第70話 開幕
紅蓮の洞第三階層。その第四階層への階段の近く。ここに、スタンピード討伐のための戦力が集まっていた。
その数はスタンピードと言う脅威に対抗するためのものとしては若干少ないように見える。その理由としてはまず、シルバー級以上の冒険者しかいないことが挙げられる。
力量の低い者を無理やり参加させても死者を増やすだけだろうと言う判断の結果だった。その代わり、アイアン級以下の冒険者たちには拠点までの物資の運搬が任されていた。
マジックバッグなどがあっても、冒険者たちが日々消費する物資を賄いきれるだけの量は一度に収めることはできない。今回のスタンピードはある程度長期戦が想定されているため、彼らには手分けして何度も運んでもらわなければならなかった。
次に、事前に裏切り者を間引いたことで数が減った。今回のスタンピードには様々な思惑が絡んでいる。作戦実行に際し、邪魔をしそうだと判断された者は参加を認められなかった。
ヘルカンの街以外からも義勇軍を名乗る冒険者たちがいたのだが、その大半が省かれている。この判断基準はヘクターによるもので、実際にほとんどの者たちが敵対勢力に属する者たちだった。ヘクターが裏で如何に尽力しているかを物語っていた。
そして最後の理由としては作戦の特殊性が上げられる。今回はスタンピードとは言え早期発見できたため、いきなり真正面から戦わなければいけない訳ではない。まずは少数で第四階層に乗り込み、いつも通りの間引きを装ってアントビーたちに警戒感を抱かせないように数を減らしていく。そして奴らが違和感に気づき動き出したところを一気に責め立てるのだ。なので通常よりも少ない数での作戦実行が可能となっていた。
今回の目標は最奥の巣にいる、スタンピードの原因であるアントビークイーンを討伐すること。取り巻きがいることも考えれば厳しい戦いが予想されるので、主戦力は温存し、シルバー級冒険者たちやゴールド級冒険者たちが間引きに繰り出す予定だった。
しかし、作戦開始を前にした今、『魔導の盾』が予定を変更して間引きの先行組に志願していた。これには彼らなりの理由があった。
「僕たちはヘルカンのトップパーティーだ。先んじて行動しなければ周りに示しがつかないだろう。どうせアントビークイーンと戦うまでには時間があるんだ。疲れと言う点では心配ないし、僕たちが出ることで周りの士気も上げられるだろう」
「まぁ言ってることはもっともなんだがよ。ミスリル級が出張ることで、奴らを刺激し過ぎちまわねーか?」
エルゼクスの言い分はガトーも納得できるものではあったが、今は繊細な調整が必要だと思われた。自分の判断だけでは自信が無かったので、ついついその視線は頼れる人物たちに向く。
「以前は『魔導の盾』の皆さんにも間引きをお願いしていたこともありますし、問題ないのではありませんか? どうでしょうアテン殿」
「奥に行きすぎず、あまり強力な技も使うな。それなら構わん」
「……わかった」
アテンの最終決定に多少身を硬くしながらもエルゼクスは答えた。
初めてアテンと会った時は平常心でいることすら難しかったエルゼクスだが、多少なりともアテンの人となりを知り、周りからの話を聞くことで少しだけ心境の変化があった。その結果、今はぎこちないながらも会話することが可能だった。
結局最初の間引き組は、『魔導の盾』と義勇軍のゴールド級冒険者パーティーに決まった。このゴールド級冒険者パーティーは数少ない、ヘクターの基準点を上回ったパーティーであり、積極的にスタンピードに参加しただけあってとても士気が高かった。
ヘルカンの街の冒険者以外に頼ることを不安に思わないわけでもなかったが、一つのゴールド級パーティーではそこまで大したこともできず、そもそも下手なことをすれば彼ら自身の命がないと言うことで、任せても問題ないと言う結論に至った。
少しでも魔力を節約するために、他のパーティーの魔法使いに<フライ>を付与してもらい、彼らは第四階層へと降りていった。
こうして、スタンピード殲滅作戦は静かに始まったのだった。
間引きをしている間は待機組はやることがない。彼らは万が一事態が急変した時に備えているだけなので、基本的に暇なのだ。各々が横になったり、時間を持て余してロックドルイドやスケルトンの相手をしている者もいた。
そんな中、作戦が開始されてから二、三時間が経過した頃、座って静かに瞑想していたアテンがおもむろに立ち上がった。トイレにでも行くのかと思ったガトーだったが、アテンが第四階層の方向に歩いて行くので声をかける。
「おい、アテン。どうした? 様子を見に行くにはまだ早いだろう?」
アントビーの様子が変化しているかどうか。これを判断するために二つの方法が考えられていた。
