第71話 道化
ガトーたちの元を飛び出したアテンは一人、快調に上層を突き進んでいた。だが、その行き先は『魔導の盾』のところではない。
<気配察知>を頼りに向かうのは、以前見つけたヴァリアント種の元だ。そして当然そこにはゴールド級冒険者などいない。ガトーたちに語ったのはそのほとんどがアテンが仕組んだ嘘だった。これから起こるスタンピードの原因をゴールド級冒険者に押し付け、且つ、最も効率的に計画を成し遂げるためのお芝居だった。
<気配察知>で情報収集を一手に担うアテンにとって、この状況を作り出すのは非常に簡単だった。既にアテンに信頼を置いているガトーやレインたちはその言葉を疑うことをしない。アテンが、よく知りもしない外様の冒険者がヘマをしたと言えば納得してしまうのだ。
そして、アテンのついた嘘が嘘とバレることは今後一生ない。何故ならば、その嘘を証言できる唯一の存在、ゴールド級冒険者たちは既にこの世にいないからだ。
アテンが第四階層に入った時点で、アントビーたちは予定通り行動を起こしていた。急に行動が変わり一気に押し寄せてくるアントビーたちに、ゴールド級冒険者如きが対応できるはずがなかった。今頃は腹を空かしたアントビーの腹に収まっていることだろう。
『魔導の盾』の方は伊達にミスリル級を語っているわけではおらず、まだ無事だった。気配を探る限りではしばらくは保ちそうだ。
アテンはすぐに助けに行ったりはしない。ピンチになってから助けた方が恩に着せやすいし、都合の良い展開に持っていきやすいからだ。自分が用事を済ませるまでの間は、何とか自力で耐え忍んでもらう。
全てのアントビーたちが第三階層の方に向かっているのでヴァリアント種との邂逅は然程時間が掛からなかった。アテンはこれをすれ違い様に瞬殺すると、その流れのままマジックバッグに収納した。これでアテンの発言の正当性を更に強めることができる。盤石に進む計画にほくそ笑みながらアテンはゆっくりと『魔導の盾』の元に向かった。
「<ダークマテリアル・シールド>!! チッ、ポーションが切れた! おい! 余ってるのを僕に寄越せ!」
エルゼクスは中身が無くなった魔力回復ポーションの瓶を投げ捨てると、仲間の女の魔法使いから同じ種類のポーションをふんだくる。
『魔導の盾』は現在、濁流のように押し寄せるアントビーに対し防戦一方になっていた。一方向からしか攻めて来れない狭い場所に陣取り、エルゼクスのスキルによってなんとか耐えている。
流れが急に変わった。『魔導の盾』はそれまで順調に間引きを進めていた。やったことのある依頼だ。技の制限こそかけられてはいるが、別に問題など無かった。だが、昔の勘を取り戻し、更に効率よく間引きを進めようとしていたところ、捌き切れないほどの数が一気に押し寄せてきたのだ。
並の冒険者パーティーであれば無理に抗おうとして飲み込まれてしまうところを、彼らは迅速に最良の判断をした。後退しながらすぐさま守り主体の陣形に切り替え、今の場所を見つけて何とか生き残ったのだ。
隙を見てはアントビーに攻撃を加えているが、少しも減った気がしない。今も目の前に溢れているアントビーたちに不安が募っていく。
「なんだこれは、いつ終わるんだ! もしかして、既にスタンピードが始まってしまったのか!?」
絶え間なく次々と現れるアントビーたちにエルゼクスの脳裏に最悪な展開がよぎる。
(くそ。何がいけなかった? もう少し抑えるべきだったか、それともあの冒険者貴族の予想が外れていたか!? もしくは、ゴールド級冒険者たちが何かしくじったか……。何にせよ、このままじゃ不味い!)
アントビーたちがいくら群がろうと、エルゼクスのスキルを突破できることはない。しかし魔力の量には限界がある。このままではいずれ押し切られてしまうのは明らかだった。
それに自分たちがここに磔にされている状態も良くない。もしスタンピードが始まっているのならば、それを食い止めるのに少しでも戦力がいる。最初から不測の事態に対応するには心許ない戦力しかなかったのだ。そこに自分たちまで抜けるようなことがあれば苦境に立たされるのは想像に難くない。
どうにかして戻る必要があった。
(だがどうする? 高火力スキル、僕の<ダークホーリー・クレセント>を使えば、ここから抜け出すだけの時間は稼げるか? しかしあれは魔力消費が激しい。その後の奴らの攻撃を防ぎながら、皆のところに戻るまで耐えられるか……?)
