正しい在り方である』


 その魔人の鮮烈なる宣告と力の証明は、人々を恐怖のどん底に叩き落とすには充分だった。今も慌ただしく街を出ていく住民たちの姿が見える。


 幸いなのは商魂逞しい商人たちが、こんな時にも街にやって来て大商いをしていることだろうか。定住者は減っているが街にいる人間自体の数は閑散とするほど減ってはいないので、そこまで郷愁の念を抱くことなく済んでいる。


 そんな街の冒険者ギルドの訓練場では、来るべき決戦に備えて最後の追い込みが行われていた。


「<レイジングラッシュ>!」


 <レイジングラッシュ>は連撃数が増えるほど威力が上昇していく<ラッシュ>の上位互換スキルだ。クリステルは高いフェイント技術を織り交ぜた四連撃の後、息を吐く間もなく勝負を決めるために怒涛の連続切りを仕掛ける。


 スキルを発動する前に自前で連撃を行うことで擬似的にスキルの効果を延ばすこの技術は高い集中力を必要とする。


 そもそもスキルを発動するにはその事だけに集中しなければならない。スキルを覚えたての初心者ならば、ただそれだけに十数秒を要することもあるほどだ。それをフェイントを交えながらの四連撃の後に、流れるように強力なスキルを発動するクリステルの技量は相当高い。


 そんな、オーラがこれでもかと込められた全身全霊のスキルを、アテンは自前のショートソードで捌く。剣の腕前もそこら辺の剣士より数段上とは言え、才能に加え努力を積み重ねてきたクリステルの剣術には及ばない。ついにはクリステルの連撃がアテンの剣を弾いた。


「ッ! そこ!!」


 チャンスと見たクリステルが、すかさずガラ空きになったアテンの胴体に向かって勝負を決めにいく。


 この相手に手加減など無用。それを短い期間で嫌と言うほど味わったクリステルは迷いなく振り切る。しかし、このチャンスに力んだせいで少しばかり大振りになってしまったクリステルの隙をアテンは見逃さない。


 弾かれたショートソードをさっさと手放すと素早く懐に入り込み、『不合格の証』をお見舞いした。


「ゴッフっ……」


 下から掬い上げるように繰り出された拳に、クリステルの足が地面から離れる。逃げ場を失った衝撃はクリステルの身体の中を暴れ回り、内臓をズタズタに破壊した。


 そのまま受け身も取れずに床に投げ出されたクリステルの身体は何度か転がり、止まる。殴られた身体を両腕で抱きしめたクリステルは、こみ上げるものを我慢できずに盛大に吐血した。


「ひどいな」


「ひどいですねぇ」


「むごい」


「エグい」


「鬼っすね」


「私たち、よく生きてるわね……」


 情け容赦無い一撃を放つアテンに被害者たちが口を揃えて非難する。しかし誰も止めない。彼らは内心で、一人増えたことによって自分の順番が回ってくるのが少しばかり遅くなったことを喜んでいた。


 そんな古参者たちは達観した目で新参者を眺める。


「コフ、ゴフッ!? う、ううぅ……」


 そんな彼らの生暖かい視線を集めるクリステルは、気管に詰まる血を吐き出しながら身体を蝕む激痛に悶え続けていた。


(あれ、辛いんだよなあ……)


 ガトーは同情を禁じ得ない。


 アテンは個々が耐えられる限界を見極めてダメージを与えてくる。それはそれは地獄の苦しみなのだが、実はここから一定時間が経たないと回復が許されないのだ。なんでも、それがオーラを高めるために一番効率が良いらしく、その間はただひたすら耐え続ける時間になる。


 これが、本当に辛い。


 ガトーも最近になって気づいたのだが、アテンは一撃を加える際に、自らのオーラを相手の身体の中に流し込んでいる。こいつが身体の中で悪さをするせいで、いつまで経っても痛みが引かないのだ。


 周囲ではアテンのことを英雄ともてはやしているが、ガトーたちからしてみればアテンは鬼畜以外の何物でもない。これで何の効果も出ていなければさすがに文句を言っているところだ。


(そうなんだよ、効果は出てんだよなぁ……)


 実際に訓練を受けているガトーですらその事実を疑いたくなってしまう。今まで意図的な習得は不可能だとすら思われていた『オーラ纏い』。それを、驚くべきことに訓練者たちが覚え始めていたのだ。


 『約束の旗』に至っては驚愕の全員習得。『魔導の盾』にしてもエルゼクスの他にリーダーであるリストールが使えるようになった。これほどの成果を見せつけられてしまっては文句など言えるはずもない。


