第72話 不穏

「ギルド長! 今戻ったぞ!」


「来たか! お前らはそのままそっち方面を……おい、アテンはどうした!?」


「冒険者貴族は……僕たちをここに戻すために、囮になったッ!」


「あんの、馬鹿が!」


 『魔導の盾』が第四階層の入り口に戻った時、そこは既に戦場になっていた。


 響き渡る怒号と剣戟の音。モンスターの羽ばたきの重低音が絶え間なく聞こえる。地面には夥しい数のアントビーの死体と回復系アイテムの残骸が転がっていた。


 冒険者たちは入り口前の広場だけでは展開しきれない。そのため、その広場を最終防衛ラインとして、そこから上方と左右に枝分かれする四つの広場に陣取り、アントビーたちを迎え撃っていた。


 『魔導の盾』が無事に戻って来たのは良かった。しかしアテンが戻って来ないのは計算外もいいところだ。ガトーは防衛計画の見直しを余儀なくされた。


「くそ、あの野郎無茶しやがって。ちゃんと戻って来んだろうなぁ!?」


「アテン殿なら万が一もないと思いますが。しかし、困りましたね。彼には最終防衛ラインにいてもらいたかったのですが」


 当初の計画ではアテンに頼りきりにならないと言う意味でも、安心して後ろを任せると言う意味でも、アテンには最後尾にいてもらうつもりだったのだ。


 アテンが後ろに入れば何も心配することは無くなる。この討伐隊の主力であるガトーたちもそれぞれ前線に出て戦う予定でいた。その計画が早くも崩れ去る。


 想定外に備えて、ここには力ある者が常にいなければならない。アテンならば迷う必要など無かったのだが、それ以外となるとどの程度戦力を残しておくか考えなければならない。


「幸い前線組もまだ対応できてはいるが疲れもある。いずれはガタが来ちまうぞ」


「囮に残ったと言うのなら、彼ももうすぐ撤退を始めるでしょう。『魔導の盾』の位置は<気配察知>で把握しているはずですからね」


「早めに戻ってくれると助かるんだがなぁ! 全く、あいつが予想外に情に厚かったせいで振り回されっぱなしだぜ!」


 計画が狂っていると言うのに、むしろ活力が湧いてくる。アテンの普段は隠されている性格が、厚い信頼となってガトーたちに安心感を与えていた。


「フフフ、まぁ私は何となく分かっていましたけどね。彼は意外と面倒見が良いのですよ」


「おいゲーリィ! 後から言うのはずるいぞ!」


 エルゼクスとは違い、こんな状況にも関わらずガトーたちが暢気に会話をしていられるのは、アテンの強さを身をもって知っているからだ。何がどうなろうともアテンが倒れるところを想像することはできなかった。


「どうせまた無傷で現れて、いつも通り『何をこんな雑魚相手に手こずっている?』とか憎まれ口叩いてくんだろ? こっちは精一杯だっつうの!」


 ガトーの声真似にゲーリィは思わず苦笑いする。


「彼なら言いそうですね。後で『貴様らがあまりにも不甲斐ないから訓練を倍にする』とか言われなければいいですけど」


「ハッハー、お前、そんなこと言われた日にゃ、俺は裸足で逃げ出……」


 二人が軽口を言い合っている時だった。突如、第四階層全体を揺るがすような轟音が響き渡り、強い振動がガトーたちがいるところまで伝わってきた。


 二人はしばし呆然とした後、その横顔には冷や汗が流れる。


「随分と、派手にやっているようですね……」


「あ、ああ……」


 異変の原因などを考えるまでもなかった。


「そういえば、他の三つの広場は徐々にモンスターの数が増えてきているのに、『魔導の盾』が戻ってきた広場だけ圧倒的にアントビーの数が少ないですね……」


「一人でどんだけ倒してんだよって話だ。しかしこれは、本当に不味いかもな……」


 これだけの冒険者がいてアテン一人の討伐数に負けたとなれば、本当に訓練を倍にされかねない。少し想像しただけで身震いがする。


(あれの、倍だと……? 死ぬわ!! 冗談じゃねーぞ!?)


 このままでは現実に裸足で逃げ出すことになるかもしれない。そんな未来を回避するため、ガトーは顔を青くしながら前に出る。


「ゲーリィ、しばらくの間ここを頼む。ちっと右側行ってくるわ」


「え、ええ。お気をつけて」


「オラー! テメェら、そんなザマをアテンに見られたらぶっ殺されるぞ!! もっと気張れやあああ!!」


 脅迫紛いの鼓舞をしながらガトーが突っ込んでいく。スタンピードはまだ始まったばかりだ。






 最初の広場から上方に枝分かれしている二つの広場。その内の左側の広場では、ゼルロンドが『暴嵐』と呼ばれた所以を惜しみなく披露していた。


 魔法使いから<フライ>を付与されたゼルロンドは宙を舞う。本来は地に足をつけて戦うのがゼルロンドのスタイルだが、飛びまわるアントビーたちに対応するには自分も浮いていた方が都合が良い。<フライ>をかけた上で本格的な戦闘するのはこれが初めてだったが、ゼルロンドは生来の器用さですぐに空中起動に慣れた。奇しくも<フライ>とゼルロンドの戦闘スタイルの合わせ技は新たな可能性を生み出し、ゼルロンドを一つ上の高みへと押し上げていた。


