第98話 その気持ちを何と呼ぶのか
信じられないものを見るような目でその翼を見つめるドリック。しかしその翼と感覚が繋がっているのが分かり、ドリックの意思に応じて自由に動かすことができた。
この翼は本当に自分のものである。夢なんかじゃない、自分は人間と言う種族から生まれ変わったのだ。
それがようやく実感できると、ドリックは号泣した。顔をクシャクシャにして、恥も外聞も無く、喉を震わせて泣いた。
自分は神の祝福を受けた。過去の罪を許されたのだ。そして同時に、御方からの再三に渡る問いかけの意味を理解する。
あれはドリックの覚悟を問うていたのだ。この試練を乗り越えられるだけの意志の強さをドリックが持っているか、それを慎重に確かめていらっしゃった。
能力の詳細が分からない、死ぬかもしれないと脅しをお掛になられたのもそのため。実際自分は死んでいてもおかしくはなかったと思う。最後の最後、蓋をこじ開けられずに閉じ込められていたら、今頃どうなっていたか分からない。それだけ瀬戸際の戦いだった。
しかし、命を懸けてでも挑んでよかった試練だと思う。憧れていた、羨ましかった、モンスターたちの一員になれたのだから。
ドリックはダンジョンから流れ込む大いなる力を感じ取る。
(これがモンスターたちの生命の源。大いなる加護。安らかで、穏やかだ。包み込んでくれるような温もり。ああ、これは、なんと素晴らしい……。こんな良いものを、このダンジョンに住まうモンスターたちは……。いや、もうモンスターなどと言う呼び方は止めよう。そう、今や私が、私たちこそが……!!)
ドリックは泣きながら恍惚とした表情になる。今、ドリックの心の中では歓喜の嵐が巻き起こっていた。
ドリックが至福の一時を享受していると、背後から誰かがこの聖域に近寄ってくるのが分かる。その者はここまで進んでくると小さく驚きの声を上げた。
「にん……げん……?」
戸惑い気味の声を上げたのはメイハマーレだった。どうやら外での用事を終えて戻ってきたらしい。御方がそんなメイハマーレに労いの声を掛ける。
「戻ったかメイハマーレ。ご苦労だったな」
「は、いえ、この程度、大したことではございません。……それよりも御方。これは……」
あのメイハマーレをして、困惑の声を上げてしまうほどの奇跡の御業。ドリックは自分が如何に素晴らしい祝福を受けたのかを実感していた。
幸福に満たされた泣き笑いが止まらない中、御二人の会話は進む。
「うむ。まぁ、なんだ。ドリックがこのダンジョンに来てからしばらく経つ。その間、よく頑張ってきたと思ってな。ささやかながら、褒美をやることにしたのだ。その、褒美となるかどうかはドリック次第だったが、見事乗り切ったようだ。天晴れだな」
「ささやか……? 生命の、改変が? ……まさしく、神の奇跡」
御方の何でもないような発言にメイハマーレが呆然と呟く。ドリックとしても完全に同意だった。
その後、御方はお忙しそうに告げる。
「よし、事は済んだ。俺は第三階層の制作に戻るぞ。ドリックよ、新しい身体をよく慣らしておけ。これからの働きに期待しているぞ。それでは、また会おう!」
そう言って御方のお姿が消える。もう少しその美しい玉体を拝見していたかったが、どうやら計画に向けて最終調整に入っているようだ。致し方ない。
御方のいなくなった聖域で話の続きが行われる。
「……人間。いや、ドリック。聞きたいことがある」
メイハマーレが初めて自分の名を呼んだ。それだけのことがただ嬉しい。ドリックは涙を拭いて答える。
「はい、何でしょうかメイハマーレ様」
「御方は、お前をその姿に変える時、何か言ってなかった? 何か、今後の動きに関係するようなことを」
メイハマーレは深く何事かを考えているように見える。その質問を受けてドリックは御方との会話中、自分が失態を犯していたことに気づいた。
「はっ、も、申し訳ございません! まさかあの会話の中にそのような意図が含まれていたとは。そうとも知らず、愚かな私に説明してくださった御方のご配慮に感謝しなければ……!」
