第95話 さあ、変革を始めよう

「くっ!」


 堅物騎士はすぐさま触手を剣で切断する。身体に残っている触手をまとめて引っこ抜き、自分のマジックバッグからポーションを取り出してぶっかけた。


 幸いにも魔人が何やら「今の可愛かったかな」などと、ピースの位置を調整しながら何かを確認しているので、その隙に速やかに治療を行う。


 ポーションによって肉体の損傷はすぐに治った。しかし、お調子騎士の容体は少しも良くはならなかった。むしろ時間が経つごとにどんどん悪化している。


 顔色は悪くなっていき呼吸は浅く、速くなっていく。身体は痙攣し、自分で動くこともままならないように見える。その症状に原因を察した堅物騎士は思わず悪態をついた。


「クソ、毒かッ!」


 タチが悪いにもほどがある。


 いとも簡単にダメージを負ったかと思えば、切り飛ばした腕が触手になって襲い掛かり、あまつさえ毒まで含んでいたのだ。その弱者を嘲笑い、甚振るようなやり方に、騎士道を重んじる堅物騎士は苛立ちを覚える。


 今度は毒消しポーションを取り出すとお調子騎士の口に瓶を突っ込んで強引に飲ませた。ポーションの使用方法は主に二種類あるが、今回は身体の深部にまで毒が行き渡っていると判断し、より効果を発揮する方を選んだ。


 飲ませたポーションは即効性。すぐに良くなるはずだった。しかし、何も変わらない。お調子騎士は目に見えて衰弱していった。


「な、何故だ……何故、治らない!? 毒ではないのか!!」


 原因が分からず、自分の腕の中で弱っていく友の姿に焦りが募る。そんな堅物騎士に無慈悲なる答えが齎された。


「笑わせる。アタシの毒がそんなポーション如きで治るわけがない。これは神聖なる地を犯した罰。どうにもならない痛みと苦しみに藻掻きながら、時間をかけて死ね」


「く、クソ、クソオオオオッ!!」


 絶叫を上げながら立ち上がる堅物騎士。全ての怒りを込めて剣先に魔力を込めた。


「<ブレイジングレイ>ッ!!」


 構えた剣の先から一筋の赤光が放たれる。


 一点集中型のそのスキルは、堅物騎士に使える最も威力の高い遠距離攻撃だ。聖なる属性を持つ赤い光が、レーザーのように魔人に迫る。


「ん」


 襲い掛かってくるレーザーに対し、魔人は微動だにしなかった。レーザーが貫こうとしている顔の前に、丸い、黒い空間が生まれると、レーザーはその中に吸い込まれていった。


「なっ……」


 それに驚愕する堅物騎士だが、彼にそんな時間は無い。一旦消えた黒い空間は再び出現すると、今度はその中からレーザーを吐き出し堅物騎士を攻撃した。


「ッ!?」


 あまりにも想定外。


 躱し切れず、堅物騎士は自分の技で自らの身体を貫かれた。


「……ッ! ……ッ!!」


 理不尽な攻撃と痛みだが、今は声をあげる時間すら惜しいと急いでマジックバッグからポーションを取り出そうとする堅物騎士。しかし、その腕は途中で何かに掴まれてそれ以上動かすことができない。