 これまでアテンには散々驚かされてきたが、どうやらまだ足りないらしい。常識をいとも容易く覆される感覚は未だに慣れないガトーだった。


(しかし、まさかあの嬢ちゃんがここまで強かったとはな。最初にやり合った時、本気で来られてたらやばかったかもしれん……)


 ガトーは苦しみ続けているクリステルに視線を向ける。


 オーラを解禁し、全力になったクリステルは予想以上の強さを秘めていた。その剣裁きは流麗で美しい。才能を持ち、たゆまぬ努力を積み重ねることで初めて至れる領域に、その剣術はあった。


 剣に愛された者としてガトーが最初に思い浮かべるのは、かつて共闘したこともあるオリハルコン級冒険者メルグリットだが、それに次ぐ腕前かもしれない。


 決戦を前にこれほどの戦力が加わったのは実にありがたい。ガトーはあの大事件の後、クリステルが冒険者ギルドに訪れた時のことを思い出していた。






「あ!? あの嬢ちゃんが俺を訪ねに来ただ……? 通せ!!」


 魔人強襲。トルマリンの死亡。錯綜する情報に慌ただしく動き回るガトーたちの元に、予想外の人物が訪れた。


 クリステル。


 トルマリンの腹心だと思われていた騎士だ。魔人にトルマリンが殺された以上、主を護ることが務めである騎士も当然のことながら死んでいると思っていた。


 しかし生きていたのなら重畳。この混沌とした状況に方向性を示すための貴重な情報を持っている可能性が高い。ガトーはすぐさま連れてくるように指示を出した。


「おい! その辺にアテンはいるか!? いたら連れて来い!」


 別の職員にも指示を出す。これから大切な話し合いになるはず。アテンの考えは是非とも聞いておきたいところだ。


 もはや当然のようにアテンに頼るガトー。しかしその思惑は外れる。


「いえ、今日はまだ見かけていません! ギルドにはいないはずです」


「ッ、そうか、分かった!」


 アテンの容姿は非常に目立つ。その上、今やその一挙手一投足が注目される英雄扱いだ。近くにいればすぐ分かる。


「残念ですね」


「あぁ。だが、いねえならしょうがねぇ。何でもかんでも甘えるなってことかもしれねーしな」


 一緒の部屋にいたゲーリィと言葉を交わす。そのゲーリィは口を開きながらも一生懸命手元の資料をまとめていた。


「ふふ、そうですね。これだけの騒ぎになっているのにここに来ていないのですから、そういうことかもしれません」


「まぁこの街にいてくれるだけで助かってるんだ。これ以上贅沢は言わねーよ」


「……ええ」


 それは人口流出抑制のこともそうだが、何よりも魔人が一旦退いたことを示していた。


 変わり果てた領主館を見れば、魔人が桁違いの力を秘めているのは嫌でも分かる。だが、魔人はこの街を滅ぼすのに期日を設けていた。


 圧倒的戦力でこの街を消し去ると言っていたからこの街に対して敵意があるのは明らかなのだが、それでも一旦退いたのだ。これほどの力を誇っているならば、自分一人で街を滅ぼそうとしてもおかしくないところ。しかしそれをしなかったと言うことは、裏を返せば自分一人では失敗するかもしれないと思ったのでは、とガトーとゲーリィは考えたのだ。


 理外の存在と言う意味では、魔人の他にもう一人だけ心当たりがある。そいつが人並み外れた<気配察知>を持っているように、魔人もまた似たような能力でその者の気配を察し、撤退を決めた。だからまだこの街は無事でいられる。そのように思っていた。


「俺たちも強くはなったが、さすがにあんなわけの分からねえ攻撃の痕を残すような奴に勝てるとは思えねえからなぁ……」


 一度現場の確認にも行ったが、見れば見るほど理解不能で怖気の走る光景だった。


 球体に沿うように出来た空白地帯。その断面となった場所は空間ごと切り取られたようにツルツルになっていた。


 こんなの戦闘中に使われたらどうやって防げばいいんだよ、というのがガトーの率直な感想だった。最悪、気がついたら死んでいたと言うことになりかねないと、逆に笑いが出たほどだ。


