第75話 知の鎌

「ハアアアアアアッ!!」


 裂帛の気合と共に振り落ろしたレインの一撃とアントビーロイヤルガードの盾が交錯し、金属がぶつかりあったような甲高い音が鳴り響く。目障りなレインの命を刈り取ろうとアントビーロイヤルガードが鎌を振るうも、それはレインに続いて突撃していたマッシュが斧をぶち当てて弾いていた。


 捉えることすら難しいアントビーロイヤルガードに、いの一番に突っ込んで行ったのは『約束の旗』のレインとマッシュだった。


 一撃で致命傷になりかねない槍や鎌の振り降ろしが身体の横を過ぎていく中、レインたちは自らの成長を実感していた。


(見える!)


 アントビーロイヤルガードの全体の動きを見ながら、次に何の攻撃がどこに来るのか冷静に見極めることができた。風切り音がするほど紙一重で攻撃を躱し、果敢にアントビーロイヤルガードを攻め立てる。


 アテンの鬼の特訓が恐怖心で鈍る動きを克服させ、レインたちを一段階上の冒険者へと引き上げていた。


 余計な動きをしていればアテンに攻撃を当てることなどできないし、それを見咎められればすぐに床に沈められた。そんな圧倒的格上との濃密な戦闘経験は、レインたちが思っても見ないほど血となり肉となっていたようだ。その成果がここに表れていた。


 アントビーロイヤルガードは素早い。以前の『約束の旗』であればここまで戦えることはなかっただろう。しかし――。


(アテン師匠に比べたら、遅い!!)


 槍の一撃を掻い潜り、レインがアントビーロイヤルガードの胴体に強烈な一撃を見舞う。苦しげな悲鳴をあげながらアントビーロイヤルガードが後退しようとするが、そうはさせないと再びレインとマッシュが肉薄する。アントビーロイヤルガードとの戦いは『約束の旗』が優位に進めていた。


 また、他のメンバーも負けてはいない。アテンの鬼畜な特訓を受けているのはレインとマッシュだけではないのだ。


「<アンチポイズン><アタックアップ><ガードアップ>」


「<メルトブリット>!」


 ヒーラーのルリアは、飛び出したレインとマッシュがアントビーロイヤルガードとぶつかり合う前に的確な補助魔法を掛け終え、魔法使いのリズは飛びまわるアントビーロイヤルガードを妨害するように強力な魔法を放つ。


 威力の低い魔法では高い物理耐性と魔法耐性を持つアントビーロイヤルガードには牽制にならない。けれども威力の高い魔法は仲間を巻き込んでしまった時のリスクが大きい。高速で動く標的と仲間たちに対して、これを両立するのは相当な技量を要求された。


 だが、リズはその程度のことにビビるような女ではなかった。リズの放った魔法がマッシュのギリギリ横を通りすぎ、アントビーロイヤルガードに命中する。それは、ともすれば自分がアントビーロイヤルガードを仕留めると言う意思のこもった魔法であった。


 男の方が数が多い冒険者と言う世界に足を踏み入れると決意した時から、リズは常に強くありたいと願っていた。


 我の強い性格が災いし、最初はなかなかパーティーが決まらず苦しんでいた時に見つけたのが『約束の旗』だったのだ。『約束の旗』は強く、順調に冒険者としての階段を上っていったが、ある時絶体絶命が訪れ、そしてそれを上回る新たな希望が現れた。


 アテンと出会ったことでリズの願いは更に強くなり、曖昧だった目標が明確になる。


(気高く、強く、美しく! 冒険者なんてやってるなら、このぐらい欲張らなくちゃね! そのためにはまず、打倒、副ギルド長!)


