第64話 手掛かり
スタンピードの噂が流れ始め、段々と活気に陰りが出てきたヘルカンの街。特に新人冒険者などは、目当てのダンジョンが使えない上に、スタンピード関連の依頼をやらされるのではないかと言う不安から街を離れていた。
そんなヘルカンの街の冒険者ギルド。そこの訓練場では現在、死屍累々の光景が広がっていた。地面に倒れ伏しているのはこの冒険者ギルドのギルド長であるはずのガトー、そして副ギルド長のゲーリィに、冒険者の中でも上位の実力を持つ『約束の旗』の五人だった。
フル装備をしている彼らがどうしてこんな事になっているのかと言うと、とある冒険者の地獄の特訓を受けているからだ。その冒険者、アテンは腕を組み、涼しい顔をしながらそれを眺めていた。その首下ではエメラルドの真新しいプレートが淡い輝きを放っている。
アテンはスタンピードを前にしてミスリル級に昇格した。紅蓮の洞第四階層の異常にいち早く気づき、貴重な情報を冒険者ギルドに齎した功績として決定した事とされているが、今回の昇格にはそれ以外にも裏の事情がある。それはスタンピードに際し、アテンに円滑な陣頭指揮を執ってもらうためだ。
元々、実力的には文句無くミスリル級以上のものを持っているのはわかっているが、それは一部の冒険者だけだ。スタンピードでは他にもたくさんの冒険者がいる。彼らに言う事を聞かせるため、わかりやすい力の象徴が必要だったのだ。
プレートが無いと相手の実力もわからない人間たちの弱さをアテンが嘆いていると、ガトーがよろよろと身を起こしながらアテンに抗議する。
「ア、アテンよおぉ、俺はぁ、この後、執務があんだぞぉ。もうちっと加減をだな……」
ギルド長という立場なのに容赦無くしごき倒されたガトーが恨み言を言うが、アテンに冷たくあしらわれる。
「どうせ貴様はただ印を押しているだけであろう。執務と言うのは貴様の代わりにゲーリィがやっている仕事の事を言うのだ」
「そのゲーリィもくたばってるじゃねーか!!」
和気藹々と言い合いをしているが、ガトーをはじめ、倒れている面々は先程まで重傷を負っていた。ポーションで外見上は治りはしたが、肉体的、精神的な疲れまで取れるわけではない。その特訓の過酷さを示すように、訓練場の所々には生々しい血痕が残っていた。
アテンの特訓の厳しさは想像を絶した。相手の力量、余力を正確に見極められるアテンは文字通り、死ぬ一歩手前まで相手を追い詰めた。男も女も関係なく、容赦なく痛めつけるその姿に、誰かが「鬼か……」と呟いていた。
鬼のアテンに参加者たちが恐れ慄いている中、ガトーはそんなアテンに好感を抱く。
ゲーリィが言っていた通り、一目見ただけでアテンが凄い奴だと言うのはわかった。多少なりとも『オーラ纏い』を使える者として、アテンがどれだけ高みにいるかが感じ取れたからだ。
次元の違うその強さに心の中で圧倒されながら話してみると、その様は傲岸不遜。だが不快には感じなかった。
遠慮なくものを言うのは実力に裏付けされた自信の証。その上で自身の強さに驕っている様子が見られない。常に上を目指し続けるからこその孤高の在り方に、ガトーは高潔なる精神を見た。
戦う者として妥協を許さないからこそ『オーラ纏い』の話にも説得力があるし、ついていきたいと思わせる魅力に溢れていた。
(まぁ上位貴族なんだから偉そうにすんのは当たり前なんだけどよ。こいつには嫌みったらしさが無いっていうか、単に事実を言ってるだけって感じなんだよな。生来の性格か? つい貴族だって事を忘れちまいそうになる)
ガトーは細かい事を気にしない、冒険者らしい性格をしている。貴族にとってそんなガトーは色々と目に余る存在だろうに、気に食わないからと何かを押し付けてくる事が無かった。
ガトーはギルド長と言う立場になってから丁寧な言葉で話しかけられる事が増えた。今でこそ慣れたが、最初はそれがむず痒かったものだ。そういう立場だからこそ強く思う。やはり、肩肘はらずに話せる相手は良い、と。
アテンは貴族と言う立場だからはっきりとものを言う。自分はギルド長と言う立場だからしっかりと言う。そんな歯に衣着せぬ関係が、ガトーには心地良かった。
(ちっと歳は離れてるし、互いの立場上いつもこうってわけにはいかねえが、良い関係を続けていきたいもんだぜ)
顎に手をやり何事かを考えているアテンを見る。その立ち姿を見るだけで、おそらく何人かの女は惚れてしまうだろうと言うほど様になっていた。
寝転がりながら、イケメンはズリーよなぁ、などとガトーが考えていると、訓練場にギルド職員が血相を変えて駆け込んで来る。ただ事ではないその様子に、ガトーはすぐさま起き上がった。
「ギ、ギルド長!」
「どうした! 何があった!?」
職員はガトーのそばに駆け寄ると耳打ちする。訓練場にいる全員の目がそこに集中する中、職員の話を聞いていたガトーの目がカッと見開かれる。