一つは間引きをしている冒険者たちの判断だ。これは実際に戦っているだけあって正確に把握できるだろう。しかしこの方法には状況を把握してから伝達するのに時間がかかると言う問題点があった。そこでその問題を解消するために考えられたのがもう一つの方法。アテンの圧倒的広範囲の<気配察知>による状況把握だった。
第四階層の入り口からでも間引き予定ポイントすらカバーできるアテンならば、状況把握してからその情報を素早く待機組の冒険者たちに伝えられる。そのため、一日のうち何度かアテンに<気配察知>を使ってもらう予定だったのだ。
その予定からすればアテンが第四階層に赴くにはまだ早い。だからガトーはアテンが何をするつもりなのか気になったのだ。
「時間にならなければ様子を見に行ってはいけないなどと言う決まりはあるまい。それに、だ」
アテンは周囲を伺い、少し声を落として言う。周りを憚らないアテンには珍しい行動だった。
「少し、嫌な予感がする。念のために確認してくる」
アテンの真剣な言葉にこの場に集まっている者たちに緊張が走る。
ここにいるのはガトーやゲーリィ、ゼルロンドといった主戦力グループだ。彼らがバラバラにいると、もしもの時に意思決定が遅れてしまうし、それぞれの立場があるので冒険者たちを無駄に緊張させてしまう。なのでこうして一つの場所に固まっていた。
「そうか、なら俺もついていくぜ。久しぶりに第四階層も見ておきたいしな」
ガトーはすぐさま立ち上がった。もしもの時は自分にも何かできることはないかと、ガトーなりに気を遣ったのだ。
「あ、なら俺も行きます! アテン師匠!」
「俺も!」
そこにすかさず、ちゃっかり主力グループに入り込んでいた『約束の旗』のレインとマッシュが追従する。もうこの二人はアテンの犬だった。あるはずの無い尻尾がブンブン振られているのが見えるようだ。
レインが初めて師匠呼びした時は「こんな出来の悪い弟子などいらん」とバッサリ斬られて崩れ落ちていたものだが、何とか復活し辛抱強く食らいついている。
ガトーとしてはアテンに少しでもヘルカンの街に愛着を持ってもらい、長くこの地に留まってもらいたいと思っているので、内心でレインたちのことを応援していた。
好きにしろと短く告げて一人先に進んでしまうアテンを追いかけて第四階層に入る。アテンが<気配察知>を使い、状況を把握するまでの間、久しぶりに見る第四階層にガトーが感慨に耽っていると、アテンが急に荒らげた声を出した。
「馬鹿な、先行し過ぎだ! 一体何をしている!?」
アテンが焦りを露わにしていた。いつだって余裕の表情を保っているアテンのこんな姿を見るのは初めてだった。
苦虫を噛み潰したかのような顔をしているアテンを見て、ガトーたちは非常事態が発生したことを悟った。
「なんだ、一体どうしたってんだアテン!?」
アテン程の者が、これほどわかりやすく驚愕を示す非常事態とは何なのか。ガトーは慌てて聞く。
「……ゴールド級冒険者たちが、予定のポイントを大きく過ぎて突出しているッ!! これは、不味いぞ!」
「なんだ、何が不味いんだ!? ゴールド級冒険者なら何をしようが、そういうことにはならないんじゃなかったのか!?」
確かアテンはそんなことを言っていたはずだ。状況にもよるのだろうが、その状況がわからないガトーはアテンに聞くしかない。
「クッ! まず、ゴールド級冒険者たちは一匹のアントビーを追いかけているように見える。これが突出してしまっている原因だろう!」
いつになく感情を表に出すアテンが、ガトーの問いに一つひとつ丁寧に答えていく。それを聞き逃すまいと周りにいる三人は集中して耳を傾ける。
「あぁ!? 一匹のアントビーを追いかけているだと!? 間引きもしねえで何やってんだあいつらは!!」
「無数のアントビーがいるのだ。その中に一匹くらい、アレがいたっておかしくない。冒険者たちが目の色を変えて倒そうとしてしまう、アレがな!」
「ヴァリアント種かッ!! くそッ! 今はそんな時じゃねえだろ!!」
スタンピードと言う非常事態に、自分たちの欲望を優先する馬鹿な冒険者たちにガトーは苛立ちを隠そうともしない。怒りのあまりに壁を殴りつける。オーラが微かに滲んだ拳は周囲に木片を散らばらせた。
アテンもイライラしているのだろう。少しずつヒートアップしていた。
「だが、それだけならば奴らが勝手に死ぬこと以外、別に問題はなかった! 不味いのは奴らが進んでいる方向だ!」
「おい、まさか……」
進んで不味い方向など一つしかない。ガトーの悪い予想は的中する。
「……巣に真っ直ぐ進んでいる」
それを聞いてガトーは血の気が失せる。スタンピードが始まるかどうかはアントビークイーンの機嫌一つで決まる。そのアントビークイーンがいる方向に、血気盛んな冒険者たちが突き進んでいると言うのだ。