もしかしたらこの流れもすぐに終わるかもしれない。異常を察した誰かが助太刀に来てくれるかもしれない。そんな都合の良い考えがエルゼクスの決断を邪魔していた。
(そんな希望的観測は捨てろ! いつだって最後に頼りになるのは自分の力だけなんだ! 僕はそうやってミスリル級まで昇り詰めた! 僕ならやれる、今回だって乗り切れる! 行くんだ!!)
決意を固めたエルゼクスがパーティーメンバーに指示を出そうとした時、アントビーたちの動きが再び変わった。
飛び方に規則性が無くなり、右往左往している。そんな中、ただ一つ言えることは、今までアントビーたちが向かっていた方向には一匹たりとも進んでいないと言うことだ。その姿はまるで、何かから逃げ惑っているように見える。
「まさか……」
<威圧>系スキルでも使っているのだろうが、モンスターの波に逆らってここまで来れる者などエルゼクスには一人しか思い浮かばない。
その考えを肯定するかのように、ついに『魔導の盾』から見える位置にまで、その人影は姿を現した。
「まだ生きていたか」
「冒険者貴族!!」
現れたアテンの姿は傷一つ無く、散歩でもしていたのかと思わせるほど普段通りの姿だった。この異常事態でそれだけのことを可能にするアテンの力量に改めて恐れ慄く。
だが今はびびっている場合ではない。エルゼクスは勇気を出して自分のいつも通りを振る舞う。
「ぼ、冒険者貴族! これはどういうことだ! 一体何があったんだ!?」
何とかスムーズに出た言葉にホッとする。そしてそれを契機に緊張の糸が切れたことで、エルゼクスはあることに気づいた。
緊張の糸が切れてホッとした最大の要因。
助かったと思ったのだ。アテンが来てくれたことで、安心していた。直前まで自分の力でこの危機的状況を切り抜けると決意していたのに、いざ頼りになる強者が助けに来てくれた途端にこの体たらく。エルゼクスは自分の変わり身の早さに恥ずかしさを覚えた。
(ち、違う! これはそんなんじゃない! そうだ、これは、今後の戦いを見据えて無駄な力を使わなくて済んだことに安堵したんだ! 僕は決して、誰かに縋ったりはしない!)
羞恥と焦りで顔を真っ赤にしながら、それを誤魔化すかのように立て続けに状況の説明を求める。
事が事だけに、その様子が不自然に映ることはなかった。
「もうスタンピードが始まったのか!? こんなの聞いてないぞ!」
「そうだな。私も想定外だ。ゴールド級冒険者たちが勝手な行動をしたせいで計画が台無しだ。もはやスタンピードは避けられん」
「なんだって!?」
「詳しくは戻ってガトーにでも聞け。今は時間が無い」
アテンは<威圧>の範囲を拡げながら言う。
「さっさと戻れ。ダンジョンの外にモンスターが出てからでは遅いぞ。貴様らでも貴重な戦力に違いはない。わざわざ助けに来てやった私の労力を無駄にするな」
「……お前はどうするつもりだ?」
相変わらずの上から目線が気に入らないのはともかく、アテンの言い方は、皆のところに戻るのは自分たちだけだと告げていた。
アテンがこれから何をしようとしているのか。エルゼクスの声音には、まさか、いやそんなはずはない、という思いが表れていた。
「私はこいつらの数を減らしてから戻る。そうでなければ待機組では対応できない物量になってしまうからな」
「無茶だ!」
エルゼクスは反射的に口を開いていた。自分たち五人がかりでも捌き切れないモンスターの数を、たった一人でどうにかできるはずがない。
アテンが強いのは知っている。だが、それとこれとは話が別だ。
(何せあの数だ。いくら上手く立ち回っても少しずつダメージを食らうのは避けられない。そして、アントビーの針には毒がある! 毒を食らったら最後、どうなるかぐらいわかるだろ!?)
