第65話 全開
(進化を目的とした強化ではなく、強さ自体を求めての鍛錬? 考えた事は、なかったかもしれんな)
アテンがこれまで特訓に勤しんできたのは経験を積んで進化するためだ。特に、アテンは元々がゴブリンと言う弱小種族であり、そこから抜け出したいと言う想いが少なからずあった。
御方のお役に立つと言う使命感が一番に来る事は間違いないが、自らに厳しい枷をつけて特訓していたのは、心の奥底に眠る劣等感の故かもしれない。そして、アテンがこれまで進化するための経験以外を積んでこなかったのは、その必要が無かったからだ。
モンスターは、その存在として生まれた瞬間から自分の能力を使いこなせる。人間のように時間と労力をかけて新しい技を覚えたりなどはしない。
経験を積む事で戦闘能力が上がったり小手先の技術を覚える程度はできるが、基本的に進化するまでは同じような存在であり続ける。それがモンスターであり、だからこそ一つの技術を必要以上に極めようと言う考えにはならなかった。
しかしアテンはここでその考えを今一度見つめ直す。本当にそれは正しいのかどうかを。
本来であれば疑問にも思わない事。だが、今のアテンには絶対正義、御方からの啓示がある。御方が黒だと言えば全てが黒になるのだ。それ以外の事は常に疑いの対象になり得た。
(待て。そもそもの話、御方は人間に『オーラ纏い』を教えろと言ったか? 人間を鍛えろと言ったか? ……言ってない。御方は、冒険者を利用しろと言ったのだ! くっ、私としたことが、自らの思い込みで御方の意図を計り間違えるとはッ! 何たる不覚、猛省せねばなるまい! 御方はただ、人間の有り様から、自らの足りないところに気づき、学び取れと仰っていたのだ! ぐうぅ、そんな事もわからんとは、情けない!)
アテンの端正な顔が歪む。そんなアテンを見て、自分たちの弱さに呆れかえっているのだと勘違いしている参加者たちが何人かいたが、別に間違ってもいないのでアテンはスルーする。
(つまりだ、魔力の扱いからして考え直す必要がある。今までは思うがままに、完璧に使いこなしていると思っていたが、『その上』があるのかもしれん! 強敵と戦う事ばかり考えていたが、成る程。これは確かに、『冒険者』の相手をしていなければ気づけなかった事だ。ふぅ、御方に無様な姿を見せる前に気づけて本当によかった……)
アテンは、思い違いをしたまま御方と、したり顔で会話をしている自分を想像して死にたくなった。それ以上考えると多大なる精神的ダメージを負ってしまうので、アテンは無理やり思考を切り替える。
(えぇい、次だ、次! 問題はどうやったら魔力ないし、様々な質を上げる事ができるのかと言う点だ。極限状態まで自分を追い込む事はやったから違う。今まで私がやったことの無い方法を試す必要がある。それは、何だ?)