万が一、それでアントビークイーンを刺激するようなことがあれば、間引きが進んでいない状態でスタンピードが始まりかねない。ガトーの不安を増長するようにアテンの話が続く。
「そして最悪なことに、周囲にいるはずのアントビーたちがそれを阻んでいるようには見えない」
「……どういうことだ?」
アントビークイーンを守るために存在するアントビーたちが、自分たちの守護対象に迫る外敵を排除しないとはどういうことなのか。訳がわからなかった。
「忘れたかガトー。ここのアントビーたちの多くはダンジョンからの恩恵を受けられない。つまり、生きるためには食わなければならないと言うことだ」
「ッ!」
ガトーたちは息を飲む。ゴールド級冒険者たちの末路がその目にはハッキリと写っていた。
「誘き出されているのだ。逃げられぬように。確実に仕留めるために。……少し前に、奴らの腹に収まったゴールド級冒険者十四人。あれで人間の味を覚えたのだろうな。奴らの動きには並々ならぬ執念を感じる」
「ここにきてあれが効いてくるのかよ! 余計なことしてくれやがって!!」
忘れかけていたことが、思いもよらず悪い結果を齎し悪態をつくガトー。その横で一つ疑問に思ったレインがアテンに質問をする。
「アテン師匠。アントビーたちにそこまでの動きが可能なのでしょうか? あんまり頭が良さそうには見えないんですけど」
きっとレインには虫型モンスターに知能があるという考え自体がないのだろう。アテンはこれにも丁寧に答える。おそらく、非常時だからこそ情報は正確に伝えるべきだと思っているのだろうなとガトーは予測した。
「以前、ガトーたちには、アントビーたちは<気配察知>を個体ではなく群体で行うという話をしたことがある。だがそれは<気配察知>に限らず情報伝達に関しても同じだ。詳細は省くが、つまり一匹が把握すれば、全てのアントビーが把握したのと同じことになる。群れでのまとまった行動はむしろ奴らの真骨頂と言えるだろう」
「そ、そうなんですね!」
珍しく質問に答えてもらったレインは差し迫った状況であることも忘れて感動の面持ちをしていた。
「アテン。それで、これからどうする?」
状況は理解した。今更どうしようもないことも。大切なのはこれからどう対処するかだ。
冷静さを取り戻したガトーは、浮かれポンチを無視して話を先に進める。そして、返ってきた答えは意外なものだった。
「……助けに行く」
苦渋の決断。アテンの顔にはそう書かれていた。きっと先々を見越しての決断なのだろう。だが、ガトーはこの時ばかりはアテンの決定が良いものには思えなかった。その真意を知るため、確かめるようにアテンを問い正す。
「アテン。もしかして、前にゴールド級冒険者たちを捨ておけと言ったことを気にしているのか? それなら気に病むことはない。あの時の判断が間違っていたとは思わんし、それがこうして悪い方向に転がったのはただの偶然だ。お前なら今からでも間に合うのかもしれんが、お前が行くことでアントビーたちを更に刺激することになってしまうかもしれん。それでも助けに行くのか?」
「いやいや、ギルド長。アテン師匠は、最初の間引きで死亡者が出ることで、冒険者たちの士気が下がることを気にしてるんですよ! だから助けに行くんですよね、アテン師匠?」
「む? そっちか。確かにその理由の方がアテンらしいか。成る程な……」
レインの意見にガトーが納得しかけるも、二人の意見は当の本人に全否定される。
「違うわ阿呆ども。奴らが人間の味に飢えているならば、危険なパーティーがもう一つあるだろう」
「「『魔導の盾』!!」」
盲点だったと言わんばかりの反応を示すガトーたち。言われてみればそうだった。だが、『魔導の盾』が危険だと言うのならば助けに行くことに悩む必要などないだろう。
アテンは一体何に迷っていたのか。ガトーが疑問に感じていると、それを察したアテンが溜息混じりに答えてくれた。
「『魔導の盾』を助けに行くと言うことは、ここまでアントビーたちを連れてくると言うことだ。別の個体がご馳走にありついていると言うのに、自分たちはそれを目の前にしてありつけないとなると、おそらく、奴らは怒りに狂う。その感情は、その執念は、やがて奴ら全体に伝播し、大きなうねりとなって押し寄せる。その流れがこの階層だけで終わるなどと言う、都合の良いことにはならないだろう。つまり、スタンピードが始まる確率が非常に高い」
「……そういうことかよ」
つまるところアテンはこう言っているのだ。
『魔導の盾』を助ける代わりに、最悪に近い形でスタンピードが起きると。だからこそ助けに行くことを迷っていたのだ。
(クソっ。何がこれからどうする、だ。こんな大事なこと、人任せにしてんじゃねえよ! これは、俺が責任を持って決断すべきことだろうが! アテンにらしくねぇ顔までさせて、情けねえ!)