アテンがやろうとしていることは紛れもない自殺行為だった。ミスリル級冒険者として、英雄願望に酔って死のうとしている馬鹿者は止めなければならない。
「数を減らすなら僕たちと一緒に戦えばいいだろ!? お前だけでなんて……」
「お前たちがいると私が全力を出すことができん。はっきり言って邪魔だ」
「ッ……!」
エルゼクスが決断を下せずにいると、それに痺れを切らしたアテンが強い口調で言い放つ。
「早く行けッ! <威圧>で食い止められているのはこの一帯だけだ。ぐずぐずしていると回り込まれるぞ! 私の行動を無駄にする気か!?」
「ぐぅっ!」
時間が無かった。皆が助かって、アテンも置いて行かずに済むような、そんな案を思い浮かべるには時間が足りなかった。エルゼクスは唇をぎゅっと噛む。
エルゼクスは、誰かを犠牲に自分が助かるのが大嫌いだった。その気持ちの強さは『魔導の盾』のパーティーメンバーたちでさえ分からない。彼らの表情には何をそこまで迷っているんだと、そう書いてあった。
アテンと言う強者に従うことしか頭に無いのだろう。浅はかだった。
エルゼクスは一度、目をギュッと強く閉じるとマジックバッグを漁りながらアテンの方に歩み寄る。そして一つのポーションを押し付けると撤退の意思を固めた。
「……毒消しポーションだ。飲んでおけ」
「……別にいらんのだがな。お人好しめ」
「五月蝿い! お前には言われたくないぞ! ちゃんと戻って来るんだろうな!?」
「誰にものを言っている。貴様らとは潜り抜けてきた修羅場の数が違うわ」
「ふんっ! おい! 行くぞ! 急げよ!」
エルゼクスはパーティーメンバーに声をかけると脇目も振らず駆け出した。だがパーティーで一番足が遅い彼はすぐに追いつかれた。
余裕のある表情で横に並んだレンジャーの男は、一生懸命走るエルゼクスに質問を投げかける。
「なぁ、エル。何をあそこまで迷ってたんだ? あの人なら別に一人でも問題ないと思うんだけど。いざって時は効果抜群の<威圧>もあるみたいだしな」
『魔導の盾』がアテンの<威圧>を見るのは初めてだったが、その効果は馬鹿みたいに高かった。ピンチになった時に発動すればいくらでも危機を乗り切れるだろうと思えたほどだ。だから『魔導の盾』の面々は、エルゼクスを除いてアテンの心配をしている者はいない。
エルゼクスは思わず首を振る。レンジャーの男が言っていることは別に間違ってはいない。だが、肝心なことが分かっていなかった。
「そうだな。お前の言う通り、あの<威圧>の効果は凄い。冒険者貴族がどれほどの実力を持っているかが分かると言うものだ。だから、確かに『一人』で、『好きな時』に<威圧>を使えれば、問題なんて無いんだろうな」
言葉に不機嫌な感情が乗ってしまう。だが、この不甲斐ない現状を理解できていない奴に対してそれを隠す気にはなれない。
「……どういうことだよ? その言い方じゃ、まるでピンチになっても<威圧>を使えないみたいじゃないか」
「そう言ってるんだ!! まだわからないのか! 冒険者貴族があの場に残ったのは間引きの為だけじゃない! 囮になったんだよ! 僕たちのためになッ!!」
『魔導の盾』を素早く入り口に戻すためにはアントビーを向かわせるわけにはいかない。そのため、アントビーが自分に向かってくるように、アテンは<威圧>を使うことができないのだ。
ミスリル級と言う立場だからこその盲点。強者であるが故に、誰かに囮になってもらい助けてもらうという考えが抜けていた。
だがそれを正直に言ってしまえば、自分以外にも反対する者がいただろう。プライドがある。話が拗れるのは目に見えていた。だからアテンは決して囮と言う言葉は使わなかった。間引きのためと言ったり『魔導の盾』のことを邪魔だと言って挑発して、その事に気づかないように仕向けていたのだ。
ようやく気づいたパーティーメンバーたちの顔が苦いものに変わる。しかし今から戻るわけにもいかない。それは最悪の手だ。今、『魔導の盾』にできることはたった一つしかない。
「僕たちが遅いと冒険者貴族はいつまで経ってもあそこから動けない! 一分一秒でも早く入り口まで戻るぞ!」
時折立ち塞がってくるアントビーたちをできるだけ時間をかけずに倒していく。一撃必殺で仕留めるその手際はミスリル級として相応しいもので、さすがと言えるものだった。
素材の回収すらせずにひたすら駆け抜ける。エルゼクスはそれほどにアテンの身を案じていた。
貴族が嫌いなのは変わらない。しかし受けた恩くらいは返さなければならない。恩を返すためにはアテンに生きていてもらわなければ困るのだ。
だからエルゼクスはひた走る。自らの感情の変化に気づく余裕も無いままに。
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