 拳や蹴りが一撃見舞われることにアントビーの数が一匹ずつ減っていく。


 繰り出した攻撃の勢いを利用して身体を回転させ次の攻撃へと移る。段々と威力を増していく攻撃はやがてそこに嵐を顕現させた。


 高速で流れる視界の中、ゼルロンドの攻撃は常に的確だ。アントビーの首や関節など脆い部分を狙い確実に仕留めていく。これこそゼルロンドが天才と呼ばれた所以。常人であればただ目を回して終わってしまうような動きをする中で、常に一瞬先の未来を予想して行動している。


 経験によって研ぎ澄まされた迷い無き一撃はやがてオーラを纏い出し、攻撃の軌跡に沿って光を残す。光が生まれる度に、そこには一つの生命の終わりがあった。


 幻想的でありながらもその本質は全てを飲み込む死の嵐。


 嵐に光が宿った時、そこに命あるもの無し。その圧倒的な光景を、人々は畏敬の念を込めて『暴嵐』と呼んだ。


「ふぅ。ここまで動いたのは久しぶりですね。一先ずはこんなものでしょうか」


 感覚を思い出すために肩慣らし程度に考えていたものが、少し熱が入りすぎてしまった。


 ゼルロンドが振り返るとそこには地面を覆い尽くすようなアントビーの死体と口を開け放心状態の冒険者たち。それを見る限りでは自分もまだ冒険者として通用しそうですね、と思う。


 自分の活躍を周りの冒険者たちに印象づけることも必要だ。目標の一つは無事達成できそうで安堵する。まだ何匹かのアントビーたちが飛んで来ているが自分が全てを処理することもないだろう。ある程度は冒険者たちに譲ることにした。


 休憩がてらゼルロンドは自分に<クリーン>をかける。執事たる者、常に身だしなみには気を配っておかねばならない。服に付着していたアントビーの甲殻や体液が綺麗さっぱり消えて無くなる。その最中に、手にはめている白い手袋が目に入った。


 この白い手袋は実はマジックアイテムだ。『穢れなき白』という名前まで付いている一品で、ゼルロンドがヘルカン家の家令として就任した時にヘクターから贈られた物だった。その性能は冒険者時代に愛用していた装備を上回る。


 『穢れなき白』は、どんな時も最高の状態を保ち続ける。決して汚れないし破れない。その特性は戦闘にも大いに役立ち、攻防一体の頼れる相棒としてゼルロンドを支えてきた。そんなかけがえのない手袋を見ながらも、ゼルロンドの意識はこの戦闘中に覚えたある違和感へと向かっていた。


(そういえば、何やら不自然な動きをするアントビーがいますね。どういうことでしょうか……)


 大半のアントビーが人間と見るや積極的に襲い掛かって来るが、中には戦う気をまるで見せず、広場の天井付近を飛んで第三階層へ向かおうとする個体がいる。これが何を意味するのかゼルロンドにはわからない。


(それに……少し進化個体が多い気がします。良からぬ前兆でなければいいのですが……)


 アントビーの一つ上の進化形態、アントビーソルジャーであればまだ一撃で屠れる範囲だが、それより上となると倒すのに時間がかかるようになってしまう。一体一体に時間をかけていられない状況だ。上位個体の出現は戦場の均衡を破る要因になりかねなかった。


 ゼルロンドが不安に駆られていると、また徐々にアントビーの数が増えてきた。考え事をしている時間は与えてくれないらしい。


「やれやれ。もう一働きしますかね」


 万が一に備え、力を抑えながらゼルロンドは再び戦いに戻っていった。




 時を同じくして各広場で戦っている上位冒険者たちはこのスタンピードの違和感に気づき始めていた。最終防衛ラインから各広場を見守るゲーリィはこのスタンピードについて思考を巡らせる。何がおかしいのかを自問自答していく。


(戦おうとすらしないアントビーがいるのは何故でしょう。ガトーから伝え聞く話では、アントビーたちは非常に飢えていると。何が何でも私たちを食料にしようとする執念がスタンピードを引き起こすと言っていましたが……)


 ゲーリィの前には数匹のアントビーの死体があった。各広場が討ち漏らした個体をゲーリィが仕留めたものだ。その際もゲーリィの相手をしようとはせず、第三階層に向かうことだけを目的としていたように思える。


