第57話 対価
「スタンピードだと!?」
冒険者ギルドのギルド長室。自分の部屋であるその場所で、ガトーの声が響き渡った。
領主館でヘクターとの会議を終えて戻ってみれば、そこにはゲーリィが待ち構えていた。そうして聞かされた一連の話に、ガトーは為す術なく天を仰ぐ。
「まだ確定ではないそうですが、彼がそう言うなら間違いないと思っていた方がいいでしょう」
飄々とした顔で言ってのけるゲーリィを恨みがましく見てしまう。
「……お前、どうした? スタンピードだぞ? どうしてそんなに平然としてる?」
ゲーリィとはもう長い付き合いになるが、こんな大問題を前にして普通の顔をしていられるような奴じゃない。もっと必死に頭を悩ませて、対策を考えるような人間だ。
「いえ、何と言いますかね。こうも平静を保っていられる自分自身に驚いてもいるのですが、この問題を伝えてきた相手が、あまりにも普段と変わらない様子だったもので。何とかなるんじゃないか、なんて思ってしまうんですよ」
吹っ切れたようなその顔は清々しく、いっそ若返ったかのように見える。
「まあ、腹を括った後だったから、と言うこともありますけどね」
「あぁ、『オーラ纏い』の件か。まだ信じらんねえけどな」
突如として舞い込んだ特大級の情報。そして、それが齎されることになった原因。
ガトーのトラウマ。最悪の予想が現実になろうとしていた。だが、ガトーの戦意は高い。
(リベンジだ……)
全盛期に比べれば肉体は衰えた。それに、ギルド長たる者が、たかが一冒険者に指図されているのは問題がある。しかし、『オーラ纏い』を完璧なものにし、過去の因縁に終止符を打つ機会を得られるのならば、そんなものは些細な事に過ぎない。ガトーはこの巡り会いに感謝すらしていた。
「で? その貴族様はどこいったんだ?」
向こうは自分のことをある程度知っているようだが、ガトーはそのアテンと言う人物をまだ見てすらいない。強い者には興味が湧く。ガトーは生粋の冒険者だった。
「彼なら、改めて第四階層の様子を見に行きましたよ。もう少し上まで登って詳細を把握してくるそうです」
「そりゃあ……大丈夫なのか?」
いくら強いとは言っても相手はスタンピード並みの規模を誇る蜂モンスター、アントビーの群れだ。戦闘になればただでは済まない。
「フフフ」
しかしそんなガトーの心配を、ゲーリィはおかしそうに笑う。自分はまた的外れな事でも言っただろうか。
「何がおかしい?」
「失礼。いえね、レイン君が似たようなことを彼に聞いて、『自分たちも一緒について行きます』と言った時に、ぼろくそにこき下ろされましてね。思い出し笑いをしてしまいました」
「レイン……『約束の旗』のリーダーだな。一緒に話を聞いていたのか。それで?」
「まあ、簡単に言いますと、『貴様ら程度に心配される覚えはない』と言ったところでしょうか。彼とレイン君のやりとりはそんなものばかりでしてね。繰り返されるうちに、段々と面白く感じるようになってきてしまったのですよ」
「そうか……。しかし、レインの心配は真っ当だと思うが?」
似たような意見を非難されたと言う事は、つまり自分がぼろくそに言われたのと同じだ。自分の頭が良くない事はわかっているが、なんだか悔しい。そこまで言うのなら、心配のいらない具体的な理由を教えてほしいと思う。
「今、下手にアントビーに手を出せば、すぐにでもスタンピードが始まるかもしれない状況ですからね。そもそも偵察の数は少ない方が良いのでしょう。それに、彼が<威圧>を使えば、戦闘になる確率は皆無だそうです。こそこそした姿が似合わないとは言え、なんとも豪快な偵察ですよねぇ」
ゲーリィは笑いながら言うが、それは本来であれば、笑って受け入れられることではない。
「……<威圧>は明らかな格下にしか効果を発揮しないスキルだぞ。第四階層のモンスター相手に通用するほど、そいつは強いと言うのか?」
ガトーの疑問に、ゲーリィは微笑んだまま答えない。
「……見てのお楽しみってか。お前、なんだか性格悪くなってないか?」
一日見なかっただけで、別人に変わってしまった気がする。そちらの方が冒険者らしくて、ガトーからすれば好みではあったが。
「まぁいい。それで、俺は次にギルド長として何を考えればいいんだ? スタンピードの報告と対策か? ゴブリンダンジョンに潜る研究員? それともスタンピードの発生原因か? 頭がおかしくなりそうだぜ」
ガトーは椅子に身体を放り出す。次から次へと問題が舞い込んで頭がパンクしそうだった。ガトーにとって、頭脳労働は苦痛でしかない。
「一つずつやっていきましょう。報告と対策はできるところから。彼の調査結果の後、迅速に動けるように下準備だけは済ませておきます。あぁ一応、一組のゴールド級冒険者パーティーにも、簡単な調査をお願いしておきました。情報の出所が彼だけと言うのはギルドとして不味いですからね。研究員に関しては、天のみぞ知るといったところです。祈りましょう。発生原因については、彼の推測を聞いていますが、どうしますか?」