「見た感じですと、空間系のスキルだとは思いますが、それが分かったところでこれといった対処法が見つからないのが困りものですね」


「まったくだ。まぁその辺、あの嬢ちゃんが持ってくる情報に期待しようや」


 なるようにしかならない。


 ここ最近濃い経験ばかりしている二人は、魔人出現と言うとんでもない危機に対して、忙しくはしているが取り乱すようなことはなかった。


 事前にアテンから釘を刺されていたことも大きいが、組織のトップである二人が落ち着いているのは、冒険者ギルドに属している者たちからしてみれば非常に頼もしく映った。そんな、知らず識らずのうちに上に立つ者としての貫禄が増した二人の元に、クリステルが連れられてくる。


 その姿は以前見た時よりも痩せこけていたが、妙にすっきりしたような顔をしていてガトーに不思議な印象を抱かせた。


「よお、嬢ちゃん。久しぶりってわけでもないがまぁなんだ、災難だったな。とりあえずそこに座ってくれ」


「はい、ガトー殿。そして、あの時は申し訳ありませんでした」


 そう言ってクリステルは頭を下げる。これにはガトーもゲーリィもびっくりした。


 ガトーは出会いが出会いだっただけにその時の口調のまま話しかけているが、クリステルはおそらく貴族だ。それが平民に頭を下げるなど、そうそうあることではない。最初やり合った時とはまるで違う態度に戸惑ってしまう。


「おいおい、よしてくれ嬢ちゃん。貴族様に頭を下げられちゃ、どうしたらいいか分かんねえよ。それにあの時、嬢ちゃんは命令されていただけだし、結局は冷静に剣を収めてくれただろう? そこまでしてもらうほどのことじゃねーよ」


「そうですね。それに、今の私たちはクリステル様からの情報を切実に欲しています。頭を下げるとしたらそれはこちら側ですから、どうかそんなに畏まらないでください」


 ガトーのフォローにゲーリィも続く。ゲーリィは作業の手を止めると、準備しておいた三つのティーカップに紅茶を注いだ。


 その内の一つを手に取り口に含んだ後、残りのティーカップの一つをクリステルが座る予定のソファーの前に置いた。最後に残った一つをガトーの前に置くと、改めて促す。


「どうぞ、お座り下さいクリステル様」


 本来ならば上座に案内するべきなのだろうが、そこには既にガトーが座ってしまっている。なので、せめてもの誠意としてガトーに配る順番を最後にして調整した。


「……ありがとうございます。それと私に様付けは必要ありません。お気遣い無きよう」


「そうですか。では、クリステル殿と」


 ひとまず咎められることもなく安心するゲーリィ。そしてクリステルが席に着くと、紅茶を一口飲んだ後話し合いが始まった。


 クリステルから語られる魔人の脅威。想定される相手の戦力。それは、ガトーたちの想像を遥かに上回っていた。


「どんだけヤベェことになってんだよ、あのダンジョンは。魔人だけじゃ足りねぇってか」


「とびきり強い白い老ゴブリンに山羊の悪魔、ですか。第二階層のモンスターは白いゴブリンと山羊モンスターだと聞いていましたが、まさかそんな事になっていたとは……。同僚の方々のご冥福をお祈りいたします」


「ありがとうございます。……死んだ騎士たちの実力は冒険者で言えばゴールド級以上のものはあったと思います。トルマリンがもう少し話を聞く人間だったら、彼らももっと詳しく報告したと思うのですが……すみません」


 クリステルは再び頭を下げる。事の経緯を長々と報告していてはトルマリンが癇癪を起こすのは分かり切っているので、騎士たちも最低限のことしか口にしていなかった。


 クリステルは後で背後にいる貴族に報告する必要があったので別個に聞こうと思っていたのだが、その前に魔人による襲撃を受けた。今となってはもう得られない貴重な情報が口惜しい。


「とんでもないことでございます。どうか顔を上げてくださいクリステル殿。貴方の齎した情報は充分、役に立っておりますから」


「あぁ、その通りだ。これだけでも対策に雲泥の差が出る。よく生き残ってこの事を知らせてくれたと礼を言いたいところだぜ」


 ガトーの言葉にクリステルは顔を曇らせる。あの時の事は何度思い返しても無力感しか湧いてこない。膝の上に置いた手が硬く拳を作る。


「私は、何もできなかった……。本当に、こうして生きているのが不思議なくらいです。他の騎士たちと共に魔人に立ち向かいましたが、まるで歯が立ちませんでした。騎士が一人、二人と倒れていき、私も意識を狩り取られ、気づけば全てが終わっていました。仕えるべき主も、騎士の命である剣も失くし、私は……」


 顔を俯かせ、身体を震わせるクリステル。


 話を聞くガトーとゲーリィは、そんなクリステルにかける言葉が見つからなかった。

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