 自分の目の前で言われたあの言葉はリズの心にずっと残り続けた。


 どうしようもなく悔しくて、逆にそれがリズを突き動かす原動力となった。ゲーリィなんてただの通過点だと思えるくらい強くなってやる。その想いを胸にリズは魔法を唱え続けた。


「<ディスアロー>!」


 一方で、スターの放った、相手の能力を低下させる矢がアントビーロイヤルガードに命中する。その瞬間アントビーロイヤルガードの飛びまわるスピードが僅かに下がった。


 味方の能力を向上させるスキルを覚えられる者は多いが、敵の能力を低下させるスキルを覚えられる者は意外と少ない。このスキルはスターが持つ強みだった。しかし実のところ、冒険者としての階級が上がるにつれて、スターは自分の能力に限界を感じ始めていた。


 アテンの特訓が開始された時も、スターはアテンから「お前は『オーラ纏い』から一番遠いところにいる」と言われていた。


 スターはレンジャーでその適正戦闘距離は中距離だ。モンスターと近距離で戦うわけでもなく、魔法使いのように頻繁に魔力を使って戦うわけでもない。


 戦う者として一番成長しづらい位置にいるのがスターであり、その事から一番苦痛に耐性が無いのもスターであった。


 他の者と比べ痛みに対する我慢が効かないスターは、訓練開始当初、早々に心が折れかけた。あまりの辛さに一時は思考が暴走して冒険者を辞めることまで考えた。


 だが、挫けそうになると、何故か決まってタイミング良く、ひたむきに頑張るルリアの姿が目に入ってきた。密かに思いを寄せる華奢な身体をしたルリアが過酷な訓練に耐えている姿はスターを奮い立たせ、徐々に心を強くしていった。


 前向きになってくると、過去の冒険で仲間たちから頼りにされて嬉しかったことなどが思い出され、やはり冒険者として生きていきたいと言う想いを再認識することができたのだ。


 自ら積極的に訓練に取り組むようになったスターの成長ぶりは目を見張るものがあった。『オーラ纏い』は使えずとも一つひとつの動作が洗練され、視野が広くなり、度胸がついた。その磨かれたレンジャーとしての腕前が今、発揮される。


 自分の持ち味を殺してくるスターに、アントビーロイヤルガードのヘイトが向く。スターの方向に尻を向けると、その先端には鋭い毒針が付いていた。


 アントビーロイヤルガードの持つ毒は、シルバー級冒険者なら真面に食らえば一分とかからずに死に至る劇物だ。ゴールド級冒険者でも食らえばただでは済まない。


 以前のスターであれば回避一択。狙いを定められないように動き回っていただろう。しかし、今のスターはどうか。


 足を開き狙いを定め、弓を引き絞るその姿は既に『離れ』の直前。


 回避する気は毛頭なし。


 アントビーロイヤルガードに<ディスアロー>を放った時から、スターはこの瞬間を待っていた。


「<パワーアロー>ッ!!」


 スターの気合を乗せた渾身のスキルが、機先を制する。


 アントビーロイヤルガードの発射した毒針はスターのスキルによって弾かれ、他のアントビーを巻き込みながら壁に深くめり込んだ。


 しかしスターの矢はアントビーロイヤルガードの毒針を弾いた後も真っ直ぐ突き進み、毒針が無くなったことで一瞬だけ露出した射出口を、深々と穿った。


「ギイイイイイイイイッ!!」


 あまりの激痛に、昆虫特有の耳障りなザラザラとした音を出しながらアントビーロイヤルガードが地面の上をのたうち回る。


 それでもアントビーロイヤルガードはすぐに起き上がり再び宙を飛び出したが、その尻の先端にはすぐに生えてくるはずの毒針は無いままだった。


「ッしゃあ!!」


 アントビーロイヤルガードが持つ強力な切り札を封じた。


 これは紛れもなく、スターが一人で上げた誇るべき戦果だった。




「すげぇ……」


 『約束の旗』と共に事に当たることになっていたゴールド級冒険者パーティーは、その戦いに加われないでいた。


 『約束の旗』のあまりの気迫と連携の見事さに、自分たちが加わればその流れを乱してしまうと思ったからだ。


 アントビーロイヤルガードは正直言って、ゴールド級が一パーティーで対応するには荷が重い相手だ。しかし『約束の旗』はそんなことお構いなしに戦いを優位に進めている。


 特にスターの一射は見事だった。アントビーロイヤルガードの毒針を向けられているのにも構わず、弓を撃ち切った姿にはシビれるものがあった。スターは『約束の旗』の中でも目立つ方ではなかったので、その活躍は余計に印象に残りやすい。『オーラ纏い』が使えなくても格上相手にここまで戦えるのかと、関心するには十分な戦闘だった。