あっけらかんと言うゲーリィを、ガトーはおかしな奴でも見るような目で見てしまう。
「はあ!? おいおい、ウチとそいつの国とじゃあ、どれだけの差があるんだよ。それとも、例のそいつが優秀なだけなのか?」
スタンピードの発生要因にはいろいろあるが、今回の場合はそれに当てはまるものがなかった。冒険者は毎日のようにダンジョンに潜りモンスターの数を減らしているし、外部から影響を与えようにも、紅蓮の洞は既に大きくなりすぎて、ちょっとやそっとじゃ変化させることはできない。それに、スタンピードの代表的な前兆。モンスターの数が増えていると言う報告が一切入っていない。
そんな状況なのに、たった一度ダンジョンに潜っただけで、スタンピードの気配を鋭敏に感じ取ってくるなど、デタラメだと判断した方がよほど納得できると言うものだ。
「両方でしょうね。ガトーも彼を見れば一目でわかると思いますよ。そして、そんな彼が心酔する国の王。どれほどの人物なのか想像がつきません」
(だが、こんな荒唐無稽な話なのに、こいつには疑ってる素振りがねえんだよな。ゲーリィに限って、簡単に騙される事もねえだろうし……。傑物か。ますます興味が湧いてきたぜ)
ガトーはゲーリィの判断力を信頼している。だから今回もそれをあてにして話を進める。
「そんなに優秀なら、今後も是非このギルドに残ってもらいたいな。それじゃ、その推測とやらを聞かせてもらおうか」
「ええ、全くです」
ゲーリィは笑いながら頷くと、言葉を続ける。その時には既に真剣な表情になっていた。
「今回の件は非常に特殊です。彼が来てくれなかったら、我々はその時が来るまで気づく事は無かったでしょう。アントビーのスキルによる大量発生。それがスタンピードの原因です」
「巣か……ッ!」
ガトーはすぐさまその可能性に思い当たる。ダンジョンのモンスターは生殖によって数を増やす事はないが、モンスターによってはスキルで増殖することがある。蟻系モンスターなどに見られることがあるものだが、しかし、それだけでは特殊と言うほどのことではない。
「そうだとしても、何故、今の今までわからなかった? 定期的に間引きに行かせてはいるし、大量発生の報告は受けていないぞ?」
「そこなんですよガトー。私たちは、ダンジョンにまんまと騙されていたのです」
「ダンジョンに……?」
要領を得ない。ガトーの顔にはそう書いてあった。
「ええ。あの第四階層は、わざわざ上に行かなくても第五階層に行ける造りをしています。何も無いとわかれば、危険を犯してまで上に行くメリットはありません」
そう。人間にとって上層は厄介な事この上ない。足場を滑らせて落下する危険が常に付きまとうからだ。
広場が光ればモンスターを呼ぶ。場所によっては上下左右からモンスターが集まってくることもある。自分がいる位置に気を使いながら、そんな状況に対処するのは精神を擦り減らすのだ。
探索されることが少ないから、宝箱が発見される確率は普通よりも高いかもしれないが、自分の命と天秤にかければ上に登る事はない。宝箱から良いものが出るとは限らないと考えれば、その労力に見合っているとは言えないだろう。
「しかし、放置はできん」
「はい。間引きのため、長く生き残り続けた個体が進化するのを防ぐため。私たちは<フライ>を使える魔法使いを含む、ゴールド級以上の冒険者パーティーに依頼を出して、正常化に努めてきました。でもですねガトー。それでは不十分だったのです」
ゲーリィが首を振りながら溜息をつく。自分のことを不甲斐無いと思っている時によくやる仕草だった。
「ダンジョンのモンスターは積極的に侵入者に襲い掛かります。私たちは、その特性と冒険者たちのリスクを勘案し、上層の奥まで行く必要は無いと考えていました。ですが、ある条件を満たしたモンスターは、その特性が当てはまらなくなるそうです」
「マジかよ……初耳だぞ」
「私もそうでしたよ」
その話が事実ならこれから冒険者たちに出す依頼は見直さなければならない。広大な面積を誇る紅蓮の洞には、普段探索していない場所がたくさんあるはずだ。
「ってことはだ。そのある条件を満たしたアントビーが生き残り続けて、俺たちの知らぬ間に女王に進化していた。それが今回のスタンピードの真相か」
原因はわかった。しかし、依然、疑問は残る。
「だけど、わからねえな。間引きの件はどうなる。減らしてんのに逆に増えてたんだぞ? それに気づかないのはさすがにおかしいじゃねえか」
ガトーは眉をしかめる。冒険者たちが適当な仕事でもしていたんじゃないかと勘ぐってしまう。しっかり調査してきっちりヤキを入れる必要があるかと考えていたガトーだったが、それはゲーリィは否定される。
「今あなたが考えている事はやらなくて結構ですよ。冒険者たちが仕事をサボっていたわけではありません。これは、誰に責任があるかと言われれば、それは私たちなのですから」
(俺はそんなにわかりやすい顔をしてるのか?)