「何だと!?」
ガトーはその情報をすぐに開示する。ここには自分よりはるかに頭が良い奴が二人もいるのだ。頼るべきところは頼る。それは上に立つ者として恥ずかしい事などではなく、必要な素養なのだとガトーは身をもって知っていた。
「ゲーリィ! アテン! 今、紅蓮麓の町から緊急の連絡があった! スタンピードは自分たちが解決すると言い張る冒険者パーティーが、見張りの制止も聞かずに紅蓮の洞に入って行ったらしい! スタンピードが早まるんじゃねーのか!?」
通信の魔道具による緊急連絡。一度起動するとしばらくの間使用不可能になるため、普段は使われていない貴重なアイテムだった。
「ッ、仕掛けてきましたか!」
緊急事態を知らせる報告にゲーリィも強い反応を示す。前々からそういった連中が出てくるであろう事はヘクターから聞いていた。スタンピードだけで手一杯なのにそこに人の悪意が加わるのだ。悪夢以外の何物でもない。
今回の冒険者たちがその悪意によるものか、もしくはありがた迷惑な善意によるものかはわからない。だがアントビーを刺激する結果になるのは変わらないのだ。
早急に何かしらの対策が必要だと必死に考えを巡らせるガトーとゲーリィ。しかしガトーはこの状況にアテンが全く焦っていない事に気づく。ガトーにしてみれば今はどう考えても焦る場面だ。
「アテン!? 何悠長に構えてんだ! 今すぐにでも紅蓮の洞に向かうべきじゃねえのか!?」
地に足がついていない様子のガトーを見るとアテンはあからさまに溜息をついた。そしてギルド職員の方に顔を向けると、ようやくその口を開く。
「その冒険者共の階級と人数は?」
「は、はい! ゴールド級が十四人の三パーティーです、アテンさん!」
ギルド職員は畏まって答える。その対応は自分たちの長であるギルド長に対するものよりも丁寧に見えた。
ギルド職員の主だった者にはアテンの身分を伝えてあるとは言え、目の前でそういった受け答えをされると複雑な気分になるガトーだった。
ギルド職員の答えを聞くとアテンは即答する。頭の回転が如何に早いかがよくわかる。
「捨て置け。それで問題無い」
「は? 捨て置けって、それで大丈夫なのか……?」
刺激したら不味い状況じゃなかったのかとガトーは思う。それだけのゴールド級冒険者がいれば、今の事態に変化を与えるには十分なはずだ。しかしアテンはそれを否定する。
「問題無いと言っている。その程度の戦力では奴らを刺激し得ない。むしろ、ダンジョンの恩恵を受けられず飢えているアントビーたちの良い御馳走になるだろうな」
「御馳走ってお前。なら、助けに……」
「今から行っても間に合わん。それに貴様らにはやるべき事があるだろう。大局を間違えれば今後、更に多くの人間が死ぬぞ。その冒険者共には精々間引きを頑張ってもらうとしよう。自業自得だ」
アテンの言っている事は厳しいが確かにその通りだった。
冒険者稼業は全て自己責任。見張りも止めた。それでもやると言うのなら好きにしてもらうしかない。
「……わかった。おい、向こうには問題無いと伝えておけ。特訓を再開するぞ」
ただ、自分にもっと力があれば救える命もあったかもしれない。過去の後悔を繰り返さないため、ガトーは特訓に邁進するのだった。
アテンは再び無様に転がる人間たちを見る。だが、その胸中は人間たちに対する蔑みではなく、別の事に向けられていた。
(私はどうすれば強くなれる? 人間共にどう教えれば、それが私の強さに繋がるのだ?)
特訓が始まってからと言うものの、アテンが考えている事はそれだけだった。
御方の啓示では、冒険者たちを鍛える事が自分の強さに繋がるはずだった。そのため、とりあえずアテン式で特訓をしているが、真新しい事は発見できていない。いつもと変わらぬ方法では何も得る事はできないらしい。
(何が違う? 魔力の事を教えてやっても、今更新たにハッキリするような事も無かった。考え方が違う? 視点を変える必要があるか)
様々な方向から検討してみる。何の手応えも得られない以上、方法を変える必要があった。
(何故、冒険者でなくてはならなかったのか。御方は冒険者と指定しておられた。そう、モンスターではなく、わざわざ強さに劣る人間を指定したのだ。モンスターと人間の違いは何だ? 人間はなぜ弱い? ……進化か? 人間には進化による劇的な強さの向上が無い。ではどうやって人間は強くなる? 繰り返しだ。日々、同じ事を繰り返し、肉体を、技術を少しずつ向上させていく。進化でその過程を飛ばせる我々モンスターにはなかなか理解できない感覚だな。…………鍛錬。鍛錬か)
その思考に至った時、アテンは何か手掛かりを掴んだ気がした。
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