第91話 加減

 お調子騎士が突っ込むと老ゴブリンはグレートソードの柄に手をかける。


 老体には厳しいはずのそのエモノは而して、強靭な筋肉によっていとも簡単に地面から引き抜かれた。グレートソードを手にしたことで威圧感が増した老ゴブリンだが、今のお調子騎士はその程度では怯まない。感情に任せ、猪のように挑んでいった。


「<スラッシュ>!」


 剣を扱う者の基本であり、使い勝手の良いスキルで切り込んでいく。


 怒りで冷静さを失っていようが何度も反復して訓練した動きはその身にしっかりと刻み込まれている。<スラッシュ>はシンプル故に隙も少なく、次の技に繋げやすい。硬質な音を立てながらグレートソードで難なく防がれたが、それを想定していたお調子騎士は立て続けにスキルを放った。


「<ラッシュ>!」


 目にも止まらぬ八連撃。


 扱う武器にもよるが、使う者の技量によって連撃の数が増える<ラッシュ>は決して初心者用のスキルだと侮ることはできない。普段はおちゃらけているが、日々の鍛錬はしっかりと行っているお調子騎士のスキル練度は高い。


 そんな、自信を持って繰り出した<ラッシュ>だったが、老ゴブリンはこれさえ防いだ。一撃も入らなかったのは想定外だが、それでも隙を作らないようにお調子騎士は剣を振るう。


 老ゴブリンの顔を直視しながらの横薙ぎ。しかしその狙いは足。


 騎士として要人護衛のための対人訓練で鍛えたフェイントで先制の一撃を与えようとした。


 しかし、手に伝わってきた感触は期待したものではなく硬いもの。


「くっ!」


 フェイントにも対応した老ゴブリンに、お調子騎士はたまらず距離を取る。


(ちっ、強いな! 想定以上だ!)


 相手のエモノがグレートソードだからと、手数を意識しての攻撃だったが全て防がれてしまった。それは何よりも老ゴブリンの技量の高さを示している。


 今のままでは戦いを有利に運ぶことができないと察したお調子騎士は素早く戦術の練り直しを行う。老ゴブリンを倒すために全力で目の前のことに集中するお調子騎士だったが、そんな彼の耳にのんびりとした声が届いた。


「一番から三番は先頭の騎士を攻撃し続けろ。十九番、二十番、お前たちは左右に散って逃げ出した奴らを狩って来い。残りは引き続き害虫駆除じゃ」


 それは白いゴブリンたちへの指示出しだった。老ゴブリンはお調子騎士を見てすらいない。私兵団を眺め、愉悦に顔を歪ませていた。


「舐めやがってぇッ!!」


 全く相手にされていない。侮辱にも等しい行為に一瞬で頭に血が昇るお調子騎士に、今度は笛のような音が聞こえる。思わず視線がそちらに引き付けられると、二体の白いゴブリンが指笛を吹いていた。


