第96話 光と闇

 比較的対処が簡単な人間たちの大侵攻と、優秀な我が子との会話という難題を無事に切り抜けたコアは現在、第三階層の制作を一時中断し、自らの能力の確認に時間を割いていた。


 何せ二百名ほどの人間たちを一気に吸収したのだ。それはそれはとても素晴らしいダンジョンエネルギーになったのだが、それと同時にどうやらダンジョンにとっても良い刺激となったらしく、コアは新しい能力を会得していたのだ。


 そしてその新能力の名前と言うのが実にコアの心をくすぐるものであり、今のコアは端から見てもそわそわしているのがよく分かった。


 非常に楽しみであり早く確かめたい反面、確かめることでこの気持ちが落ち着いてしまうのが勿体ないと言う葛藤。コアはこの心地良いもどかしさをしばらく楽しんだ後、ようやく行動に移った。


「っと、いつまでもこんな事をしているわけにはいかないな。メイハマーレが戻る前に確認を済ませておかなければ」


 能力の確認中に予想外のことが起きればコアの神っぽいメッキが剥がれてしまうかもしれない。何やら仕上げをしてくると言って外に出ていったメイハマーレが帰還する前に手早くやってしまう。


「ふふふ。あれだけの人間を吸収して獲得した能力だ。きっと凄いものに違いない。さあ、それではその力を見せてもらおうか! 『堕落』よ!!」


 『堕落』。なんて心踊るキーワードなんだろうとコアは思う。かつて封印したはずの若い頃(数年前)の黒歴史が疼くようであった。


「これは、あれだ。光と闇が合わさって最強になるやつに違いない。精鋭モンスターたちが更に強くなるのか……。くうぅぅ、胸が熱いぜ! それでは早速、『堕落』発動!」


 胸などどこにも無いが、とにかくコアはワクワクしながら能力を発動する。しかしその結果は予想通りとはいかなかった。


「……あれ?」


 コアの予想では能力発動後、『堕落』を使用するモンスターを選ぶ段階に進むと思っていた。しかし、何かを選ぶような感覚はするものの、そこにモンスターが選ばれる感じはしない。コアの頭に疑問符が浮かぶ。


「うーん? 『堕落』って言うぐらいだから聖属性みたいなモンスター限定とか? でも能力を獲得したってことは、その対象がいるってことだと思うんだけどなぁ」


 これまでも獲得した能力が使えないと言うことは無かった。おそらくダンジョンはその能力を使える状態になった時にコアに新たな力を授けているはずだ。ダンジョンに対する信頼から、能力を適用できる者が必ずいるはず、と、再び注意深く『堕落』を発動する。


 そしてコアは見つけた。このダンジョンにたった一人だけ存在する、『堕落』が使用可能な者を。


 それが分かった時、コアは流れるようにツッコミを入れていた。


「いや、お前かよッ!!」


 聖域に短く鋭い声が響き渡った。頭の片隅で、メイハマーレが不在で本当に良かった、と思う。


 そこには、人間たちの大侵攻でルーティーンを崩されたせいで、いつもとは違う時間帯に祈りを捧げているドリックの姿があった。


「……まさかの人間限定の能力……? 侵入者が対象、ってわけでもないよな。クイーンアントビーには使えないし……。え、もしかして、「これだけの数を吸収できるだけの人間がダンジョンに来てるなら、少し気になってる人間ぐらいいるよね?」ってこと? 堕落って字面からして、何かこう、人間を悪堕ちさせて配下にできるとか、そういう能力ですか!? ダンジョン様!」


 それはダンジョン物ゲームでもしばしば見られる能力。実行するには大体面倒な条件が存在して、それを達成すると人間を配下に加えることができるものだ。


 面倒な条件をこなさなければならないだけあって、仲間になった時には強力な戦力になったりする、ある意味王道とも言える能力。


 それなのにコアにとってこの能力が予想外だったのは、今までそのような話を聞かなかったことに起因する。かつてはダンジョンボスに人間をすえる実験があったことは知っているが、それ以外で人間がダンジョンに与するような話は聞いたことがない。


