第92話 予定調和
「メェェェェェェェ」
異形の姿に形を変えた山羊モンスターが鳴き声を上げる。お調子騎士はその声を聞いて生理的嫌悪を抱かずにはいられなかった。
(あれは、ダメだ……)
人間の根源的な本能が逃げろと訴えてくる。勝てるとか勝てないとかそういう問題ではなく、心と身体がアレと関わることを全力で拒否していた。
(何だってんだ……身体が動きやがらねぇ!?)
何をするにしてもまず動かなければ始まらないのに、あの異形のモンスターを目にしてから身体に力が入らなかった。そんなお調子騎士を老ゴブリンは満足気に眺める。
「カッハッハ。身体に力が入らないようだの。どうやら過去に刻まれた恐怖は現代にも引き継がれているらしい。これは愉快だ。少しは儂らの溜飲も下がると言うものよ」
「なに、言ってやがる?」
「いや何、こっちの話だ。気にせんでええぞ。どうせ今から死ぬのだからな」
「ッ!?」
新手の出現で味方に期待できなくなった以上、お調子騎士は一人で戦わねばならない。既に余力も無い。身体も自由に動かない。絶望的だった。
「くそ、何で、どうして動けねぇんだ!」
「諦めろ。人間は悪魔とは絶望的に相性が悪い。意思の力ではどうにもならん」
老ゴブリンの言葉にお調子騎士の目が開かれる。
「あ、悪魔!? あれがそうだって言うのか!?」
老ゴブリンから齎された情報が信じられないお調子騎士。
悪魔――高い知能と戦闘能力を併せ持つ危険なモンスターだ。その性格は極めて残忍で、悪魔が出現するダンジョンはそれだけで潜在危険度が跳ね上がる。
魔人を輩出しやすい種族ともされており、ダンジョンで発見された場合は即封鎖に踏み切られることも多く、現在この国では悪魔が出てくるダンジョンは無い。それだけ警戒されるモンスター。それが、悪魔だった。
悪魔の出現、そして白いゴブリンたちの脅威度。今更ながら、お調子騎士はこのダンジョンが想定をはるかに上回る危険さを孕んでいることを認識した。
(て、撤退だ。こんな危ねえダンジョンだとは聞いてねえよ! こんなの付き合ってられるか!)
目の前のモンスターを自分一人だけで倒すと言う当初の心意気はすっかり消え失せ、逃げることを決意するお調子騎士。だが老ゴブリンから受けたダメージと本能の怯えからくる身体の硬直で未だに身体の自由が利かない。
そんな哀れな存在に断罪者たる老ゴブリンがゆっくりと近づいていく。そして絶望に拍車をかけるべく、非情な現実を見せつけた。
「ああ、そうじゃ。このまま死なれても癪じゃから貴様の誤解を解いておくが、お前たちが寄ってたかっても儂には勝てんぞ。冥途の土産に良いものを見せてやろう」
老ゴブリンはそう言うとグレートソードに淡い光を灯す。
青い刀身を薄っすらと覆うその光は美しく、そして力強さを感じさせるものだった。それはスキルなどによるものではない。それが意味するところは――。
「『オーラ纏い』!?」
騎士でも一握りの、選ばれた者しか習得できないとされる奥義。戦う者たち全てが憧れるそれを、老ゴブリンが使っていたのだ。
「カッハッハ! そうそう、人間はこれをそんな変な名前で呼んでいるのだったな。メイハマーレから聞いとるわ。こんなの別に大したことではないんじゃがの、貴様に力の差を分からせるにはこれぐらいで丁度良かろうて」
『オーラ纏い』を使えない者が『オーラ纏い』を使える者に勝つことはほぼ不可能だ。自分が何を相手にしていたのかようやく理解し始めたお調子騎士の顔から血の気が引いていく。
「おぉ、いい顔になってきたぞ。やはりこれが正解か。よしよし、満足じゃ」
老ゴブリンは笑顔でそう言うとグレートソードを振り上げる。もう用済みだと言わんばかりに、オーラを纏った致命の一撃が躊躇い無く振り下ろされた。
お調子騎士の命運もここまでかと思われた時、間一髪でお調子騎士を救う声が聞こえる。
「<ブレイブハート>!」
「っ!!」
恐慌状態から立ち直らせるスキルを受けて、お調子騎士は危機を逃れる。グレートソードが風を切る風圧を肌に感じながら、地面を穿つ一撃を転がりながら回避した。
(っぶねーッ!! くそ、いつの間にか状態異常になってたのかよ! そりゃ動けねーわ!!)
