第76話 舐めるな

 アテンがレインたちの元に飛び込む瞬間を、ゲーリィは最終防衛ラインから見ていた。


 突然の出来事だった。


 妙な音が聞こえた気がする。ゲーリィからしてみたらその程度の違和感。しかしアテンには明らかな異常だったのだろう。共に前線を見守っていたアテンは突如飛び出してしまった。


 止める暇もなかった。なぜ急に飛び出したのかすら分からなかった。しかし、ゲーリィもすぐに理解する。その答えは絶望を伴い上層から現れた。


 既に駆け出していたガトーを追い抜き、レインとマッシュを庇うような仕草を見たところで視界は閉ざされてしまう。受け身が取れるタイミングではなかった。ゲーリィの目には無防備に埋め尽くされてしまったように見える。あれではさしものアテンも無事では済まないだろう。


 いや、無事かどうかの問題ではない。


 生きているかどうかの問題だ。


 すぐに救出に向かいたいところだったが、この悲劇を起こした元凶がそれを許してはくれない。


 大規模な崩落でシンと静まり返る第四階層に、重厚感すら感じさせる羽ばたき音が響き渡る。


 単一音響によるカルテットは冒険者にとっての絶望の奏。


 一匹ですら手間取るアントビーロイヤルガードが四匹。上層から姿を現した。


 その数に怯む冒険者たちを余所に、負の演奏会はまだ続く。アントビーロイヤルガードたちの奥から悠々と舞い降りてきたのは、女王。もはやこの第四階層の支配者として君臨しているアントビークイーンは、それに相応しい存在感を放ちながら現れた。


 そして女王の威光に導かれるように後に続くは信奉する民。一面を埋め尽くす無数のアントビーが、自分たちの女王の願いを叶えんと突撃の姿勢を見せていた。


「まだこれだけの数を……!!」


 予想を上回る敵の残存兵力に、ゲーリィは歯茎を見せて歯ぎしりする。あっという間に冒険者側は不利に立たされていた。


 大規模の崩落によって分断されてしまった冒険者がいる。この階層の作り的に戻って来るだけならさほど時間はかからないはずだが、彼らにもモンスターが襲い掛かるだろう。アントビークイーンを止めるための抑止力としては期待できそうもない。


 そして何よりも、何よりも痛いのが、切り札の喪失。


 この作戦の成功を確信させてくれていた精神的支柱を失ったことだった。


 思わぬ敵の戦力と味方の減少。冒険者たちの士気の低下は著しい。ここからの立て直しに失敗すれば作戦の成功は無い。迅速に効果を齎す手段を模索するゲーリィだったが、負の連鎖は止まらない。


「うわああああ!! も、もう駄目だああああ!!」


「逃げろ!! こんな作戦、成功するはずなかったんだ! 死ぬ前に逃げるんだ!!」


 やけに大きな声で騒ぎ出したシルバー級冒険者たちがいた。その瞬間、ゲーリィは直感する。


(やられた……ッ!!)


 裏切り者だ。ヘクターの厳しい監査を掻い潜って、作戦を失敗をさせる隙を虎視眈々と狙っていたのだ。アテンが言っていた裏切り者とは彼らのことだった。


 これ以上ないタイミングでの扇動に冒険者たちの心は大きく揺れる。誰だって死にたくない。弱い心に負け、一人、また一人とモンスターに背を向け足を踏み出そうとした時だった。


「俺は逃げるぞ!! こんなの付き合いガフェ!?」


 扇動していた冒険者の一人が奇っ怪な声を上げる。


 何だと不思議に思った冒険者たちがそちらに目を向けると、そのシルバー級冒険者の胸からは腕が生えていた。


 先端にはめられた真っ白な手袋がよく目立つ。


 胸を貫かれた冒険者が最後の力を振り絞って顔だけ後ろに向けると、そこには静かな怒りを瞳に宿すゼルロンドがいた。


「ゴミが……ッ」


 小さく侮蔑の言葉を吐き、腕を振り払ってゴミを横に投げ捨てた後、ゼルロンドは声を張り上げた。


「惑わされてはなりません! この者たちは作戦を失敗させるために送り込まれた裏切り者です! こちらにはまだ作戦を成功させるだけの戦力が残っています! 自分たちの役目を全うしなさい!」