 だがいつまでも見ているわけにはいかない。『約束の旗』の勇姿に気分が高揚したゴールド級パーティーは行動を開始した。


「周りのアントビーを『約束の旗』に近付けさせるな! いつでもサポートできるように体制を整えておけ!」






 ついに現れたアントビーロイヤルガードは『約束の旗』が中心となって上手く対処できているようだ。アテンがしごいた甲斐あってその動きは以前と比べて段違いに良くなっていた。


 ガトーはその様子からひとまず問題なしと判断するも油断はしない。作戦が上手くいっていることに緊張感が若干弛緩している冒険者たちに改めて檄を飛ばした。


「油断するな! ロイヤルガードがあれ一匹のはずがねえ!! 周囲の警戒を怠るな!!」


 ここのアントビークイーンが人間に迫る頭の良さを持っていることは分かっている。慎重なアントビークイーンが自分の身辺警護にロイヤルガードを残していないはずがない。


 アントビークイーンが現れる時は必ずアントビーロイヤルガードも一緒だ。ガトーはそう確信していた。


(そう考えっと、あのロイヤルガードは何を目的に送り込まれた? ロイヤルガードで改めて戦力分析? それとも陽動か? ちっ。虫の癖に、しゃらくせえな!!)


 虫の考えすら看破できないことにイライラする。アテンに質問したいところだが、生憎と今は離れたところにいて聞くことができない。


 現場を離れられるほど余裕のある状況ではないので、自分の頭で考えるしかなかった。ガトーが悶々としている間も戦闘は続く。


 『約束の旗』は高い集中力を維持したまま戦いを優位に進め、とうとうアントビーロイヤルガードを追い詰め始めた。今の『約束の旗』には隙が無く、弱ったアントビーロイヤルガードがここから逆転することは不可能だ。


 とりあえず一匹。厄介な相手に、ミスリル級を温存しながら倒せることに手応えを感じていると、ガトーの足元に小さな石がカツンと転がってきた。


 ガトーは最初、そんな事は気にしなかった。激しい戦闘が行われているのだ。戦いの余波で石だの何だのが周囲に飛び散ることはよくある。だからガトーは引き続き周囲に気を配っていたのだが、その石が段々と多く、大きくなってくるとそうも言っていられない。


 ガトーがその事に意識を向けざるを得ないほど違和感を覚えた時だった。


 遠くに聞こえる、何かが崩壊する音。その音に気づいた者は少ない。ガトーも、今は戦わずに距離を取っているから気づけたのだ。その程度の音だった。


 階層の構造上、音の発生源がどこなのか非常にわかりにくいが、ガトーにはそれが上から聞こえた気がした。


 自分の感覚に従いガトーが上を見上げると、そこには人間に仇名す、ダンジョンの悪意が迫っていた。




 落下してくる岩壁の塊。




 植物を多分に含んでいることから、おそらくは大部分がダンジョンの壁だろう。人を飲み込むには十分すぎるソレが、勢いづく冒険者たちに牙を突き立てようとしていた。


 追い詰められたアントビークイーンが取った起死回生の一手。


 手駒がいなくても、人間を減らせればそれでいい。


 ダンジョンを守るべきモンスターが、ダンジョンを崩壊させると言う、まさかの暴挙だった。


 予想だにしない光景に、一瞬できた頭の中の空白。ガトーの脳に高速で思考がよぎる。


(ダンジョンの崩壊……? そこまで、やるのか。そこまで、アントビークイーンは頭が良いのか? ……崩壊? それ、誰かが……ッ! まさか……!)