<ブレイブハート>はお調子騎士にも使えるスキルだ。だが自分が状態異常になっている可能性に思い至らず、結局最後までスキルを使えなかった。
どれだけ平常心を失っていたか痛感する。お調子騎士は窮地を救ってくれた相手、堅物騎士に礼を言った。
「サンキュー! 助かった!」
「撤退するぞ!」
「わ、わかった!」
間髪入れずに堅物騎士が叫んでくる。その顔は、今がどれだけ逼迫した状態であるかを如実に感じさせるものであり、悪魔たちがどれだけ恐ろしいかを伝えてくるものだった。
私兵団の方を見れば、それは既に組織としての
「逃げられると思っとるのか?」
いつの間にか、お調子騎士の背後に迫っていた老ゴブリンが再びグレートソードを振り下ろす。しかし、そこに堅物騎士が割り込んだ。
「<パワースラッシュ>!!」
オーラを纏った振り下ろしに対し、横からスキルを当てることでグレートソードの軌道をずらす。
老ゴブリンが再び地面を打ち据える隙をついて、堅物騎士が合図を出した。
「やるぞッ!」
「! あいよッ!」
その意図を瞬時に悟ったお調子騎士はタイミングを合わせて残りの魔力を振り絞った。
「「<戒めの鎖>!!」」
スキル発動の瞬間、老ゴブリンの両足首、両手首に光の輪が発生し、そこから出てきた幾重もの鎖が地面に突き刺さった。
「むおっ?」
ガシャリと音を立てて老ゴブリンの動きが止まる。
「ちっ、手首までか! あと一人いれば首までいけたのによ!」
「構うな! 行くぞッ!」
「わーってるよ!」
老ゴブリンがその場に縫い付けられたのを確認すると騎士たちは一目散に逃げ出した。
行動の自由を奪ったからと一々攻撃を加えたりはしない。まだ後ろには悪魔たちが控えている。ここで時間を使うわけにはいかなかった。
遠のく二人の姿。老ゴブリンは自分を縛り付けている鎖の感触を確かめる。
「ふむ。抜かったの」
二度三度、左手首の鎖をガシャガシャすると、一気に引き千切る。効力を失った鎖と輪っかは光の粒子となって消えていった。同様に残りの鎖も引き千切ると手を何度か握り直して身体の感触を確かめる。
「行動制限と魔力を奪うスキルかの。儂の最初の雷を防いだスキルもそうだが、重ね合わせることを考慮して作られとる。小癪な真似をしよるわ。雑魚には雑魚なりのやり方があると言うことか」
それらを確かめ終わる頃には騎士たちはだいぶ離れたところまで移動していた。もう少しでライアーゴートと接触しようとしている。
別に、これ以上自分が何かをしなくても勝手に死ぬだろうが、劣等種族に一杯食わされたのは気に入らない。老ゴブリンは力いっぱい拳を握り込んだ。
「逃がさん」
ゴミ共を消し炭にすべく、老ゴブリンはスキルを唱える。
「トライマジック。<ブリザードランス>、<サンダーバースト>、<ストームカッター>」
老ゴブリンの前に三つの魔法陣が浮かび上がり同時に術式が発動する。その場に留められた属性の違う魔力が干渉し合い、空気を震わせた。
「<合唱>」
それらを無理矢理一つにまとめると荒れ狂う魔力の塊が出来上がる。
触れるもの全てを切り裂き、感電させ、貫く、三メートルを超える巨大な破壊の槍。その内に込められた破壊力を感じ取ったライアーゴートたちが巻き込まれることを恐れて騎士たちの進路上から離れていく。
それに気づいた騎士たちも後ろを振り返って状況を察するが今更できることなど何もない。少しでも距離を稼ごうとする虫けら共に、老ゴブリンは最後の一撃を放った。
「滅びろ、出来損ないの害虫ども! <ディストラクションスピア>!」
スキルの域にまで高めた必殺の槍が猛スピードで騎士たちに迫る。
風の刃と雷の嵐が猛威を奮い、周囲の地面を剝き出しにし空気を焼いていく。槍が通過した後の地面は急激な温度の低下によって霜が降りていた。
その槍の威力に満足し、老ゴブリンは目障りな存在が粉々になることを確信する。しかし、突如として槍の方向が逸れ、狙いから大きく外れていく。
目標を捉えることなく突き進んでいく槍は、やがてその先にあった岩山の上部を穿ち崩落させた後、見えない壁にぶつかって砕け散った。
「なに!?」
岩山が崩れていく音を聞きながら想定外の結果に驚きを露わにする老ゴブリン。だがすぐに平静を取り戻すと、攻撃が外れた元凶、自分の邪魔をした者に鋭い視線を向けた。