 何をする気だと注視していると、それはすぐにやって来る。指笛に応えるように二頭の山羊のようなモンスターが岩山から駆け降りてきた。


 白いゴブリンはそのモンスターに走りながら飛び乗ると颯爽と二手に分かれ、逃げ出した私兵たちを狩り始めたのだ。


「ゴブリンライダー!? そんなのありかよ!」


 猛スピードで駆けていくモンスターたちを、お調子騎士はただ見ていることしかできない。


 無防備な背中に白いゴブリンの武器が食い込み、魔法が当たり、山羊モンスターの突撃を受ける。野党に襲われる一般市民のように次々と私兵たちが倒れていった。


「やめろおおッ!!」


 お調子騎士は声を張り上げるが何の意味も成さない。そして、お調子騎士が手を止めている隙に老ゴブリンも動き出す。


「懲りん奴だの。馬鹿ここに極まれりじゃな。<ファイアストーム>」


「ッ!?」


 火の海に業火が追加され、惨劇が加速する。


「余所見をしていいのは強者だけじゃわい。さーて、次は何の魔法をぶち込んでやろうかのう」


 もはや言葉も出ない。お調子騎士は音がするほど歯を強く噛み締めて老ゴブリンに飛び掛かる。


「<フレイムエッジ>!」


「手数も駄目、力も駄目なことをもう忘れたのか? ちゃんと脳みそ入っとるのかの?」


 単調な一撃は老ゴブリンに簡単に弾き返される。老ゴブリンは溜息を吐きながら続けた。


「ここまで追い込まれてもこの程度とは。まさか本当にこれが本気なのか? それとも<ホーリーサンクチュアリ>で魔力がもう無いのか? それはそれで貧弱な魔力に呆れるところじゃが、それならポーションを飲む時間ぐらいくれてやってもいいぞ。ほれ」


 老ゴブリンは再びグレートソードを自分の前に突き立てると腕を組んだ。それを見てお調子騎士は怒りを再燃させながらも考える。


 確かに多大な魔力を必要とする<ホーリーサンクチュアリ>を使ったことで今のお調子騎士には余裕が無い。しかし、魔力を回復したところで高火力のスキルを持ち合わせていないのも確かだった。


 騎士はまず何よりも護衛対象の安全を確保するために守りのスキル、次いで戦闘技能を中心に鍛えていくものだ。時間さえ稼げれば護衛対象を逃がせるし増援だって期待できる。故に攻撃スキルはその後と言う順番だ。


 攻撃スキルを鍛える段階に至っていないお調子騎士には、力だけで老ゴブリンに通用するようなスキルは無かった。その事が歯がゆい。


 だがそもそも、敵の前で無防備にポーションを飲むなど言語道断だ。その隙に攻撃されたら目も当てられない。残虐なこの老ゴブリンならば、そういう卑怯な手を使うことも普通に考えられた。


 だからお調子騎士にポーションを飲むと言う選択肢は無い。


(それに、こいつを倒すのに威力の高いスキルは必要ねえ。要するに攻撃を当てさえすればいいんだ。そのために磨いた剣術だ!)


 石のように硬いモンスターならともかく、この老ゴブリンであれば当たりさえすればダメージを与えられるはずだ。スキルが駄目でも剣術のみで倒す。志高く、お調子騎士は剣を構え続けた。


「……ほとほと呆れるわ。不意打ちでも警戒しとるのか? 儂が貴様程度を殺すのにそんな小細工が必要だとでも? まったく、本当に相手を舐めているのはどちらなんじゃろうな」


 そんな事をのたまう老ゴブリンに、どの口が言っているんだとお調子騎士はたまらず口を開く。


「……ふざけんなよ。人間のことを舐めているのは徹頭徹尾、テメェの方だろうが」


「劣等種よ。相手を舐めるとは、少なくとも互いが同程度、もしくは相手が格上の存在でなければ成り立たん。貴様で言えば、第一階層の生まれたてのゴブリンなんかがそうじゃな。貴様はゴブリンの相手をする時、一々舐めてかかったりするのか? しないじゃろ。それはそういった感情を抱くに至らない相手だからじゃ。その程度の価値も無いと言うこと。ワシの言いたいことがわかるか? つまりだ、儂が人間どもを舐めることは無いと言うことじゃ」


 やれやれとでも言いたそうな顔をしながら持論を述べる老ゴブリン。お調子騎士はこの老ゴブリンと話をしだしてから、いったい何度頭に血が昇ったか分からない。


「……テメェからしてみれば、俺たち人間はゴブリンと同じってことか!」


「違う」


「……あ?」


 そういう説明だっただろうがと、何が言いたいのか分からない老ゴブリンにイライラしていると、一転、破顔しながら言い放ってきた。


「貴様ら人間はゴブリン以下じゃ! カーハッハッハ!」


「ざけんなぁ!!」


 お調子騎士は老ゴブリンに急接近すると見え見えの袈裟切りを放つ。当然弾かれる斬撃だったが、返す刀で今度は胴体を狙う……と見せかけて、途中で起動をずらし鋭く顔面に振った。