 今ダンジョンにいるドリックはまさに例外だが、それでもダンジョンに属しているわけではない。この世界に精通しているドリックがダンジョンに属する人間の存在を知っていたならば、このダンジョンに来た時にそれを願っていそうなものだ。だが未だにそういう話が出てこないと言うことは、この世界のダンジョンには人間を配下にするような能力は無いのだろうと考えていたのだ。


 まあ無ければ無いで構わない。ダンジョンの楽しみ方は他にいくらでもある。そうやって意識から消え去っていたので、ここにきての人間を配下にする能力に不意を突かれていた。


「って、ここまで考えておいてなんだけど、実際に使ってみないことには分からないけどな。もしかすると人間に対して直接妨害できるような能力の類かもしれないし」


 それだとこのダンジョンのコンセプトから少し外れる気がするのでおそらく違うとは思うが、そういう可能性も無くはない。


「でも本当に人間を配下にできる能力だったらありがたいな。最近はダンジョンエネルギーも足りてきてたから、丁度人間共の他の使い道を考えていたところだ。このタイミングでの能力獲得。さすがダンジョン様は分かっていらっしゃる! ありがとうございます!」


 フライングで感謝を述べておくコア。これで違う能力だったとしても別に問題は無い。ダンジョンへの感謝は常に捧げるものだからだ。


「さて。それで、効果の分からない『堕落』をドリックに使うかどうかなんだが……どうしようか。攻撃系の能力だったら最悪死んじゃうよね。悪い効果を与える系の力だったら少し申し訳ない気もする。うーむ……。よし、とりあえず本人に聞いてみよう! それで向こうが了承すれば何が起きても大丈夫! 後腐れなし! と言うわけで誰かに呼んできてもらおう。誰にするかな」


 あまりにも軽いノリで実行に移すコア。その心には、もはや前世の人間中心主義的な考えは無かった。その事に何の疑問も覚えずにドリックを誰に呼びに行かせるかを考える。


「いつもドリックの相手はメイハマーレに任せてたからな。こういう時のために、次点で誰に頼むのか考えておくか。えーと、落ち着いた感じの子がいいかなぁ……」


 こうしてドリックは、切望していた神との予期せぬ面談を果たすのだった。






 朽ちた柱が等間隔に何本も立ち並ぶ山の入り口。ただ柱が立っているだけなのにどこか厳かな雰囲気を放ち、それが聖なる場所へ入るための門なのだと思わせる。


 ドリックはその門を前にして緊張と興奮、そして不安を味わっていた。


 これまでドリックはここから先へ進むことを許されていなかった。何故ならば、ここから先は神のおわす正真正銘の聖域だからだ。


 以前、メイハマーレからお会いする機会があるかもしれないとは言われていたが、正直、期待はしていなかった。


 自分は、人間だ。この世界を衰退させた罪深き生き物。そんな自分が、創造物を、世界を汚した者たちの末裔である自分が、神と会う資格など無いと思っていた。


 恨まれていても何もおかしくはない。現にこのダンジョンにおわす神は今の世界を再構築し、再び神の世界を創ろうとなされているのだから。


 このダンジョンに住む許可を頂けただけで至上の喜び。それ以上望むのは罪にあたると、考えないようにしていた。


 しかし転機が訪れる。


 欲に塗れた愚かな人間たちがこのダンジョンに群がり、そして浄化された日。清々しい気持ちで祈りを捧げていた時だった。


 ふと、声を掛けられる。


「人間よ」


「こ、これは、ドラゴニュート様。私に何か御用でしょうか」


 珍しいと思った。ドリックに話しかけてくるモンスターはこれまでメイハマーレだけだったからだ。


 このドラゴニュートと言うモンスターは最近進化してこの第二階層に来たばかりだが、他のモンスターと同じように自分とは距離を置いていた。それが何の用なのかと注意深く耳を傾ける。