 アテンとの会話で裏切り者の存在が発覚してもゼルロンドが手を下さなかったのは、冒険者たちの疑いと困惑による士気の低下を防ぐためだ。しかし、事ここに至っては関係ない。むしろ、扇動をかき消すための道具として利用させてもらう。


「お前たちにも覚悟を決めてもらおうか。それとも、今死ぬか?」


 残っている裏切り者たちに『暴嵐』が告げる。使えるものは何でも使う。もはや目的達成のために手段は問わない。


 強者の眼光に当てられた弱者に拒否権など無かった。裏切り者たちは大勢の視線に晒されながら最前線に送られた。


 ゼルロンドの強引な力による抑止により、ひとまず戦線の瓦解は防がれたが状態は良くない。そしてそれを立て直す時間を与えてくれるほど敵は甘くない。


 タイミングを計っていたアントビーが一つの塊のように動き出す。


 上から一斉になだれ込んでくる様はまさに濁流。魔法使いたちが作った壁を押し破り、冒険者たちに迫り来る。怖気が走る光景だった。


 命令を下したアントビークイーンは次にアントビーロイヤルガードたちを自分の周囲に集める。自分の身を守るように配置し終えると、一気に突っ込んで来た。


「あくまでも狙いは外ですか!!」


 アントビーたちに冒険者の相手をさせ、一直線に向かってくるアントビークイーンに思わず苛立たしさを抱くゲーリィ。


 目的が明確で迷いが無い。そのせいでこちらは選択を間違うことができなかった。それをわかっていながらも、ゲーリィには迷いが生じる。


 この状況、まずは広範囲魔法で敵の数を減らすのが定石。しかし敵味方が入り乱れているこんな場所で、そんな魔法を使えば少なからず仲間を巻き込んでしまう。


 はっきり言って、多少の損失を覚悟の上で魔法を使った方が数字の上では上手くいくだろう。しかしその結果、冒険者たちにどのような影響を与えるか分からない。


 長年パーティーを組んだ仲間であればゲーリィの意図を理解してくれるだろうが、ここにその仲間はいない。無用な混乱を招きかねなかった。


「クッ!」


 刹那の思考の結果、ゲーリィはアントビーロイヤルガードとアントビークイーンの相手に集中することにした。覚えたばかりの『オーラ纏い』をスキルに乗せ、威力重視の魔法を唱えようとすると、それまで沈黙を破っていた男が咆哮を上げる。


「クソがあアアアアアアアッ!!」


「ガトー……!?」


 それまでアテンが埋められてしまった山の方を見て呆然としていたガトーだったが、迸るほどのオーラを身体から発すると、大剣を構え、アントビークイーンに向かって勢いよく突撃する。


 完全に暴走していた。


(ガトーのトラウマを刺激してしまいましたか!?)


 自分の目の前で大事な仲間を失うことは、ガトーが未だに克服できていない弱点だった。狂える戦士に豹変したガトーは、後先考えず全力で敵に襲い掛かる。


「アアアアァァッ! 邪魔ダアアアア! <オーバーデストロイ>!!」


 ガトーの代名詞であるスキルと、アントビークイーンを庇うように前に出たアントビーロイヤルガードの盾がぶつかり合う。


 レインたちがいくら攻撃しても小さな傷しかつけられなかった頑丈な盾は重い音を立てて大きくへし曲がり、そのまま左前足ごと吹き飛ばされた。


 その衝撃で大きく後退したアントビーロイヤルガードはアントビークイーンにぶつかり、侵攻スピードを落とさせる。そして、その隙を見逃さずに行動できる冒険者が人間側にはまだ残っていた。