こんなに頭を悩ませる事も久しく無かったな、とアテンが頭の片隅でそんな感想を抱いていると、『約束の旗』のマッシュが身体を引きずり、悔しそうな顔をしながら言葉を吐き出した。
「ぐっ……、全力を出してるのに、傷一つ負わせられないなんて……!!」
マッシュはこのメンバーの中でも根性だけは人一倍あった。よほど強さに対する憧れが大きいのだろう。あらん限りの力を振り絞っているので成長の速度もなかなか早い。
だが、アテンに言わせてみればマッシュは勘違いしている。
「馬鹿者。万が一私を殺してしまわないようにと、手心を加えておきながら何が全力だ。貴様程度が私の心配をするなど侮辱しているようなものだぞ」
「え、いや……そんなつもりは……」
アテンはマッシュにはこう言ったが、これは何もマッシュに限った事ではない。この場にいる全員が、アテンに対して全力を出し切れていない。だがそれも仕方のない事だ。
アテンは異国の重要人物であり、この先のスタンピード、そしてゴブリンダンジョンにおいても大いに力を借りる人物だ。そんな恩人に対して殺す気でかかってこいと言われても、本気で切りかかるのは難しい。だがアテンからすればそんな事では困るのだ。
自分が強さを得るために、必ずしも冒険者たちに稽古をつける必要は無いと言う事はわかったが、御方に良質な養分を届けると言う意味では継続するに越したことはない。しかし、こんな中途半端な稽古では育つものも育たない。
この程度の実力で自分にダメージを与えられるなどと、思い上がりも甚だしい愚か者共に、アテンは一度現実を見せてやる事にした。
「よかろう。これだけ実力の差を見せつけられておきながら、未だに自分たちの攻撃が私に通用するなどと幻想を抱いている貴様らに、わかりやすく、身の程と言うものを教えてやる」
そこに何か不穏なものを感じたガトーは恐る恐るアテンに尋ねる。
「な、何をする気だ、アテン……?」
「刮目せよ」
アテンは短く答えると、脚を肩幅まで拡げ精神を集中させる。
全身に気力を漲らせると、具現化した白いオーラが周囲に漂い出した。張りつめた力はその行き先を求め、やがて弾ける。
アテンは、その力を一気に解放した。
――アテンはこの時、まだ自覚していなかった。自分が、本当の全力を出すのは、この時が初めてだった事を。
これまでのアテンの全力は、いつだって制限下の全力だった。アテンは強かった。全力を出してしまえば、御方の意に反し訓練相手を殺してしまう。自分の持てる全ての力を、何も考えずに発揮できたのはゴブリンだった頃が最後。それ以降、本当の意味での全力を出す事は無かった。
そんな日々がいつしか、無意識の内にアテンに力のリミッターをかけていたのだ。自分を縛り付けていた鎖の存在に気づいたアテンは、それを無理やり引きちぎる。自由になった身体で壁を乗り越えた先には、新しい景色が待っていた。
アテンの全身から放たれる白光のオーラが瞬く間に訓練場を覆い尽くす。物質の壁を透過する白いオーラは、訓練場だけにとどまらずギルド全体に広がっていく。
日の光が降り注ぐ中でも、一際の存在感を放つようになった冒険者ギルド。通りすがる街の人々が次々に騒ぎ出す中、白い光はやがて力を収束させ一点に集まりだす。
それは、天を突き刺す光の柱。それの正体がわからないまでも、その光の柱から伝わる力の波動は人々に畏れを抱かせた。
スタンピードという脅威が迫り来る中、突如発生した光の柱。その発生源が冒険者ギルドであった事から、後の人々はその光の柱の事を希望を持ってこう呼んだ。
――救世の光、と。
アテンは渦巻く力の奔流の中で、心地良さを味わっていた。
力を解放する事で見えてきたもの。それは、進化の手掛かりだった。
アテンは今の姿になってから、いくら訓練を積んでも全く進化の気配を感じる事ができなかった。何故なのか、もしやこれ以上強くはなれないのか。そんな考えに苛む事もあったが、そんな日々ももう終わりだ。
(ああ、盲点だった。しかし言われてみれば当然の事だ。全力の力を扱わずして、どうして質を上げられようか。その先に行けようか。今、感じているこの力のブレ。これを完全にものにした時、私は新たな境地へと至れる。それ即ち、進化の時だ)