(ただ単に飢えていない個体もいると言うことでしょうか。いえ、それもおかしいですね。それならそもそも、こんなところまで来ないでしょうし。仲間たちの流れにつられている? 深い意味は無い……のでしょうか。ああ、アテン殿の意見が欲しいですね)


 自分の知見だけでは分からないことだらけだ。もはや困った時にはアテンに聞くのが癖になりつつあった。


 その頼りになるアテンはずっと、一人離れた場所で戦い続けている。散発的に轟音と振動がここまで伝わってきていた。


「『魔導の盾』が戻って来てからしばらく経ちますが……どうしたのでしょうか」


 いくら何でも戻るのが遅い気がする。ゲーリィは妙な胸騒ぎを覚えていた。


「ゲーリィ、アテンはまだ戻らねえのか」


 ひと暴れしたガトーが大剣を肩に担ぎながら戻って来た。アントビーの緑色の体液に塗れる鎧を<クリーン>で綺麗にしてやりながら答える。


「ええ、まだですね。何かあったのでしょうか」


「何か、な。あったのかもしんねーぞ」


 こう言っては失礼だが、ガトーから手応えのある反応が返ってくるとは思っていなかったので密かに驚くゲーリィ。


「……どういうことですか?」


「お前も変な動きをするアントビーがいることや、ちらほら進化個体を見かけることは気づいてるはずだ。これは普通のスタンピードとは違うのかもしれねぇ」


 今回のスタンピードはダンジョンが起こすものではなく、モンスターが原因なのだからそもそも普通とは違うのだろうが、ガトーが言いたいのはそういうことではないだろう。


 スタンピードとはダンジョン内で異常発生したモンスターの大群がダンジョンの外に溢れ出ることだ。だがそのモンスターの内訳は無作為に決められているわけではなく、一度も進化していない個体が大半を占めることが知られている。これは、ダンジョンが数減らしのために防衛にあまり役立たない弱いモンスターを吐き出しているためだと考えられている。それを鑑みれば今回のスタンピードはおかしいと言えた。


「それに妙な動きをする個体のことだ。俺は武器が剣だから当然奴らの近くに寄んなきゃいけねぇわけだが、なんつーか、意思を感じなかった。まるで人形が動いてるみたいな印象を受けたぞ」


「人形……? 操られていると言うことですか?」


「ああ、そうそうそんな感じだ。攻撃されようとしてるのに反応も遅かったしなぁ。少し不気味だったぜ」


 ガトーの話に眉間に皺を寄せ考え込むゲーリィ。意味がわからなかった。


(一体何が起きていると言うのですか。くっ、やはり私の手には余りますね)


「「アテン……っ」」


 ゲーリィとガトーの声が重なる。なんとなく気まずく思いながら、ゲーリィは自分の意図を手早く伝えてガトーに譲る。


「失礼しました。いえね、アテン殿なら何かわかるんじゃないかと、そう言おうとしただけですよ。ガトーはどうしました?」


「おう。そのアテンなんだがな、もしかして『戻って来ない』んじゃなくて、『戻って来れねえ』んじゃねーかと思ってな」


「……戻って来れない?」


 遠くに激しい戦闘音が聞こえる。アテンは未だに戻って来る気配が無い。


「……今回のスタンピード。ダンジョンから放出されようとしているのが雑魚モンスターだけじゃなかったとしたらどうする? 俺はよ、アテンが、ただのアントビーに対するものとしては大技を使いすぎている気がするんだよ」


「ッ、ま、まさか……!」


 ゲーリィが息を飲むのも束の間、各広場から風雲急を告げる報告が飛び込む。


「アントビーナイト出現!! アントビーソルジャーも多数!!」


「こっちもアントビーナイトだ! 二体出現!!」


「手が足りない! こっちに回してくれ!」


 一瞬で様変わりする戦場。


 今まであった余裕は無くなり、救援要請の声と本気の雄叫びがごちゃごちゃに混ざり合ってダンジョンに響き渡る。


 質の向上した物量と言う理不尽が、冒険者たちを飲み込もうと襲い掛かってきていた。


「どうやら、こっからが本番みてえだな」


「……そうですね」


 窮地。だが、この二人に焦りは無かった。


 長い間過ごしてきた冒険者としての人生が、危機に陥った時にこそ冷静になるように脳の思考回路を作り変えていた。


 ピンチになればなるほど、歴戦の猛者はその真価を発揮する。


「前に出て指揮をとる。サポートは頼んだ」


「了解しました。ご自由にどうぞ」


「よし。……各広場の魔法使いは壁を作れ! これより作戦を移行する! 手筈通り行くぞッ!!」


「「応ッ!!」」


 ガトーの貫禄に満ちた大声に冒険者たちが力強く答える。


 一斉に詠唱を開始する魔法使いたちの声が、スタンピードの本当の始まりを告げた。

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