「ん、多分お前のことだから馬鹿みたいに先走って御方のお話を聞き飛ばそうとした。お前は御方とお話するのが初めてだから大目に見ていただけただろうけど、二度と同じ失敗はしないように。それで、御方は何て言ってた?」
その言葉にドリックは自分の記憶をほじくり返すが、特に何か関係するようなことを言っていたとは思えなかった。
「……申し訳ございませんメイハマーレ様。御方が仰っていた内容は、私の覚悟を試してくるようなものだったとしか思い出せません」
謝りっぱなしで萎縮してしまうドリック。少し前まで溢れんばかりの喜びに満ちていたのが嘘のようだ。そんなドリックをメイハマーレは諭す。
「……ドリック。人間であることをやめたお前は、今後もきっと御方にお目通りする機会がある。だからよく覚えておく。御方は常にアタシたちをお試しになっている。その言葉に込められた意味を考えていないと、そのご期待に応えることができない。御方のお話を聞く時は全神経を集中して、一言一句全て覚えておくように」
「はい……」
ドリックは浮かれていた自分をすぐさま戒める。そしてメイハマーレを筆頭としたモンスターたちがどれだけ高度な難題に挑んでいるのかを知った。
これからは自分もその中に入っていくのだ。そう考えると自ずと身が引き締まる。
「元々人間の中では知識層に位置していたお前の頭には正直、期待してる。存在を作り変えられたことでその知能は大きく向上しているはずだから。御方の問いかけは、アタシやアテンですらその意図を取り違えることがあるほど難しい。だから、頑張って」
「ハッ!!」
遥か雲の上の存在だった者からこれだけのことを言われて気合が入らない者がいるだろうか。否。いない。ドリックの目はメラメラと燃えていた。
「ドラゴニュート。お前に何か心当たりは?」
「すみませんメイハマーレ様。私にも、新しい能力を獲得したからそれをドリックに使いたい。死ぬかもしれないが本当にいいのか、と言う確認を取っていたようにしか聞こえませんでした」
「チィ……!」
メイハマーレは親指の爪を噛んで必死に考えを巡らせている。それを見ると、とても申し訳ない気持ちになるドリック。
「ドリックは人間のままでも今後の計画に支障は無かった……。それをここにきて作り変えた意味は? そもそも何故アタシがいない間にこんなこと……。二人に対する試練? 私には手を出すなと仰っている? うーー」
その真剣に悩む姿はメイハマーレの頭から煙が出ている様子が見えるかのようだ。そんなメイハマーレに微力を添えるため、ドリックは思いつく限りのことを言ってみる。
「私ではそのお言葉に込められた意味をまた見逃してしまうのが関の山ですね。メイハマーレ様に頼りきりなのが申し訳ないですが、御方のお言葉をそのまま復唱するのが一番良さそうです。……他に何となく気になったことと言えば、『当人の了承も得られたので俺の実験に付き合ってもらうとしよう』、ですかね。何故そのお言葉が気に掛かるのかまでは、自分でも分かりませんが……」
ドリックとしては苦し紛れの発言だった。だが、メイハマーレにはそれで充分だったようで、その目が大きく見開かれる。
「それ! 良くやった!」
大きな声を出すメイハマーレだが、次の瞬間にはまた深く考え込んでしまう。ドリックはそんなメイハマーレに気を遣いながら恐る恐る呼び掛けた。
「メイハマーレ様……?」
「ん、少し待つ…………。よし。ドリック、お前がそのご発言に違和感を覚えるのは当然。研究者であったお前にとって、『実験』と言う言葉は身近なものだからピンとこないのだろうけど、『御方が実験する』と聞けば何がおかしいのかはすぐ分かるはず」
「っ、そうか! あまねく理を解する神が、実験などする必要がない!!」
実験とは何故するのか。それは、結果が分からないからだ。故に、御方のそのお言葉に違和感を覚えてしまうのだ。