「アントビークイーンッ、アテンの、真似をしたのか!??」


 アントビークイーンの侵攻ルートを絞るためにアテンがやったこと。


 ダンジョンの崩壊による道の制限。それを、冒険者を殺すために応用したのだ。


「ッつーことは!!」


 ガトーはバッと前方を見る。


 そこには未だアントビーロイヤルガードと戦い続けている『約束の旗』の姿があり、そしてそこは……岩壁の山の落下地点だった。


(あのロイヤルガードは、囮か!?)


 アントビーロイヤルガードと戦うとなれば冒険者の中でも実力上位の者が相手にしなければならない。それは情報収集に長けたアントビークイーンも分かっているはずだ。


 アントビーロイヤルガードが単独でそれを撃破できれば良し。できなくても確実に強者を道連れにできる。その考えはもはや、昆虫モンスターの域を超えた、悪魔的悪辣さだ。


 『約束の旗』たちのところにも石は落ちてきている。周りにいる冒険者たちはその異常に気づいて避難を始めていた。


 しかし、アントビーロイヤルガードと接近戦でやりやっているレインとマッシュは、極限の集中に入っているせいでその事に気づいていない。このままでは間違いなく、死ぬ。


「クソッたれぇ!!」


 ガトーは走り出していた。


 身体が勝手に動いていた。


 ガトーでは今更どうしようもないほど、岩壁の塊は落ちてきている。


 それでも、動かずにはいられなかった。


 スターやリズが声を張り上げている。レインたちも、これだけ騒げばもう気づいているだろう。だが、アントビーロイヤルガードの死力を尽くした最後の猛攻が二人の撤退を妨げていた。


(もう、どうしようもねえのか……ッ!)


 ガトーが諦めかけたその時。


 ガトーの横を、地を這うような低姿勢で疾駆する一つの影。


 一目で上物とわかる衣服をはためかせながら、一瞬でガトーを追い抜く一人の人物がいた。


「ア、テン……?」


 それは、最終防衛ラインで待機しているはずのアテンだった。


 頼れる人物の登場に、ガトーの胸に去来したのは、何故かどうしようもないほどの不安。


 嫌な考えほど膨れ上がるのは早く、大きい。ガトーは自分が感じた不安の理由をすぐに導き出す。


 アントビークイーンは、冒険者たちの情報をよく調べていた。その念の入れようは昆虫モンスターだとは思えないほどだ。そんな頭の良いアントビークイーンが、冒険者たちの中で一番警戒するとしたら誰になるか。


 考えるまでもない。


 アテンだ。


 アントビークイーンは、アテンの情報を一番多く集めていたはずだ。だからこそダンジョンを崩壊させると言う手段を思いついたのだろう。


 そんなアントビークイーンが、必ず障害となるであろうアテンを放置しておくだろうか。


 どんな手を使ってでも、排除しようとするのではないか。


 もし――。


 アントビークイーンが、人間の感情の機微を理解するだけの頭を持っていたなら。


 アテンと言う人間が、どういう性格なのかを把握しているとすれば、一番効果的な『罠』とは何になるか……。


「行く、な…………。罠だッ、アテンッ!!」


 ガトーは届かぬ手を伸ばす。


 アテンのことだ、アントビークイーンの狙いなどお見通しだろう。それでも、あの男に『助けない』と言う選択肢は無いのだ。


 完全無欠な存在を罠に嵌めるには、分かっていても掛かる罠を仕掛けるしかない。最後の最後に、情報戦が運命を左右したのだ。


 アテンがレインたちの元に辿りついたのと同時。


 冒険者たちの希望を断つ、硬い雨が降り注ぐ。


「アテンッ!!!!」


 落下してくる岩壁の山が、ガトーの必死な叫びをかき消していく。


 途轍もない破砕音が鳴り響き、周囲一帯を瞬く間に砂埃が覆い隠した。


 身動きが取れずジッと耐える中、やがて音も止み、視界が晴れていく。


 アテンたちの身を案じ、急いで現状の確認をするガトーの目に映ったのは――。




 無情にも積み上がる、広場を一つ埋め尽くすほどの大量の岩石の山だった。

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