そこには、右腕を中心に黒く焼け爛れた痕を残す、ドラゴニュートが立っていた。
「のぅ、ドラゴニュートよ。何のつもりかの。事と次第によっちゃ、許さんぞ?」
老ゴブリンのこめかみには青筋が浮かんでいた。
人間の族滅は太古の知識を持つ老ゴブリンたち全ての願いだ。無数に存在するそれらの内のたった二人だが、己の手で始末する寸前だったのだ。それを理由も無く邪魔したとなれば、それは連綿と繋がれてきた過去に対する冒涜。未だに人間たちを庇うかのように立ち続けているドラゴニュートに、怒りが爆発する寸前だった。
そんなドラゴニュートは使い物にならなくなってしまった右腕に視線を落として溜息を吐きながら言う。
「……指示が変わったのだ」
言葉少なく答えるドラゴニュートに老ゴブリンは鼻を鳴らす。
「ふん、指示だと? メイハマーレの気まぐれか? 人間共は皆殺しにする予定だったのに、生き残りを出すような方向に変更するとは何事だ。散々儂らを振り回しおって。所詮、あやつに指揮を取ることなどできんのだ!」
顔を顰め、イライラから口が止まらない老ゴブリン。しかし、そんな燻る感情も次のドラゴニュートの言葉で霧散する。
「……メイハマーレ様の指示ではない。我らが御方の指示だ」
「な、なんだと!? ば、ばかもんが! それを最初に言わんかい!!」
手のひらを返すように劇的な反応を示す老ゴブリン。御方の決定にいちゃもんをつけるような形になってしまったことに焦りを覚えていた。
老ゴブリンにとって御方とは奇跡の体現者。特別な存在だ。元々ダンジョンモンスターの一人として畏敬の念は抱いているが、それだけではない。
現代に超古代文明を復活させんとし、その時代にほど近い、古のゴブリンを蘇らせた尊き御方。更には、現代の劣化ゴブリンから先祖帰りを生み出し、一族の悲願を叶えてくれた大恩人だ。そんなお方のご決定なら何の疑問も挟む必要はないし、老ゴブリン個人の感情などどうでもよくなる。
思わぬ御尊名が出たことで緊迫感の欠片も無い雰囲気になるが、ここで老ゴブリンには当然とも言っていい疑問が浮かぶ。それをドキドキしながらドラゴニュートに問うた。
「ド、ドラゴニュートよ。御方はいつ、お戻りになられた? 御方がご不在だから、その代わりにメイハマーレが指揮を取っていたのであろう?」
御方がお戻りになっていたと知っていれば人間共にこんな無駄な時間をかけることはなかった。結果的にはそれで良かったのだろうが、もしかしたらあの失態した場面を見られていたかもしれないと思うと気が気でない。
一縷の望みをかけてドラゴニュートからの返答を待つ。
「少なくとも、我々が最初の一団を滅ぼして、メイハマーレ様に報告に行った時はまだいらっしゃらなかった」
「う、うむ。それで……?」
食い気味に先を促してくる老ゴブリン。
それを見て、何だか居たたまれなくなったドラゴニュートはさっさと答えを告げてしまうことにした。
「エルダーゴブリンよ。期待しているところ悪いが、お前が人間たちに拘束された時には既にお戻りになっていたぞ。指示を受けた私が待機している中、お前は拘束されたからな」
「なん、じゃと……」
がっくりと肩を落とすエルダーゴブリン。少し離れたところで「わー」とか「ぐわー」とか叫ぶ人間の声が虚しく響いていた。
「はあ、過ぎてしまったものはどうしようもないか。だがのう、どうしてさっさと止めんかった? 待機などせずに、とっとと止めに入っていればこんな事にはならなかったものを」
筋違いだと分かってはいるが、つい恨み言が口をついてしまう。
「私が受けた指示は『騎士が一人も残らないようであれば止めに入れ』だったからな。あのタイミングしかなかった」
(まあ、厳密に言えば御方のご指示を受けたメイハマーレ様からの指示だがな)
それを言うとまた騒ぎ出しそうなのでドラゴニュートは無難に黙っておくことにした。
エルダーゴブリンが気持ちを落ち着けて話が一段落すると、その目に黒く焼け爛れたドラゴニュートの右腕が映った。それに少々の罪悪感を抱く。
「あーその、何だ。悪かったの。右腕をそんなにしちまって」
「これか。別に構わんぞ。必要なことだったし、おそらく一日もあれば治るだろうからな」
肩を竦めるドラゴニュート。その顔は本当に何とも思っていなさそうだった。