先の展開もわからない、大事な決断を下すこともできない。ただの飾りに成り下がっているギルド長と言う立場が、自分自身のことがガトーは許せない。
今からでは遅いかもしれないが、アテンの負担を少しでも肩代わりすべく、ガトーもアテンの意見に同調する。
「アテン。俺からも、いや、ギルド長の立場として頼む。『魔導の盾』を助けに行ってやってくれ」
「貴様……自分の言っている意味がわかっているのか?」
「当たり前だろ。さすがの俺だってそのぐらい分かるわ」
ガトーは、アテンの表情からその気持ちを察する。
(ちっ、アテンのやつ。やっぱり俺に気を遣ってやがったか。異国の自分が主導したことにしておけば、いざって時に俺の責任が軽くなるってか? コイツは自分の国に帰れるからな。ピンチになった『魔導の盾』を助けに行こうとしたり、他人のことを気遣ったり、普段の様子と全然違うじゃねーか! 人はピンチになった時に本性が出るっていうが、くそ。……カッコイイじゃねえかよ)
ガトーにはアテンの姿が眩しく見えた。普段は自分にも他人にも厳しく無愛想な奴だからこそ、この状況下ではより輝いて見えた。
アテンの真剣な表情がガトーを貫く。
「本当にいいんだな?」
「くどいぜアテン。俺にも、ちっとはカッコつけさせろや」
「そんな理由か……馬鹿が」
「ハッハッハ!」
ガトーはアテンからの悪口を笑い飛ばす。
この決断は冒険者たちを苦しめることになるだろう。それはガトーもわかっているつもりだ。
最善は『魔導の盾』を見捨てて少しずつ安全にアントビーたちを削っていくことなのかもしれない。だが、ガトーにそんな選択肢は無い。
(こんな危機的状況だっつうのに、どいつもこいつも考えているのは他人のことばかり。なら俺だって、覚悟を決めないといけねえだろうが! 誰も見捨てねえ。俺は、そのためにギルド長になったんだッ!!)
自分がギルド長になってからもう何年経ったか。冒険者たちは立派に育ってきていた。ガトーはそれが誇らしい。
「それじゃあアテン。『魔導の盾』のこと、頼んだぜ!」
掛け声と共にアテンの肩を叩こうとするが、ノリの悪いアテンはそれをひらりと躱した。
「それでは私はもう行くが、貴様らはスタンピードの準備を整えておけ。わかっているとは思うが、大声で知らせるような真似はするなよ。冒険者たちへの周知はゲーリィの判断を仰げ」
「ああ、パニックになるからな。わかった。<フライ>を使える魔法使いを連れてくるか?」
「いらん」
アテンはそれだけ言うと広場に向かって駆け出した。そこにはこちらに向かって飛んできていたアントビーが二匹。
アテンは大きく跳躍するとアントビーたちを足場にして宙を駆け登る。あっという間に上層に到達すると、そのまま振り返ることなく先に進んで行ってしまった。
一瞬の出来事。後に残されたのは、足場にされた衝撃で息絶えた二匹のアントビーの死体と、口をあんぐりと開け、間抜け面を晒す三人の男たちの姿だった。
「……あいつには重力が無えのか?」
「相変わらずスゲー」
「さすがだぜ……アテン師匠」
しばし呆然とした後、自分たちのやるべきことを思い出し急いで踵を返す。
血で血を洗う、かつてない戦いがすぐそこまで迫っていた。
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