「ふん。冒険者貴族がいない今なら突破できると思っているのか? 舐めるなよ! <ダークインフィニティ・ハイパーシールド>!!」


 ガトーの暴走にも惑わされずに、エルゼクスが障壁を作り出す。


 エルゼクスの真骨頂は『オーラ纏い』を用いた守りの魔法だ。しかしその魔法も使い方によっては敵の進行を妨げるための壁とすることもできる。


 これまで何度もパーティーの危機を救ってきた自慢の技は、見事アントビークイーンたちの勢いを完全に止める。壁にぶつかり反動で後ろに下がるアントビークイーンたちを見てエルゼクスは満足げに鼻で笑った。


 しかしこれまでの戦闘で魔力を使っていたため長くは展開していられないし、『オーラ纏い』とスキルの合わせ技は消費が激しい。エルゼクスはマジックバッグから魔力回復ポーションを取り出すと素早く次の行動に取りかかった。


「副ギルド長! ロイヤルガード二匹は僕たちが受け持つ! すまないが残りは頼んだ!」


「エルー!? ロイヤルガード二匹同時はキツいんだけど!?」


「つべこべ言わずやれ! ミスリル級の意地を見せろ!」


 パーティーメンバーから抗議がくるがエルゼクスは取り合わない。


 ゴールド級が一つのパーティーでアントビーロイヤルガードを抑えていたのだ。二匹ぐらい同時に抑えられないようではこの先トップパーティーは語れない。


 『魔導の盾』はアントビーロイヤルガード二匹をアントビークイーンから強引に引き剥がすと自分たちの戦いに入っていった。


 ガトーが一匹、『魔導の盾』が二匹のアントビーロイヤルガードを引き剥がしたことで、残りはアントビークイーンとアントビーロイヤルガード一匹。


 対して冒険者側がこれに当てられる戦力はゲーリィとゼルロンド。厳しい条件だ。


 ガトーは最初から全力全開で飛びかかって行ったため、既にアントビーロイヤルガードを追い詰めている。しかし後先考えずに力を使っているため、すぐにガス欠になるだろう。あれではたとえアントビーロイヤルガードを片付けても、その時点で使い物にならなくなっている。戦力として期待することはできない。


 他の冒険者たちも押し寄せるアントビーとアントビーソルジャーの対応で手一杯だ。まだ浮き足立っていて連携が取れていない。ゲーリィは『覚悟』を決めた。


「貴様が街を救ってみせろ、ですか……まさか本当にこのような展開になろうとは、さすがのアテン殿も思っていなかったでしょうね」


 ゲーリィの呟きが小さすぎてよく聞き取れなかったゼルロンドは確認のためにゲーリィを見る。そんなゼルロンドにゲーリィは苦笑しながら代わりの言葉をかけた。


「どうやら私たちだけであれを止めないといけないようです。お付き合いいただけますか、ゼルロンド殿?」


「フフ、喜んで。もとより私は主にスタンピードを止めると誓った身です。できることは致しますとも」


「心強いですね。では、今のうちに準備をしましょうか」


 ゲーリィはそう言うと自分とゼルロンドに立て続けに呪文を付与する。


「<アタックアップ><ガードアップ><スピードアップ><リフレクトライズ><フライ><ブレッシング><ブレイブハート>」


 ゲーリィから紡がれる呪文の多さにゼルロンドは目を丸くする。その中には通常、魔法使いが覚えないような呪文まで含まれていた。


「ゲーリィ様は、多彩ですね。この戦いが終わったら『七色』とでも名乗ったら如何ですか?」


「恥ずかしいので止めてください。私は器用貧乏なだけですよ」


 『オーラ纏い』を覚えようと様々なことに手を出した。その結果、中途半端な魔法使いになってしまったと自分を卑下したものだが、今となってはそれがゲーリィの強みになった。


 言葉では謙遜するが、ゲーリィは今の自分が嫌いではなかった。


 エルゼクスの張った障壁が効果を無くし、再びアントビークイーンの侵攻が始まる。


 杖を握り直したゲーリィと、『穢れなき白』をしっかりはめ直すゼルロンド。一筋縄ではいかない最後の壁が、アントビークイーンの前に立ち塞がった。

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