「ふ、竜種の回復能力は相変わらずだの。羨ましいわい。しかし、儂が攻撃を放つ前に止めることもできたのではないか? 何故わざわざ攻撃を弾くような真似をしたんじゃ」
スキルの準備段階から、それが人間共をこの世から消し去るには十分の威力を持っていることは分かったはずだ。もしや儂の攻撃を腕試しにでも使われたのかと思っていると、ドラゴニュートが渋い顔をしながら口を開く。
「いや、私も止めに入ろうとは思ったのだがな。直前にメイハマーレ様から後ろに受け流すように言われたのだ。でなければ……」
好き好んであんな事はしない。エルダーゴブリンは後に続くはずだった言葉が聞こえた気がした。
(竜種の本能か。こやつも難儀だのう)
メイハマーレに振り回されるドラゴニュートが哀れに思えた。暗くなりかける雰囲気に、話題を変えることで払拭を図る。
「まぁ、なんだ。儂らも残りの虫ケラ共を片付けに行くか。テキトーに減らしておけばいいのだろう?」
「……ああ。騎士が一人以上残っていれば問題は無いらしい。が、積極的に殺す必要も無いとも仰っていた。その辺の加減は我々の好きにしていいと言うことだろう」
「そうか。何だか今更感はあるが、最後に一仕事するかのぅ」
「そうだな」
ライアーゴートによって既にだいぶ数が減ってしまった人間たちのところに向かう。
元いた私兵団二百名。その内、このダンジョンから生きて帰れたのは結局、十名にも満たなかった。
戦線から逃れた騎士二人は第一階層へと急ぐ。特に、戦闘の疲労が激しいお調子騎士は少しでも負担を軽くするため、鎧を脱ぎ去り、気力を振り絞って走り続けていた。
肉体のダメージはポーションで回復はしたが気力は回復しない。訓練で培った騎士根性を糧に、やけに重い身体を𠮟咤し続けた。
その道中、岩が散乱している場所に差し掛かる。視線を上に向ければ、そこには見るも無残に崩された岩山の跡が残っており、あの一撃の威力を分かりやすく物語っていた。
お調子騎士はそれを見て震え上がる。
「すげー威力……。こんなの食らったらひとたまりもねーぞ。何だったんだよあのゴブリンは」
「……さあな。俺としては、その攻撃を弾いた竜人のようなモンスターも気になるところだが」
「ああ、あれな」
絶体絶命に思われた二人を庇うようにして現れた見慣れないモンスター。その行動の意味も分からなければ何のモンスターなのかも分からない。謎に包まれた存在だった。
考えることでスピードが遅くなっていることに気づいた堅物騎士が先を急がせる。
「今は考えなくていい。とにかく急ぐぞ」
「っと、そうだな!」
積み上がった岩の塊を回避するように先を進もうとした二人だったが、その先に予期せぬものを発見した。
「おッ!?」
それを見てお調子騎士が思わず興奮したような声を出す。そこに横倒しになっていたのは、宝箱。一目でそれだと分かる、立派な装飾がなされたものだった。
「おいおいおい! まじかよ!?」
「岩山が崩れたことで一緒に落ちてきたのか!」
「不幸中の幸いってやつか!? ついてるぜ! とっとと回収してずらかろうぜ!」
「おい! 罠が!」
「ここまで一個も無かったんだ。宝箱にだけついてるわけねーって!」
堅物騎士の制止も聞かずに躊躇なく宝箱を開ける。お調子騎士の予想通り罠なども無く、スムーズに開いた宝箱の中には一本の瓶が入っていた。
見慣れないものだが思わず息を呑むような装飾に、透き通るような青の液体。それを恐る恐る取り出すと、目の前まで持ち上げて見定めた。
「お、おい。これって、本当にもしかするんじゃないか? こんなポーション、見たことねーよ……」
お調子騎士は元々は貴族の出だ。だがその記憶を振り返ってもこのようなポーションは見たことも聞いたこともない。それに同意するように堅物騎士も唾をゴクリと飲み込む。だが確認は後だ。冷静な堅物騎士は優先事項を間違えない。
「ダンジョンから出た後にじっくり見ればいい! 奴らに追いつかれればそれまでだ!」
「お、おう! そうだった!」
ポーションをマジックバッグに手早く仕舞うと二人は再び走り出す。
そのポーションがこの先どんな結果を齎すか、何も知らないままに。
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