 視線を後ろに向けると、そこには黒い穴から伸びる無数の触手があった。前を見ると、そこには黒い空間に自分の腕を突っ込んでいる魔人の姿。


 その馬鹿げた能力に、堅物騎士は自分の心が音を立てて崩れていくのが聞こえた。


「空間、操作能力……? これが、魔人。こんなの、どうやって勝てと……」


「馬鹿は無駄なことを考えるのが大好き。アタシに勝つのは、不可能」


 その言葉を最後に、堅物騎士の四肢は触手によって捕まれ空中に持ち上げられる。


 身動きの取れない堅物騎士の身体は見る間に肉の壁によって包み込まれ、やがて見えなくなった。そして……。


「エネルギーホキュー」


 形容し難き悍ましい音を立てて、肉の袋が一気に縮んだ。


「オエエエエエエェェ!」


 部屋の隅で縮こまっていたクリステルが盛大に吐く。


 トルマリンは机の後ろで失禁していた。


 不快な異臭が漂う空間に魔人が顔を顰める。


「クサい……」


 だが、まだ生き残っている人間たちにとってはそんな事に構っている余裕は無い。


 今度は自分の番だ、殺される、とパニックになるトルマリンは、それはもう頼みの綱であるクリステルに縋りまくった。


「ククククリステル! クリステルゥゥゥゥ!! な、なんとか、なんとかしろおおおお!! アアレアレを、あれするんだああぁぁぁぁ!!」


 トルマリンの声に反応して魔人がクリステルの方を向く。


 見られている。それに気づいたクリステルの行動は迅速だった。


 クリステルは剣を手に取る。


 それを見てトルマリンの胸には希望の光が宿った。こんな時であっても騎士としての務めを忘れず、得体の知れない化け物に立ち向かうクリステルは正に騎士の鏡だ。


 これが終わったら速やかにクリステルの給金を上げてやらねばならないとトルマリンが考えていると、そのクリステルは思いもしない行動に出る。


 クリステルは確かに剣を手に取った。しかし、それは何故か鞘ごとだった。


 わざわざ腰に固定してあるはずの鞘を外して何をするつもりなのかと思っていれば、クリステルはその剣を窓に向かって全力投球したのだ。


「ハアァァッ!!」


 意気軒昂。


 お前そんな元気残っていたのかと疑ってしまうほど、持てる力全てを振り絞って投擲した剣は当然、窓ガラスを突き破って外に出る。ガシャーンと音をさせてガラスが砕け散っていくのを、トルマリンはただ呆然と見ていることしかできなかった。


 唖然とするトルマリンを差し置いて、クリステルは自分が助かるために全力を尽くす。


「私には一切貴方様に対する敵意はございません! このまま貴方様に殺されようとも私は決して貴方様に対して攻撃を仕掛けるつもりはありません! そこの豚がどうなろうとも私には関係ございません! どうぞ煮るなり焼くなり食べるなり、好きになさってくださあぁい!!」


「なあッ!??」


 ここにきてとんでもない裏切り。


 両手を挙げて無抵抗をアピールするクリステルに、トルマリンは必死にブチギレた。


「き、貴様ああ! クリステルッ!! 私を売るとは何事だ!! 騎士の務めはどうした!? 散々可愛がってやった恩を忘れたのか!!? この、恥知らずがあッ!!」


「うるさいわね!! 気持ち悪いのよこのデブッ!! 女性のお尻を執拗に触ろうとしてくることを可愛がるとは言わないのよッ!! 騎士の務め!? 主の務めを果たさない奴に捧げる忠誠なんか無いに決まってるでしょ!! 寝言は寝て言いなさい! デブゥッ!!」


「〜ッ!!」


 思ってもみなかった相手からの罵詈雑言に、トルマリンの顔が真っ赤に染まり表情が憤怒に変わる。


 怒りのあまりつっかえる喉を無理矢理こじ開け言い返そうとすると、そのタイミングで魔人が動いた。


「可もなく不可もなく。オーク肉には遠く及ばず」


 謎の言葉を言いながら堅物騎士を包み込んでいた触手が右手に戻っていく。気づけば切断されたはずの左腕も元に戻っており、悪夢でも見ているかのようだった。


「主に恵まれなかった?」


 魔人はクリステルの方を向きそんな事を聞いてくる。


 これまでの鬱憤を晴らし口が軽くなっていたクリステルは、この魔人からの質問に何とか答えることができた。


「は、はい。魔人様。このクリステル、剣の腕を磨いてきたのはこのようなスケベ親父に捧げるためではありません。我が人生においてそれだけが無念でございます。できることならば死ぬ前に、魔人様にも色目を使っていた、このどうしようもない豚野郎を殴り殺す許可をいただきたく思います」


「そう」


 魔人はそれだけ言うとトルマリンに向き直る。そして、初めて感情がこもったような声でしみじみと語りだした。


「主に恵まれないのは可哀想。アタシも最近になってようやく、本当の意味で自分が幸せ者だと分かるようになった。だから、たとえそれが下等な人間風情のことだったとしても哀れみの心を持たずにはいられない。ふむ……。とりあえず保留。ひとまず、こっちから片付ける」