 しかし、老ゴブリンはこれを首を傾けるだけで簡単に避けてしまう。


「チッ!」


 今度は流れのまま大上段からの一撃を繰り出そうとするが、その前に老ゴブリンの右脚がお調子騎士の胴体を捉える。


「グホッ!?」


 鎧を着込んだ人間が何メートルも吹き飛び、転ぶ。凄まじい衝撃に視界が明滅していた。


「分かるか劣等種よ。貴様一人で儂をどうこうしようと言う考え自体が舐めているのだ。まだ力の差が理解できんか?」


 剣を杖代わりにしてヨロヨロと立ち上がるお調子騎士。


「何やら純粋な剣の腕で儂を倒そうとしとるようだが、一発も当てられない現実が見えとらんのか? 見え透いたフェイントなど使いおってからに。どうせやるならこれぐらいやって見せい」


 老ゴブリンはグレートソードをクルリと回すと刃が無い方を構えて、右から横薙ぎに振り払った。動けないお調子騎士はこれを盾で防ごうとするが、予期した衝撃はやってこない。その直後、身体の右側から強烈な衝撃が襲った。


「ッ!?」


 言葉もなく吹き飛ばされるお調子騎士。右側から攻撃を繰り出したはずの老ゴブリンは、グレートソードを右に振り抜いていた。自分のエモノを肩に担ぎ直すと再びお調子騎士に接近する。


「どうじゃ。フェイントっちゅうのはこうやるんじゃ。勉強になっただろう? ああ、礼は必要ないぞ。代わりに貴様の命をもらうからな。カーハッハッハ!」


(手も足も出ねぇ……)


 頬を土で汚しながら自分の無力を痛感する。


 何をやっても通用しない。この老ゴブリンは、力も技も技術も、お調子騎士を軽く上回っていた。


 勝てない。絶望感がお調子騎士から力を奪っていく。


 しかし、戦場を俯瞰できるところまで吹き飛ばされたことで、お調子騎士はあることに気づいた。それを見て、自分の努力は無駄ではなかったと身体と心に活力が戻ってくる。


 薄ら笑いを浮かべながら立ち上がるお調子騎士に訝しげな声が掛かけられた。


「急に笑い出してどうした。打ちどころでも悪かったかの?」


 何も気づいていない様子の老ゴブリンに、いよいよおかしくなる。この現状を理解させてやるため、お調子騎士は勝ち誇ったように教えてやった。


「へへっ、そりゃあ笑うのも仕方ねーってもんだ。時間稼ぎの役目は果たせたんだからな! 後ろを見てみろ!」


「ん〜?」


 その言葉に老ゴブリンは躊躇なく後ろを向く。その無警戒さに腹が立つが、今だけは笑って許してやる気になる。


 その視線の先では、白いゴブリンたちを追い込む私兵団の姿があった。老ゴブリンが抜けたことで、白いゴブリンたちの戦力は大幅に低下していたのだ。


 そもそもの人数差だ。大規模魔法で大きな打撃を受けたとは言え、堅物騎士の指揮の下、しっかりと戦えば勝てない相手ではなかったのだ。


 形勢逆転。


 老ゴブリンとお調子騎士では確かに力の差があった。まるで歯が立たなかったのはもちろん悔しい。だが、今は個人の勝利よりもチームの勝利を優先すべきだ。


 皆で戦えばこの老ゴブリンだって必ず倒せる。力強い味方の存在に、お調子騎士は胸を張って宣言した。


「俺たちの勝ちだ! クソゴブリンがッ! テメェでもこの人数差はどうにもできねーだろ! これが俺たちを侮った報いだ。俺たち人間を、舐めるんじゃねえ!!」


 この憎たらしいゴブリンに引導を渡せる。そう思うと心が高揚した。


 お調子騎士が感情のままに言い放つと老ゴブリンは顔を俯かせる。ようやく自分の不利を悟ったといったところか。


(もしかすると、命乞いでもしてくるかもな。……絶対に許さねえ。命乞いをしてきた瞬間に、その首を刎ねてやる!)