「ドリック、そしてドラゴニュート。お前たちは早速試されている。そしてこれまでの経験上、こういったことがあった後に何かしらの試練をお与えになるパターンが多い。特にドリックには新しい身体に良く慣らしておけと分かりやすい忠告を仰っていた。気を引き締めておかないと、間違いなく失態を犯す」
経験者の言葉は重い。ドリックとドラゴニュートはその言葉にゴクリと喉を鳴らす。
御方のご期待に応えられない。それのなんと恐ろしいことか。そんな恐ろしい未来を回避するため、ドラゴニュートは恥を忍んでメイハマーレに教えを乞う。
「……メイハマーレ様。どうかその知恵をお貸しください。御方は我々に何をお望みなのでしょうか」
「今回アタシはその全てを教えることはできない。あくまでもヒントだけ。それは分かってる?」
ドラゴニュートもドリックもその言葉に頷く。御方のお言葉を直接聞いたのは自分たちだ。本来であれば自分たちだけで気づき、行動しなければならないところを助力してもらうのだ。それは重々承知していた。
「ん、じゃあ言う。『御方は実験がしたい』。後は、自分たちだけで考える」
「ッ、分かり……ました……」
キツイ。
返事だけはしたものの、ドラゴニュートとドリックの顔にはハッキリとそう書いてあった。
渋面を作る二人に、メイハマーレはヒントが少なすぎたかと思案する。メイハマーレはよい塩梅で相手に話を振ると言うことを苦手としていた。以前はそれで失敗したこともある。また同じことを繰り返せば、それは成長していないことの証明になってしまう。
少なからず自分にも話を聞かせたと言うことは、それは「二人の力になってやれ」という慈悲深きメッセージであるはず。だからメイハマーレはもう少しだけヒントを出すことにした。
「……本当にこれで最後。ドラゴニュート、お前がこの間、人間たちにしたことを思い出す。時期が来た時に同じことをすればいい」
そのヒントを与えてもドラゴニュートの反応は芳しくなかったが、ドリックは何かを察したように表情を変化させていた。それを見てもう充分だろうと結論を出す。
「後は二人で話し合う。アタシもアテンに連絡したり、やることがあるからさっさと戻って」
そう促すと二人は背を向けて聖域を出て行く。だが、その心境は後ろ髪を引かれているのが丸わかりだった。
滅多に来れない、神聖なる場所から出なければならないのだ。自分も今の立場でなかったらどれだけ悔しいか想像がつく。だから、メイハマーレはここであえて呼び止める。
「ドラゴニュート」
「? 何でしょうか、メイハマーレ様」
メイハマーレの声に反応してドラゴニュートが振り返る。そんなドラゴニュートにこう言った。
「御方のおそばに侍る気分はどうだった?」
「……よかったです」
答えるドラゴニュートは一見普通に見えるが、メイハマーレはその表情が一瞬だけピクリと動いたことを見逃さなかった。それに笑みを浮かべると、優しく応援してやるのだ。
「そう。じゃあ、またそこに立てるように、頑張ってね?」
「無理だろうけど」
鼻で笑いながら言い放つ。
その時のドラゴニュートたるや、実に良い顔をしていた。全ての言葉を飲み込んで、そのまま聖域から出て行く。
その心の内にどれだけの激情が渦巻いているか、荒ぶる尻尾が表していた。
「這い上がって来い」
ドラゴニュートたちの姿が見えなくなるとメイハマーレは小さく呟く。
このダンジョンは、最上位に御方がいて、それ以外は決まっていない。御方の次に誰が続くのか、それは自分たち次第なのだ。
種族の本能に負けて挑んで来ないような奴なんか、このダンジョンにはいらない。メイハマーレはもっと上に行かなければならないのだ。
少しでも神に近づくため、メイハマーレはできることがあるなら何だってやってやる。そのために必要とあらば、あえて他の者たちの強化にも手を貸そう。
全ては偉大なる――。
アタシの、御方のために。
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