アテンは徐々に力を抑え込んでいく。流れを意識し、暴れようとする力をあるべきところに戻す。それに伴い、訓練場を覆っていた膨大な白い光も消えていくが、一時的に魔力が活性化した影響でアテンの全身を薄い光の膜が包んでいた。
事が終わった時、訓練場にいたメンバーの反応は様々だ。呆然とする者。興奮し顔を赤くする者。涙する者。失神する者。自分たちの目の前にいるのがどれだけ規格外の存在なのかを、彼らはその時、正しく知ったのだった。
「武光、纏衣……? 本当に、実在したのか……」
「すっげ……すっっっげえええぇぇぇ!!!!」
「おぉ、おぉぉぉ……」
「…………」
「綺麗……」
神秘的な光を纏う今のアテンは、人ならざる風格を漂わせていた。正しく次元の違う存在と化したアテンは、様々な反応を示す面々に静かに告げる。
「これでわかったはずだ。貴様らが如何に無駄な心配をしているかがな。そして目指すべき到達点もはっきりしたはずだ。ここまでは期待しておらんが、まぁ、全力を尽くせ」
自分自身、完璧ではないために少し口を濁してしまったが、目の前の人間たちには十分すぎたようだ。その顔からはアテンの事を『凄い存在』から『絶対的な存在』に認識が変えたのが如実に伝わってきた。
アテンの気配察知がギルド内、そしてギルドの周囲で忙しなく動き回る人間たちを捉える。少々派手にやりすぎた。直に訓練場にも人が押し寄せてくるだろうと予想したアテンは、その煩わしさから逃れるため、今日の特訓はここまでにすることにした。
「少し早いが本日の特訓はこれで終わりにする。各自、身体をしっかり休めておけ」
アテンはそれだけ言うと神秘的な光を放つ身体をローブで纏い、足早にギルドから出て行った。
身体が疼いていた。ローブの下でアテンは身体を捩らせる。久しく得られていなかった新なる力の気配に身体が喜んでいた。
早く色々と試したいが、如何せん、今のままでは目立ちすぎる。全力を出しながらも周囲の注目を集めない。そんな、存分に訓練する方法を探すため、アテンは街の外へと出て行った。
アテンが発生させた光の柱。それは街の外からでも見えていた。
緊急の連絡を受け、ヘルカンの街へ急ぎ戻っていたミスリル級冒険者パーティー『魔導の盾』は、突然立ち昇った光の柱に驚愕していた。
「うおッ! 何だ!?」
「何だあれは!?」
「あの位置……丁度ヘルカンの街がある辺りじゃないか?」
「ちょっと! やばくない!? もっと急いだ方が……」
「うるさいぞ! 少しは静かにできないのか!」
騒ぎ立てるパーティーメンバーを一人の小太りの男が黙らせる。彼はその丸い顔を更に膨らませて不満である事を表していた。
ダンジョン深層での間引きを終え、その街の冒険者ギルドに戻ればヘルカンの急報を知らされたのだ。最低限の休息しか取れなかったため、体力が無い彼は馬車の中で睡眠を取っていた。
「い、いや、でもよエル、ありゃどう見たっておかしいだろう? 取りあえず、もっと急いだ方がいいんじゃねーか?」
エルと呼ばれた男はパーティーメンバーのその発言に溜息をつく。耐性の無い相手をすぐに怒らせる事ができるような顔をしながら、エル――エルゼクスはアレの正体を教えてやる。
「確かに異常だ。だけど急ぐ必要は無い。あれはオーラの光だ。大方、スタンピードに対抗するために、副ギルド長あたりが強力な助っ人でも呼んだんだろうよ」
「あの光の柱が、オーラ!? どんだけ強力な助っ人だよそれは!?」
「ふん、知るか」
エルゼクスはそれだけ言うと再び目を閉じ眠りに戻ってしまった。
パーティーの前では普通を装っていたエルゼクスだが、パーティーの中で一番オーラに敏感な彼だからこそ、あの光の柱から伝わってくる波動には冷や汗を流していた。そのあまりの凄まじさに、つい呟きが零れる。
「僕たちが戻る必要ってあったのかよ……」
「ん? 何か言ったか?」
「何でもない。いや、ゆっくり戻れ」
せめて街に戻るまでに平常心を取り戻したいと、エルゼクスは御者を務めるメンバーにそう伝えるのだった。
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