「御方がお前をお呼びである。ついて来い」


「は……は?」


 言われている意味が頭の中に入ってくるが、そんなはずはないと自分で否定してしまって理解することができない。ドリックは呆気に取られてしまう。


 さっさと歩き出していたドラゴニュートは、ドリックが自分について来ていないことに気づくと急がせる。


「聞こえなかったか。御方がお前とお会いになると言っているのだ。早くしろ」


「は、はい!」


 突然のことだった。冷静に考える余裕も無いままにただ後をついていく。そして、目的も告げられないままここまで来てしまった。


 果たしてこの先、自分に何が待っているのか。そんな事を考えていると、いつの間にか立ち止まっていたドリックをドラゴニュートが再び急かす。


「……御方をお待たせしている。早く行くぞ」


「も、申し訳ございませんドラゴニュート様! すぐに参ります!」


 そうして何の感慨を味わう余裕も無く門を通っていく。だがそれで良かったのかもしれない。そうでもなければ、いつまで経っても前には進めなかっただろうから。


 険しい山道を登っていく。結構身体を動かしている方とは言え、既に若くないドリックにとってはなかなか厳しい道だった。悠々と前を歩くドラゴニュートを見ていると貧弱な自分の身が恨めしい。


 身体が疲れてくると逆に頭がすっきりしてくる。そのタイミングでドリックはドラゴニュートに質問を切り出した。これから神とお会いすると言うのに何も知らないのはどう考えても不味い。


「ドラゴニュート様。御方は私に何のご用なのでしょうか?」


 息を切らしながら言葉を述べるドリックに対し、ドラゴニュートの答えは簡潔だ。


「御方はお前に試したいことがあると仰っていた。それ以上は聞かされていない」


「そ、そうですか。試したいこと……」


 それを聞いて不安の気持ちが大きくなった。だがこれ以上突っ込んで聞くこともできない。どの道、御方がやると言っている以上はそれ以外の選択肢など無いのだ。頂上を目指して黙々と歩いた。


 険しい山道を登り終えると、そこからは一転して景色が変わる。


 そこは言うなれば、太古に忘れ去られし神秘の湖。岩山の頂上にあるとは想像できないほど美しい湖が広がっていた。


 その湖に沿うように割れた石畳が延々と敷かれ、その横にはやはり崩れた柱が等間隔に立っている。湖からも所々柱が突き出ており、何かしらの建造物がそこに立っていたことを示していた。


 透き通るような透明度を誇る湖の柱の影には隠れるように小魚が生息し、石畳の横の柱の上には見たことのない小鳥が止まり聖域を寿ことほいでいる。


 荒廃しているとは思えない、いや、荒廃しているからこそ美しいその光景に、ドリックの足は再三止まった。しかし今度はドラゴニュートに諌められることは無かった。ドリックが進むペースで奥まで進む。


 その途中、ドラゴニュートが湖に向かって丁寧にお辞儀をした。それを見てドリックが湖に視線を向けると、そこには水面から顔を出すモンスターの姿。ドリックも慌てて頭を下げる。


(確か、この湖にはメイハマーレ様に並ぶ古代の竜がいらっしゃったはず。あの方がそうかね……?)


 いくら水が澄んでいるとは言え、体のほとんどが湖に入っており、その水面も陽の光が反射しているので全容を知ることはできない。しかし僅かに覗かせる顔だけを見ても、今までドリックが見たことの無いモンスターであることは分かった。


 体を覆う鱗は色鮮やかな青。目の無い顔にクラゲの足のような無数のヒゲが水面を揺蕩う。顔の造形はまさしく竜といった感じに厳めしく、二本の角の間には、こちらを見定めるように揺らめくいくつかの触手のようなものが見て取れた。


 まさに、この湖の主といった威容。その事に何の疑問も抱かなかった。


(さしずめ、神の楽園の守護者といったところかね。さぞかし強いのであろうな)


 あのドラゴニュートもこれだけ礼を見せているのだ。所詮ドリックにその強さを推し量ることはできないが、少なくとも有象無象が敵う存在ではないことぐらいは分かった。


 特に引き留められることも無く、挨拶を終えると更に奥に向かう。


 進むことしばし。


 ドリックの目に入ってきたのは第二階層最後の建物。天井が崩れた大神殿だった。






(ちなみに、あのモンスターは何だったのかね……?)


 ドリックはふと思う。


 湖の主との挨拶を終えた後、その少し先でドリックたちに手を振る、四本腕の強そうなモンスターがいたのだが、ドラゴニュートがガン無視して先に進んでしまったので、ドリックとしてもどうすればいいのか分からず微妙に頭を下げるという対応になってしまったのだ。


 いつか会話することもあるのだろうか。


 そんな事を思いながら、ドリックは大神殿に入っていった。

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