 トルマリンに魔人が近づいていく。先ほどまで怒り狂っていたことなど忘れて、トルマリンは懸命に命乞いをした。


「ひいぃい! た、頼む殺さないでくれ!! 私はまだ死にたくないんだ! この通りだッ! あ、そ、そうだッ! 金だ、金をやろう!! 私は領主貴族だ、金ならいくらでもある!! 金があれば何だってできるぞ!? どうだ、欲しいものを言ってみろ! それを手に入れられるだけの金を、この私が用意してやる!!」


 名案だ。トルマリンの顔にはそう書いてあった。


「……何でも?」


 目を細める魔人からのその問いかけに手応えを感じたトルマリンは勢いづく。前のめりになって自分の価値をアピールした。


「そうだ! 何でもだ!! 私はこれまで全てを金で手に入れてきた! だからお前の望みだってきっと叶えられる! さあ、魔人よ。お前の望みを言ってみろ! そしてそれを叶えた暁には、私を見逃すのだ!!」


 目を見開いて訴えかけてくるトルマリンの言葉に魔人は顎に手をやり、小首を傾げて考え込む。


 たっぷりと数秒の間を置いた後、魔人はその取引に応じた。


「わかった。じゃあせっかくだから、お前に望みを叶えてもらう」


「おぉぉ! そうかっ!」


 トルマリンの顔が一気に明るくなる。改めて、金の力の偉大さを確認した。


 いくら魔人といえども、金の力の前では無力なのだ。ただ見逃してもらうと言うだけで多額の出費をするのは痛いし気に入らないが、それはまた平民共から集め直せばいいだけだ。少し時間をかければまた元通りになる。トルマリンは自分の勝利を確信した。


「よし! では望みを言うのだ! どんな願いでも、この私が! 金の力で叶えてやろう! さあ!!」


 最後の一押し。勝利は目前。トルマリンは力強く魔人を促した。


 そして魔人は願う。心の底から欲しているものを。


 決して金などでは手に入らない、それを。




「アタシは、神になりたい」




「……………………は?」


 トルマリンに、その意味を理解することはできない。しかしそんな事は関係ないとばかりに、魔人の独白は続いた。


「アタシは神になりたい。神になって、御方のおそばに仕えたい。お一人で苦しむ御方を支えられる存在でありたい。同じ目線に立って、その苦しみも、喜びも、真に理解し、共に歩んでいける者になりたい。それが、アタシの願い。…………さあ、叶えて? いくら金があればアタシは神になれる? ねえ」


 ただの冗談のような願い。しかし魔人の目は真っ直ぐトルマリンの顔に向けられており、とてもふざけて言っているようには見えなかった。だが、トルマリンとしてはその発言を冗談と捉えるしかない。


 神になるなどと言う願いは、たとえ金以外の手段があったとしても叶えられるはずがないからだ。だからトルマリンはお茶を濁す。


「……ハ、ハハハ。魔人は冗談を言うのが好きなのだな。それとも私の耳が悪くなったのかな? あぁ! 貴族になりたいと言ったのか!? 確かに貴族は平民からしてみれば神のような存在だからな! うむ、きっとそうだ! しかし貴族か。これは難しい問題だ。できないこともないが、多少の時間が掛かるから今日のところは……」


 何とかして逃げ口上を言い切ろうとしたトルマリンだったが、魔人によってピシャリと閉じられる。


「貴族じゃない。神」


「…………」


 退路を塞がれる。


「できない?」


「…………」


 追い詰められる。


「お前は何でもできると言った。でも約束を破った。魔人であるアタシを騙した罪は重い。よって、罰を与える」


 魔人が右手を持ち上げトルマリンに向ける。その時トルマリンの脳内には酷たらしく殺される堅物騎士の光景がフラッシュバックした。


 その恐怖にトルマリンの心は耐えられず、決壊する。


「ァ、ア、アああアアァあアアぁァァアアッ!! 死にたくない死にたくないシニタクナイィィッ!! 神とか無理に決まってるだろ何言ってんだモンスター風情がふざけるなあ! 私はトルマリンだぞ偉大なる貴族ドルン・トルマリン様だ!! 最も偉大な貴族として称賛され歴史に名を残すドルン・トルマリンなんだよおお!! クリステルクリステルクリステ」