ガトーは疑問に思うが、そんなことよりも後半の言葉は聞き捨てならない。
「悪いのが俺たちだと? それは一体どういうことだ」
「管理する側として、ダンジョンに対して無知なのは問題があるでしょう。ダンジョンが発生させるモンスターと、モンスターがスキルによって発生させたモンスター。これには明確な違いがあるらしいのですが、それがわかりますか?」
これは会話の流れからして、ゲーリィも最近まで知らなかったことだ。ゲーリィにわからないことを自分が知っているはずがない。ガトーは口を真一文字に結んで、行動で答えた。
「何をしているのですか……。ハァ。まぁ、仕方ありません。これはこの国の研究員ですら、把握しているかどうかわからない情報ですから」
(そんなのわかるわけねーだろうが!?)
とんでもない前置きをしてからゲーリィは続ける。
「ダンジョンのモンスターが侵入者に積極的に襲い掛かるのに対し、モンスターのスキルによって生み出されたモンスターは親、若しくは己の生存本能に従うみたいですね。いやはや、よく調べたものだと感心してしまいます」
「ああ、そりゃ確かにその通りだが……って、ちょっと待ておい。その話が本当なら、間引きで倒してたのは全部……」
「そうです。ダンジョンが生み出したモンスター。その裏で、スキルによって生み出されたモンスターは増え続けていたと言うことです」
「そういうことかッ!」
「あのような造りの階層でさえなければ、このような事態にはなりませんでした。次の階層に行くために奥に進めば、自然と区別無くモンスターを倒すことになりますからね。親のモンスターも自分の身を守るため、子供たちに攻撃を指示するしかないのですから」
「……成る程な。そりゃ、お前が俺たちの責任だと言う理由もわかる。だけどよぉ……」
ガトーは情けない声を出す。それだけでゲーリィにはガトーの言いたいことが伝わった。
「わかってますよ、酷な話だということは。こんな情報、自分たちだけで得ようと思ったら、何年先のことになったかわかりませんからね」
「だよなぁ……。そして、そんな超貴重な情報を齎してくれた冒険者に、俺たちはどう報いればいい?」
たまにいるのだ。でかすぎる功績を残す冒険者が。そしてギルドが報酬に頭を悩ませるのが常だった。
「ギルドでしてあげられるのは、冒険者ランクを上げることぐらいです。そんなものには興味無いと、登録の時に仰っていたようですが」
「そうか……しかし、なぜここまでするんだ……?」
知ってる人間など誰もいない、見知らぬ土地のために、国が秘匿する情報を公開してまで何を狙っているのか。損得勘定で時には冷徹な判断をする貴族、それも上位貴族がすることとなれば、その裏に隠された思惑には注意しなければならない。
当然、ガトーにはそんな狙いを看破するような眼力は無いが、貴族がどういう生き物なのかぐらいは知っている。だから、頼みの綱であるゲーリィに聞くのだ。
「彼は、陛下の意思と仰ってましたが」
「まさか、本当にそれを信じているわけじゃないだろ?」
「そうですね。ですが、そこにどんな思惑があろうと、私たちは彼の手を取らざるを得なかった。戦いとは始まった時にはもう終わっているものだとは言いますが、正にこの事なのかもしれませんね」
「おっかねえこと言うなよ……」
ギルド長と言う立場になってから、頭の良い奴がどれだけ恐ろしいかという事を、嫌というほど味わってきた。
目の前にぶら下げられた餌が美味そうに見えるほど、後に返ってくる結果が悲惨なものになるような気がして、ガトーは重く溜息を吐くのであった。
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