 静かになった老ゴブリンを前に心の中でそう息巻いていると、老ゴブリンの肩がピクピクと動き出す。恐怖で身体が震え出したかと、お調子騎士が気分を良くしていると、老ゴブリンは突然大声で笑い出した。


「カアァーハッハッハッハッ!! 阿呆じゃ、真正の阿呆がおる! クク、ハッハッハ!! ひぃ、もしや、これが貴様の切り札か……? 儂を、笑い殺そうとしてくるなど、クク、思っとらんかったわ。ククク、ブハッ……!」


 心底おかしそうに腹を抱え、ついには吹き出す老ゴブリン。


 期待した反応どころか、この危機的状況にも関わらず馬鹿にしてくる老ゴブリンに我慢の限界を迎える。お調子騎士は怒鳴り散らした。


「何がおかしい!? テメェ、自分の現状がわかってんのか! 死ぬんだよ! 手下も全員やられて、これから寄ってたかって、テメェ一人を嬲り殺しにするんだ! ……ははぁ、わかったぞ? さては気が触れたな? だが今から後悔したところで遅えぞ。絶対に許さねえからな、覚悟しろよ!!」


「わかった、わかったから止めい。フゥ、いやー、笑ったわい。実に良い攻撃だった。……さて。突っ込みどころがたくさんあるがどこからいくかの。まず、儂は死なんし、あのゴブリンたちも儂の手下ではない。基本的に儂らに上下関係は無いからの。全てが等しく御方の一つの駒よ。弱ければあのお方に仕える資格など無いし、死ぬのは当然。別にあやつらがどうなろうと知ったことではないの」


「なんだと……?」


 何やら上位存在らしき者の言葉が出てくるが、それは今はいい。お調子騎士が気になったのは、この老ゴブリンがあまりにも平然としていることだ。


 仲間たちが死に、自分にも死が近づいている者の態度としては不自然だった。


「そして貴様はここがどこだか分かっておらん。なぜ儂らしかいないと思っとるのだ? ダンジョンだぞ、ここは。この戦闘中に他のモンスターが出て来ないのは、いないからではない。順番だからだ」


「順番だ……?」


「そうだ。好きに襲わせたら貴様らなんぞあっという間に死んでしまうからな。わざと種族と数に制限をかけて遊んどるんじゃよ。ほれ、早速自分たちの出番を嗅ぎつけたハイエナが来よったわ」


 そう言うと老ゴブリンは火の海の方を顎で指し示す。お調子騎士はこれを視線誘導の罠でないことを重々確かめた上で、チラッとそちらを確認する。


(……ふざけやがって。ハイエナ、モンスターが来ただと? こんな燃え盛る場所を通って来れるわけねーだろうが。…………ッ!?)


 お調子騎士を襲う驚愕。


 そこには確かに、揺れる炎の中をこちらに向かってくるモンスターがいた。


 ホワイトシルバーの体毛に燃え盛る火炎がよく映えるそのモンスターは、先ほど白いゴブリンたちが騎乗していた山羊モンスター。炎にその身を炙られているというのに全く痛痒を感じている素振りを見せないそれらが、二十頭ほどの群れで現れ、いつの間にか私兵団の背後を取っていた。


「嘘だろ……」


 白いゴブリンを片付け終わり、ようやく反撃開始といったタイミングで現れた敵の増援。


 私兵団が新手を相手にしている間、この老ゴブリンを引き付けておく余力は、もう無い。心臓が早鐘を鳴らし汗が一気に出てくる。


 剣を持つ手に気持ち悪さを感じていると、更に驚くべきことが起きた。火の海を渡り終えた山羊モンスターたちは、おもむろに後ろ足だけで立つと、その肉体を変化させていく。


 二十頭が同時に、豪快に骨が折れるような音を発生させながら変形していく様は、見ていて怖気が走る光景だった。余りの嫌悪感に人間たちが行動できずにいると、その肉体は見る見る変わっていき、然程時間も掛からずその変化を終える。


 ミノタウロスに似た体型に山羊の頭、そして蹄の手足。身長が百八十センチを超えるそのモンスターは、実のところ山羊モンスターなどではなかった。


 正体を現したるは、ライアーゴート。


 山羊の名を冠してはいるが、れっきとした悪魔の一種であった。

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