「うるさい」




 終焉。




 いつかの騎士のように、頭を失ったトルマリンの身体が床に倒れ伏す。ベシャっと重い音を立てたその身体からは続々と血が流出し、カーペットの吸収量の限界を超えると小さな赤い水溜りを形成した。


 魔人は右手を元に戻すと、自分の右手に乗っかっている不快なものに目を向ける。


「……なにこれ。ベタベタしてる。気持ち悪い」


 その独り言にクリステルが内心で激しく同意していると、魔人はトルマリンの頭を執務机の上に置いてクリステルの方に向かってきた。


 クリステルは、覚悟だけは済ませておく。


 トルマリンが見せた死に様は実に醜いもので、人としてあのような最期だけは迎えたくないと思わせた。


 指示通りに動いた。


 やれることはやった。


 後は、運次第。


 目を閉じ、心を落ち着け、そして再び目を開けた時、クリステルの運命を決める絶対強者がその審判を下す。


「後はお前だけ」


「はい」


「アテンの言いつけは守ったようだけど、最終的にどうするか決めるのはアタシ」


「……はい」


「抵抗しない?」


「致しません」


「フフ、そう」


 魔人はクリステルに手を向ける。それを見てクリステルは目をつぶった。


 そうして、訪れた結末は。


「あ……」


「良い子」


 クリステルの頭を、魔人が撫でていた。そしてそれを認識すると同時に、クリステルの意識が遠のいていく。


 壁にもたれ掛かりながらズルズルと床に落ちていくクリステルを見て、自称魔人、メイハマーレは笑みを浮かべた。


「その働きと潔さに免じて命だけは助けてあげる。これからも、アタシたちの御方のために一生懸命働きなさい。都合の良い、駒として」


 それだけ言い残すとメイハマーレは振り返る。そして両手を構えて脇を締めると気合を入れた。


「よし。あと一息」


 トルマリンの死体とクリステルを巻き込まないようにしながら、そのスキルを発動する。


「<ディメンション・ゼロ>」


 メイハマーレの前に現れたのは小さな小さな、ブラックホールのように光を宿さない黒い球。その小さな玉は一度脈打つように震えると、次の瞬間、爆発的に拡大した。


 領主館の大部分を飲み込むほどの巨大さに成長した玉は、而して呆気なくその姿を消す。だがその味気なさとは裏腹に、その黒い玉が及ぼした効果は凄まじいものだった。


「ん。良い景色」


 メイハマーレはそのスキルが齎した結果に満足する。


 黒い玉が消失した後、その範囲に含まれていた、ありとあらゆる物全てが無に帰していた。見晴らしが良くなったメイハマーレがいる場所からは、新生トルマリンの街がよく見える。


 一瞬の出来事だったが偶々それを目撃した住民、そして少し遅れて変わり果てた領主館に気づいた者たちを中心に騒ぎ始めている。


「良い感じ。仕上げる」


 そう言うと、今度は混乱する人間たちに更に追い打ちをかけるべく、次の行動に出た。街の至る所に小さな空間の穴を開けると、そこを通して自分の声を届ける。それは、人々に地獄の始まりを告げる、絶望の宣告だった。






 後に、『魔人の怒り』と称されるその宣言は、人々のダンジョンに対する考え方を根本から塗り替えた。


 ダンジョンを恐れ、ダンジョンを資源とすることの危険性を訴える声が大きくなり、潜在危険度の限界基準値が大きく引き下げられることになる。それに比例するように、ダンジョンを攻略する冒険者たちの存在は危険なダンジョンに紐付けて嫌悪する人々がいる一方で、平和のために欠かすことのできない大切な職業だという風潮が生まれ、その結果、徐々に冒険者たちの質は上がっていった。


 そして、人々の暮らしと意識に大きな変化を齎したこの大事件には、それを引き起こした元凶がいるとされ、この一連の出来事には戒めを込めてその者の名前が用いられている。


 事件発生後、館の門の外に酷い表情の首だけが転がっていたと言う、その貴族の名前はドルン・トルマリン。


 かつての愚者の迷宮事件に匹敵するとして、『愚者ドルン・トルマリンの蛮行』と名付けられたその事件は歴史に記され、後世に末永く語り継がれていくのであった。

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